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ディープダイブ  作者: ぽつり
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3 「囚人達と共に」

 しばらく経ってもペッカー所長は戻る気配はなく、予定されていた裁判も準備に手間取っているのか開始時刻を大幅に過ぎていた。裁判官や被告人はおろか弁護士の入室もなく、傍聴席にいる人々が異変を感じてざわつきだす。トゥーリもすっかり飲み干されて空になった紙コップを持ったまま、裁判が始まるのを待ち続けていた。

 このまま待ちぼうけを続けるなら、適当な言い訳を作って出た方がよさそうだ。トゥーリはついに傍聴席から立ち上がって、第一法廷を出る。

 先ほどペッカー所長と通ってきた廊下は静まり返っており、人の気配がない無機質な空間となっている。トゥーリはゲージハウスの出入り口を目指して進み始める。その時だった。

 突如大きく床が揺れたかと思うと、遠くで何かが爆発したような音が聞こえた。トゥーリは揺れに耐えられず、壁に手をつきながらふらふらと床へ座り込んだ時、爆音と共に先ほど通ってきた廊下の壁が粉々に吹き飛んだ。

 トゥーリは悲鳴を上げ、咄嗟に頭を庇って伏せた。続く地鳴りで冷静さを失い、粉塵や轟音のせいで視界と聴覚を奪われたトゥーリは、全てが落ち着くまでそこに這いつくばるしかなかった。


「う、う……」


 酷い耳鳴りに頭を痛めながら、トゥーリは何とか無事だった壁を伝い、這うようにして移動する。後ろを振り返ると瓦礫の山がそこに積み上げられており、退出したばかりの第一法廷はどうなっているか分からなかった。


「いったい、どうなってるの……?」


 トゥーリはこんな状況下でも離さなかったトランクケースを抱きしめて、ふらふらと立ち上がった。砂埃を簡単に叩き落とし、ふらふらと拙い足取りでとにかくゲージハウスから出るために歩き始める。

 歩を進めている時にも遠くで爆音が聞こえ、ぐらぐらと床が小さく揺れる。どうやらあらゆる場所で爆発が起きているらしい。囚人達の反乱なのか、または別な組織のテロなのか。


「きゃっ!」


 天井についている照明が割れ、トゥーリは驚いて再び床に倒れこんだ。見上げると、爆発の衝撃で壊れた蛍光灯が外れて、配線に絡め取られて左右に揺れていた。片方の蛍光灯は割れており、小さな火花を上げている。

 わけが分からない状況が続いたせいで、トゥーリはいつしか目に涙を浮かべていた。そこに倒れ伏したまましくしくと泣いていると、背後からひたひたと人の足音が近付いてきてトゥーリのすぐそばで止まった。

 恐る恐る顔を上げると、視界に太い男の足が飛び込んできた。


「おい」


 腹に響くような太い男の声が頭上から降ってくる。


「女がこんなところで何してやがる」


 見上げた男を見たトゥーリは、出かかった悲鳴を何とか飲み込んだ。

 白髪交じりのダークグレイの硬そうな髪や口回りに生える髭は中途半端に伸び放題で、裏路地をうろついている浮浪者を沸騰とさせる。しかし、強い光を放つ青い目や、盛り上がった筋肉質な体は屈強な男であることを証明していた。鼻筋は高いが、恐ろしい顔立ちをしている男は、黙っていても他人を圧迫するような威圧感を全身から放っていた。


「黙っていないで何か言え」

「ひ……」


 灰色の薄い無地の服はぼろぼろであり、男は裸足である。囚人であることは一目超然だった。

 男の腕が伸びてきてトゥーリの胸倉を掴むと、軽々と持ち上げられた。爪先立ちになったトゥーリは、男の腕を両手で掴んで引き離そうとしたが、とても女の力では振り解けそうもなかった。


「わ、わかりませ……」

「あ? 聞こえんぞ。その口を裂かれたいか」

「分かりません…! 何も分からないんです。私はただ、裁判の傍聴に来ていただけです……。お願い、殺さないで」


 重低音の声で脅され、トゥーリは身を縮めて目にいっぱいの涙を浮かべながら懸命に懇願した。

 男はしばらくトゥーリの顔を食い入るように見つめていた。やがて目を伏せた男は舌打ちをする。


「……死にたくないのなら俺と来い」

「きゃっ」


 突き飛ばされふらふらと壁に背をついたトゥーリだが、ぶっきらぼうに言ってさっさと進んで行く男の背中を見つめた。トゥーリは恐ろしさで体がすくみ、ずるずるとその場にへたり込んだ。男が気付いて、面倒臭そうに近付いて来る。


「早く立て。殴り殺されたいか」

「す、すみません……」


 男が怖くて、殴られる前に立とうとするが、腰が完全に抜けてしまったらしい。トゥーリは涙目で何度も立とうと両手を使って壁に縋ったが、足腰は思うように動いてくれない。


「……面倒臭い女を拾っちまった」


 男は溜息をついてから、トゥーリの腰に手を回すとあっという間に肩に担ぎ上げてしまった。視界が急に高くなったトゥーリはあっけに取られていたが、男の逞しい腕と背中を感じて悲鳴を上げた。宙に浮いている足をばたつかせたせいで男に当たったような気がしたが、今のトゥーリにはそれを気遣う余裕はなかった。


「この小娘が! 静かにしないと本当にぶっ殺すぞ!」


 トゥーリは再び恐ろしさで動けなくなった。この男はどこに行こうとしているのか、なぜ自分を助けてくれるのか、その意図が分からず、トゥーリはただ落ちないように男の背中にしがみつき、ただ恐怖と混乱に支配されながら時間が過ぎるのを待つしかなかった。




 しばらく歩いただろうか、突然トゥーリの目に太陽の光が飛び込んできた。目が眩んだが、ようやく外に出れたことに一握りの希望を感じる。しかし、その希望はあっさりと打ち砕かれることになった。


「遅かったじゃねえか」

「何だその担いでる女は? まさかその女のせいで遅くなったんじゃねえだろうな?」

「余計なお荷物を増やすなよ」


 次々耳に飛び込んでくる男達の会話。


「黙れクズども。誰がお前らを外に出してやったと思ってる」


 男がぴしゃりと言い、担いでいたトゥーリを地面に乱暴へおろした。

 そこにいたのは屈強な体を持った囚人達が六人、護送車を後ろに従えて苛立った様子でトゥーリと隣にいる男を見ている。


「まあとにかく、早くここを離れようや」

「助かったぜ。誰かが爆弾テロを起こしてくれたおかげで脱獄が……」

「おい、余計なことをベラベラしゃべるな」

「その女も連れて行くのか?」


 びく、とトゥーリは身を硬くした。囚人達の目が注がれているのが分かり、トゥーリは恐怖でどうにかなりそうだった。


「いいじゃねえか、いい餌になるだろうよ」


 囚人達がそろって笑い声を上げるので、トゥーリはいよいよ覚悟しなければならなかった。


「それなら持ちの物をこっちに渡してもらおう」


 気付くと囚人が目の前に立っており、トゥーリの持ってきたトランクケースを取り上げた。


「や、やめて。返してください……」


 トゥーリの静止もかわまず、囚人は地面にトランクケースを広げた。中にはトゥーリが詰めてきた皺のない紙幣や硬貨、そして囚人達の目を釘付けにするプレンゼントの数々が入っている。それらを見た囚人達は口笛を吹いて歓声を上げた。


「すっげえな、これはいい拾い物をしたぜ。こんだけありゃあ、しばらく食いつないでいけるな!」

「こんなに大金があるってこたぁ、金持ちの娘なんじゃねえか?」

「お願いです、どうかそれだけは……。お金は差し上げますから、その他の物はやめてください」


 トゥーリは涙ぐみながら懇願したが、囚人達はいやらしい笑みを浮かべてトランクケースの物に手を出そうとしていた。


「おいやめろ」


 その手を掴んで制止したのは、トゥーリをここまで運んできた男だった。


「俺達に荷物はいらん。返してやれ。あくまでこの娘は逃げるための餌だ」

「あぁ? てめえ、馬鹿か? こんだけの金をみすみすと……」

「返せと言ったのが分からないか小僧」


 ぞくりとするような眼光で睨まれた囚人は渋々と、とても名残惜しそうにトランクケースから身を引いた。トゥーリはそれを確認すると、急いでケースを閉まって胸に抱えた。他の囚人が、まだ未練がましくとランクケースを見ているので、トゥーリは視線から隠すように背を向けた。


「……さてと、さっさと出発しようぜ」


 他の囚人が静まり返った空気を打ち消すように言った。

 当然のようにトゥーリも囚人達と共に護送車へ乗せられる。護送車はバスによく似た車両で、運転席を分厚いガラスで隔てて座席が後ろへ広がっている。トゥーリは一番後ろの席の真ん中へ座らせられ、両脇を挟むように囚人達が座った。


「出発するぞ」


 一人が運転席へ座り、声を上げてからエンジンをかけて出発する。トゥーリは遠ざかっていくゲージハウスを振り返った。


「名残惜しいのか?」


 隣の囚人に声をかけられ、トゥーリは慌てて顔を伏せた。トランクケースを抱きしめる腕に力を入れると、囚人が愉快そうに笑った。


「んン? 俺達が怖いのかい、お嬢ちゃん」

「そりゃそうさなあ。俺たちゃ泣く子も黙る服役囚なんだ。育ちのいいお嬢さんにはちと刺激が強すぎたかね。ギャハハハハ」

「それにしてもえらいべっぴんじゃねえか。本当にいい拾いもんをした」


 トゥーリの整えられていた髪が崩れて、顔を半分隠すように垂れていた一束を囚人が梳き上げた。ぞっと背筋に虫唾が走る。まじまじとトゥーリの顔を囚人が熱心に観察するので、トゥーリは目と唇をきつく閉じてひらすら耐えるしかない。


「からかうのはよせ」


 色めき立つ囚人達を静めたのは、他でもないあの男だった。

 トゥーリは横にいる男をちらりと横で見やった。どうやらこの男が、この囚人達の中でリーダー各の存在らしい。確かに一番屈強な体をしているし、顔もそれと同様に凶暴性を秘めている。だが、トゥーリにはこの男に庇われるような覚えはなかった。


「少しくらい楽しんでもいいじゃねえか、セシル。男だらけの監獄から抜け出して、まず初めにやることっつったら……へへへ」

「女を買う必要もなくなったぜ」

「この女に手を出すことは俺が許さん。いいか、クズども。分かったらさっさとその手を下げろ、ウィル」


 まだトゥーリの垂れた髪を触っていた、ウィルという囚人をいっそうきつい目で睨むと、再び渋々といった様子でウィルは引き下がり、しょんぼりと肩を落として席を変えてしまった。どこからか舌打ちが聞こえたが、男は平然とした様子で腕を組んだ。


「あの……」


 トゥーリは固く結んでいた唇を解いて、か細い声で男に話しかけた。


「どうして、私を助けてくださったんですか……?」


 男が目だけを動かして、小さくなっているトゥーリを見た。トゥーリは少しだけびくついたが、目は反らさずに男の顔を見上げていた。


「意味はない」


 男の回答はそっけないものだった。


「たまたま俺の通る道にお前がいただけだ」

「私なんか、あなたにとってただの他人のはずです……」

「そうだな、確かにお前は俺にとっちゃどうでもいい存在だ。それともなにか? 殺してほしかったってか?」


 囚人が噛み付くような勢いでトゥーリの胸倉を掴んで引き寄せた。トゥーリは再び涙目になりながら、何度も首を横に振った。


「ごめ、なさい……。死ぬのは怖いです。どうか、殺さないでください」

「ふん、小娘が生意気言いやがって」


 胸倉を離され、トゥーリは何度か咳き込む。これ以上男の機嫌を損ねたら本当に殺されてしまうおそれもあったが、トゥーリは静寂の空間が気まずくなって続けて男に問いかけた。


「これからどこに行くのですか?」

「フッドオールを経由してバウンティジョンへ。そこから地下へ潜ってソフテルへ向かう。ここよりかは潜伏しやすいだろう。お前は途中で降ろしてやる。フッドオールに近い場所で……」

「ソフテルに私も連れて行ってください」

「あん?」

「私はもう、アップルニードにはいられないのです。お願いします、どうか私もソフテルへ」

「……だめだ」

「ど、どうしてですか……? 私がいれば、人質として使えるでしょう?」

「ほう、お前は何かまずいことをやらかして家を出てきたってことだな? 俺達の人質になれば悲劇のヒロインを気取れるってわけだ」

「そんなこと!」


 打算的な行動だと思われたくなく、トゥーリは思わず声を荒げたが、やがて口をつぐんで顔を伏せた。


「今のは失言でした。忘れてください」

「どういう事情があるか知らんが、お前は家に帰れ。お前のいるところじゃないんだよ、ここは」

「……どうしてあなたは私に親切にしてくださるのですか」

「言ったろうが。特に意味はない」


 トゥーリは男の顔を盗み見た。こんなに怖い顔をしているのに、トゥーリをどうにかしようという気はないらしい。理由は分からなかったが、囚人であるのにも関わらずゥーリは、少しだけだが恐怖が薄らいでいくのを感じた。


「……俺達は地下へ潜伏する。お前も行くところがなきゃ、地下へ来い。そうだな……、高級な赤ワインや肉がほしい。それを持ってこさえすりゃ、お前の暮らしも考えてやらんこともない」

「……あ」


 男なりに気を使ってくれているのだろうか。口調は行動は乱暴で、力で従わせるのはごろつきのすることそのものだったが、トゥーリはどこか男へ対して憎めないような感情を覚えた。


「セシル! 道路の真ん中に何かいるぞ!」


 その言葉が運転席から発せられたかと思うと、今までにない衝撃が護送車に走り、トゥーリはそこから何も分からなくなった。






◆◆◆






《今日の午後、アップルニードで悲劇が起こりました。ゲージハウスで、何者かのテロ行為が行なわれ、建物が全焼する惨事が起こったのです。現場に消防隊と救助隊が向かう姿が見られます。まだ火の手は上がっているようで、数メートル離れているここにも爆音が時々聞こえてきます。詳細はまだ分かりませんが、警察は服役中の囚人達のテロ行為ではないかとのこと。新しい情報が入り次第、速報でお伝えします》


 テレビやラジオではひっきりなしに、アップルニードのゲージハウスで起こった惨劇を伝える番組が急遽立ち上げられていた。


 アーネスト一家の屋敷では、アーネストが番組の内容に耐えかねてラジオのスイッチをオフにした。静寂がリビングルームに戻り、アーネストは椅子に腰掛けて頭を抱えた。


「私が、こんな用事を頼まなければトゥーリは……」

「あなたのせいではないでしょう? まだ死者の数が伝えられていないじゃない。トゥーリだって生きてるはずよ。だって……、だってあの子はあの事故を乗り切った子なのよ?」


 アーネストを励ます妻のオードリーだったが、彼女の声も涙を含んで震えていた。


「オードリー、トゥーリを失ってしまったら……、私は、私達は……」

「あなた……」


 トゥーリがゲージハウスに向かってからもう半日が経っていた。連絡もなければ生死も分からない状況に、アーネストとオードリーは不安と後悔で憔悴しきっていた。

 トゥーリがゲージハウスに向かったことを知ったエノーラはショックで泣き喚き、ゲージハウスに行こうとしていたところを他のメイド達に止められ、今は泣きつかれてアルフレッドと共にベッドの中にいる。そんな愛娘の心境を思うと、二人の心もおおいに痛んだ。

 時計を見ると時刻は夜中の十二時を過ぎようとしていた。


「あなた、私達も少し休みましょう」

「……いや、いつ続報が入るか分からない。私はここにいるよ。君は休みなさい。明日もあるのだから」

「……不安で眠れないわよ」


 オードリーは後ろからアーネストを抱きしめた。

 オードリーは最後に見たトゥーリの顔が、頭を離れなかった。






◆◆◆






 トゥーリは目を覚ました。

 体を起こそうとすると、体が鉛のように重く鈍い痛みが襲ってきた。呻きながら何とか体を起こして辺りを見回すと、そこは深い森の中だった。

 空はすっかり白んでおり、トゥーリは夜通しここに倒れていたらしい。


「何が起こったの……?」


 あの時の衝撃は例えようがなかった。一瞬体が宙に浮いたかと思えば、護送車の天井や床に叩きつけられたことを思い出す。護送車の中で上がった悲鳴が、生々しく耳に残っていた。


 森の中であることは分かったが、トゥーリ以外の囚人達の姿は見られなかった。何故かトランクケースだけはトゥーリが倒れていたすぐそばに置かれていた。トランクケースを引き寄せて中身を確かめると、中身が傷ついた形跡はないようだ。トゥーリは胸を撫で下ろしてトランクケースを抱え、力の入らない足に鞭を打って立ち上がる。


「誰かいませんか?」


 囚人であろうとも、一人で森の中を彷徨いたくはないので彼らを探すために声を張る。足元の枯葉を踏みしめて当てもなく歩くと、かすかに自動車が走る音が聞こえてきた。トゥーリはそちらへ向かって歩みを速める。一刻も早く誰かに会いたかったのだ。


「あ……!」


 トゥーリは声を上げた。急斜面の上にガードレールがあるのを確認したが、そのガードレールを突き破った真下に護送車が横転しているのを見つけたのだ。突如襲ったあの衝撃は、護送車が道を外れて森の中に転落したせいだったらしい。

 トゥーリは無心で無残に転がっている護送車に駆け寄ったが、中には誰の姿も見られなかった。


「……誰か! 誰かいませんか!」


 おそらくトゥーリは急斜面を転落していくうちに、外へ放り出されたのだろう。地面が枯葉に覆われた場所だから助かったのかもしれない。

 しかし、他の囚人達はどこにったのだろうか。この護送車の様子を見れば、怪我では済まない囚人もいたはずだが、彼らのいた痕跡はどこにもなかった。

 トゥーリはしばらく護送車の周辺を捜して回ったが、やがて諦めて急斜面を登り始めた。急ではあるが、時々突き出している木の枝に掴まれば登るのは容易かった。すっかりぼろぼろになってしまったドレスの裾をまくり、ようやく車道へ出れた頃にはすっかり日は昇っていた。


「ここはどこなのかしら」


 ゲージハウスから出てそれほど時間は経っていなかったはずだ。

 このまま車道を進んで隣地区に行くこともできただろうが、トゥーリはアップルニードへと引き返すことを決めた。

 とにかく熱いシャワーを浴びて着替えたかったのだ。






 アップルニードの中央街を避け、外れの方にあるブティックをトゥーリは頼った。こんな姿で人通りの多い場所を歩けば、きっと警察に保護されてしまうに違いない。保護されればアーネスト達に連絡がいくはずだ。それだけはどうしても阻止しなければならなかった。


 ブティックの主人に、泥まみれの理由は道端で不注意に転んだことにした。人のいい主人はトゥーリを哀れみ、望んでいたシャワーと新しい服を無償で――トゥーリの着ていたドレスと引き換えにだが――提供してくれたのだった。

 新しい服として白いシャツとグレーのジャケット、そしてその下に薄いピンクのワンピースという上等なものを用意してくれたのだ。ワンピースは丈が少し短いものだったが、トゥーリは丁寧に主人にお礼を言ってブティックを後にした。

 エノーラからプレゼントされた青いリボンはしっかりと汚れを落として、トランクケースの中へしまわれている。それを確かめるようにトランクケースの表面を撫でて、トゥーリは次なる店へ向かって歩き出す。


 トゥーリはあの男に会いたくなった。あの男に会えば何かが変わるとトゥーリは思っていた。それと彼は唯一トゥーリを粗末には扱わなかったし、会えばきっと助けてくれるはずだと期待していたからだ。

 もし彼が生きているとしたら、護送車の中で言っていた通り地下に移動したに違いない。彼はワインと肉がほしいと言っていたことを思い出したトゥーリは保存の効くビーフジャーキーやソーセージの缶詰と、その店にあった中でも一番値の張る赤ワインを購入した。

 地下通路の地図も一緒に購入したが、トゥーリはその地図を広げながら角にあるオープンカフェスペースに腰かけて首をひねった。地下といっても下水道のことではない。ディープダイブには無数の地下通路が存在している。


「あの人はどこから移動したのかしら」


 森を走っていた道路の周辺には地下へ入る道はない。まさか堂々と地上の交通機関を使って移動しているとは考えられない。となると、車道の先にあるフッドオールまたはアップルニードのどちらからか地下に潜ったに違いない。トゥーリは悩むのをやめて、地図を丁寧に畳むとトランクケースへしまった。地下への道を考えても無駄だと思ったからだ。

 ここから公共機関なしではバウンティジョンまでは何日もかかる。それにバウンティジョンは中流階級から上流階級までの裕福層の人々が集う遊び場だ。そんなところにぼろぼろな彼らが自動車なしで行くような無謀なことはしないだろう。彼らは地下を通ってここから近いソフテルへ向かったはずだ。

 ソフテルに向かうには一本の太い道のみ。そこを目指していけば、いずれは彼らに会えるとトゥーリは考えた。

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