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篩に掛ける  作者: 相沢信機
9/10

ダシ抜きメシウマ!皆でウマウマ!新歓コンパ

 影武者には、意味が2つある。

 1つはお馴染み、身代わり。そして2つ目は、裏で人を操る黒幕。奔流さんに当てはまるのはずばり後者だろう。影武者委員長と呼ばれただけはある。


 が、彼の本日のなりはそれを演じるにはあまりに目立ちすぎる。

 しかしホワイトチキンとは明らかに毛色が違う。


 何を勘違いしたか、彼は新歓コンパに藍色の作務衣さむえ姿で現れている。


 作務衣と言えば、僧侶が日々の雑事を行う時に着る衣の事を指す。しかも質の悪い事に、彼はそれが醸す異質な空気に何の違和感も無く適応している。


 和食店の制服とかならまだ理解できるが、流石に彼のセンスを疑う。せいぜい受け狙いと嘲られるのが関の山だろう。


「流石に松茸先輩が気の毒に思えてくるな」


 1.3万円も捨てて参加するとの約束を取り付けたのに、見事に裏切られ、あまつさえ何も知らないカモを根こそぎ奪い去られまでしたのだから。


 こんな1人だけ浮いた服装で、おっさん面で、話し方も芝居がかった1年生を引き入れようとしたばっかりに、逆に出し抜かれた。何とも皮肉な話である。


「そういう玄汰君も、結局言い広めてはおるまい?」


「まあ……な。けどもう言い広めない方がいいだろう。あいつらにとっては」


 部屋の掃除に没頭していたし、祐輝さんもアカネも既に一択に絞り込んでいたしね。 

 それに何より、今後広めようものなら

「彼等はサークルを偽って参加者を飯のタネにする極めて悪質な新興宗教団体ですよ」

と吹聴して回る事になる。


「ああ、悪い……大丈夫か?」


 佐々がばんばんと首元を締め上げる腕を叩いて訴える。

 力を緩めて解放し、その腕を背に回して正面から抱いてみる。咳き込む佐々に視線を落として。


「大丈夫か?じゃありませんよ!懲りずに可愛い女の子をいじめておいて!」


 ごもっともな激昂を飛ばして涙を溜めた瞳が睨む。


 こんな時にファッションチェックも何だが、今回は趣向を変えてか、黒いブラウスに白のニットカーディガンを合わせ、フレアスカート、ヒールサンダル、トレードマークだった黒いリボン付きのハットは赤いベレー帽に置き換えられている。


 ネタやら中二に走ったような奔流さんと比べると、幾分まともだ。

 この姿なら可愛いと自称してもあながち否定できない。


「ああ、悪かった……もう泣くな」


「もうさゆりさんに暴力を振るわないと約束したら許してあげます」


「お前こそ、もう背後から突然がっついたりしないと誓って、行動で示したら約束してやる」


 両者は拮抗して交渉は平行線を辿る。


 瑞々しく、甘酸っぱい喧嘩も一時休戦となったのはその時だった。 

「夫婦喧嘩しとるとこ悪いけど、もう皆行ってしもうたで」


 はっとして周りを見回せば、いるのは俺と佐々と、茶々を入れたホワイトチキンだけだった。


「お前らの部屋は俺と一緒や。はよ行くで」


 彼に急かされるまま、続いて手すりが無く段差も高い不親切な階段を上って行った。



 ホワイトチキンの話によればあの完全犯罪の計画は次の通りだ。


 まず、奔流さんが奴等に接触して集合時刻と場所を把握する。


 次に、何人くらいが参加する予定なのかも頭に入れ、先輩達がその人数を目安に車を用意し、当日に集合時刻より早く向かい卓球部へと引き入れる。


 後は、先輩数名が車と共に控えてニアピン組から遅刻組までを回収し、連中を抑える。


 簡潔だが、狡猾。その上計画犯の奔流さんには、功績も危険も及ぶ事はまず無い。


「それにお前らが接触した松茸先輩の写真も抑えとる。連中は学生課でも把握しとるし、他の大学でも問題になっとるんや。せやけど、そいつらをまんまと嵌めた!俺達かっこええやろ!」


「先輩といい勝負ですね。学生課でも把握されていますし、悪質な人ですから」


「捻くれへんで素直に褒めぇや!ほんま可愛くあらへん後輩やな」


 オレンジの派手な髪を揺らし、振り向き様にサングラス越しで睨んでいる気配を振り撒く。 

 さして圧力は感じないが、アカネなら過敏に受け止めてしまいそうだ。


 白シャツに黒いカーディガンの間に豹柄のベストを差し込み、ダメージジーンズとウイングチップで合わせ、更にネックレスやらシルバーの指輪、ウォレットチェーンを無駄に、余計にあしらった派手さ重視の格好だ。


 見た目まで鬱陶しく見られるのも、ヴィジュアル系みたいだと敬遠されるのも顧みず、自らの理想を貫いたなれの果てだろう。


「先輩は殆ど見た目通りですからね。そういうリアクションは余程の物好きくらいからしか期待できないでしょうね」


「さっきから俺をこけにしやがって……腹立つわ!」


「失礼ですね。これこそ俺の白鶏先輩に対して素直に抱いた印象なんですから」


 ホワイトチキンは握り拳を震わせて威嚇するが、構わずに口を叩く。殴ろうが蹴ろうが、かわせる自信があるからだ。


「もう!知春君もフライドチキン先輩を食うのはそこまでにして下さいっ!」


「誰がフライドチキンや!」


 俺の無断で付けた文字通りの仇名が、佐々の魔の手に掛かり更に酷い意味で料理されてしまった。


 案の定、こんがり揚げたてキツネ色の面に鬼の形相を浮かべて抗議した。


「フライドチキンは皆で食べましょう。それでメシウマ!皆との仲もウマウマになるからです!」 


 だれウマだ。

 会話が成り立っていないように見えるが、こいつに慣れてきた御陰で少しは解るようになってきた。理由説明のつもりらしい。


 通訳すると、白鶏先輩がいる御陰で仲間達の友達の輪が広がり、盛り上がる。あんまり訳に自信は持てないが、そう言いたいのだろう。


 平たく言えば、サークルや新歓コンパは彼の尊い犠牲の上で成り立っていると。


 俺から言う事は火に水を打ちたいのか、油を注ぎたいのか、どっちかにしろ。以上。


 結局、ホワイトチキンの怒りは創業者の店舗とガソリンスタンドを灰に返した炎と同等までに肥大化している。


「どいつもこいつも……!」


「さっさと行くぞ、佐々」


 防火扉、じゃなかった。303号室の扉のノブに手を掛けてそう促した。

 俺達では鎮火は不可能と悟ったためだ。俺達にまで燃え移らない内にと内心では何気に焦っていた。


「イエッサー!」


 俺の不安要素は佐々が呑気に拳を高く上げたりなんかしていること。心の声で急かしながら漸く入室した。


 やはりカラオケの最中でいるため、「すみません、遅くなりました!」とのお詫びの言葉は圧倒的な音量に掻き消されてしまった。 

 室内を控え目な照明が最大で10人くらいは収まるであろう空間をぼんやりと照らしている。


 かつて俺も一度だけカラオケへ行った事があるが、その時利用したカラオケボックスの間取りとほぼ同じ、長方形型のテーブルをソファで囲んだものである。


 先客は7名。ホワイトチキン好みに手が加えられているのかは計り兼ねたが、女子が若干男子より多い。比率で言えば3対2。


 因みに現在は付け睫毛と胸まで伸びた亜麻色の髪のボブ……もとい穂波が今流行のアイドルグループの代表曲を、相変わらず紅いレザージャケットの存在感が圧倒的な祐輝さんを初めとした周りの参加者さん達の手拍子と共に熱唱中だ。


 そして佐々もいつの間にか彼等に溶け込んでいる。

 一人取り残されていたが、傍に腰を下ろしていた先輩らしき女性が端末を渡してくれた。


「ほな、君も早速曲を選んでおいてな」


 聞き取れなかったが、察する事はできる。頷いて受け取ると、とりあえず適当に選曲した。

 生憎楽曲のレパートリーはあの頃と変わらず乏しい。当然、最近流行のCMソングも歌えなければ、たった今歌い終えた穂波みたく人気アイドルグループの曲もしかり。


「次は先輩の番ですよ」


「おおきに」


 彼女は端末を渡してくれた女性にマイクを渡し、祐輝さんと共に醒めぬ興奮を分かち合う。 

 楽しそうで何よりだ。上辺だけの台詞を心の中で呟いた。


 それに佐々はともかく、俺と先輩の向かいに座る女子トリオは不服そうにその様を眺めている。


 彼等もいつか真琴ととっちめたギャルと同じクチなのだろう。祐輝さん本人がそばにいる手前、大きな行動に出る事は無いだろうが、席を外した途端にぐだぐだと陰口を連ねそうだ。


 先輩は栗色の髪を団子でまとめ、吸い込まれそうな円らな双眸がまず目を引く。


 そしてちらりと紺色のシャツを覗かせたベージュのニットフードポンチョと花柄のストール、レーススカート、黒のパンプスが他と比べて大人びて、落ち着いた印象を与える。


 そんな彼女が選んだ曲はと言えば、まさかの演歌。

 それでも度々芸能ニュースにて紹介されていた歌手の曲だったため、まだ付いて行けたんだ。


 イントロで止まりかかっていた流れも、マイクを机に置いた頃には、先輩や一男を中心に喝采が紙吹雪のように巻き上げられている。

 彼女の気配りと周りの優しさの賜物だろう。



「いやぁ、上手いっすね!先輩!」


「おおきに。次は誰が歌うん?」


「俺です!」


 素直に感嘆の声を上げた1年男子が挙手すれば、緩やかな動作で手渡した。柔和な笑みを浮かべ。


「久し振りやね、振井くん。この大学へ進学しはったんやね」


 あの写真を持ち込んでいなければ、顔を忘れるところだっただろう。 

 4人1組で班を編成して、京都、奈良を散策していた。5人目はその折に出会ったこの人、山吹花菜やまぶきかなさんだ。


「こちらこそ御無沙汰してます、山吹さん。まさかこんな形で再会するとは思ってもみませんでしたよ」


 1年坊やが明るめな邦楽で場を盛り上げようと努めている傍ら、俺達は一度しか会っていないにも拘らず、親友同士が再会を果たしたような空気で互いに久闊を叙している。


「元気そうで安心したわ。初めて会った時の君は気の毒やったさかいな」


「これでもまだ完全に立ち直れた訳じゃありませんがね」


 今でも未練がましくかつての恋人の写真を部屋に飾っているしね。

 佐々や奔流さんと協力して再び彼女を手に入れようとしていながら、矛盾しているではないか。


 健闘も空しくギャラリーが沈黙しているのを見ると、尚の事深い溜め息が漏れる。


「次は僕の番だね!」


 祐輝さんがマイクを手に取って立ち上がれば、穂波と女子トリオを中心とした黄色い悲鳴に彼が歌った過去すら歴史の闇に葬られた。


 言葉は慎重に選びつつ、後で声を掛けてやるか。

 彼はがっくりと肩を落としながら隅でいじけている。


 一昔のロボットアニメの主題歌を時に絶叫しながらノリノリで熱唱中だ。

チアリーダーさながらのギャラリーも笑顔で盛り上げているが、表情が苦々しく歪んでいる。 

 それもそうだろう、保育園から小学校低学年くらいの男子が、テレビの前で戦隊ヒーローと一緒になってはしゃぐのと遜色ないテンションなのだから。


 同じ年頃の女の子が着せ替え人形やぬいぐるみ集めに夢中になるのを理解できないのと同じだ。


 その頃の俺はブロックでの一人遊びやテレビゲームの方に傾倒していたな。



 祐輝さんが歌い終えると、彼等から例によって苦しげな拍手喝采が上がり、穂波から順番に参加者全員とハイタッチして腰を下ろした。


「はい、次は玄汰ちゃんの番だよ」


 ああ、とマイクを受け取ると、祐輝さんと山吹さんから期待の眼差しが向けられ、穂波からはお手並み拝見とばかりに温い眼だ。


「知春君、ガンバです!」


 あんまり期待されてもね、心の中でやれやれと息を落とした。


 俺が選んだ曲はとある有名なRPGの主題歌だ。


 俺が高2の頃、深夜にそのアニメが放送された事も覚えている。


 それに手掛けたアーティストも知名度があるため知り合い一同は勿論、女子トリオの中からも食い付いた者が現れた。


……やっぱり1年坊やはそっとしておいた方がいいかもしれない。



 我ながら掴みは中々だ。佐々にバトンタッチして一息ついた。


「さゆりさんの歌声で皆をぎゃふんと言わせてみせます!」 

 ディスプレイの横に立って自らの意気込みを聞いてもいないのに語る。


 祐輝さんがいよっ、待ってました!と拍手で持ち上げると、早速曲が始まった。


 こいつの事だからボーカロイド辺りだろうと高を括っていた。



 ところがそれはれっきとした生身のアーティストが作詞作曲しており、イントロからメロディーが美しい。


 Aメロに差し掛かるまでの空白で愁眉を張り付かせていた。

 恐らくオリジナルはさぞかし美しい曲なのだろう。それが奴の魔改造に掛かり初見の方の第一印象を貶めかねないからだ。



「……!?」


 だがそれを根本から裏切ってくれた。聴衆の誰もが言葉を失った。


 一体奴の何処に眠っていたというのか。俺も、祐輝さんも、真琴も踏み入れられなかった未知の領域から、類い稀なる歌唱力を秘めた歌姫は舞い降りた。



 俺や1年坊やは論を俟たず、女子の憧憬を独占している祐輝さんすら超える次元に君臨する。


 普段の姿から欠片すら覗けなかった澄み切った声は、闇の中に差し込む光のように輝き、その中で目を凝らすしかない俺達を優しく、暖かく包容する。


 そしてサビで一切の不純を排した調べと同調し、より透明度を増した声楽は天使の歌声へ昇華し、更なる高みへと上り詰めていく。


 それは空間全てを支配する言霊となる。


 舞い踊っていた天使は終末と共に昇天し、齎された感動にこの俺すらもぎゅっと強く抱き締められた。 

 スタジオでアーティストが曲を披露する姿に立ち会えたような興奮と感動で満たしてくれた女子大生に無意識の内に拍手を送っていた。


 俺に続いて祐輝さんに山吹さん、そして途中から姿を現したのであろうホワイトチキンを初めとしたギャラリーが、幕を下ろした直後に訪れた束の間の静寂を埋めていく。


「お前は凄い奴だ、佐々!」


 俺が投げ掛けるのは、いつも皮肉ばかりだ。だから雑音に紛れて皮肉抜きの言葉を叫べたんだろう。照れ臭さから。後ろめたさから。


「天晴れだ佐々ちゃん!最高っ!」


 祐輝さんの喝采は惜しみない拍手と競り合わんばかりの声量だ。これが度量も器量も高い祐輝さんと日陰者の俺との縮まらない差か。


『褒めても何も出ないぞ。これ、とっておきですから!』


 顔ににやけ面がしっかりと出ているぞ。親しい友人を軽く揶揄するようにぼそりと呟いたが、やはり掻き消されてしまう。


 ふう、寂しげな溜め息が熱を帯びた空気に溶けて消えた。


「次は俺の番やな。佐々ちゃん、マイクくれへん?」


 天使の歌声で夢心地にした天才少女からマイクを受け取り、ヴィジュアル系バンドのボーカルのソロライブが始まった。 

 彼の選曲は、とあるネタ満載のパフォーマンスに定評のあるヴィジュアル系エアバンドのシングルだった。


 一時期は俺の姉がはまっていた事もあり、このバンドの存在は知っていた。


 映像と高いシンクロ率を叩き出すダンスと共に、俺の予想の上を行く歌唱力を披露するがやはり元の楽曲がネタ満載のため、そして佐々との落差により意外性は圧倒的に薄い。


 嘆かわしげに眺める山吹さん、佐々で清々しい終わりを希望する俺を除き、お笑い芸人のコントを見る気分で、主にフリーダムなダンスに時に爆笑しながら存分に堪能した。



 約束の時刻の30分前にカラオケボックスを後にして、新歓第二幕の舞台となる居酒屋へ移動している。引き続き同じ顔触れでだ。


 ホワイトチキン先導の下、俺は佐々と並んで最後尾を歩いている。


 さっきまでこいつは女子トリオや1年坊やにも声を掛けられ、ファンに会いに来てくれたアイドルのような待遇を受け、俺はそれを現在の空と同じく黄昏ながら眺めていた。


「よかったな、友達が増えたみたいだしさ」


 変人というハンデがありながら、実力と頑張りで勝ち取って見せたんだ。

 気が済むまで喜んでいい、思いっ切り照れてもいい。


「それもありますが、何よりさゆりさんが嬉しかったのは……」 


 眉に微かに皺を寄せ疑問符を浮かべるのを余所に、佐々は赤面しながら上目遣いで見つめ、意を決したように俺の耳元で囁いた。



「玄汰君が私の事、初めて褒めてくれた事です」


 体が電気ショックを受けたように、動揺が動作に出てしまった。


 目を皿にして足は止まり、そのまま硬直した。佐々が俺の事を、初めて名前で呼んでくれたからだ。


「な……何かの冗談だろう。もしそれが本当なら、覚えているんだろうな?」


 悪足掻きだ。それは判っている。判っているが、捻くれた性根が潔く佐々の言葉を受け入れるのを許さない。


 佐々の眼が悪戯っぽく光ったかと思えば、



「お前は凄い奴だ、佐々!俺と付き合ってくれっ!!」


 あろう事か、声を大きく張り上げて醜悪な後付けまで追加して再現してくれやがった。


 そのせいでホワイトチキンや祐輝さんは真に受け、穂波は冷笑し、山吹さんさえ第三者目線から微笑ましげに目を呉れて事態がややこしくなる。


「おいふざけんな!最後の一言は明らかにお前が後で付け足したもんだろ!!」


 俺が火を吐いても歯牙にも掛けず、捕まえてごらんなさい、とばかりに駆けて行く。結局俺の抗議の叫びも空に空しく響いて消えた。


 紅いアルバムにまた1つ、厄介な思い出が収められた瞬間だった。 


「何、玄汰ちゃん。佐々ちゃんに告白したの?」


「んなわけあるかっ!」


 祐輝さんの無神経な声に、唸るような怒号でやつあたる。


「ええやんか。あんなかわええ子、中々おらへんで?」


 いつもは食われるばかりだったのだ。まして猪口才な態度で取り合ってきた後輩に逆襲する機会が訪れたとなれば便乗しない手は無い。


 冷静な内ならまだ共感できたかもしれない。解らんでもないと。だが今にやけ面で追い討ちを掛けられると、憎たらしさしか感じられない。


「貴様もしつこいぞ!」


 自分にして欲しくない事は、他人にするな。との教えは小学校から飽きるほど聞かされたものだが、従った実例は極めて少ない。

 寧ろ、これからも背いていくだろう。


 仮にも先輩に暴言を吐くなど多様な形で。


「それよりこれから行く居酒屋ですけど、あそこですか?」


 1年坊やが指で示した店は酒弥泉しゅみせんと毛筆で力強く書された看板が数多くのライバル店の立ち並ぶ大通りでも指折りの存在感を見せている。


「そや。白鶏がアルバイトしとるとこでな、甘酒も飲めるで」


 自給900円。高校生は不可。賄いあり。未経験者も歓迎で、土日は自給が50円アップ。しかし現在募集は掛けていない。


以上がホワイトチキンの補足である。 


「2階建てのようですが、やはり400人は収容できないでしょうね。他のサークルと目的は共有してそれぞれで催しているのですか?」


 辻褄合わせの回答を期待して山吹さんに訊ねた。


「シネマ研究会に馬術部、そして藍晶キャンパスの剣道部も混ぜて催してるんや。さかいに薬学部の新入生も来てくれはるんやで」


 それは初耳だ。夜城先輩は訊かなかったから言わなかっただけなのだろうか。


「ここだけの話、酒弥泉は剣道部、つまり藍晶キャンパスの子達がようけいてるさかい、さらのつれをぎょうさん作ってってな」


 別のキャンパスや他大学の方々と知り合うのは中々難しいものだ。このような機会、或いはちょっとした事件に巻き込まれたりするかでもしない限り。


「ええ、せっかくの機会ですから!」


 真琴や穂波との一件を回顧してみても、とりわけ女子からの初対面での印象は大体悪いからな。そう上手くいくかと懸念しているのもまた本音だ。

  

「こうなったか……」


 単純計算で1つのサークルにつき100人。その見積もりの過半数にのぼる大所帯は、意外にも女子の割合が高い。

 襖で仕切られていた座敷は開け放たれ、開始時刻22分前の現在で殆ど埋まっている事が、段差に沿ってほぼ規則正しく並べられた靴を見るより明らかだ。


 それだけではない、俺の今の呟き等の人1人の声など容易く飲み込んでしまう騒々しさが出迎えた。



 1階のテーブル席は女子トリオに先を越され、先輩方は剣道部と相席し、残る俺達4人を一纏めに収容するスペースは確保できなかった。それで僅かな望みに賭けて2階座敷の間へ足を運んだわけだ。


「意外と女の子が多いんだねー」


 祐輝さんが長時間あたっていると頭痛くらいは患いそうなざわつきに抗う声量で、誰にともなく周囲を見回しながら言った。


 穂波が何か訴えたそうにじっと見据えているのを余所に。不服な顔を張り付かせている辺り、あまり嬉しくない理由からだろう。


「とりあえず、奥から2番目左の座敷を確保しよう!そこの1年坊やも行くぞ!」


 同い年か年上かは知らんが、名前を教えてもらうのは後だ!


 むっとして何か叫んでいる気配がするが、俺の耳には届かない。捉えているのは、条件を満たした目標地点のみ。 

 宣言を終えると同時に床を蹴って50mを6.4秒で完走した脚力と、様々な障害を掻い潜る反応速度で直線コースを独走する。


 すいません、ごめんなさい、危うくぶつかりそうになった方々への謝罪も聞き取る前に空気抵抗により発生した風と共に目の前を過ぎ去っていく。


「……遅かったか……」


 被害件数0でゴールテープを切る。数秒遅れて一年坊やが、穂波の歩幅に合わせて祐輝さんが追い付いてきたが、無念そうな呟きが残念なお報せを告げる。



 その座敷には男子2名、女子3名の先客がいらしていたのだ。


「君達、何人?」


「4人です」


 不意に声を掛けられ、顔を上げてぶっきらぼうに返した。


 デニムシャツに白のカットソー、ベージュのカーゴパンツの見知らぬ兄さんは、外国の少年風のショートネープが特徴的だった。


「じゃあぴったりだね!奥から詰めて座っていって!」


 陽光に照らされた水面のように輝いた笑顔に誘導されるまま、座布団の上に腰を下ろした。


「これは……掘り炬燵ごたつなのか」


 星座に慣れない俺には有り難い座敷だ。開口一番の呟きで一年坊やは正座して硬直していたのが一変、慌てて崩して一呼吸を落とした。 

「おっ、本当だ。よく気付いたねー玄汰ちゃん」


 お、おい!新たな女子トリオの生足を覗き込んでいるようにも見えるぞ!


 確認するのは別にいい。だが、一瞥すれば十分だろう。まして彼女の前でやらかしたら……。


 祐輝さん!右!右!とジェスチャーですぐさま警告する。


 いつか奔流さんが使ったそれよりも大振りで。それでも彼は呆け顔を向けるだけで、クラクションを鳴らして必死に危険を知らせても、構わず危険運転を続行する対向車にドライバーが思いを募らせるような憤懣やるかたない地獄の手前絵図が出来上がる。



 トン、彼の背に不吉な影が忍び寄る。スタイルにあまり自信の無い鬼嫁の手に肩を鷲掴みにされ漸く状況だけは直感で悟ってくれたらしい。


「藍屋先輩、ちょっと来て下さい」


 抑揚の無い声が逆に言葉に強制力を与える。


「え、なに?ちょっとどうしたの?蛍ちゃん?」


 やはり肝心の理由については気付いていない様子で、合掌している俺以外の皆さんはたじたじである。

 俺だけが気魄きはくの束縛を抜けられたからだろう。


「ちょっと玄汰ちゃーん!合掌はいいから説明してくれよぉ!」


 遂に救いを求めてきた。だが彼が座敷の外へ引きずり出され嘆願の声が空しく響くまでそれを頑なに拒んだ。 


「本人から直接みっちり教えてもらってくれ……鈍感」


 そうは言ってもやはり両者に身につまされるところはあった。


 祐輝さんは悪気があってやった訳ではないし、彼女持ちでも女の子に公平に接するのは彼の本来の人当たりの良さからだろう。


 それに対して穂波はと言えば他のギャルに引けを取らないメイクやファッションでおしゃれに着飾っているが、話に依れば元々平凡な子で、顔やスタイルでの差別化も難しい。


 まして異性から高い憧憬の念を得る祐輝さんと努力を重ねた末に彼女になれたのだから、逆にいつ乗り換えられてしまうかという恐怖心もそれに比例して強くなる。だから束縛が強くなるのは必然なのだ。



 蘭子は男嫌いだったからその心配もあまり必要なかったからな。穂波の嫉妬と愛情は俺が想像するに余りあるかも知れない。


 俺が仲裁に入っても中途半端になって問題をややこしくするのが関の山だ。

 それなら彼等の勝手にさせておこうと結論を出した次第である。 

 2人が開始時刻ギリギリに帰還して、彼等の飲み物を回し、微調整し、薬学部剣道部担当の会場の準備が整った。


 幹事はさっきの外国の少年風の先輩で、



「皆揃ったようだし、グラスが行き渡ったようだからそろそろ始めたいと思います!皆有り難うね、開始時間ぴったりで始められました!僕は本日幹事を務めさせていただきます薬学部薬学科3年の須泉涼すずみりょうと言いますー!今年も沢山の新入生が参加してくれて充実した1日になりそうです!

此処より、大学生活の最初の宝物になる事を祈願して、せぇーのっ!」



『か~~~んぱ~~~~~~~~~~いっっ!!!!』




 須泉先輩の声に合わせて、満員の席から巻き上げられた大歓声は一斉に鳴らされたクラッカーに相当するだろう。


 俺達の座敷でも同時にグラスがぶつかり合い、乾いた音が響いた。

 8人一斉の後は、祐輝さんは和解の証だろうか、穂波と、俺は向かいの女子とグラスを交わした。 

 そして間髪入れずに自己紹介へ持ち込んだ。


「紅い革ジャンの彼がちらりと紹介しましたが、改めまして自己紹介を。俺は理工学部情報工学科の振井玄汰です。あなたは?」


 「君は?」とお訊ねするには恐れ多い方だ。白のフリルブラウスに、緩く巻かれた栗色の長髪の女性の帯びる空気は、ずばり清楚な年上のお姉さん。


 そして淵無しの丸眼鏡も加わり知的なイメージも追加される。


「タメ口でいいよ。私は薬学部薬学科の蒼柳梨紅あおやなぎりく


「む……そうか。なら、お言葉に甘えて…梨紅さん」


「梨紅でいいよ。玄汰って面白いね」


 いきなり呼び捨てか?


 今日はどうも人は見掛けによらない場面とよく出くわすな。


 この人はさばさばしていると言うか好奇心旺盛と言うか。俺の築いた2重3重の壁を次々と破壊しては一気に間合いを詰めてくる。


「そうか?いまいち実感が無いんだよなあ……人からよく言われる割には」


 そう言われるようになったのは中3の後期ぐらいからだったか。その理由は依然として調査中である。


「そうなんだ。ところで、玄汰の隣の子も友達なの?」


「いいや、この一年坊やは今日会ったばかりだ」 


「だからさっきから何遍も言ってるだろ!お前とタメだし!経営学部経営学科だし!一年坊やじゃなくて御影透みかげとおるだし!!」


 御陰様で彼もハイテンションだが、必死の色が他よりも図抜けている。


 黒の短髪にデニム、チェックシャツ、黒縁の眼鏡。その容姿は全力の自己紹介の後に眺めてもありふれた風体だ。


 アイデンティティの確立にはまだまだ研鑽不足で、懸命の自己PRも看板に偽りありで切って捨てられる。


 暫く放置すれば背景の一部と誤認してしまいそうだ。


「まあ、落ち着けよ。声が大きいと沽券にも悪影響が及ぶぞ」


 自棄酒をあおって早くも酔いが回ったのだろうか。彼が力を込めて握るグラスは既に空だった。

 まあ解らんでもない。努力が裏目に出続けて、前半から踏んだり蹴ったりだったからな。


「うおっ!?」


 ウーロン茶を一口いただこうかとグラスへ手を伸ばしたが、空振り。御影とやらが掠め取って一気に喉の奥へ流し込み、



「うるせえ!お前に俺の何が解るってんだ!!」



 カッ!テーブルに叩き付ける勢いで置いたのだった。


 盛り上がりも最高潮にまで達しようとしていた空気も、不測の事態で急停止を余儀なくされた。


 お祭り騒ぎだった宴会が仕事で大失態を犯した後の晩酌に塗り替わる。


「……初対面だしな、すまん」 


 他に返してやる言葉が見つからない。ならせめて、こいつが落ち着くまで話を聞いてやるか?

 骨が折れそうだが、俺にも努力が報われない経験は多々あったから他人事じゃあない。


「そういうのやめてくんない?まじでしらけるし」


 祐輝さんの向かいに座るアイラインの濃いギャルのご意見ももっともだ。



 だが彼は恐らく俺達よりも長い事日の目を見る事なく燻ぶっていたのだ。たまには瞋恚しんいの炎をド派手に燃え上がらせてもいいんじゃないか?


「まあ、そう言うな。祐輝さんも少しばかり彼の話にも耳を貸してやってくれないか?」


 冷静に119番通報をする。


「そうだねー。盛り上がるなら大人数の方がいいし……いいよ!御影ちゃんだっけ?何でもいいから、君の話を聞かせてくれるかな?」


 流石藍屋消防隊。通報から数秒で現場へ到着した上に、対応が迅速だ。



 さて、女子3人には悪いが、これで少しは鎮圧できるかな。


「そういう梨紅はどうだ?隣の皆さんの中に知り合いはいるのか?」


「いないけど、結局透を祐輝に丸投げしたわけ?」


 抜け目がないね、苦笑いがそう訴えてきた。


「まさか。同時進行で進めるのさ」


 御影の話は手帳の余白に箇条書きでまとめながらな。 


「そうするくらいならさ、アドレス交換した方がよくない?」


 それでは差し詰めどっちつかずになりかねない、と梨紅は桃色のスマートフォンを取り出して代案を持ち掛けた。


 確かに一理ある。


 しかし中学時代に黒板に携帯番号とアドレスを、それこそガキばっか馬鹿ばっかの男子共にぶちまけられた過去があるため、個人情報の開示には慎重な構えをとっている。


「その前に聞きたいんだが、君も卓球部に入るのか?」


 この返答次第で決める事にした。中学、高校と卓球部に所属していた身の上、技術には自信がある。


「うーん……私も高校の時に卓球部に入ってたからね。玄汰は入るの?」


「ああ、中学、高校と続けてきたからな」


 体を鈍らせたくないしな。一週間も経たない内に身体能力が役立ってくれたのだから。


「そっか。それじゃあ私も入ろうかな。早速交換しよ!」


 くしゃりと笑う顔を前にしても自分ルールは揺るがない。


「まだだよ。これより最長で1ヶ月関わってからだ。君の事は殆ど知らないしね」


 第一段階を突破したに過ぎない。第二のロックは俺の判断が無い限り解錠はしない。


 祐輝さんや佐々という例外こそあるが。女の中にもあんな連中と同じ質の輩がいる事だって大いに有り得るからな。 


「あんたともっと話したいと思ったのに……」


「そう言うな。把握できれば即日交換だって可能だからな」


 このルールの穴を教えておく。

 そしてそれはもう1つある。無断で他人にばらさないかどうかが判ればいいのだから、その旨を証明できればたとえ佐々みたいな残念な美少女にだって教えられる。


「少し席を外すぞ」


 トイレへ行く用ではない。店に入ってからずっと気になっていた事を確かめる為だ。


 御影の身の上話は今も延々と連ねられており、祐輝さんはうんうん、辛かったねぇ……、と相槌を打ちながら、梨紅は俺の残したメモを自分の下へ寄せてざっと目を通し、元より他の方々は嫌々ながら祐輝さんに合わせている。




 この酒弥泉では甘酒も楽しめる。山吹さんからの情報を反芻しながら1階に下りてきた。いつか家族で行った初詣以来だったため、随分と御無沙汰しているのだ。


「どないしたん、振井?」


 会場の盛り上がりは明らかに拍車が掛かっていた。

 やはりこの空気は慣れないものだ。


 背後から右肩を掴んできた白鶏先輩と違って。元々肌が焼けているため顔色からの判別は難しい。 

 だが足取りがおぼつかない事が見て取れ、結構酔いが回っているらしい。


「この店では甘酒が飲めるそうですね?」


「甘酒なら今俺らのとこに回ってるでー。持ってったらええわ」


「で、先輩の席は何処ですか?」


 奥の席から舐めるように見回しながら訊ねた。


「すぐ真ん前や」


 え……、拍子抜けして視線を手前に戻すと、目的の甘酒に舌鼓を打つ奔流さんと高校1年生くらいの小柄な少女と会話に花を咲かせている佐々が認められた。


「佐々……何処へとんずらしたかと思えば……」


 もう1つの気になる事もあっさりと氷解した。店を間違えて駆け込んだんじゃないかとか、何気に心配はしていたが、またこいつを見くびっていたな。


 だからこの呟きが永遠に届かないままでいい。白鶏先輩も既に背後から忽然と消えている。今来たばかりを装うには都合がいい。


「奔流さん。俺にもくれないか、甘酒?」


「おお、玄汰君。全部持って行くといい。先程追加注文をしたからな」


 彼等の席は奔流さんを除けば脳がアルコールに冒されている若者ばかりだ。

【醴】と行書体で書かれたラベルが貼られた瓶に4分の3程残っているそれを手渡された。 

 それ以外はサワーや炭酸飲料、そして食べ掛けのおつまみが無秩序に机上を支配している。


「酒粕で作る甘酒も扱っているようだぞ。そちらの方がよかったかな?」


「アルコールが入ってる奴だろ?こいつで十分だよ」



 酒の名は付くがアルコール飲料ではない。


 酒粕かすを使用して製造しているならアルコールが混ざるが、これはこうじを使用しているため前者に比べ製造に手間が掛かるが未成年者でも飲める。



「詳しいな……まるで甘酒博士だ」


 漢文の比喩並みに大袈裟な褒め言葉に目を見張った。少し空気に流されているのか、彼の口から飛び出すとは慮外だった。


「おう知春!お前も飲んで行けよ!」


 前にも似たような事があったな。酒が回って危うい秩序が遂に崩れたのか、佐々。


 雑誌モデル顔負けの容姿とファッションを身に纏いながら、中年男性のような挙動が台無しにしている。


「生憎、こいつで間に合ってるんでね」


 両手で抱えている甘酒を示して断ると、赤く染まった頬、据わった目を酒気を帯びた息が届くまで寄せてきた。



―まさかっ!



 折り紙つきの鋭敏な直感が数秒先の未来を予測し、警鐘を鳴らしてきた。 

 佐々が唇をぐいと押し当てたが、微風に煽られただけで手応えが無い。


 それもそうだろう。


 掌で注ぎ口を塞ぎ、身を屈め、靴底で床を蹴り上げる。


これらの動作をほぼ同時に行い辛くも危機を脱したのだから。


「おお!いいぞ1年!もっとやれ!!」


 連中は何かの芸だと勘違いして囃し立てているらしい。こっちは口移しで酒を飲まされそうだったというのに!


 佐々はごくりと喉を鳴らして飲み込むと、やはり襲い掛かってきた。


「くぉらぁ知春ぅ!!俺の酒が飲めねえのかぁぁぁああああっ!!」


「誰が飲むかっ!!」


 他人の唾液と息の掛かった酒など!幸い俺の背後は階段……つまり逃げ道はある!



 振り返ると同時にダッシュを掛け、1段飛ばしで駆け上がる。


 2階の床に片足が触れた刹那、何かが派手に音を響かせて倒れた。


 顔を覗き込んでみれば、佐々の奴が途中で踏み外して最初の段まで俯せのまま滑り落ちたのだと判る。



 介抱は下の連中に任せてそのまま自分の座敷へと走った。 

 甘酒を手土産に帰った俺を出迎えたのは、梨紅とスマートフォンを片手に交渉しているクリーム色の髪の男だった。


「梨紅ちゃん、携帯教えてよ」


「うーん……すみませんけど、教えられません。もう入るサークルを決めちゃいましたから」


 卓球部以外の先輩か。

 俺はと言えば2人に捕捉されないように物陰に隠れて傍観している。

 その理由は推して知るべしだ。


「そっか……君が入るサークルは……って、僕が訊くのはおこがましいか。楽しい思い出、たくさん作っていってね」


 先輩の薄い笑みは寂しげに映った。建前と本音が複雑に交錯してだろう。その背中は小さかったが、潔い。


 俺には真似できそうにないかな。



「さっきの人は?」


「シネマ研究会の先輩。トイレから戻って声を掛けられたから、少し話してたの。そういうあんたは……」


「ここに来る前、先輩が話していたんでね。ずっと気になってたもんだから、下の奴等から貰ってきたのさ」


 折角だから皆で飲もうか、と実物と目線で促してスニーカーを脱いで段差を上った。 

 座敷を犯す火災も、今や周囲と溶け込んでキャンプファイアーにまで落ち着いている。祐輝さんの采配で、御影も少しずつだが馴染み始めている。



 席を外した直後は彼に匿われる形で参加していたが、穂波と向かいのお兄さんも味方につけている。


 このまま終わり良ければ全て良しで幕を下ろせる事を願うばかりだ。


「あ、振井。続きは書いといてあげたよ」


「何だよ穂波、梨紅に頼まれでもしたのか?」


 週間予定のページの余白の途中から筆跡が変わっている。俺の書きぶりも細かい方だが、紛れも無い相違点は文字の濃度から読み取れる筆圧の高さだ。



 そのメモはまるまる4週間分に及び、筆跡の変化は2度見られる。


「そうよ。何か文句でもあるわけ?」


 1度目の変化は、時代遅れだの差別反対だのと叩かれそうな物言いになるが、女の子が書いたからか文字が美しい。


 文字の細かい止め撥ねまで意識し、紙面を彫るのではなく滑るように綴られた文字達は、メモ書きと呼ぶにはあまりに繊細で、垢抜けている。



 対する2度目は……何だこの落差はっ!


 書き殴ったような文字はともかく、細かい部位をそのまま続けて誤魔化したような跡もあるわ、片仮名なのか数字なのか判別がつかないわ、本来は止める部位で払ったり撥ねたりしているわ、とにかく前任者とは月とスッポン程の差がある。 


「最後のメモ……誰が書いたんだよ」


 地味な女の子の殻から脱した穂波だと決め付けると、よしんば酔いが回っているとしても整合性が取れない。


 俺が甘酒を調達しに下に向かっている間に梨紅がトイレから戻って映研の先輩と話していたのなら、まして俺のメモに目を通していたのなら、書き込む時間は殆ど無かった筈だ。


「ああ、それ?僕が追記しておいたの。ごめんねー」


 このフリーダム過ぎる書きぶり、言われてみればそれで合点がいく。


 高校時代はサッカー部のエース。1浪はしたが学力もある。1年棒に振った代償に会得した普通車とバイクの運転及び整備技術。


 何でもこなせる印象があるが、彼にも意外な穴かあった。


「……ところで祐輝さん、高校までの国語の成績は……」


「振井、そこから先はあたしが許さないよ」


「なるほど……それはそうと下で甘酒を貰ってきた。早速皆で飲むとしようか!」


 その前に俺は約1名分、新しいコップを回収しに行かなければならないが。


「ちょっとグラスを取りに行ってくる。俺の分、残しておいてくれよ」


「あ、じゃああたしの分も持って来て」


「……判ったよ」


 二度手間を取らされるとは。ひっそりと息を落として再び下へとんぼ返りした。 

 開始から既に1時間が経過した。


 初っ端からピッチを上げていた者は特にそうだが、泥酔して同席していた方々から介抱を受けている奴もちらほら出てくるようになった。



 開始直後よりは静寂が再び勢力を盛り返してきているが、まだまだ宴の終焉には遠いのが現状で、下のフロアは依然として衰えを見せない。


 それでも脱落者は確実に現れている。例えば……そう、


「奔流さん、その子は?」


 階段を降りたところで佐々と奔流さん、彼に担がれたまま寝息を立てている小柄な女の子と鉢合わせた。


 その子は確か、佐々とガールズトークを交わしていた相手だったか。


浅葱里桜あさぎりお君だ。話に依ると農学部生物資源科なのだそうだ。酒に弱いようでな、数杯煽って酔い潰れたよ」


 アルコールを摂取していないのは俺と奔流さんだけだろう。そういう俺は飲み物すら飲んでいないが。


 遊び疲れた娘を連れ帰る父親みたいに見える。


「そうか……佐々は派手に転んだようだが、もう大丈夫なのか?」



 今のは失言だったか?平手が横っ面を狙って飛来してきた。


 反射的に半歩下がり、掌は空を切ったが、纏っていた空気は鼻先を掠めた。


「何で避けるんですか!ちゃんと受け止めて下さいっ!!」 


 何をだよ?

 そのまま平手打ちをか?

 倒れたお前を放った罪をか?

或いは、お前の思いとやらをか?


 まあ、いずれにしても。


「それだけ元気なら大丈夫そうだな!」


 それから執拗に攻め立てる両腕を一つ一つ躱しながらの会話も同じく、掠りもしない。


 だがこのまま拮抗が続けば埒が明かず、本来の目的を忘れてしまいかねない。


 足元を潜り抜ける作戦は先程使ったため警戒されている。なら、これならどうする?



 今度は屈みもせず斜めに走る。捉えに伸びる右腕を同じく右の裏拳で起動を射程外へずらす。


 間髪入れずに足元へ忍び寄る脛も、跳躍して抜ければいい!


「悪いが先約がある。遊びはまた今度だ」


 大方酔った勢いでだろう。翌日キャンパスで顔を合わせる頃にはこんな茶番劇など忘れている筈だ。いや、そうでなくては色々と面倒だ。


 俺は振り返りもせず予定よりも遅れて本題に取り掛かるべく会場を駆け抜けた。


「この後俺らとカラオケ行こーよ。まじまじ!退屈させねーから!」


 中には2次会の参加者を集めに動く者もいる。だが今のは心なしか違和感を覚える。


 軟派……だろうか。どちらかと言えば。彼女を手に入れようと気負う参加者だっているだろう。


 一瞥して進めようとしていた足が、不意に止まる。


「え、行く?よっしゃ!!」 


 いくらアルコールで理性が崩れていても、あそこまでくれば犯罪だろう。



 女性の返事がどちらへ転ぼうと関係ない。声と図体が大きいだけの馬鹿は、ああして細腕をぐいと力ずくで引いて追従させればいいのだから。


 ひそひそと奴への非難を囁き合いはしても、止めに入る奴は出てこない。

 俺も彼等に混ざろうかと思ったが、先約がそれを許さない。


「ほらほら、早く行こーよー。大丈夫だから」


 大丈夫、なんてよく言えたもんだな、全く……。


 あの下衆はまだ彼女…アカネに気を取られている。


 つまり、俺があいつを助けるチャンスは、



 今しかない!!


 不干渉を決め込むなら、せめて助けに走る邪魔はしないでくれ。ぶつかっても謝る余裕はない。


「た、助け……クロ……」


 下衆野郎との距離は約3m。擦り抜けるだけの余裕もある。



 もう少しだ!もう少しで助けられる!


 雑踏を突破したと同時に拳を振りかぶる。もう後には退けないぞ!


 震えながら目をぎゅっと強く閉じている姿も目視できる。


「手ぇ離せ。怖がっとるやろ」


「!」


 殺伐としているが、聞き覚えがあり訛りもある声を捉えた。救世主に2人目が名乗り出たか。 


「あ?」


 ナイスだホワイトチキン……いや、白鶏先輩!あんたが抑えていくれるから下衆野郎の不意を衝いて、



 確実に腕を狙えるっ!!


 ドッ!手首を衝かれて初めて俺の存在に気付いた。


 堪らずアカネを解放してくれたまではいいが、今の俺は無防備だ。

 突進同然のパンチは、後に竹箆返しを受けるだけの隙を生んだ。


 だがそのリスクも白鶏先輩がフォローしてくれる。

 逆上した下衆野郎は俺のうなじを狙い拳を見舞うが、手前で先輩に阻まれた。


「これで、汚名返上やな」


 その隙にアカネと共に射程から離脱したのを確認して、先輩の口元が緩む。


「もしくは、汚名献上ですね…奴等へ」


 アカネの仇を前にしながらも、後退した先輩と横並びに立つと俺も微かに笑む。


「君ら何?いいとこなのに、邪魔しないでくれる?」


「知った事ではない。こちとら諸々の先約がある」


 先輩もサングラスの奥で目を三角にしているだろう。奴等の声にも威圧感が宿るが、関係ない。


「しかも、君新入生だよね?いきなり先輩を殴っておいて、何様なの?」


「2度も言わせるな」


 少なくとも、貴様らよりは真っ当な大学生様だ。 


「お前ら、馬術部やろ?飲み会とかコンパとかが初めての新入生もようけおる。そないな子達も安心して楽しませる立場の癖に、お前らこそ何様や?」


 白鶏先輩が一歩前に踏み出して説教した。


 昨年度は度々問題を起こしておいて、よく言うよ。

と呆れ果てるが、こう考えてみるのはどうだ?



 彼も学んで成長した。下衆野郎共が昨年の自分と重なって見えたのかも知れない。

アカネへの迷惑料返済もあるだろうが、二の次か。



 その心は、他人など省みず散々馬鹿やっていた自分との闘い。


 それなら汚名返上と表す方が相応しい。


「うっせえな。そんなの自己責任だろ?もう大学生は大人扱いだし」


 ならば、開き直った奴等への汚名献上の方は俺にこそ相応しい。


「なら、大人の貴様らには解るよな?今の自分の行動に、どんな責任が伴うか」


 白鶏先輩がぶちまけなくても、奴等の所属が割れて広まるのも時間の問題だ。

 そうなれば馬術部に入部を希望する新入生の数は確実に減少する。


「はあ……うっざ。もういてられるかよ!こんなしけたとこ」


 唾でも吐き捨てるような勢いで言い、参加者達が奴等を避けるように道を開け、肩を揺らしながら不服そうに店を後にする。


 幸い、無差別に八つ当たるような蛮行に走らなかったが、ここから緊迫した空気を払拭するのは難しいだろう。 


「大丈夫か、アカネ?」


 奴等に齎された恐怖を引きずっているのだろう。小さな肩や唇が微かに震えている。


「う、うん……クロと……白鶏先輩が助けてくれましたから」


「ええって。照れるやんけ」


 頭を掻きながら顔をとろけさせている。


「あんまり遅いと思って来てみたら、大変だったみたいだね」


 ごめんね!もう甘酒皆で飲み干しちゃったよー。と声がした方向へ一斉に振り返る。


 そこには奴等と入れ替わりで祐輝さんが現れている。


「ほんならまた持ってくわ。君らは先に行っといて」


「それじゃあついでにグラス2つもお願いできますか?」


「判ったわ」


「それじゃ、行こうか……アカネ」


「うん」


 途中大波乱もあったが、だからこそ破裂の懸念すらある程中身の詰まった歓迎会だったと実感する。


 ただ何気なくキャンパスライフをなぞるだけでは、ここまで人の奥底へ潜れないだろう。


 俺の記憶に焼き付けられた【新歓コンパ】は、ここから時間の許す限り続いていく。



 いつか受けた恐怖も越えて。

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