7 「教会の女神」
長いです。
ちょいグロ描写あるのでご注意を。
工場内に併設されたアーチャーのオフィス内は、人がいるのか怪しいくらい静まり返っている。歩く二人の靴音だけが美しく磨かれた石床に響いた。何故かアーチャーはどの部門のオフィスによることなく、トゥーリを連れてただ歩くだけ。
口を出そうとしても声が喉元でせき止められる。これ以上の口出しはさすがに図々しい気がして、ただアーチャーの背中を追いかける。
通路の突当りに来て、アーチャーがようやく一つのドアのノブに手をかけた。ドアが開いた瞬間、低い重低音と振動がすべりこんでくる。どうやらオフィスはここで終わりで、ドアの先は工場の中のようだ。
「どうぞ」
促されてトゥーリがエスコートを受けながらドアを通る。重厚感のある広大な金属の空間が広がり、鋼が擦れる音やトゥーリにとってよく分からない機械が、白い煙を所々から上げながら動いているのが見える。高い天井に着いている照明は最小限に絞られていて、機械の鈍い色と重なってより陰鬱な雰囲気を作り出していた。
この薄暗い、気が滅入りそうな場所で作業している人々が少しだけ気の毒になった。
「トゥーリさん、紹介します。私の秘書兼右腕のソーです」
高い靴音を響かせながらやって来た、長身の男にトゥーリは出迎えられる。
この場に全く似合わない、フロックコートとダークグリーンの軍服を着ている男だ。アジア系の男で、少し浅黒い肌や鼻筋の高い顔立ちは見慣れないせいで異質だ。アジア系特有の黒一色の髪は切りそろえられ、後ろへ撫でつけられている。秘書というよりは執事のような印象を受けた。
「こちらは私の命の恩人のトゥーリさんだ」
「トゥーリ・アクセルソンと申します」
できるだけ丁寧に挨拶をしたつもりだが、ソーはにこりともせず、トゥーリのつま先から頭のほうまで値踏みをするように見つめ、やがてゆったりとした上品な動作で会釈をした。
あまり歓迎されていないようだ。
それもそうだ。民間人相手を製造工場内に招くなど、普通では考えられないものだ。いくら社長の客人だからといっても、ソーは納得しないだろう。
それでも、アーチャーの手前、恥をかかせることはできない。ソーの冷たく整った顔立ちにたじろぎながらも、トゥーリは愛想笑いを浮かべて悪い印象を与えないように努める。
「作業員がミスをしてね、下敷きになるところを助けていただいた」
「お怪我は?」
「まったくもって健康体だ。心配には及ばない」
「作業員ほうの処分はいかがいたしますか」
「いや、もう済ませてきた。彼女に免じて、今回のミスは不問として作業続行を命じた」
ぴくりとソーの整った眉が動いて、鋭い眼光をトゥーリに向ける。
まるで、心臓を鷲掴みにされたような、そんな錯覚が起こった。アーチャーは何も言わなかったが、ソーは余計な口出しを無関係な一般人、しかも若い女が図々しくも提案したことを直感したのだろう。
トゥーリは居心地が悪くなり、あまりに身分を考えない行動に羞恥心すら湧き上がる。
「私が決めたことだ」
アーチャーの声がぴしゃりとソーの醸し出す不穏な雰囲気を打ち切る。
「恩人に丁重なもてなしをしたい。何かいい提案があるかね?」
「そんな、私はそんなつもりで……」
やっと絞り出した声は罪悪感で震えている。
「社長」
トゥーリに目もくれず、ソーが声を上げた。
「あの回廊はいかがでしょう」
「……なるほど、それはいい考えだ。トゥーリさん、私の自慢の場所があるんですよ。ぜひ、あなたにも見ていただきたい」
好意を無碍にすることはトゥーリの中にはなかったが、得たいの知れないこの右腕の男といい、アーチャーの先ほどの変わりようといい、トゥーリは一瞬だけ返答に迷う。断れば相手への不敬ととられるだろう。トゥーリの選択肢は一つだった。
「ぜひ」
明確な理由はない。ないが、嫌な胸騒ぎを覚えたトゥーリは無意識に両手を胸の前で組んだ。
ソーに見送られ、再び流されるようにアーチャーの背中に着いていくトゥーリ。
足元をぼんやりと照らす照明が、まるでトゥーリの心情を表しているように見える。
「トゥーリさん、一つ質問をしていいですか?」
「はい、何でしょう」
「あなた、アップルニードのゲージハウスにいたでしょう?」
トゥーリは言葉を失って立ち止まった。
アーチャーも同じように立ち止まり、ゆっくりと振り返った。表情は穏やかな笑みを湛えている。
「あの日、ゲージハウスは内部の者の持ち込んだ爆発物で壊滅的被害を被りました。誰の手引きでソフテルまで辿り着いたのですか?」
「……おっしゃっている意味が分かりません」
「おや、私の見当違いでしょうか。あの日、私はゲージハウスであなたを見かけました。酷く思いつめたような顔をしていたので印象に残っています。だから、ソフテルにあなたがいることに驚きました。爆発に巻き込まれたものと思っていましたから」
恐ろしいほどに血の気が失せていくのに対し、トゥーリの心臓の動悸が激しくなっていく。アーチャーの顔をまもともに見れず黙ったまま俯く。
アーチャーは何を言いたいのだろう。こんな所まで来てこんな話をするなんて―。
否こんな所に来たからこそ、アーチャーは適時だと思ったのかもしれない。彼の庭であっても、トゥーリにとっては巨大迷路でしかないこの場所で。
「ペッカー所長をご存知ですか? ご存知のはずです、あの時親しげに歓談をしていた。正直、少し妬けましたよ。所長は私にとても厳しい評価をされていましたのでね」
「……それと何の関係が」
「彼はほら、あなたのそばにいますよ」
「え?」
アーチャーのいる場所、そのすぐそばに小さな赤いレバーが見えた。そのレバーを操作すると、リベットを打ち込まれた壁が大きな音と地響きを立てて動き始める。壁が天井に吸い込まれるように、滑らかにスライドしていき、代わりに大きなガラス張りの箱が現れた。箱はずらりと壁一面に並んでいて、それが通路のずっと奥まで続いている。
「よく見てごらんなさい」
何が楽しいのだろう、アーチャーは満面の笑みだった。
彼の言う通り、ガラスの箱をに近づいて目を凝らす。
「きゃあッ!」
ガラスの箱の中身を確認したトゥーリは悲鳴を上げ、できるだけ遠ざかるように飛び退いた。
箱の中には人間がいたのだ。人形のように動かず無表情で、つるりと光る眼球は虚ろに宙を向いている。町中に放り出されたままの死体と同じようなそれに、足が竦んで勝手に体が震えだす。
「私の自慢のコレクションです。ソーは標本を趣味にしているので、こうして腐敗をさせないまま保存しておくことが得意なんです。腐る過程を眺めるのもいいですが、やはり装飾物は美しく設えておくに限る。所長はあなたの後ろに」
「ひ……っ」
背を向けていた方の壁を、反射的に振り向く。トゥーリの視線のその先の箱には、支柱に固定されてだらりと力なく四肢を投げ出している人間らしきものが収められている。全身に包帯を無造作に巻き付けられ、所々血が滲んで痛々しい塊が身じろぎをした。
「彼の生命力には驚かされる。重度の火傷を負いながら、彼はこうして今まで生き延びている。素晴らしい」
「しょ、ちょう……?」
掠れる声で呼びかけると、それは再びもぞもぞと動いた。芋虫を彷彿とさせるその動きに、トゥーリは嘔吐感を覚えて両手で口を塞いだ。
顔が見えなかったことが幸いだった。顔があって、その表情を見ていたらトゥーリは確実に気を失っていたか、恥も外聞もなく嘔吐して悲鳴を上げていたに違いない。
「残念ながら呻く力も残っていないようですね。お別れが言えなくて残念でしょう」
「ひどい……! どう、どうして、こんなひどいことを……!!」
「好奇心や探求心は誰にでもあるものです」
「この人が、所長が何をしたというのです!」
「……たまたま私の目の前にいた、それだけですかね」
ぞっとするほど美しく微笑む男の顔が悪魔のように歪んだ。
「あなたにチャンスを与えましょう。特別に選択肢を差し上げます。これらを、芸術と呼ぶか否か。意見をお聞かせ願いたい」
言いながら手を差し出すアーチャー。この手を取ればこの空間を芸術と認め、彼に屈服したも同然だろうが命は助かるかもしれない。しかし、手を取ったとして完全に命の保証がされたことにはならないだろう。それ以前に、この男に期待してはならない。してはいけないのだ。
「残念です、ミスター……」
トゥーリは震える声でそう告げると、アーチャーに背を向けて元来た道を走り出した。
工場の脱出方法を考えている余裕はなかった。一刻も早くアーチャーから離れたい一心だった。
トゥーリが走り去るのを見届けたアーチャーは深い笑みを崩さない。手を取り合えなかったことを少々残念に思いながら、ベストのポケットに手を入れて小型の通信機を取り出す。
「私だ。コレクションルームから女が一人脱走した。見つけ次第、銃殺を許可する」
◆◆◆
十分といっていいほど戦慄するまでの恐怖をたっぷりと味わったトゥーリは、覚えていた帰路への道順をすっかり忘れていた。おかげで工場内をぐるぐると走り回るはめになった。
変わり映えのしない景色や、同じようなドアがいくつも並んでいるせいで正解の道に辿り着くことができず、混迷状態のままで正常な判断などできるはずもない。やがて動き回ることに疲れたトゥーリは、ごうごうと音を立てて動く巨大なタンクに背を預けて座り込んだ。
「どうしよう……」
完全に息が上がっていて、それを落ち着ける余裕すらない。
見つかったら殺されて、アーチャーが芸術と呼ばれる人々のように飾られるのだろうか。殺され、人形のようになってガラスの箱に収められる自分自身を想像をして身震いする。
「セシル……」
ほぼ無意識に名前を呟いた時、頭上から細かい砂粒が落ちてトゥーリの頭を叩いた。見上げると、ちょうどトゥーリのいる場所は排気口の真下だった。その排気口の鉄格子が外され、そこから薄汚れた男の顔が覗く。悲鳴を上げそうになったトゥーリだが、男は慌てた様子で「シッ」と人差し指を自分の唇へ当てている。
「俺はノートン・エアハルト。あなたに助けられた」
トゥーリはあっと小さく声を上げる。聞き覚えのある名前は、工場の作業場で鉄板を落下させた男の顔と繋がったのだ。
「早くこっちに。引っ張ります」
ノートンの手は油で黒く汚れていたが、トゥーリは構わず伸ばされた手を取った。
「いきますよ、手を離さないで。よっ……と!」
体重や荷物の重さもあったというのに、ノートンは難なくトゥーリを排気口の中へと引き上げる。
「あなたを見つけられてよかった。頭に気を付けて着いて来てください」
排気口は以外にもひと1人が立って作業する分には十分なスペースがあった。蒸し暑くガスと油の臭いで充満している排気口を一列になって進む。
「どうして、私を助けてくれるの?」
ガスでむせながらトゥーリはノートンの背中へ問いかけた。
「あなたに救われたこの命、せめて恩人のために使いたい。俺のできる限りサポートします」
ぐねぐねとねじれるような曲がり角を何度かやり過ごし、一際長い螺旋階段を降りるとやっと排気口が終わる。冷たい空気が戻ってきて、トゥーリは何度か深呼吸をして新鮮とは決して言えないが、排気口よりましな空気を吸った。
「ここから先は一緒に行けません。この通路の突当りのドアの向こうが外ですが、中央が大きく窪んだ広場に出ます。広場の側面、錆びた古い大きな扉があります。扉の先はソフテルの地下通路へ続いています。それを使って工場を出てください。運が良ければ、他の地区に移動できる通路と合流できるかもしれない」
「ノートンさんは? 大丈夫なの?」
全身が汚れているノートンは、唯一白い歯を見せて笑ってみせた。
「俺のことは気にしないでください。あなたが無事に逃げ延びることを祈ってます」
「……ノートンさん、ありがとう。あなたもどうか無事でいて」
感謝の意を込めて、トゥーリは深くお辞儀をすると一度も振り返ることなく、通路を走り抜けて突当りにあったドアの向こうへ体を滑り込ませた。
ノートンの言っていた通り、ドアの向こうは外だった。久しぶりのような気がする外は、夕暮れ時に染まっていた。何度が深呼吸を繰り返してドアを後ろ手に閉めた。
いささか工場には不釣り合いな土気の多い広場だが、資材などがシートを被せられて配置されているところを見ると、これから何かを建造する予定なのかもしれない。だが、今のトゥーリにとってどうでもいいことだ。すり鉢状になっている中央へ向かい、石畳の階段を降りる。降りてすぐそば、側面に今まで見たのより一回り大きな扉を見つけた。
それなりに年期が入った扉で、力任せに引くと錆びついた耳障りな音を立てて開いた。
「逃げ切れると思うか」
悲鳴こそは上げなかったものの、音もなく背後へ忍び寄っていた影に気づかなかった。得たいの知れない空気を漂わせるのは、アーチャーの右腕のソーだ。
「汚らしい鼠が……。そう簡単に逃げ切れるとでも思ったか」
彼の手にはショットガンが握られている。ソー唯一の感情であるような、殺意を受けてトゥーリは扉に手をかけたまま動けなくなった。
「貴様に興味はないが、首でも土産に持っていけば、社長も多少は溜飲が下がるだろう」
「どうか、見逃してください……」
「命乞いとは……、本当に女という生き物はつくづく愚かだな」
ショットガンの銃口が躊躇なくトゥーリへ向けられる。
改造を施されているようで、むき出しになった真鍮や部品である歯車が確認できた。
ショットガンの威力は嫌というほど見せつけられて来た。
奴隷仲間は弾の軌道を読めるように訓練されていたことを思い出す。軌道を読み、弾を避けるという無謀な訓練をさせられている仲間もいた。貴族や、裏社会にいる組織の用心棒にするためだ。優れた者ほど高い値で売買されるのだ。
結局、全ての訓練をクリアしたのは獣並の身体能力と反射神経を持っていた一人だけだったが。
撃たれれば致命傷、加えて至近距離からの被弾は即死に繋がる。威力の知識はあっても、トゥーリは弾の軌道も読めなければ避けることなど到底不可能だ。
ソーの指がトリガーにかけられたのを見て、トゥーリはぎゅっと瞼を閉じた。
その時、小さく高い音が耳をくすぐった。衝撃が走ったかと思うと、辺りは土を勢いよく巻き上げていた。周囲は赤土に巻かれて視界が悪くなる。それと一緒に頬に伝わるのは熱風で、当てられた肌がちりちりとした痛みを訴えた。
突然の現象に動くことができないでいると、背後から腕が伸びてきてトゥーリの体を抱えた。
「セ、セシル……?!」
土煙に巻かれながらも、すぐ近くに見えた懐かしい顔を見てトゥーリは驚愕に目を見開く。
セシルは抱えているトゥーリには目もくれず、視界の悪い前方を見据えていた。さらに驚くことに、セシルのもう片方の腕は真っ赤な炎に覆われていた。手の中では、炎が球体を形作り勢いよく音を立てて燃えている。セシルは出来上がった火の玉を握り締め、前方へ向かって投げつけるとトゥーリの体を抱え直し、半開きだった扉の奥へと入り込んだ。
機能をしていない地下通路では、セシルの腕から発生している炎は松明の代わりとして役立った。
どれだけ使われていないのか予想のしようもないほど、地下通路も地上と同じく荒れており、時々現れる瓦礫の塊や粗大ごみが行く手を阻む。それらを避けながら、トゥーリは黙って歩き続けるセシルの背中を見つめた。
視線を感じたのか、セシルが歩みを止めてトゥーリを振り返る。不安定に揺れる炎に照らされた顔は恐ろしいほどに歪んでいる。そんなセシルの顔を見てもトゥーリは怯まなかった。その顔ですら、トゥーリを安心させるものだったからだ。
セシルの顔を数時間ぶりに見たトゥーリは、ずっと耐えてきたいくつもの感情が器から溢れ出すのを感じていた。
「この馬鹿やろ……ッ」
怒鳴りつけようとしたセシルを遮るように、トゥーリは躊躇することなく彼に抱き縋った。
普段のトゥーリなら、よく知らない男や他人に寄り添うことは絶対にしなかっただろう。しかし、相手が脱獄した服役囚でもトゥーリにとってセシルは、救世主のような大きな存在になっていたのだ。
見知らぬ土地での理由のない不当な扱い、アーチャーへ向けていた尊敬や期待を裏切られた時の失望、殺されそうになった時に味わった死のへの恐怖。そして最後にセシルの出会えたこと、こうして彼に縋りつける喜びと安堵。全てが混ざって、トゥーリの目から大粒の涙となって零れ落ちた。
「こ、こわかった……」
硬い胸板に擦りつくと、セシルが体を硬直させているのが分かった。
突き放されたら、拒絶されたら、そう思うと不安になって、セシルに回す腕の力を強くする。すると、セシルの舌打ちが聞こえてくる。トゥーリの頭に大きな手が乗せられた。暖かい体温のある手だ。
戸惑いを隠せない動きだったものの、くしゃりと頭を撫でられる。途端に、トゥーリは大きな声を上げて泣き出した。そうすることしか、溢れきった感情を処理できなかったのだ。
散々泣いて、まだしゃくりの名残があるトゥーリは、セシルと並んで歩きながらくすんと鼻を鳴らす。
「どうして私があそこにいると分かったんです?」
鼻声でセシルに尋ねる。
「お前がアクロイドに着いていくのを見つけた時、後をつけた。嫌な予感がすると思ったら案の定だ」
「ごめんなさい……」
「……別に責めてない」
気まずそうに咳払いをするセシルからトゥーリに対する気遣いがある。
それが嬉しくて、トゥーリは気づかれないように小さく微笑みを浮かべた。
◆◆◆
ここはソフテルの外れ。海に近い住宅街。被害は中心よりも打撃は受けておらず、原型の残る建物や家々が健在する。被害を逃れるために避難した人々が息を潜めているおかげか、昼夜問わず不気味に静まり返っている。
そこにひっそりと佇む教会がある。以前は毎日のように人々が礼拝に訪れていた神の場所だが、今や見る影もなく廃れて存在すら疎ましく扱われている。荒廃する町で、神に縋る者や期待をする者は皆無のようだ。
そんな教会に、辺りの様子を伺いながらこっそりと重い扉を開けて侵入する影が二つ。
影の一つがマッチを擦り、十つもある燭台に火を灯していく。
やはり荒らされた形跡は拭えないものの、神を象徴とする石で造られた十字架は最奥に鎮座していた。全ての燭台に火を灯した影と、もう一つの影が十字架に引き寄せられて集まる。同じ顔を持った髭面の男達だ。
「お前、何をやらかしたんだよ? こっちのエリアは兄貴の噂で持ちきりだぜ」
同じ顔の、双子の弟を見やったもう一人の男、ノートン・エアハルトは興奮した面持ちだった。
「俺は今日、素晴らしい人に出会ったんだ。その人が俺を救ってくれたんだよ、アンカー」
「ついに頭がいかれたか」
アンカーと呼ばれた双子の弟が、同情の眼差しを兄へ向けた。
あの工場内では監視の警備員が跋扈しているが、仲間の助けを借りれば数時間ほどの時間であれば偽装することは難しくない。それだけ作業員を手懐けていると勘違いしているのだ。
「あのくそ野郎、死ねばよかったんだ」
「やめろよ。誰が俺らの会話を聞いてるか分かんないぜ」
「知ったことかよ。聞いてんのは神様だけだ。そのくらい、神様もお許しくださるだろうよ」
アンカーは熱心な信者であり、首から十字架のネックレスを下げている。日課になっているお祈りをささげたところで、にかっとノートンに笑ってみせる。
「早いとこ済ませちまおう」
目的は、警備員の目を盗んで雑談することではないのだ。
十字架の裏に隠した、とある物を引っ張り出す。
「杞憂かもしれないけどよ、ここで作業をするたびに、俺は誰かが見てるんじゃねえかって思うんだ。すごく悪いことをしているような気がしてならねえ」
「馬鹿言うな。悪いこと? どこがだよ」
アンカーは少々他人の言葉に左右されやすく、影響を受けやすい性格だ。長い間、監視生活を強いられてきたせいで感覚が鈍ってきているのかもしれない。
ノートンはそんな弟が哀れになり、しおらしくなる背中を励ますように強く叩いた。
「悪いことなんかじゃないさ。悪いのは奴らだ。とんでもないろくでなしどもだ。前にも言ったろ?」
「そ、そうだよな!」
アンカーに笑顔が戻ったところで作業を再開しようとした時、背後にある主祭壇がごとりと音を立てて数センチ動いた。
二人は体を硬直させて主祭壇の方を見やった。主祭壇はごとごとと音を立てて大きく動き始める。アンカーが情けない悲鳴を上げて尻もちをつく。
「隠れるぞ……!」
ノートンは弟の腕を引っ張って十字架の裏へと身を隠す。
「なな、なん、なんなんだよぉ……」
「お前が死ねとか言うから呪いがかかったんじゃないのかよ……」
「俺のせいかよ!」
「シッ」
主祭壇が床上から数センチ浮き上がり、そして大きな音を立てて転がる。主祭壇の安置されていた床下に、隠されていた扉が姿を現したので二人は驚いて顔を見合わせた。教会を秘密の根城としてしばらく経つが、主祭壇の下に隠し扉があるとは思ってもみなかった。
古びた隠し扉を、何者かが強引に開けようとしているようだ。歪んで使い物にならなくなっている蝶番がねじ曲がって、乱暴に扉が開かれる。二人は悲鳴を上げそうになったが、その前に理性が動いて寸でのところで飲み込む。
出て来たのは人だったが、二人は恐怖心をすっかり忘れて見入った。
「め、女神だ……」
アンカーが驚きを隠せないと言わんばかりの表情で呟く。
割られたステンドグラスから注がれる月明かりが照らし出したのは、若い娘だった。美しい栗毛が光を浴びて輝いており、煌めく青い目と白い肌はさながら教会の清純な聖職者のようだった。薄汚れた教会に似つかわしくない風貌に、ノートンも見とれていたがはたと我に返って十字架の裏から飛び出した。
若い娘は突然視界に入った髭面の男に驚いているようだ。
「トゥーリさん、俺です! ノートン・エアハルトです!」
「えっ? あ、ノートンさん?」
若い娘、トゥーリの驚きに開かれていた目が細められ、朗らかな笑みを浮かべた表情になる。ノートンも嬉しくなって彼女に近寄った。
「またあなたに会えるなんて! 無事で何よりです」
「ノートンさんもよかった、無事で……。ここはどこなんです?」
「教会です。俺ら以外はいません。安心してください」
「おいノートン……、俺にも紹介しろよ」
緊張で顔を赤くしているアンカーを紹介すると、トゥーリは穏やかな表情のまま膝を軽く追ってお辞儀をした。
その上品な振る舞いにでさえ軽い既視感と憧れを感じて、ノートンとアンカーはまた見とれる。
「おい、何を騒いでやがる」
隠し扉の中から、地を這うような低い声が聞こえてきて、双子はトゥーリから目を離してお互いの顔を見合わせる。次いで、そこから姿を現した大男にアンカーが悲鳴を上げた。




