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篩に掛ける  作者: 相沢信機
6/10

グーチョキパーで何語ろう?

 気分はサイレンをけたたましく響かせ、病院へ急行する救急車だ。


 とは言っても、実際はそんな大袈裟なものではない。胴と頭を打った女子大生を俺がおぶり、有事の為にアカネを付き添わせているだけだ。


「大丈夫かな……この人?」


 懸念の言葉は、声色とも顔色ともシンクロしていた。


「どうだろ……真琴の奴、容赦なかったからなあ」


 適当に曖昧な返事をし、声音は、

「何だ、そんな事かあ」

と言わんばかりに呑気なものだし、顔は嫌らしげににやけ、最高に冷静だった。


「……ああなるように誘導したの、私達じゃない?」


「ああ、仰る通りだ。全くもってお前が正しい」


 真琴に非を背負わせようとした俺を、棚からこき下ろしてくれた。

 その御陰で足取りが重くなり、アカネに先頭を譲ってしまうのだった。


「ほら。もう少しなんだからさっさと歩きなさい」


 俺は手厳しい女子と縁があるらしい。余裕を表に出す余裕も無く、心の中で自分を振り返ってみた次第だ。


 とは言え、ゴール直前の扉を開けてくれる辺り、アカネは鬼ではないかもな。


 保健センターのスタッフに事情を話し、彼女を任せて肩の荷が降りた。

真琴に荷物を任せ、ディナーの先約も入っている訳もあって足早に立ち去ったのだ。


 彼女は自分を嵌めた学生に運び込まれた事実を知らせないまま。 

 まあ、彼女が失神した原因を作った事実は、てこを使おうが覆らない。

「……で?」

で終わる話だ。


 それにスタッフが告げるのも時間の問題だ。ここから先は、認めて堂々としていればいい。





 傷害事件現場へ舞い戻ると、祐輝さんが穂波と共に下りのエスカレーターで脱出を図っていた。

 馬子にも衣装がよく似合う女が迫っていたからだろう。

 どうやら俺達は微妙なタイミングで現れてしまったらしい。


 そして時間稼ぎの為に防波堤役を請け負っているのが、


「藍屋くんおらへんやん!……あ、白鶏くん!今夜一緒に遊びに行きたいねん!」


 白鶏先輩と、奔流さんだった。


 先輩はオレンジ色の髪にサングラス、Vネックとシルバーの首飾り、黒いカーディガン、チェーンを下げたジーンズに黒いブーツを合わせた身なりの、奔流さんの言葉通りのチャラ男だった。


「待てぇなぁ。今奔河と話しとんねん。終わったらきっちり連れてったる」


 何か手を回されたか。

 チャラ男にしては違和感がある対応だ。女子との時間を優先する筈だが。


 奔流さん、何か彼と取引でもしたのだろうか。


「奔河って、このおっさん面の?」


 どうでもいいが、そこの女も関西出身らしいな。

 確かこの人もベイクンにいたんだっけ。


「そや。高校の元同期なんや。これで俺と同い年なんやで?」


「あははははは!むっちゃうけるわー!」 


 その元同期を肥やしに、2人の会話はぐんぐん成長を遂げている。

 対して、奔流さんは出しに使われていながらも沈黙したまま冷静に構えている。


 何らかの策を練っているのか、はたまたチャンスを待っているのか。


「!……遅かったな玄汰君。それに空木君も」


 奔流さんにとって、今の俺達は山の上流から齎される雪解け水みたいなものだろう。


 2人の注意も俺達に引き寄せられて、


「おぉ、この子らがお前のダチなんか?」


「いかにも。振井玄汰君と……空木蜻奈君だ」


 俺達も初めまして、と頭を下げておく。

これも後から慇懃無礼に塗り替えられるかな。

 さあ、これから花を咲かせる2人へ水やりの時間だ。


「んなかしこまらんでええわ。俺は法学部法学科2年の……」


「白鶏冠士先輩……でしょう?馬子にも衣装がよく似合う」


 失礼しました。水差しでしたね。


 幸いにもそれは先輩だけで、他は漫才を見るお客さんのように笑っていた。

 意外にも、爆笑していたのは先輩に媚びていた彼女だった。


「あほ!仮にも先輩にそないな事ゆうたらあかん!」


 ばしっ!乾いた音が響き、俺の頭に衝撃が走った。


 今の突っ込み、俺が真琴の暴挙から逃れるのと同じくらい早かったぞ。 


「おい奔河!お前変な事吹き込んだんとちゃう!?」


 そして彼にも油を絞る。ヤクザ顔負けの剣幕と語勢で。


「俺は普通に紹介したに過ぎんさ」


 アカネがこっそり後ずさるのを余所に、奔流さんは威圧に対しても鷹揚に構えている。

 彼を見据える眼光も、只のはったりだと看破しているようだ。


 流石先輩の元同期。と感心している俺も十分余裕があるらしいな。


「加えてピエロもよく似合う男……ですね」


 そうなるように誘導したの、俺達だろ?口には出さなかった。


「どあほう!ピエロちゃうわ!!」


 俺達に便乗したアカネからもなめられてしまう始末だ。


 剣幕も残念な事に、コントのほんの一部分で片付いてしまっていた。


「クラウン生徒会長は今も健在のようだな…自らを犠牲に笑わせてくれる」


「影武者委員長こそ相変わらずやな!自ら手を下さず思い通りに事を運びはる」


 王様と影武者否、道化と黒幕か。

 先輩がからくり人形で、それを舞台裏で操るのが奔流さん。


 指先を動かすたびに人形が動き、聴衆から喝采を巻き上げさせる。


 悪寒が走ったのはその時だ。白鶏先輩のせいで頭から抜けてしまっていた。だがもうそろそろ雑食系の獰猛な悪魔が帰ってくる。

「いい相棒を持ったものだよ」


 俺意外にそれを予知した者は見受けられない。


 奔流さんが先輩の陰に隠れて白鶏先輩の操演を始めた。

芸は腹話術もどきだ。


「ボクモソウオモウヨー……ってなにやらせとんねん……ぶはぁっ!!」


 会心のノリツッコミに続き、アドリブのドロップキックは本日で3度目のお披露目となる。


 奔流さんがさりげなくタイミングを教えてくれた御陰で、ゆとりをもって退避できた。

 ギャルに続き、白鶏先輩を夢の彼方へ葬った。


 お前の足は、俺を狙う度に、俺以外の誰かを蹂躙するんだ。


「ふむぅ……夜のデートは無理そうだな」


 奔流さん、あんた狙ってただろ。

 白々しく中止の旨を伝える彼に突っ込みを入れたくなったが、努力の末に飲み込んだ。


 だがやはり胸の辺りがむかむかする。


「うそやあ!」


 と関西弁女子大生の落胆の叫びがフロア内に響いたのを余所に、汚い元影武者委員長でも事後処理には直接手を下すと決めているようだった。


 伸びている白鶏を背負いながら、生徒指導の先生のような鋭い眼差しで依頼という名の罰則を下した。


「真琴君、頼めるだろうか」


「……判ったよ」


 しぼんだ真琴と共に白鶏先輩を担いでエスカレーターを下って行った。

 俺達も、現場から逃走を図る犯人のように荷物を回収して姿を消した。 

 人災が度重なった波乱の1日も、終わりを迎えようとしている。


 真琴が1人登場しただけで2人も保健センターへ送る結末となり、タワー2階のカウンター席でアカネと隣り合わせに腰を下ろし、空を紅く染める日と仲良く沈んでいる。


 せめて夜くらいは穏やかに締めさせてほしいと星にでも願いたい気分だ。


「はあ……参ったな」


 安堵と疲労の溜め息が漏れる。俺は背もたれに体重を預けながら、アカネは肘を置いた手で額を抱えながら穏やかな時間を貪っている。


 明日に休日を控えるサラリーマンが、居酒屋の席でそうやるように。


 ただ、アカネは少しばかり値段の張るバーの方がお似合いな気がする。


「ねえ……今夜さ、クロの部屋に行っていい?」


 念のため言っておくが、卑猥な意味は無い。

 久々に会ったのだから、2人きりで話がしたい。


 懐かしい思い出から、高校までの体験談まで色々と。そんな所だろう。


「生憎今日は外なんだ」


「そう……じゃあまた今度でいいよ」


 口元が寂しげに微笑んだ。顔にべったりと疲れの色が張り付く中で。


 夕食の席へ招待するのは野暮だろう。彼女からしてみれば、話せる相手の輪が広がっただけでも大きな収穫だ。


「ああ、近い内に」


 きっちり埋め合わさせてもらうさ。数少ない幼馴染だしね。 

 自然と言葉を省略してしまう。この方がアカネにとって負担が少ないからだ。


 実を言うと、俺もあまり口上手な人間じゃないからゆったりできるんだ。

 暖かくて賑やかなのもいいが、涼しくて静かな方が好きだから。





 人口密度が下がった屋外を1人黙々と歩く。


 まだまだ冷たさの抜けない風に遊ばれながら、東から夜空が迫るのを確認しつつ保健センター前に差し掛かると、奔流さんに呼び止められた。


 そして彼はトレードマークの藍色のストールとカーディガンを靡かせながら距離を縮める。


「奔流さん……真琴と白鶏先輩の様子はどうだった?」


「真琴君は凹んでおったよ。目覚めた白鶏に灸を据えられて尚の事な」


 返す返事に湿っぽい空気は纏わり付いていない。

 どちらかと言えば計画通りだとしたり顔で報告しているように聞こえる。


 これが彼の叱り方か。

 被害者と加害者を操って失敗を誘って、更正させる。

 影武者委員長の肩書きは伊達ではないという訳か。


「これで少しは丸くなってくれればいいんだがな」


「玄汰君ももっと慎重になれば望み通りになるだろうさ」


 「虚を突かれる」とは今の事を指すのか。

 いくらドロップキックを全て見切った俺でも、言葉は躱せない。

 どれだけ時や距離を越えても、逃げられない。 

「努力する」


 俺には笑えない軽口だ。

 いつか嘗めた苦杯の味が蘇るのだ。コーヒーが飲めない人が、口いっぱいに満たしたブラックコーヒーを飲み込んだ後に張り付かせるような顔で答えると、彼は期待しているぞとばかりに穏やかに、ゆっくりと、そして大きく頷いた。





 腕時計が19時を報せようとしている。


 帰りに居酒屋へ寄り道しようとする平社員と課長のような俺達は、その喩えに倣ってスッパーランドへそのまま直行中である。


 この連翹区の魅力紹介には続きがある。外食店が豊富だという点だ。


 かの有名牛丼屋のチェーン店は勿論、マイナーなラーメン店まで多種多様。

 アルバイトで稼ぐようになったら制覇してみようかと冗談交じりで目論んでみる。


 まあ、困った事があったら白鶏先輩のチャラ男ネットワークを利用してみるか。


 スッパーランドは大通りから少し離れた場所で構える、煉瓦造りの外観の店だ。


 駐車スペースは自動車約20台分で、その内の過半数が埋まっている。


 そして入り口の傍らでチョークででかでかと本日のおすすめメニューが書き殴られた黒板が夜風に冷やかされながらも、ふてぶてしく呼び込みに熱を上げている。


 ピンクや黄チョークで強調されているのは、


ビンゴ!俺が一番好きなボンゴレビアンコが並、大盛共に400円! 

 因みに2位はカルボナーラだな。あのまろやかさがお気に入り。


「あいつらもう来てるかな……」


 上着の胸ポケットから取り出した携帯で確認しようとしたが、


「そのようだな。ここに祐輝君のバイクが停めてある」


 奔流さんが証拠を突き止める方が早かったようだ。バイクで通学してたのか。


「間違いない。名古屋、や、8895。ナンバープレートが完全に一致だ」


 控えをとってたのかよ。

 例のリングノートのメモと赤い塗装が施されたMT二輪車のそれと比較してそう断定した。


「なるほど……それじゃあさっさと中へ入るか」


「ああ」





 俺が扉を引くと、カランカランと鈴の乾いた音が響き、


「いらっしゃいませー」


 挨拶と共にスタッフが応対に出できた。


「お客様は2名様で宜しいでしょうか?」


「先に赤い革ジャンの男性が来店していると思うんですが」


「でしたらあちらのテーブル席になります」


 スタッフが手で示した席へ目線を向けると、祐輝さんと穂波が身を寄せ合って、暖かな空気に浸っているのが認められた。


 どうも俺は土足でずかずかと踏み込む図太い奴にはなれないらしい。

「有り難うございます」


 リリースしたはいいが、近寄るのを躊躇ってしまう。


 そんな時、祐輝さんが俺達に気付き、手招きしてくれた。その御陰で足に動力が伝わり始めた。


 ……かと思ったら、突然エンストした。


「ぬ!?」


 びくりと反応したのは、これらが原因だった。

 首元をきつめに覆う木の枝のように細い両腕、うなじをくすぐる髪、嗅覚を仄かに刺激する匂い、背中に伝わる柔らかい感触。


「……何でお前が……ここにいるんだよ?」


 不覚をとった。気配も無く、背後から抱きつかれ、身動きがとれない。

 奔流さんも呆気に取られたが、後に晒し者にされた俺に憐みの眼差しを向けた。


「知春君に会いたくて、来ちゃいました」


「酷い冗談だな……佐々百合よ?」


 お前そのものがあからさまに胡散臭いからな。

 いちいち真に受けていたら身が保たないので、反応はよそよそしい時のアカネに似てぶっきらぼうだ。


 ただ、お客様の誤解を解くのはどう手を尽くしても不可能だ。


 乱暴に突き放しても、この手の話になると柔軟にロジックを修正してしまう。

 頑なに自分の結論が正しいと疑わないあまり。


「照れるなよーこのこのー!」


 縛る力を強めて揺さぶるものだから、慌てて被った仮面がずり落ちてしまった。 


「うむむ……」


 顔から火が出る話だが、今宵初めて、この未知の領域に踏み込んだ身だ。

 蘭子と付き合っていた頃は確かに色付いていたが、あいつは淡白だった。


 ただ、「紫香楽蘭子の彼氏」という肩書きを頂戴しただけに過ぎなかったし、あまつさえ手すら繋げず仕舞いだった。


「慎重だったのだな……紫香楽君は」


 奔流さんはその横で、自身が分析した蘭子の人物像に自信を持った様子だ。


 彼氏にすら距離を置く人となりを、佐々の藪から棒な行動に赤面する俺から読み取ったらしい。


「紫香楽君ですか?」


 俺を拘束したまま訊ねた。


「さよう、高校時代にかつて玄汰君が付き合っていた……」


 「ボーイズラブですか!どういう事だ知春うううぅぅぅっ!?」


 「うぐぐぐぐ……!」


 絶叫と共に縛る力は絞める力に転化し、俺の顔はパトカーや消防車の非常灯のように赤くなる。


 華奢でフランス人形のような外見だからと侮るなかれ。

 プロレス選手には遥かに劣るが、苦痛を伴わせるには十分な筋力が眠っていた。


 流石に緊急事態だと仕事熱心なスタッフが止めに入ろうとするが、要らない世話だ。

 まして奔流さんにタオルを投げさせはしない。


 何故なら俺にはまだ、抵抗する術が残されているのだから。

 集められるだけ息を吸い込み、止める。そして、 

 ガッ!一気に吐き出すと同時に全体重を靴底に託して、爪先を渾身の力で踏み付けた。


 佐々は堪らず俺を開放し、反作用の力を利用して、文字通り自分の足で突破して見せた。


「ちょっと大丈夫かい、玄汰ちゃん?」


 むせながら喉を抑える俺に、祐輝さんの宴会の席で酔い潰れた参加者を気に掛けるような声が確認する。


「ああ……」


 恨み言は俺の方で処分する。店内でこれ以上騒ぎを起こしたくないからな。


「案ずるな、紫香楽君は女性だ」


 誤解の原因は男女無差別に君付けする奔流さんの呼び方にもあるのは確かで。

 患部を抱えて悶える奴に、ばつが悪そうに告げた。


「……奴についてはこれから話す」


 抑揚の無い声で簡潔に伝え、彼等が確保してくれた席へ移動し、参加者一同も続いた。

 奔流さんは涙目の佐々をあやしながら、祐輝さんは苦笑を浮かべ、穂波は因果応報だとばかりに失笑して。





 蘭子と初めて顔を合わせたのは4年前。中3になって今迄親しかった顔触れと離れ離れになり、最上級生になって零からのスタートを切る羽目になった。

 本当に今更だよ。


 因みにアカネは小学生の頃に既に転校して、第2の学校生活を慎ましく過ごしていると思う。 

 ただ、陰気臭いいじめに苛まれていないか辺りが気掛かりだがな。


「おはよう、振井くん」


 気さくで、さばさばしていたな。あの頃の蘭子は。

 ホームルーム前の教室で、生徒は両手で数えられる程度しか見受けられない。


 前期の始業式が過ぎて日も浅い頃、中庭で同期と無邪気にふざけ合う1年生とは真逆に、廊下側の席で年甲斐も無く哀愁を全身に纏った俺にも挨拶を投げ掛けた。


 見た目はウェーブの掛かった亜麻色の髪をツインテールでまとめた以外は、例の失恋劇の彼女とあまり変わらない。


 中学、高校の制服が酷似していたせいもあるしな。


「……ああ、おはよう」


 無視された、と気分を損ねる手前で素気ない挨拶を返す。


 1年次に不良共に絡まれて面倒に度々振り回されて以来、小学校から付き合いのある連中以外との交流を拒絶していた。


 柵を立てて囲んだ小さな世界に籠っていた。

 だがそれも取っ払わざるを得なくなった。


 それに高校受験に備えて大概の奴等が勉強にも力を入れ始めるから、少しは治安もましになるかも知れない。


 そういう訳で、距離をとりながらではあるが、クラスメイトと言葉を交える事にした。


「あんたってさ、何でそんなに暗いわけ?」


「色々あってね……」


 椅子の背もたれに右肘を置いて、溜め息と視線を自分の足元に落とした。 


「あっそ」


 曖昧に答えたから、触れられたくないと解釈したのだろう。蘭子は勝負を捨てた。


 深追いしてくるだろう、或いは本当はもっと構って欲しいと願いつつも捻くれる尖ったお年頃の少年の期待をばっさりと切って捨てた、句読点込みで3.5文字の返事が中々意地悪だ。


 もっとも、1人でいる時間に安らぎを感じていた俺には通用しなかったが。


「そういう訳だから、絡むなら他をあたってくれ」


 そう、日常から消滅するのと似たようなものだ。

 蝉共の耳障りな鳴き声と、目障りな死骸が。


 余談を挟むが、夏が嫌いで、それを越えた秋が好きな理由の1つである。


「そんなんじゃもてないよ?」


「周りの男子共がいちいち冷やかすせいで、恋愛なんてする気にもならないな!」


 ぴったり35文字で、確かに返したぞ。


 奴等、委員会とかが一緒になっただけでからかってくるんだぞ。不細工だったり、これといって好みでもない奴と組む事になったとしてもな。


「ふーん……馬鹿じゃないの?」


 「だから?」とばかりの生温い反応は俺の反感を買った。


「馬鹿ってお前……!」


 感情任せに抗議する。だが、蘭子は歯牙にも掛けずに突き返した。 


「男子なんてガキばっか馬鹿ばっかじゃない。いちいち気に掛ける時間も勿体ないでしょ?」


「……なら何で、俺に声掛けやがるんだ!?」


 する事と言う事の矛盾が焚き付けて、突っ込みを叩き込ませる。


 蘭子の声が低く冷たくなれば、俺のは高く熱を帯びる。錆び付いた刀のような有様だったのが嘘のように。


 蘭子の鉄槌にも似た言葉に打たれ、かつての鋭利さを取り戻しつつあった。


 但し、その用途は今の己の保身を図る為と非進歩的だが。


「あんたが周りから浮いてやさぐれてたからさ。男ならしゃきっとしなさいよ」


 ガッ!俺に喝を入れる為だろう。


金槌をもう一振り打ち付けた。今度は物理的なもの……拳で。


 ところがその手前で止められ、蘭子が何処か悔しげに目を見開いた。


 どうやら条件反射で起動する自己防衛システムは今も鈍っていないらしい。


 不良共にいびられ続けた時間の中で唯一得られた有益なスキルだ。


「他の男共から浮いてて結構だよ」


 どっちかはっきりしないが、とりあえず激励の言葉として有り難く頂戴しておくぞ。


 これが、紫蘭色の学校生活の火蓋が切って落とされた瞬間だった。 

 全く同じ内容だと奔流さんには退屈だろうと、俺達のファーストコンタクトも追加しておいた。


 俺が閉口すると、入れ替わるように口火を切ったのは穂波だった。


「……で?」


「?」


 古傷の秘話は一区切りした。この上何を求めるのか、合点がいかない。


「だからそれがどうしたわけ?って聞いてんの」


 俺を見据える目が生温いのを感じた。さらに駄目押しを俺なりに加えるなら、

「まさか、それで同情でも誘おうっていうの?自分は悲劇の主人公ですって?馬鹿じゃないの?」

辺りかな。


「お前はどうだと思う?」


 「解らないか?」

と鼻で笑った質問返しだ。


 何しろこいつにとっても他人事では許されないメッセージを忍ばせてある。

 好きな子に見限られた俺だからこそ説得力のある、先輩からのそれを。


「あんたが不甲斐ないから彼女を幻滅させたってだけでしょ。あほくさ」


 あほくさいのは貴様の頭の方だな。

 わざわざ口に出して罵ってやるのも勿体ない。


 封を切るなら、貴様が切られてからにしろ。俺の知った事ではない。


「それを言うなら御終いだな」


 奔流さんがやや不自然な言い回しで突っ込んだ。そして、

「なあ、玄汰君?」

とアイコンタクトで二択を振り、俺は間髪入れずにゆっくりと頷いた。 

 彼はちゃんと察してくれたようだ。


 反抗期の娘に手を焼く親のように、やれやれと小さく振った呆れ顔が息を落としている。


 穂波は言葉通りにしか解釈せず、まんまと彼の罠に引っ掛かった事にすら気付かない。


 本当は、

「それを言うなら近い内に交際も終わりだな」

が正しい。


 アイコンタクトの時に見せたしたり顔の御陰で、答えに自信が持てる。


「知春君の二のマイマイで人生のろのろじめじめですねわかります!」


 遂に佐々も答えに辿り着いたようだ。


 同時に穂波を置き去りにして回答を締め切った。


 それにしても佐々、何故マイを余分に付け加えるんだ。お前が言うとどんな威厳のある言葉も道化られそうだ。


「あんた頭おかしいんじゃないの?よくそんなんで大学入れたねー」


 それには俺も初めてエレベーターで会った時は同感だった。


 皆の太陽、祐輝さんを独り占めにできて天狗になっている、そんな今のこいつになら、どんな侮辱罪も背負わさせる事ができそうだ。


 それこそ、立派なお鼻が折れるまで。


「お前といい勝負だと思うがね。それはそれで」


 奇天烈と鈍感の見たいような見たくないような奇々怪々な対決。

佐々のおかしさが顕著なのは言動くらいで、他はまとも……の筈だ。自信が持てない。 


「はあ?あんた何言っちゃってるわけ?」


 やれやれ、俺にこいつを捌く根気は持ち併せていない。


 悪いがここで彼氏さんにバトンタッチ。


「まあまあ、蛍ちゃんももうよしなさいって。それより玄汰ちゃん達はもう決めた?」


 もう充分だろ、と仲裁に入り、無理矢理本来の目的に切り込んだ。


 穂波のしつこく這い上がる抗議を彼なりにやんわりと宥めながら。


「ああ、俺はボンゴレビアンコとドリンクバーだな」


「俺はイカスミパスタにしよう。君達はもう頼んだのかね?」


「ドリンクバーだけね」


 祐輝さんはコーラ、穂波はオレンジジュース、そして佐々はメロンソーダか。


 皆で足並み揃えて食卓を囲むのは確かに楽しい……例外はあるが。


「問題、デデン!私は何を注文するでしょうか?」


 ピンポーン、クイズ番組を彷彿とさせるような乗りで呼び出しボタンを撫でる指にぐっと力を加えたのは、勿論佐々である。


 シンキングタイムはスタッフが伺いに現れるまでという超難問奇問に、俺と奔流さんは苦笑しながらも、幼い妹との遊びに付き合ってやる兄貴のような心境で参加。


 穂波は下らないと渋い顔をしていたが、祐輝さんに促されて甘んじて乗ってやる事にしたようだ。


 彼は……言わずもがなだ。


「お客様、御注文はお決まりでしょうか?」 


 つい先程、俺達が種をまいたトラブルを収束させようとしたスタッフさんではないか。


 男性陣が申し訳なさそうに苦笑を浮かべても泰然として注文を待っている。先程のぼや騒ぎなど、初めから無かったかのように。


「カルボナーラを1つ―」


「イカスミパスタを1つ、お願いします」


 祐輝さん、奔流さんと、年長者が先陣を切った。


「あたしはタラコスパを1つ!」


 そして佐々が暴走する前に穂波の早口が割り込んだ。しかし案ずるな。


「正解者に拍手!よくできました!よくできました!」


 お前は見事に、奇跡を起こした。

 短時間でブラックボックスの心を読むという。


 俺としては便乗して拍手を送ってやりたい所だが、


「……えーと、タラコスパをもう1つだそうです……」


 火の消えたように穂波が項垂れ、佐々は既に自分の世界に浸っていたので仕方なく俺が通訳をして差し上げる。


「タラコスパを2つですね」


 彼女の仕事の顔は打たれ強かった。

 ブラックボックスの摩訶不思議なペースに呑まれる様子も無く、仕事をこなす姿に感嘆を覚えた。 

「それとボンゴレビアンコとドリンクバーを頼みます」


 女の後手に回ってしまい、その女は自ら墓穴を掘ってしまった。

 それもあるのだが、再び俺の顔に苦笑いが張り付いた訳は、2人に比べ押しの弱いオーダーだったからだ。



 オーダーを淡々とニュースを伝えるキャスターに少し抑揚を加えたような声音で復唱して確認すると、


「では、失礼します」


 丁寧に一礼して足早に去って行った。


 俺の思い過ごしなんだろうか。


 早くこの奇人女の元から引き上げたい、との心情を、根は奔流さんと同じ方法で表現していると思うのは。


プロは巧みなんだな。


「……さて、俺はドリンクバーへっと……」


 後から現れた俺達は通路側に腰を下ろしている。


 だからそんな時は席を立つだけでいいが、その途中で止まる。

 何故なら、祐輝さんが唐突にこんな提案を持ち掛けたからだ。


「あ!そうだ、皆でじゃんけんしない?」


 彼の言いたい事はこうだろう。


 負けた奴がドリンクバーを頼んだ奴等の飲み物を運んでくる。

 船客達は今し方飲み干したようだし、いい頃合いか。


「最初はグー!じゃんけんほいっ!」 

「最初はグー!じゃんけんほいっ!」


 1回戦は俺と穂波がチョキで負け、直後に最下位決定戦の火蓋が切られた。


「じゃんけんほいっ!!」


 俺がパーで撃沈したのだった。穂波は再び火が灯ったのか,

「お似合いね」

とばかりに冷笑し、俺はまず祐輝さんと穂波のおかわりの調達に走った。


 2往復の末に佐々のメロンソーダと自分のアイスティーを持ち帰ると、再び祐輝さんから全員参加のじゃんけんを申し込まれた。


 今回は条件が少し変わって、勝った奴が負けた奴に1つ相手の事を質問する形式だ。質問内容は好きな食べ物から、過去にしでかした恥ずかしい話まで何でもありだ。


 狙いは場の盛り上げと、親睦を深める事だろう。それは俺にとっても願ってもない機会だった。


「お待たせしました。カルボナーラと、ボンゴレビアンコのお客様」


 来たな。今回のスタッフは入口で出迎えて下さった方だ。


 恭しい手付きでその2品を出して、再び下がっていった。


「いくぞ」

の合図と共にゴングが鳴る。祐輝さんは、

「どんと来い!」

とばかりにゆったりとしているが、少なからず俺は雑念だらけだ。


 具体的な例は挙げたくないが、この手のものになると、必ずふざけた事を問いただそうとする輩が出てくるものだ。


 穂波や奔流さんも、それを警戒している筈だ。 

 まずは、俺がグーで1番に脱した。次に奔流さんが、そして最後に敗れたのは祐輝さんだ。


「では早速。藍屋家について教えてくれ」


 家が金持ち。そして兄妹が仲良く浪費している。俺が現時点で知り得ているのはこの辺りか。


「おやっさんが藍屋正義。警視長をやってる。おふくろさんは直実。もう、帰らぬ人になってるけどね」


 「うんうん、それで?」

と相槌が打てないじゃないかよ。そんな重い話題を軽口で出されてもさ。


「いやいや気にしないで!智恵のばあちゃんも面倒見てくれてるし、御陰でマコも家事をこなせるようになったからさ」


 逞しいな。俺と違って。

 こいつも大切な人を失っていた。それも、もう2度と取り戻せない。


 やり方次第では復元できるかも知れない繋がりでも、俺は虚無感に呑まれかけたというのに。

 それでも彼は、輝いている。一点の曇りも無く、憎らしいまでに。


「そうか……それじゃあ次やるぞ」


俺がグーを構えると重い空気が自然消滅する。参加者は即座に切り替えて第2回戦が幕開けた。


 今回の質問者は穂波で、回答者は奔流さん。僅か2発で雌雄を決したのであった。


「そのストールにカーディガンさあ、おかしくない?」


 それは質問とは言わない。


 もし、

「ださくない?」

だったら完全に只の中傷だが、ギリギリその判定は免れている。

 それでも本人は多少なりとも傷を負ったが堪えて表に出さない。


「……むう、指南をお願いしたい」


 健闘も虚しく、台詞がぼろを出してしまった。

 自身が拘りを持っていたポイントだったのだろう。


 だが流石奔流さんだ。感情任せに反発するのを堪え、右手の甲で口元を抑えながら助言を乞う辺り。


「それくらい自分で考えなさい」


 未だに自分の現状に酔うギャルの成り下がりが、そんな風にあざけた。


 奔流さんは相手のペースに飲み込まれまいと、一切の感情を消したようだ。


 空気が沈黙し、俺も、佐々も、あまつさえ祐輝さんまでもが彼に倣って静に転じた。


「……ごめんなさい、冗談です」


「……ふっ」


 安心したよ。流石にそこまで馬鹿じゃなかったか。


「……こほん、指南をお願いしたい」


 皆の無言の圧力も味方して、奴を挫く事に成功した。そして奴は応えた。


 くしゃくしゃ否、ぐりぐりが正解に近いだろう。祐輝さんは頭を撫でながらもそれでささやかに灸を据えているように見える。悪戯をしたペットをしつけるように。


 穂波はキッと睨みながら助言を捧げた。小さく息をついた俺を。


 恐らくお前の解釈は正しい。何しろ、侮辱も混ぜ込んであるからね。 


「ストールはね、そんな青と青みたいにメインと同じ色と組み合わせて使っても意味無いわけ。それにさ、インナーやボトムは黒じゃなくて白にした方が、女子受けがいいよ」


 マリン風コーデって奴か。奔流さんがマリン風か。


 水兵になるか、海の家のおやじになるか、楽しみだな。


「……承知した。ストールやスカーフは数多く揃えてある。帰宅したら早速検討だな」


 やはり首に巻く小物が好きなのか。


 奔流さんが年甲斐もなく張り切っている。子供に唆された父親のように。


 最近では娘に好かれたくてお洒落をする父親の話題が、お茶の間にて取り上げられたくらいだ。


 ……失礼。奔流さんはまだ19歳だった。忘れてたよ。


「……玄汰君。今酷い事を考えなかったか?」


 ぎくり。最後の一口を口へ運ぼうとした手が止まった。


「気のせいだ」


 緊急停止した手は目を伏せながら嘯いて運動を再開させた。


「お待たせしました、イカスミパスタのお客様」


 奔流さんが会釈して受け取ると、間髪入れずに別のウエイトレスが2人分のタラコスパを届けに現れた。

 彼女が領収書を残して下がっても、俺達のディナーは数時間続いた。


 俺達の夜も、俺の夜も、更けるのはまだまだ先のようだ。

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