奔河式新入生邪道勧誘術
午後の講義が終わり、復習をするために奔流さんと学生ホールへ足を運んでみれば、真琴が中央のテーブルでポテチ(パッケージによるとコンソメ味)を貪り食いながらノートと参考書を広げて黙々と勉強していた。
「よお、真琴」
ショートカットの黒髪に紺のパーカー、白のカットソー、細身のデニム、ハイカットの黒いスニーカーという服装のせいか、少なくとも胸を意識するまではやんちゃな少年かと錯覚してしまう。
「振井に奔流さん…これから帰りなの?」
まあ実際はやんちゃの域を軽々と越えて獰猛。現に昨日は肉食獣を2匹、お得意のドロップキックの一撃のみで仕留めてしまったハンターだ。因みに俺もこいつの標的にされているが、今日まで生き延びている。
まあそんな取るに足らない自慢話はさておき、何気に気になっていたが、ホワイトチキンに灸を据えられて翌日、パッと見る限り立ち直っているようなのでとりあえずは安心した。
「いや、ここで自習をしていこうと思ってな」
ここで奔流さんより一呼吸遅れて気付いた事。4人分の椅子が備えられた円形テーブルを占領しているのが、真琴だけではない点だ。
真琴の向かいの椅子にちょこんと腰を下ろす黒いデイバッグ。
それは彼女の荷物と断定するには位置的にも違和感がある。どちらかと言えば俺が背もたれを肘掛けにさせてもらっている椅子、つまり真琴から見て左側のそれにどかっと踏ん反り返っている水色のスポーツバッグの方がしっくりくるんだ。
それに、取っ手に結び付けられたリボンには心なしか見覚えがある気がするが。
「ふーん……なら、ここ使う?」
よいしょ……っと、バッグを足元に下ろして席を空けてくれた。中から覗いたのは今日中にまとめ買いしたのだろう、大量の参考書であった。
下ろした拍子に綺麗に積まれていたのが少し崩れてしまったらしい。
「ああ、悪いな……」
奔流さんは俺の向かいの席に座り、俺も鞄を肩から降ろした直後の事だ。
しきりに後ろ!後ろ!と指差して警告してくれたが間に合わず、ぬっと視界に現れた両手に両目を塞がれる形で襲撃者に捕まった。
「な……何だ?」
「だ~れだ?」
そいつは耳元にそう小さく囁いてきた。
声音を変えたつもりだろうが、そんな程度では誤魔化されない。何故ならデイバッグの持ち主を特定したからな。
「何の真似だ……ブラックボックス?」
「ブッブー!不正解者にはお仕置きです!」
何だ?また首を締め上げようってのか?その答えは俺が回避態勢に入る前に明らかとなった。
視界が戻ったかと思えば、突然世界が90度後ろへ傾いた。それは一瞬の出来事で、先程まで奔流さんと真琴が囲むテーブルから奥の窓硝子までの景色を見据えていた筈が、気付いた時には天井を見上げ、佐々に見下ろされていた。
早い話が仰向けに転ばされただけだが。
ふわりとウェーブの掛かった明るい茶髪、大人らしさもあどけなさも宿る二重の大きな瞳、クリーム色のブラウスに丈が膝まである緑のスカート、そして昨日身に着けていたものと似たり寄ったりの首元で蝶々結びにされたリボンと浅く被られた黒の中折れハットは、奔流さんで言うストールのような、彼女のトレードマークなのだろう。
「佐々百合……」
「ちゃんと名前で呼んで下さい!さゆりさん、呼んでくれないとまたお仕置きします!」
ずいっと眼前に寄せられたふくれっ面がそう言った。
黙っていればすらりとした長身の美人なのに、勿体ない。
……我々の業界ではご褒美です!なんて俺は言わないぞ。
「真琴の影響でも受けたのか?佐々」
むくりと起き上がり、埃をざっくりと払いながら訊ねた。
「どういう意味?」
ハンターが握り拳を震わせながら威嚇している。お前のならまた回避してやるとの自信を示すために、歯牙にも掛けずに答えてやった。
「今日の佐々はやけに攻撃的だからな」
ただそれは今日になって突然の話ではない。昨夜の夕食の席に乱入してきた件が始まりだった。
初めてエレベーターで出会った時からそうだが、こいつの行動はいつも唐突だ。
「……寧ろ、玄汰君の影響を受けたのではないか?」
お茶を一口、世俗を離れた御老体顔負けのゆったりとした動作で飲み込み、理解に苦しむ俺にそう言った。
口元が緩んでいるわ、声音が若干弾んでいるわで冗談交じりに聞こえる。
「?……何で俺なんだよ?」
他にも真琴まで嘲るような笑みを浮かべている事も含めて釈然としないな。
「あんたの気を引きたいからじゃないの?」
まるで好きな子に悪戯を重ねるやんちゃな子供みたいじゃないかよ。だが中身がまさにその通りのせいで、合点がいってしまう。
子供のまま大人になったイメージが定着しているからか。
それで、当の本人はと言えば、
「……キャッ」
……あまり判断に自信は持てない。だが、当たりのようだな。
「……そのまさか……って事で話を進めるぞ。何でそんな事を?」
百歩譲って思い当たる事と言えば、入学式直前での事くらいだ。後は大体佐々をいびっていた記憶しか存じ上げない。
質問の間に「馬鹿な」を挟み込めそうな声音で訊ねてみる。
「昨日、千春君は付き合っていた彼女の事をお話ししてくれましたね」
「ああ、蘭子の事だな」
ざっくりと話が掴め、今回で3度お付き合いしていただく奔流さんへのストレスも少なくて済む。
そして元カノの話を初めから繰り広げるのも後1度あれば十分だろう。
「あんこちゃんに振られても変わらないとお茶にされるのちゃ!あ、お茶と粒あん饅頭の美味しい和菓子屋さんを知っています。なので今度奢って下さい」
今佐々はいい事を言った。言ったのだが、後半のせいで台無しだ。それにあいつの名前も間違えている。今日も色んな意味で残念な奴だ。
真琴は佐々のキャラとの付き合い方が解ってきたのか、復習に専念している。
「……うむ、それなら佐々君にも協力してもらおうではないか。どうだろう、2人共?」
奔流さんにとっては満更でもないらしい。勉強しながら、計算用紙に俺の彼女獲得計画の案らしきものを4つほど箇条書きで書き連ねていたのが確認できた。
ただはっきりしているのは、黒鉛が佐々の文字の周囲を滑った跡がある事だ。そうなると、女性陣の協力者をいくつか候補に挙げていたようだ。
アカネの名前も見えた。他には……山吹とやらか。
「いいですとも!さゆりさんがいるからにはノォープローブレーム!!」
「うるさいぞ!」
ガッ!突然暴走を始めたブラックボックスをお馴染みショック療法で鎮める。具体的に言えば、勢いに乗じて俺に飛び付こうとした所を、喉を掴んで抑えた訳だ。
御陰様で俺達は主に悪い意味で注目の的だ。
「やれやれ、2人共改善点が山積みだな……」
これから待ち受けるであろう想像するに余りある苦難に溜め息を漏らす者もいれば、
「はいはい、せいぜい頑張ってね」
馬鹿馬鹿しいと言いたげに全く中身の詰まっていない激励を送る者もいた。
結局、質問の回答は謎に包まれたままお開きとなった。
俺の再起計画に厄介な協力者が加わった。粗方自習を終えて真琴と別れ、屋外へ出た。
まだ入学式が過ぎて日も浅いためか、今日も部活動やサークルへの勧誘に精を出す先輩方らしき姿が見受けられる。ただその中には夜城先輩やホワイトチキンは含まれていない。
俺はそれらを帰路の背景のほんの一部としか認識していなかった。沈みかけた陽、赤く染まるキャンパスと同じだと。
だから彼等の呼び止める声も俺達に向けられたものではないだろうと流していた。
だが脇から2人の姿が忽然と消えていたのだ。慌てて振り返って初めて俺達を捕まえる声だったのかと確信して、観念してその中へ引きずり込まれていった。
「よかった、気付いてくれて」
ほっと胸を撫で下ろすのは、元より勧誘の先輩だ。
穂波の奴と似たり寄ったりのボブカットだが、こちらの方は奴より随分とすっきりした外見だ。
ブラウスの下からちらりと覗くボーダーシャツに裾クシュパンツにヒールをモノトーンで統一し、首元に巻かれた花柄のストールの存在感を引き立てている。
「すみません、別の誰かに声を掛けたのかと思ってしまいまして……」
誠意が示されているのかははっきり言って怪しい。何せ苦笑いで何気に長めの弁解。その場しのぎの謝罪と受け止められたら返す言葉も無い。
「いいよいいよ、別に気にしてないし」
第一印象は祐輝さんに引けを取らないくらい明るく大らかな人物。ニカッと笑う顔も何処となく彼と似ているだろう。
「それで、どちら様でしょうか?」
奔流さんの声が丁寧な言葉遣いで訊ねた。
「うちはざっくりと言っちゃうとお気楽なテニスサークルで、色んな大学の子がいっぱいいるからめっちゃ友達が増えるよ!」
「因みに先輩は……もしかして他学生の方ですか?」
「わっ、当たりだよ!君よく判ったねー!ところで君達名前は何て言うの?」
「……魚津知春です」
とりあえず直感に従って偽名を使わせてもらった。怪しい連中も紛れ込んでいるって話だから、まして他学生の先輩相手なら慎重な判断で動いた方がいいな。
「朔夜梨咲子なのです!」
「角成一馬と申します」
2人は俺に倣って間髪入れずに偽名で名乗る。それにしても佐々の適応力の高さに内心感嘆の一言だ。
「そっかそっかー、知春くんに一馬くんに梨咲子さんかー。3人ともいい名前だね」
「そう言われたのは初めてです。今まで散々な事ばかり言われてきましたからね」
嘘は言ってない。
「えー!私はそんな事ないと思うけどなー。で、で?何て言われちゃうの?」
奔流さんも気になるのか、腕組みをしてやや目を見開きながら、じっと俺が愚痴を零すのを待ち構えている。
「女の子みたい……とか」
「えー!ひどーい!立派な男の子なのにね!」
と、そう同意を求める相手は佐々だった。
「すぐ怒ったりしますけど、入学式で困ってた私をリードしてくれました。そのとき知春君はとんでもないものを盗んでいきました。私の心です!」
……言いやがったよ、こいつ。元ネタは恐らくあれだろうが。
まあ、こいつにとってあの出来事がそれなりに大切なお宝なのはよーく解ったから、
「ちょ……おま……!」
頼むから腕に胸を押し付けるとかべたべたと体を密着させないでくれ!そこらの女子学生のグループがどん退いているのが解らんのか!
そして奔流さんもさりげなく数歩距離をとらないでくれ!
ガッ!こいつの捕縛から逃れる為に、昨日と同じく足を踏みつけた。
「……ったく、突然がっつくな!」
患部を両手で抑え、痛みで悶えるこいつを見下ろしている。
「いいなー、2人喧嘩するくらい仲良しそうで。私も男友達だってサークルの御陰でめっちゃできたけど、喧嘩とかはあんまりなかったんだよねー」
因みに俺は先輩の体験談とは逆の人生でした。
クラスの連中とも度々衝突していたし、蘭子とも出会って間もない頃は大体喧嘩ばっかりだったしな。
「もしよろしければ、場所を移しませんか?ここでずっと立ち話というのもなんですから」
奔流さんがジャケットのポケットに手を入れて、そう提案を持ち掛けた。
「そうだねー。私は何処でもいいよー。けど敢えておすすめを言うならオリヴィエってカフェなんだけど、君達は他に行きたい所とかある?」
「はいはーい!私はお茶屋さんに行きたいでーす!」
「うおっ!」
元気よく挙手して激しく自己主張する小学生のようだ。
佐々が突然飛び上がるものだから、危うく赤く染まってきた空へ伸ばされた腕が顎を直撃するところだったぞ。
「あれか……異論は無いな」
「私も朔夜君の語る茶屋に興味があります。案内をお願いできるかな?」
「ラジャー!知春君!一馬君!それに松茸先輩!早く行きますよー!」
見た目で付けられたおかしな仇名を貰い、身元不明の先輩はちらりとしかめっ面を覗かせたが、それを帳消しにせんばかりの笑顔で塗り潰したつもりらしい。
ああ、これで犠牲者が3人に増えてしまった。
女の子にしては強い力で、後続の奔流さんと松茸先輩(仮)との距離を拡げながら案内とは名ばかりのペースで進んでいく。俺と、まして奔流さんと違ってまだまだ無垢で元気溌剌な奴だ。
「しかし何で松茸なんだよ?」
2人と俺達の距離はおよそ30メートル。流石に本人には聞こえないだろうと佐々の耳元でそう囁くように訊ねてみる。
「松茸美味しいですー!」
やはり回答を貰っても理解の外だった。どうでもいいが、一人で歩くお兄さんに嫉妬深そうな眼光に射抜かれた気がする。
「ちょっと待て。奔流さん達を置いていく気か!」
今、地下鉄の1番出口を横切ろうとしている。大型犬が散歩で暴走しているのを止める要領で下半身に体重を掛けて踏ん張った。
「あ、うっかりしてました。これが、知春君の二のマイマイ!」
そういや佐々はまだ面識が無いんだったか……ホワイトチキンと。
まして今日の蛮行など知る筈もないか。
奴こそ、俺以上に二のマイマイの対象に相応しい野郎だと思うんだがな。
「あ、折角ですから続きを聞かせて下さい。知春君としがらんさんの思い出話!」
「誰のせいだよ……別にいいけど」
2人が追い付くまでの間、昔話で時間を潰す事にした。
本当はそれが目的なんだろと口を尖らせて文句をこぼし、実はひっそりとそんな仇名を付けられていたなと懐かしさに浸りながら。
淡い桜色で彩られていた校舎の木々も、前期の中間考査の結果発表当日にもなれば枝の装飾は全て緑、緑、緑の木の葉だ。桜の淡い桃色が新入生たちを柔らかく祝福していたのなら、こちらには更に活気を帯びたといったところだろうか。今の俺と似たり寄ったりな気がする。
先月は蘭子の毒舌に打ちのめされた借りもあり、何かで一泡吹かせようと選んでみたのがこの中間考査だ。
「振井さんよ、早速結果が貼り出されたらしいぜ」
茶髪をツンツンに逆立てた男の、ガタイのいい身体が次の授業の準備を丁度済ませた俺に影を落とし、トレードマークでありコンプレックスでもある三白眼で見下ろしている。
「いよいよか……彩蔵、お前はもう見に行ったのか?」
彼の名は霧中彩蔵。俺とは中一からずっと同じクラスの腐れ縁だ。
こいつは相手の事をさん付けで呼ぶが、言葉遣いは性格同様粗暴の一言だ。教師に対しても「先生さん」と呼ぶ。
「いいや、だから一緒に見に行こうぜ」
「ふっ……そうだな」
少しは気さくになったな、と口には出さず、いい方向へ変わりつつある彩蔵を目の当たりにして、緩んだ口元から溜め息が漏れた。
いつかクラスから孤立していた男は、少しずつ周囲に馴染み始めている。かくいう俺も似たような性分だが。
それでも彩蔵の変化や努力は、他クラスにはまだまだ認められていない訳で、廊下を歩いているだけでも陰口を叩かれるわ、避けられるわで恐怖や嫌悪の対象にされている。
その御陰で障害も無く目的地へ辿り着けた旨の発言は、禁句だ。
やはり学年で全9組、生徒319名に浸透するまでには、それなりに時間が掛かるか。
「何か恥ずかしい気もするな……」
「ああ……個人成績表を渡されるだけだったってのに」
3年生からこのシステムが施行されたのだ。
何でも受験生なんだからと競争を煽るのが狙い……とは担任がHRで予告し、対する生徒の十中八九がどん退いたのを今でも憶えている。そして数少ない例外として、張り切っていた自分自身の事も。
だが今はどうだ。本番で感じた手応えも、公開処刑に処せられるのではという不安に見事に圧し負けそうになっている。
現場へ来てみると、いやとうとう来てしまった。もう後戻りはできない。不謹慎だが、彩蔵の御陰で足を運んでいた生徒達が、海が両断されたように道を開けてくれた。
1つ1つ、そして恐る恐る、名前を昇順に確認してみればそこに現実が示されていた。
「……57位……!」
自己最高記録更新である。親に無理矢理学習塾へ放り込まれて以来、着実に順位を上げている。入塾前は159位とあまり芳しい成績ではなかった。
「俺のもあったぜ。76位だ!」
彩蔵もめでたく自己ベストを塗り替えられたらしい。俺達は自慢げなにやり笑いでにらめっこなんてしちゃっている。
「2人でにやにやしないで。きもいし邪魔」
女子の声が直球で割り込んだせいでにらめっこは中止となった。にやけ面が一変、しかめっ面となり乱入者を威嚇した。
ウェーブの掛かった栗色の髪をツインテールでまとめた童顔ちゃん。紛れも無く紫香楽蘭子だった。
「蘭子……やっぱりお前か」
片眉をぴくりとさせる俺の声を無視して、奴は結果に目を通す。俺とは逆に、1位から降順で。
「……38位、ね」
ぽつりとつぶやいた結果は、俺達の耳にも辛うじて届いた。
小テストを返却していた時にもちらりと覗いて把握はしていたが、成績は上々のようだ。放課に係の仕事をこなしていた折の話。
因みにその科目は数学で、平均7、8割の俺に対して、こいつはいつも満点近くとっていた。
「凄ぇな。俺も次はそれくらいを目指さないとな」
「はいはい、お褒めいただいてどうも」
折角持ち上げたのに、本人はそんな風に冷たくあしらった。
温い表情に浮かぶ瞳は、しつこいマスコミを相手にする政治家みたく鬱陶しげだ。
「おい待てや、紫香楽さんよぉ……」
彩蔵の唸り声にも似た低い声が、猛獣の威嚇にも聞こえる。野放しにしたら、襲い掛かるかも知れない。そんな懸念があった。
抑えろ、と片手で制して、一歩前に出る。
「そういや蘭子、お前は何処目指してるんだ?高校」
俺は自宅から徒歩3分で通える公立高校だ。明大へ進学する生徒もいれば、稀に東大に合格する生徒が出るという。
「それを知ってどうするわけ?」
「お前と同じ高校へ行こうかと思ってね」
まだ固まりきっていない決心だ。第一志望は、学年順位が100位圏内に入った頃から拘っていたからだ。
「○高ですよ」
「奇遇だな。そこは俺の第一志望だ」
顎をしゃくり上げて目は見下し、口元は弧を描き、その隙間から歯を僅かに覗かせ、不敵な笑みが出来上がっているだろう。
「うっざ……どうせあんたじゃ無理でしょ」
蘭子の態度は、成績を確認した直後よりも明らかに熱を失っていた。
夢やロマンを熱く語る男を、より鋭さを帯びた冷めた言葉で容赦なく一刀両断する。
「無理かどうか……これから見せてやるよ」
当時の俺は冷たい刃を溶かさんとばかりの焔の如く燃えていた。1ヶ月以上前から既に口火は切られ、熱意や気迫は今では5月下旬の陽気を超え、初夏のそれに近い。
「はいはい、せいぜい頑張って下さいね」
煙草の副流煙を払うように、或いは団扇で風を起こす時のように出をぱたぱたと仰いで、退散していった。生徒の数も、休み時間が終わろうとしているからか殆どいない。
「振井さん、○高目指してたのか」
「ああ、そして頑張る理由が増えたぞ。俺達も戻るか」
その足取りも、笑みも堂々としていた。
一刀両断するのはこちらだ。無理だと嘲る言葉を、夢を追う気力で鍛え抜かれた刃でな。
佐々に続きを語る間、彩蔵を霧島影郎、蘭子を碧瑞葉に置き換えていた。
何故なら、蘭子と同じ志望校を目指している事を激白した辺りから追い付いてきたからだ。
「ねえなになに?2人で何の話してたの?よかったら私にも聞かせてくれないかなー?」
「生憎、一見さんはお断りですので」
きな臭さを感じる以前に、初対面の分際で馴れ馴れしい辺りが気に入らない。そんな訳で、扉はより強固に閉ざしている。
「えー……お姉さん、知春くんに嫌われちゃってる?」
「いかんせん、松茸先輩の印象はかなり悪いですね」
俺の母親に似て根掘り葉掘り聞こうとするきらいとか、非常に鬱陶しい。俺が他県の大学へ進学し、下宿生活に踏み切った理由の1つがそれで、他のそれを挙げてみても、決して前向きな理由は含まれていない。
「もうこの時点で先輩のサークルへ入るのをお断りしたい所存です」
先輩の風味が曇ってきても、追い討ちは容赦ない。4人の空気がどんよりと重くなり、約1名脱落の危機が訪れた。
「落ち着くんだ、知春君。人もサークルも、第一印象だけで判断してはならない。ところで朔夜君、目的地は大学周辺にあるのかな?」
つい感情的になって言葉に角が立った。そして一度立つと、すぐには取れない。奔流さんが下流の流れのような穏やかな声に宥められたとしてもだ。
「ノンノンノン、私のお家の近くですから、地下鉄を使います」
「なら、茶屋へ行くのはまたの機会でいいか。金はなるべく温存しておきたいしな」
残る問題は金だ。学校生活に馴染んでからだが、アルバイトをしようかと考えている。近くから通えるか、そして自給や職場環境に重点を置いて。
奔流さんが「……だそうですが?」と流し目で少々焦りの色が浮かぶ松茸先輩の判断を乞う。
「勿論、全部私の奢りだよー!私が付き合ってもらうんだからねー!」
それは自分に言い聞かせているようにも聞こえた。
ぴたり、夕闇を背に立ち去ろうと進めた足を止める。そんな風に金銭的な理由で躊躇う新入生など星の数ほどいるだろう。
「……そうですか。先程は失礼しました」
現金な奴……俺でもそう思う。手の平を返したように態度を改めた姿に他に何と言おうか。
しかし折角使えるのなら、それでもいいんだ。使った方がいいに決まっている。
「振井さんよ、俺達が乗っちまった列車は途中下車はできねえんだぜ!!」
恐らく彩蔵の口調を再現してみせたものだろう。ぐっと親指を立てる姿と、茜色の空。これだけ抜粋すれば、どこぞの青春映画の1枚絵にできそうである。
「そう言えば、約束していたもんな。朔夜……済まなかったな」
「謝らないで下さいよ。君と私の仲でしょう?服を着せ替えっこした」
ぞくり、耳元で俺とお前の仲の始まりのきっかけ……その回避できた最悪の結末を引っ張り出されると、身の毛がよだつ。
「危うくそうなるとこだったがな……って誤解されるだろ!」
風に乗って吐息と共に微かな匂いも襲ってきて、危うく呑まれるところだった。
ノリツッコミと共に右腕を横薙ぎに払い、退けたが、
「もしかしてあの2人って、付き合ってるのかなー?」
「少なからず、知春君も彼女の事を認めていますが、付き合うにはまだまだ月日が掛かるかと思われます」
冷やかしているように聞こえる先輩もだが、それに真面目に回答を返す奔流さんも奔流さんだ。先輩の悪乗りに拍車を掛けてしまうではないか。
「それじゃあ2人が付き合う事になったら私に教えてね!お祝いに飲み会の手配とか色々してあげるからさー!」
「結構です!」
それにしても、佐々のセンスは鋭いな。そう実感する。
ずいっと距離を数ミリまで詰めてきた先輩からシャンプーだか香水だか柔軟剤だか知らないが、匂いが中々濃かったからだ。それも、不快にならないよう抑えられてもいる。
「遠慮する事ないのに……1年生の内は甘えておくのが一番だよ。私もね、1年生の頃は先輩から可愛がってもらったの」
「移動費と和菓子代だけで十分ですよ」
「講義の情報とかも解る範囲で教えてあげられるし」
「そのあてなら既に間に合っていますのでお構いなく」
「何か怒ってるように見えるけど、どうしたの?大丈夫?あ、もしかしてどこかの勧誘で嫌な思いでもしたとか?」
「はい、えらく身勝手でちゃらちゃらした先輩とお昼に揉めまして」
ホワイトチキンを話題に出すや否や、奔流さんがひっそりと苦笑した。
俺が奴のせいで刺々しくなっている事にしておけば、案の定松茸先輩はやはり極端なリアクションで食い付いてくれた。
「そうなんだー!実際に何されたのー?よかったら教えてくれない?」
「篩女友達の弁当のおかずを手も洗っていない汚い手で摘もうとするわ、言葉の数の暴力で控え目な彼女を無理矢理従わせようとしたり」
「うっそうっそ、えー、ひどーい!!どこどこ?それってどこのサークルの先輩なの!?」
「よそ者とは言え、先輩も御存じなのでは?何でも、そんな横暴の常習犯で、学務センターに度々お世話になっているらしいですからね」
これは夜城先輩の情報を後から祐輝さんを経由して伝えられたものだ。恐らく先輩から個人的に制裁を受けた後、いつも通り学務センターへ突き出されたのだろう。
「それだったらうちのサークルへ入った方が楽しいし、嫌な先輩で困る事もないからさー。大丈夫大丈夫、気楽においでよ、新しい自分に出会えるかもよー?」
「生憎、その予定はありません」
もう既に、心は決まっている。松茸先輩のサークルへは入らない。
火蓋を切った後は―すぐさま理由を叩き付ける!!
何故なら!ホワイトチキンと似た匂いがするからだ。勢いだけで自分の望んだ展開へ引きずり込もうとする。
「何故なら!そこのサークルは美点も汚点も両方示してくれました。その上で、先輩は入るかどうか、後輩である俺達の判断を信じ、選ばせてくれます。後輩の意志を汲んでくれる先輩だっているからこそ、俺はどうしようもない先輩もいるサークルへ入ろうと思います。にも拘らず松茸先輩に引き続き同行する理由は、朔夜との約束と個人的に和菓子を食べてみたい事もそうですが、俺の方からも知り合いに先輩のサークルの事で声を掛けたいからです!」
先輩への借りは、仇だけで返す気は無い。少なくともそれだけは伝わったと思う。弁舌を力強く振るう姿を数秒だけ寂しげに耳を傾けていたが、
「……そっか。そういう事なら知春くんも一緒に行こう!入ってくれないのは残念だけど、その代わりいっぱいお友達に声を掛けてね!先輩との約束だよ!」
「ええ、承知しました」
御陰様で信じていただけたようだ。
今では指切りした幼い少女のように笑顔を輝かせ、はしゃいでいる。
俺も先輩程無邪気ではないにせよ、口元を弧で描いて頷いた。
「ほらほら、3人とも早く行くよー!」
少々西の空が暗くなってきた。松茸先輩は夕陽を追うように駆け出し、俺達も彼女に合わせて速度を上げた。
9時半にベッドから脱して、パンとコーヒーのみで遅い朝食をとっている。今日は下宿して初めての日曜日だ。
昨日は松茸先輩の最初で最後の大盤振る舞いを存分に堪能したのだった。
佐々お薦めの和菓子店の名は紫楽。店主の山茶花の爺さんが拘りと丹精を込めて作り上げた和菓子と緑茶による、口の中に深く染み渡る苦味と上品な甘味は大人の味だ。和室でいただけたなら、さぞかしお茶会として絵になった事だろう。
俺以上に奔流さんからは大絶賛の声が上がり、茶葉を3人分、和菓子をアカネや祐輝さん達の分も含めて先輩に奢らせる程であった。
確か、
―これほど美味の和菓子は初めてだ!この深い苦味と香りのお茶と言い、私の知り合いが知らないままでいるのは勿体ない!松茸先輩、和菓子とお茶を彼等にも御裾分けをしたいのですが、お支払いの方をお願いしても宜しいでしょうか?
そう直談判をして、圧倒された先輩から許可が下りるや否や、彼はそれぞれ中身こそ違うが、6箱持ち帰っていたな。なんて思い出せば普段御隠居している老けたおっさんみたいな彼が、打って変わって茶目っ気のあるまだまだ働き盛りの好々爺に見えた。
その代わり先輩の長話に付き合う姿勢は真剣そのものであった。余談にずれ込もうと、畳み掛けるような質問攻めに襲われようとも、あまつさえ話が3時間以上にまで及んだとしても、
文句を垂れるものは1人としていなかった。
当然だろう。先輩の奢りとは言え、1.3万円も消させた責任を重く受け止めていたのだから。
一箱1600円の饅頭の詰め合わせにちらりと目を遣り、思わず苦笑を浮かべる。
確か2人は松茸先輩のサークルへ参加するんだったな。新歓が今日セミナーハウスで行われる、と。集合時刻は12時半。そして、夜城先輩率いる卓球サークルの新歓は今日の13時だ。
場所は前者は大学の正門前。後者は地下鉄1番出口前のカラオケ店。
初日早々から慌ただしかったため前日は部屋の掃除、整頓にたっぷり充てた。御陰でお土産を持ち帰った夜に比べ、数日間床に散らばっていた段ボール箱も片付けられ、すっきりしている。
本も大学の参考書が大半を占め、テーブル、ノートパソコン、ベッド、デジタル時計等、時計の横に飾られた2枚の写真を除けば生活に必要な家具程度しか配置されていない。そのため無骨に思われるかもしれないが、友人を招き入れるのに恥ずかしくない部屋としての秩序が維持されている。1枚目は文化祭の折に撮った蘭子とのツーショット。
2枚目は翌年の修学旅行で俺を含め5人組の。
食器洗いと歯磨きを済ませてからふと思った。折角だからアカネと一緒に行こうかと。
2者択一の選択肢を頭で吟味するより、行動に移す方が早かった。3度の呼び出し音で彼女の声が応じた。
『もしもし、クロ?どうしたの?』
「アカネ、カラオケ店へ一緒に行かないか?」
『私もそうしたいと思ってたの。何処で待ち合わせする?』
「地下鉄の3番出口前はどうだ?」
そこは蝦夷歯科医院と大手牛丼チェーン店が目印で、何より俺の部屋の近くだからだが。
『うん、いいよ……またね』
「ああ」
いまいち盛り上がりに欠ける会話だったが、仕方ない。こんな時、祐輝さんだったらどうなるんだろうか。考えるほど、彼の人当たりの良さが羨ましく感じるものだ。
部屋を出て数分の待ち合わせ場所で腕時計と度々にらめっこしながら待ち惚けている。
今の今までいくつの自動車や人が俺の前を横切って行っただろう。いちいち数えていない。
5分丈の黒いミリタリーシャツの下にワインのカットソーを着込み、紺のチノパン、そして一昨日の黒いハイカットスニーカーを続投させて仕上げた。
「ごめん、待った?」
はっとして声のした方へ振り向けば、少し呼吸を荒げ、頬を赤くしたアカネが現れている。
ノーカラーのジャケットにシフォンブリーツブラウスとやらと丈が膝の上まであるスカート、パンプスでまとめている。
「感覚的にはあっという間だよ」
月並みに「待ってないよ」みたいな返事を避けた結果、上記のようになった。
するとアカネは「どういう事?」と訊ねたそうに首を傾げた。
「新歓で何が起きるか期待に胸を膨らませていたら、いつの間にかアカネが来ていたって事さ」
「そ、そう……」
返事に困ったのか、曖昧にそう返して終わる。
彼女の「そう……」も顔色や感情に色が付くだけで面白みを帯びていく。おかしさ、可愛らしささえ感じ取られてさりげなくふ、と小さな笑い声とにやけ面がそっぽを向く。どうも俺は初め無愛想な女の子が感情をちらりと覗かせる姿に弱いらしい。
「どうしたの?」
怪訝そうに今度は声に出して。
「いや、何でもない……気にするな。それより、積もる話があるから今日新歓が終わったらお前の部屋にお邪魔してゆっくり話したいんだが……どうだろう?」
「え……」
予想はしていたが、実際に困惑の呟きが漏れると罪悪感と自責の念に襲われる。
すると俺の心中を察してか到着時よりも顔を赤くして早口で弁解をしたのだ。
「ち、違うの!迷惑とかじゃなくて、ちょっとびっくりしただけだから!部屋の片付けも済んだからもう友達を呼んでも大丈夫だし、男の人が来たって……」
「解った解った、だから少し落ち着けって……」
無愛想な顔しか知らない男子達が今のアカネを見たら、どんな反応を見せるだろうか。
男心を揺さぶられてときめくだろうか。想像した俺がにやけてしまった。
最早両手で必死に制して、耳まで赤くしている。それで伝染して、今は苦笑いで片手で制しているじゃないか。
「とにかく、承諾してくれたって事で受け取っていいのか?」
「……うん」
こんな調子で大丈夫だろうか。との不安が気分を曇らせているし、またオーバーヒートを起こしたら俺のせいだな。と責任も感じている。
アカネから熱が冷めるのに、カラオケ店までの所要時間だけでは足りなかったのは確かだった。
ネオンランプが散りばめられた看板が特徴的な店がまさしく新歓の会場だった。外の階段は、とんかつ定食の写真と共に学割が利くと謳う看板が立てられた定食屋に通じている。
中へ入れば、受付の横のもたれなしのソファーで読書に耽る夜城先輩の姿を捉えた。内容はカバーが掛けられてここからでは窺い知る事ができない。
時刻は12時24分。学生らしき姿は俺達を含め、3名程度か。早く来過ぎたな。
「夜城先輩、こんにちは」
とりあえず、挨拶くらいはしないと。俺が遠慮がちに頭を下げると、先輩は気付いて読書を中断した。幸い妨げられて不機嫌といったご様子は無く、表情は円やかであった。
「ああ、玄汰くんに空木さん。早かったね」
彼の好みなのだろうか、一昨日に引き続いてジャケットに袖を通している。
ただ、ボタンが1つだけのダークグレーの値の張りそうなテーラードジャケットで、インナーに黒いワイシャツ、ボトムスはブラウンのパンツにエナメルシューズといった大人っぽいコーデでまとめている。
先輩はビジネスでも使えそうなデザインの黒鞄に本を仕舞い、徐に立ち上がった。
「君達は、お昼はもう済ませたのかな?」
「いえ、まだですが……」
そうか、と都合がいいとばかりに呟くと、暗闇に一筋の光が差し込むのと同じように、先輩の顔にほんの少し光が灯った気がする。
「近くに油そばの店があるんだ。集合時間までまだ時間もある事だし、よかったら行かないかい?勿論、早く来た参加者全員がその対象だよ」
子供じみた表現で言うと、よい子達へのご褒美といったところだろうか。言わずもがな、その太っ腹な計らいを蹴る新入生は1人としていなかった。
しかし、その臨時の食事代もホワイトチキンから徴収する展開も有り得る。上っ面だけ見れば
懐の深い先輩として映るが、一度そのからくりを頭に入れた今となっては鞭を携え民から税を徴収する情け無用の役人と重なって見える。
あのジャケットが彼の本性の暗喩ではないのかとさえ思えてしまう。
先輩の案内でやってきた油そばは食券による前払い式であり、カウンター席のみであったが、幸いちょうど4人分の空席があった。
オレンジ色の控え目な電灯が木製の店内が醸す温かさを引き立てている。
手前の席を陣取る作業着姿のおっちゃん達を尻目に俺達は奥の席から順に腰を下ろした。
注文した商品は全員一致で一杯500円の油そば並。この額は同じく学割が利いているからであり、本来なら更に150円請求されるそうだ。
「平日は3限からや2限が早く終わった学生達が足を運ぶんだけどね」
と苦笑いで補足した。アカネも新入生さんも「へえ」から「そうなんですか」と相槌を打つだけだ。そこで俺からも少々踏み込んでみる。
「ここへはよくいらしているんですか?」
「うーん、週に一回は来てるかな。最近じゃあ祐ちゃんと真琴ちゃんも入学式の日に誘ったね」
兄妹揃って大盛りを頼んでたよ、と小さく噴き出して、頬を緩ませた。
「2人からの評判はいかがでしたか?」
「祐ちゃんからは「また食べに行こうよ!」って気に入ってくれたんだ。ただ真琴ちゃんは5杯目を食べようとした時だったな。ラー油が容器1つ分全て入っちゃって…流石に僕もびっくりしちゃったな」
写真や謳い文句から大きくかけ離れ、味も見た目も地獄絵図の油そばを口にして阿鼻叫喚したであろう真琴の心中すらも、俺達の想像を絶する事だろう。
「それで、どうしたんですか?その……真琴ちゃんは……」
恐る恐る新入生さんも訊ねた。
真琴より長めのショート、白シャツに赤いニットをレイヤードさせ、デニムとスニーカーの形をした眼鏡女子だ。
「食べたよ。辛い辛いと喚きながら……ね」
夜城先輩の顔に影が落ち、怪談話を語るような空気を纏って答えた。
2人が退こうと、構わず続けて落ちを語った。
「それまで食べたそばの味を覚えていないそうだから、トラウマになっちゃったかな」
君達も気を付けてくれよ、と辛い説話を切り上げて油そばの食べ方を実演して見せた。
俺達もそれに習って、真琴の二の舞を演じないように茹でたての麺にラー油と酢を絡めていただいた。
トッピングはメンマとチャーシュー少々と寂しげのそれを。賑やかにする為には別途で追加料金を払わなければならないため仕方ないか。
「意外とあっさりしてますね……」
アカネからの評価も上々のようだ。俺からの感想も、彼女に同じだ。
「そうだね、それにボリュームもあるし、大盛りを5杯も食べた真琴ちゃんって一体……」
どんだけなんだ、とは続かなかった。
「獰猛な雑食獣だよ……見た目とは裏腹の」
「駄目だよ、玄汰くん。女の子を猛獣みたいに呼んだら」
穏便に窘められてしまった。が、3度も飛び蹴りで襲撃までされたし妥当な表現じゃないのか。
開始5分前に会場へ戻ると、状況は急変していた。
先輩と新入生の雑踏、ざわつきが出迎えた。目視できる限り、その人数は50。
「5時に居酒屋で他のグループと合流する。僕達は地下鉄3番出口から盛大までの道の途中にある居酒屋だよ」
そりゃそうか。毎年400人規模の新歓コンパという昨日受けた説明を思い出す。
それにしたってどうした事だよあれは。とある不測の事態に気が付いて、眉間に皺が寄る。
それは背景に自然に溶け込んで、目を閉じ壁に背を預けて腕を組んでいる。
それは本日の服装も手伝って、僧侶の瞑想にも見える。
「奔流さん!結局こっちに来たのか」
スウ……、彼は見知った声に反応しておよそ1秒掛けて瞼を上げた。
「遅かったな、玄汰君」
「なら、佐々も来て―
「おーっす!知春くぐぐぐぐぐ……!」
―いるみたいだな」
元気そうで何よりだ。性懲りも無くまた背後から抱きついてきやがって。
今回は片腕だけは縛られないように注意しつつ敢えて抵抗はせず、しかし食い付いてきた刹那片腕で締め上げてみました。先日は足技をいただいたお返しに。
「あんた達がいるって事はやっぱり……」
「さよう、松茸先輩のサークルは黒だ。よって……」
悪代官のような邪悪な薄ら笑いで断言した。
そして、衝撃の報告はここからだった。
「きゃつ等の偽サークルに参加予定の新入生達を、全てこちらへ引き入れたのだよ」
「な……なんだと!?」
まさか、まさかまさか!ここまでやらかす奴なのかこの影武者は!
白鶏達と結託してな、と補足すれば物陰から現れたホワイトチキンがどや顔でぐっと親指を立てている。
「どや。これが俺と奔河の本気や」
かなりえげつないが、とりあえずきな臭い偽サークルの魔の手から救われた奴がいるのは事実で。
その事実くらいは素直に褒めてやりたい所だ。