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篩に掛ける  作者: 相沢信機
7/10

ホワイトチキン先輩

部屋へ戻ったのは、22時くらいだったか。

シャワーも浴びず、身ぐるみそのままでベッドの上で力尽きたと思う。


そしていつも通り例の夢に叩き起こされて、相変わらず目覚めの悪い朝から新しい1日のスタートが切られたのだ。


今程大学近くに下宿してよかったと思える事はまだ無い。時刻はもう8時に差し掛かろうとしていたからだ。


大急ぎで身支度を済ませ、部屋を飛び出したのはそれから1時間後の事だった。

御陰で前日に冷凍した白米しか腹に詰め込めなかったが。


本日の俺は、一昨日の夜に袖を通した赤いパーカーをメインに、Vネックのシャツにチノパン。赤い靴紐にかっこよさが映える黒いスニーカーと、少々一昨日のコーデの組み合わせを変えた格好で登校する。

正門を越えたのは確か、8時54分くらいだったか。


「よっ、振井!」


そして、長い長い上り坂を過ぎて、それから1分も経たない内に気さくな声に呼び止められた。


急ぎ足で来たせいもあり、無駄に坂道に体力を削られ少し息が上がっている所を、有害そうな先輩の無神経な声に捕まった訳だ。


「白鶏先輩……」


サークル勧誘の連中だろう。紙切れを道行く学生に配って呼び込む奴等の先頭に、クラウン生徒会長と呼ばれた白鶏冠士先輩がいた。 

 黒いシャツと白いカーディガンに、ボトムが髑髏柄のダメージジーンズ、更に性懲りも無くシルバーの首飾りやらチェーンやらをこれ見よがしにじゃらじゃらと散りばめている。


「後にしていただけますか?これから講義がありますので」


 あんたのサークルなら奔流さんから聞いている。


 俺も中学、高校と卓球部だったが、理由は中学時代に育てた反応速度を鈍らせないため、運動不足にならないためと、取るに足らないものだ。


「薄情やなあ……聞いて損はあらへんで?」


「卓球サークルでしょう?他のサークルともコンパをやる」


 後者を強調したアクセントで話をさっさと切り上げようとする。


「そら話が早いわ。入ってくれるやろ?な?な?」


 大阪のおばちゃん顔負けの厚がましさで食い下がってきた。


「……勘違いされますよ?サークル勧誘と偽ってビラを配る宗教団体と」


 或いは、俺に因縁をつけてくるチンピラみたいでもある。


 この手の奴は隙を見せたら情け無用で切り捨てないと、口数や勢いで圧し負けそうだ。


「あほ言え!ここに配布許可印が押されとるやろ!」


 こんな朝っぱらから、鶏みたいに喧しい先輩だな。


「もう、そこまでにしなよ」 


 呆れたように制する声が、喧嘩腰の叫び声の直後にすかさず滑り込んできた。その声の主は、俺の背後に現れている。


 明るめの茶髪の毛流し2ブロックに、白いジャケットをアウターに、紺色のシャツをインナーに、ボトムを黒いチノパンとレザーシューズでまとめているその男は、何処のホステスだと物申したくなる容貌である。


「あの、あなたは?」


「僕?僕は3年の夜城雄馬やしろゆうま。卓球サークルの部長だよ」


 夜城先輩は夜のオーラを纏っている。

 静寂を破らないよう気を遣った低めの声音と、穏やかな笑み。そして美形が駄目押しして、大抵の女の子を甘い夢の世界へ導きさえしそうだ。


「いよっ、シロさん!久し振りー!」


 それとは対照的な、はつらつとした声が続いて乱入してきた。

 そいつは赤いヘルメットに、同じく赤いライダースーツに身を包んでいる。


 アカレンジャーに酷似したその男の正体は、予め声を覚え、警察の敬礼に似た会釈を見ていないと判らない。


「祐輝さん……まさかその格好で……」


 講義を受ける気なのか?は諸々の理由で省かせていただいた。


「やだなあ、玄汰ちゃん。流石にヘルメットは外していくよ!」


 そういう問題じゃないだろう。昨日の革ジャン以上に目立って仕方ない。

 祐輝さんは逆に朝のオーラだ。とりわけ日曜の朝はテレビの前やショーを見に来てくれたチビっ子達も白熱させそうな。


「変わってないね、祐ちゃん。それにこの子……玄汰くんと知り合いなのか」


「うん。でも今急いでるからさ、込み入った話は後でいいかな?」


「ああ、それじゃあ昼休みに東門の坂の食堂で」


「悪いね、シロさん。それに白鶏ちゃんもね」


 そう言えば、夜城先輩が現れてからずっと蚊帳の外だったな。


「は、はいよ……」


 それに歯切れも悪いし、上下関係を無視した態度にかみつく様子も無い。

 夜城先輩から何かしらの圧力を掛けられているのだろうか。


「ほら走るよ。もう10分も無くなっちゃったしさ」


 お巡りさんが灯火を振って車を誘導するような手振りで急かすと、俺は焦って急発進して祐輝さんに続いた。


「……あ!夜城先輩、失礼します!」


 助けていただいた御礼も兼ねて、挨拶を忘れなかった。


 走りながらと雑ではあるが、やらないよりはましであるし、祐輝さんや時間の都合に免じて大目に見てくれる筈だ。




 俺達が教室へ駆け込んだのは開始2分前。アカネと奔流さんは前から3番目の席でスタンバイしているが、彼等の隣は既に満席状態である。よって、3つ後ろの席を確保した。 

 1限の欧米文化論の講義が終わり、6号館の食堂―今朝、夜城先輩が指定した―で暇潰しのテーブルを囲んだ。


 奔流さんとアカネを加えて3限までの空き時間を東門からタワーまで伸びる坂の途中にある。


 食堂内では数える程だが、ただだべっているだけの連中もいれば、テキストやノートでテーブルを埋めるグループ、そして遅めの朝食或いは早めの昼食をとる奴等も見受けられる。


「明日、シロさんの誕生日パーティも兼ねた新歓コンパがあるんだけどさ、皆で一緒に行こうよ!」


 駅前に新しくできた居酒屋へ飲みに行こうと部下を誘う上司のような乗りで、唐突なお誘いを持ち掛けたのだ。


「シロさん?」


 恐らく唯一面識知識0のアカネが、とりあえず祝う対象についてから飲み込もうと努めている。


 今日のアカネは水色のカットソーに黒い細身のパンツ、ハイヒールで抑え、主役の碧いカーディガンを目立たせたコーデだ。


 上品で目に優しいものだから、できれば長い事観賞していたい。

 色んな意味で心配されかねないから、そうはできないが。


「経営学部経営学科3年の夜城雄馬。卓球サークルの部長でさ、僕の幼馴染みなの」


 祐輝さんと奔流さん、そのどちらにも当てはまらない大人だ。

 あれは年の離れたお兄さんか、従兄が相応しいだろう。 


「たまげたな。祐輝君の知り合いだとは……」


 今日の奔流さんは昨夜に穂波のアドバイスを受け、早速実践したのだろう。


 空色のジャケットに、青色のシャツ、レザーベルト、真っ白いパンツに黒いブーツ、そして忘れてはならないのがスカーフっぽく巻いた小豆色のストールだ。


 これで完成したのが水兵でも、海の家のおやじでもなく、マリン風ちょいワルおやじだった。


 そんなちょいワルおやじさんは俺とは違った驚きを覗かせた。


「奔河さんも知ってるの?」


「さよう、白鶏から彼への愚痴を飽きるほど聞かされてね……」


 せめて俺は訊かれるまで、黙って傍にいてやろう。

 面識があるか、知識があるかのちょっとしたようで大きな違いが。

 だがそれぞれの肌に合った識り方だ。


「なんだ、旦那と白鶏ちゃんはお友達なのかい?」


「高校からの腐れ縁だよ」


 苦笑いを逸らしながら訂正した。


 事ある毎に彼に振り回されていたのか、友達と呼ばれあまり快く思っていない。


「愚痴?」


 アカネの顔に、次第に不安の色が帯びてきた。

「きゃつが言うには、自分を奴隷みたいに扱うのだそうだ。コンパ先の店への予約、飲み会費の全額負担等を全て押し付けられたりしたのだとか」


 意外と苦労してるんだな。もしそれが事実だとしたら。

 後に生々しい具体例を挙げてくれたもんだから、アカネと共に退いてしまう。


 俺の場合、小学生時代にやんちゃな野郎に、捕まえたてのアブラゼミを突き付けられた時のように。


「へぇ、白鶏はそんな事を言ってたのか……」


 ぞくり、耳にして間もない声が乱入し、視線が一点に重なる。紛れもなく夜城先輩だった。


 声音もアクセントも、正門で聞いたのと同じ筈だ。なのに何故、冷たく感じるのか。


「安心していいよ。君達にはやらないからね」


 とは言え、夜のイメージを連想したのは正解だったようだな。俺達に向けた笑みも暗く、黒い。


「よろしければ、白鶏先輩を冷遇する理由を教えていただけませんか?」


 どうにか受け流して訊ねてみる。アカネはうっすらと顔色を悪くして黙り込んでいるが。


 俺にしても命知らずだったかな。


「あいつさ、頻りに酒を勧めるわ酒癖が悪いわそれで他のお客さんにも迷惑かけたわで気に入らないんだ。あまつさえ直そうともしない」


「……気が合いそうですね、先輩。とりあえず、こちらにお掛け下さい」


 そりゃ邪険に扱われても文句は言えないな。 

 一見すると白鶏先輩に同情したくなる話だが、蓋を開けてみればおのずと見える。自業自得の処分に逆恨みしただけとの真実が。


「ああ、有り難う」


 夜城先輩は俺の勧めた席にすらりと腰掛ける。そこは隣に祐輝さんを控え、奔流さんとアカネで両脇を固めている俺と向き合う席だ。


「文武両道なのに勿体ないよね。ずぼらな所とかさ」


 完璧になってくれてももっと別の意味で困るがね。間髪入れずに夜城先輩が遠い目をしてこぼした事もごもっともだが、いざ彼がそのように矯正されたら、先輩ですら同じ目線に立てられないなんて問題とかが出てくるんじゃないだろうか。


「……彼がずぼらな御陰で俺は変われました。憎めないきゃつの性ですね」


 それでは影武者の付け入る隙が微塵も無いからな。何故だか親近感を覚えた。


「それでも、迷惑を掛けていい理由にはならないけど」


「ええ、その通りですな」


 おい奔流さん、あんたはどっちの味方なんだ。

 いや、拘りを捨てただけか。初日の宣言通り、主張への拘泥を初めから放棄して柔軟に立ち回る腹なのか。


 先のフォローの言葉を出したせいか、庇ったような印象が薄い。


「旦那も手厳しいねえ。けどさ、もうその辺でやめてあげなよ」

 少々顔色を変えた祐輝さんが歯止めを掛ける。どうやら黄色信号の御報せらしい。


 赤信号が点灯すると、2人は口を閉じた。その心は、こちらへ渡って来る御仁がいるという訳で。


「……そういう事か」


 意を介したのは全員ほぼ同時で、俺がたまたま皆の代表に選抜されたに過ぎない。


 御仁は綱渡りでもするかのような足取りで慎重に歩み寄って来た。


「遅かったですね、ホワイトチキン先輩」


 真っ青な臆病者の先輩。英語に換えて再翻訳したら白鶏先輩の出来上がりだ。まさしく彼はその通りの顔色で現れてくれた。


 誰の許可を貰って口が暴挙に出たかと言えば、それは勿論夜城先輩だ。


「あほ!ホワイトチキンとちゃう!白鶏や!白鶏!」


 1度は遅れをとったが、2度目は無い。突っ込みの手刀は止めた。

 しかし流石関西人だ。口の方は止まる気配を見せない。


「冗談ですよ、白鶏先輩」


 本気で言ったのだが、突っ込みによる欧州を引っ込めさせる為だ。


「1年棒の分際で生意気なやっちゃなあ……」


 辛うじて先輩としての最後の一閃は守り抜いたようだ。 

 それでも髪程ではないが、その顔色も赤みと、熱を帯びている。俺達が勧めるのを待たずに最後の空席に乱暴に腰を下ろした。それにはどかっという擬音語が似合いそうだ。


「相変わらず、取っ付きやすい男だな」


 愉しげな声音のせいで奔流さんのフォローも、面と向かって座る腐れ縁への皮肉混じりの台詞に聞こえる。


 それが火に油を注いで、防火壁を突破して言葉の棍棒を振り回す赤鬼と化した原因となった。


「おい奔河!お前大概にせえよ!」


 剣幕を浮かべ、胸倉を乱暴に掴んで威嚇した。


 彼となら1年と2年の壁なんて関係ない。


「悪かった。今のは俺の失言だ」


 やや過剰な反発だ。

 観客席では夜城先輩を例に漏れず呆気にとられている。その理由は次のようなものであった。


「それだけやない!小西ちゃんにディナーに誘えへんかったせいで振られたやないか!!」


 昨日は厄日だったよな。奔流さんの誘導で真琴のドロップキックで色々と蹴り飛ばされてさ。


「その程度の男としか見られなかったのではないか?」


 そこは逆に感謝するところだろう、と悪代官面で容赦なく切って捨てた。


「……奔河、また失言や」 


「……と言うと、やはりそうか」


 2人で勝手に納得され、俺が1テンポ遅れてそこへ辿り着くや否や、呆然とした。


「?……白鶏先輩、まさか……」


「とっくに気付いとったわ。下心が見え見えやったし」


 確かに。軟派な先輩でも流石に気付いていたか。が、まだ釈然としない。


 テーブルを囲む連中で、彼の声を遮る者はいない。


「ひつこいもんやからどないあしらおうか悩んでたんや。ほんでそないな時に奔河とばったり再会してな」


 後に奔流さんの手荒い罠に嵌められた、という訳か。


「あの女は、小西さんとやらじゃなかったんだな……」


「そうゆーとるやんけ。ワレもひつこいやっちゃな」


 だがその御陰で疑問も氷解したんだから、追究はもう終わりだ。ホワイトチキン先輩もうんざりした様子だし、初っ端から本題から外れっぱなしだしな。


「……そろそろ本題へ入っていいかな?」


 夜城先輩がジャケットの襟の皺を伸ばしながら鶴の一声を上げると、水を打ったような静けさが承諾した。

先輩も本音では「もういい加減」と付け加えたかった事だろう。


 無下にするような者は尚の事出なかった。 

 先輩は周囲を確認して、待ち兼ねたとばかりに話し始めた。


「卓球部への勧誘もそうだけど、新歓コンパへの参加者も募集しているんだ。部活、サークルの枠も超えて、新入生だけでも100人以上、2年以上も含めれば4倍になるかな。毎年沢山の方が参加しているし、何より酒が飲めない方でも安心して楽しめるんだ」


 真面目にお酒は二十歳まで、を遵守してきた新入生の1番の不安要素を払い除ける内容だ。


「大丈夫だよ!飲酒の強要とか、一気飲みとかはお酒嫌いのシロさんが規制してるからさ」


 そう補足を加えたのはまさかの祐輝さんだ。この人は「バイクで来てるから」で逃げられそうだが、酔っ払った参加者相手にまかり通るのかは怪しい。


「?……何で祐輝さんが知ってるの?」


 これがホワイトチキン先輩の補足なら聞き役に徹していられた。だのに、実際は祐輝さんだ。それを知り得る可能性は限られてくる。夜城先輩に聞いたのか、或いは、


「去年参加されてもらっちゃったからさ……内緒でね」


「あ……そう……」


 窓硝子をうっかり割っちゃったりしたような悪戯をこっそり白状する子供のように吐いてくれた。当時の彼は確か、まだ浪人生の仲間入りを果たしたばかりだ。


 その返事に対する感想はと言えば、呆れて追究する気力も失せたアカネに同じだ。


「卓球部への入部は飲み会の後で決めてもいい。何も心配は要らない」 


 背もたれに体重を預けて腰掛ける様と合致して、余裕綽々の空気を纏っている。

アカネは距離を取って慎重な姿勢を崩さないのだが、昨日真琴の犠牲になったギャル達ならあっさりオーケーを出しそうな気がする。


「夜城先輩目当てで入部やる娘もぎょうさんおるから、せめて新歓の返事はなるべくはよした方がええよ」


 そして酒の飲めない連中も押し寄せてくる。白鶏先輩の助言は自由選択できると駄目押しで強調してくれている方で受け取っておこう。


「……行ってみるか」


 恐る恐る動物に触れようとする子供のように返事を返した。


 正真正銘のサークル・部活か、それをまことしやかに語る宗教団体か。どっちにしろ、体験してみなければ判らない。


 アカネは?と視線で確認すると、まだ答えは出ないらしい。


 奔流さんはと言えば、じっと待っている。彼女が決断するのを。多数決で一択を押し付けない為の配慮だろう。

 祐輝さんと俺が参加を表明して、途中経過上は五分五分の可能性を醸している。


 白鶏先輩はしきりに参加を訴えている。

夜城先輩は参加は自由だと訴えている。


「わかり……ました。新歓コンパへは……」


 空気は何故だか賞金を懸けたクイズ番組の終盤のような緊張感を含んでいた。

 アカネは正誤を告げるのをもったいぶる司会者だろう。


 幼い頃からどう変わったのか。それが少し楽しみでもあるから、俺だけだろう。息を呑んでさえいる奴と言えば。


 祐輝さんと白鶏先輩は色好い返事に期待を寄せてか目を輝かせ、残るお二方は高みの見物中だ。


「参加しようと思います」


 アカネも同意すると、思わず口元が緩んだ。


「そないこなくっちゃ!空木ちゃんやっけ?こっから宜しくな!」


 子供な青年が2人、玩具でも買ってもらったそれのように輝きが目から顔全体にまで染み渡っている。


 そして、やれやれと呆れた溜め息を薄い笑みで漏らす大人びた青年も2人だった。


「え、ええ……こちらこそ」


 調子に乗ったホワイトチキンに握手を求められ、戸惑いながらもその手を握った。 

 夜城先輩とホワイトチキン先輩とはそのまま昼食も同席する事となった。


 俺と祐輝さんがカルボナーラを片手に戻り、且つ夜城先輩が洋食の行列に並んで席を外しているタイミングで事件は起こった。


「おお!美味そうな弁当やなあ!これほんまに自分で作ったん?」


「え、ええ……下宿して通っていますから……」


 ここまではまだ許容範囲内だろう。


 赤い楕円形の小さな二段重ねの弁当箱にはそれぞれ米と、ミニトマトやブロッコリーをはじめとした野菜は勿論、ミートボールやら卵焼き、鮭の切り身が詰まったものである。

 見た目の段階でも、先輩程の興奮は無いが、感想は同じだ。


「一口もろてもええか?」


 流石関西人、図々しい。


 おっと、奔流さんも京都府民だった。

失礼しました。流石チャラ男、厚がましい……でしたね。


「……どうぞ」


 相変わらず押しに弱いまんまだな。まして相手が先輩だから謙虚に構えざるを得ないのか。そして事件はここからだ。


 あろう事かホワイトチキンは素手でおかずに手を伸ばそうとしている。予め手洗いしたか否かなど、NOである可能性が高い。


「待て白鶏。お前、手洗いは済ませてきたんだろうな?」 


 奔流さんも同じ考えだったようだ。


 因みに彼は既に鮪丼を頼んで帰ってきている。


「ええやんそんくらい。面倒やんけ」


「駄目だ。まして女子にそんな暴挙など御法度だ!」


 普段落ち着き払った奔流さんも流石にお冠のようだ。入学3日目にして初めて彼の激昂する姿をお目に掛かれた。いかつい老け顔も手伝って、般若顔負けの迫力である。


「ごちゃごちゃ喧しいやっちゃなあ」


 しっし、と鬱陶しげに手で仰ぎ、奔流さんの注意を無視して汚い手でアカネのおかずに影を落とした。

 彼女はあからさまに嫌そうだが、いかんせん言葉に出ないらしい。


「おい、ホワイトチキン!」


「そりゃ聞き捨てならないね」


 それなら俺がと言葉を粗くして制止に入ろうとしたが、その手前で不要だったと解った。


 ホワイトチキンの魔の手は、既に別の手に捕捉されていたからだ。


「いくらなんでも、後輩に対して随分な横暴じゃないの?」


 止めたのは祐輝さんだった。

 口調こそ普段通りだが、態度は飲酒運転を犯したドライバーを追及する警察官のように厳しいものだった。


「シロさんが冷遇したがる気持ち、よく解るわ」


 何しろ気に入った女の子を見つけると、自分本位になる奴だからな。 


「アカネも遠慮せずに拒めばいい。こいつは例外だしね」


 先輩ではなく、ただの自己中心的なチャラ男程度で十分だ。


「……ごめんなさい」


 俯いて、小さくそう呟き、さりげなくおかずの詰まった弁当箱を遠ざけた。やはり9年前と変わらず控えめな所は変わっていないか。


 ぶっきらぼうな顔は、せいぜい同期以下でしか作るのは無理か。


「さっきええって言うたやん!頼むで!」


 その上しつこく見苦しいから尚の事気に入らない。

 昨日の惨劇が無くても小西さんが見限るのは秒読みだったかもな。


「……取り込み中の所悪いけど白鶏、少し顔を貸せ」


 そしてホワイトチキン終了のお知らせも秒読みだった。

 夜城先輩の影と仲裁に割り込んだ声が奴を凍て付かせた。


「折角並んでいたのに、抜けて来ちゃったじゃないか。楽しみだったのにな……今日のオムライス」


 飄々とした口調で長蛇の列を眺めながらそう零した。

 入り口まで連なる行列を見る限り、今並び直してもおおよそ15分以上は掛かりそうだ。


「……責任、とってもらうよ?」 


 俺達が、ギャラリーが冷たい威圧感で呆けている内に、薄ら笑いを浮かべながら力任せに腕を引いて外へ連行して行った。

 そして去り際に、


「ごめんね、迷惑掛けて」


 苦笑とジェスチャーと共に捨て台詞を残して去った。


 刹那、外で突風が唸りを上げて食堂の硝子を振動させた。

 今思えばふらりと戻ってきた先輩は、嵐の前の静けさそのものだったのだろう。


「大丈夫か、アカネ?」


「ええ、有り難う……クロ」


 嵐が去ってひとまずは落ち着いたな。御陰でカルボナーラの湯気が消えたが。


「おや、2人は知り合いだったのか」


 ああ、そう言えば教えていなかったな。折角だし、紹介しておくか。


「実はさ、俺とアカネはクラスメートだったんだ。小学校の頃の」


 そうは言っても昨日まで確信は持てなかったんだがな。


 トン、肩に手を置きながら明かした。

気のせいなのか?うっすらと頬が赤くなっているのは。


「おっ、僕とシロさんといい勝負だね!」


「そこまでは……知り合って私が1年足らずで転校しちゃったから……」


 次の講義まで残り20分。そんな時に漸く、ホワイトチキンが濁した跡を上書きする程の和やかな雰囲気が出来上がってきた。

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