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篩に掛ける  作者: 相沢信機
5/10

蛍の光と幽玄の影

 物理学実験のオリエンテーションでのトラブルは空木さんに言い寄るハイエナ共が消された事くらいだった。


 その1件でE,Fクラスの間で俺が空木さんには及ばないが有名になったらしい。恐らく、悪い意味で。


「全くたまげたぞ。お前さんがあのような蛮行に走るとは……」


「いやぁ見上げたもんだねえ玄汰ちゃん!かっこよかったよ!」


 10分休憩を意見が真っ二つに分かれた2人の仲間に挟まれ、だらりと机に伏して貪っている。



 それにしても、おじさんとおっちゃんとでこうも反応が違うのか。

 行動と結果からまだまだ考えが甘いとする奔流さんと、目的と行から俺を評価してくれた祐輝さん。


 実を言うと、自分でやっておいてしたことが正しいと自信が持てない。

 何しろ摘み出された後もへらへらとした態度だったからな。いたちごっこになるかも知れない。


「よしてくれよ。俺がやっても効果は薄かったからな」


「うむ、冷静さを欠いてしまったな。あの手の連中はいちいち相手にしない方がいい」


 それが賢明なんだろうが、どうしても気に障るからなあ。


 奴等の談笑は真面目に受けている面子をあざけているようにも聞こえるからさ。


「男は精神年齢が低い」


 とはよく言ったものだ。めでたく(?)俺もその仲間入りだ。


「まあまあ、そんな奴等の事なんかよりさ、玄汰ちゃんから聞いたんだけどさ、白鶏ちゃんから講義の情報を引き出してるかも知れないって?よかったら僕達にもおすそ分けしてくれないかな?」 

「白鶏ちゃんってお前……」


 仮にも先輩だぞ。

 こいつは上級生が相手でもちゃん付けで呼ぶのだろうか。

 だとしたら「生意気な奴だ」と目くじらを立てられそうだな。


 ま、それはともかくだ。

 必修も選択必修も変更は不可能だ。前者は勝手に登録されているが、後者は俺達で手続きを選択科目のついでに済ませるだけだ。後の説明は…言わずもがなだろう。


「いかにも。きゃつと同席していた彼女からも貰い受けている」


 あの女ってやっぱりそういう奴なのか。

 一人身には目に毒、気の毒の。


 ましてバツイチなら機嫌を損ねるに違いない。


「早速頼むよ」


「承知した」


 バッグから取り出した例のリングノートを開いて頷いた。


「……ねえ」


 聞き覚えのある声が駆け込み乗車してきた。


 抑揚の無い声色が、心無しか俺に違和感を齎すそれだけで人物を特定できたが、念押しで目視で確認してみる。


 ほら、やっぱり空木さんだ。


「おやおや、クールビューティーちゃん。どうしたの?」


「やめて、その呼び方は。空木蜻奈よ」


 祐輝さんの応対が揶揄するように聞こえたからだろう。眉をしかめて冷たく抗議した。 

「はははっ、ジョークだよ」


 祐輝さん、時間もそう無いんだから茶々を入れないでくれ。


「……コホン。では真面目な話に移ろうか」


 軽く咳払いをして、時間の都合上急ぎ足でスタートした。


「木曜の文化論は結論から言うと、アジアの通門狭四郎みちかどきょうしろうの講義はとらない方がいい。点数は全てレポートで見るから期末試験は無いが、採点が鬼畜だ。60人受けて7人しか単位が貰えなかったそうだ」


 去年のデータだがな、と補足した。


「だったら欧米文化論の方が安全なのかい?」


 やる事はシンプルだ。

 鬼畜とは逆の選択肢を選べばいい。


 因みに祐輝さんがチョイスしたのは符堂軟吉ふどうなんきち担当である。


「ふむ、不動軟吉か。小テスト20%、期末試験80%で採点してくれるし、テストも資料の持ち込みが許可されている。文化論の中でも単位を取り易いそうだ」


 あらかじめ準備をしておけば、が前提だがな。


 補足を入れておくと通門が提示する課題では、レポートはとにかくいっぱい書けば何点か貰えるという考えは捨てろとの旨のメッセージがシラバスに記載されている。


 だから符堂の欧米文化論の方がずっと手堅いという訳だ。


「……決まりね」 

 締切まではまだまだ先なのだが、これは今日中にでも抑えるべきだろう。


 空木さんがクスリと笑うように呟いた。


 全会一致で符堂の講義を取る案に合意したと宣言する代わりに。


「じゃあさ、次は水曜の1限について決めちまおうか」


 時間の許す限りな。

 制限時間が5分を突破した今、わざわざそう口に出す者はいない。


 加速してきた祐輝さんにブレーキを掛けるのも野暮だ。


真田優さなだまさるの人文科学基礎は小テスト40%、試験60%だ。論述式で資料の持ち込みが許されている。単位は比較的取り易いそうだが、あまりそっちに時間を割きたくないのなら、金成佐久哉かなりさくやの試験100%で挑んでみてもいいだろう」


 勉強するのは試験が迫ってきた時期からでいい。


 更に補足によれば、試験は2点×50問の穴埋めだそうじゃないか。


「いいねそれ!それじゃあ僕は金成先生の講義を取ろうかな」


 試験で転倒したら二度と立て直せない。

 だがまあ祐輝さんの事だ、そんなミスは恐らくしないだろうし、ましてリスクとも思わないだろう。


「続けるぞ。慎藤重吾しんどうじゅうごの社会科学基礎はレポート100%らしいが、単位所得率はほぼ100%で、中々若くて美形なのも手伝って毎年定員オーバーになるらしい」


 恐らく彼女がソースだろう。


 根拠は主に余談からだが。

 そしてその人物像の断片が浮き彫りになった気がする。 

「それともう1つ、角田郁蔵かくたいくぞうの講義だとレポート20%、小テスト40%、試験40%と色々と手を回さなくてはならんが、採点は緩いらしいな」


 要は水曜の1限はお好みでという事だな。科学基礎はさして苦労は無いから。


「俺は……そうだな。真田さんの講義を受けてみるか」


「そうね……私もそれにしてみようかな」


「そうか……ならば俺は慎藤先生を選択するとしよう」


 残り時間は概ね1分か。


 敢えて正確に言うなら1分7秒。思ったよりさっくり進んでよかったな。


 それにしても、水曜1限は彼女と2人きりか。


「む……そろそろ時間が近付いているな」


 ふ、と口元を緩ませながら呟いた。

 が、奔流さんの本音はこうだろう。


 予定より早く話がまとまってよかったな。そして、君の健闘を祈る。


 センター試験前日に生徒に激励の言葉を贈る教師のように。


「それじゃあ、私はもう戻るから」


 話題が実益に繋がるものだったからか、初日では反応や表情がモノトーンで味気なかった彼女だが、今日は随分と色彩豊かだったように思える。


 まあ無理も無い。

 慣れない環境と敢え無い男共を警戒していたからだろう。 

 微力ではあったが、初日に声を掛けておいて正解だった。


「あいよ、じゃあな」


 ひらひらと手を振って相槌を打った。


「またね、空木ちゃん」


 敬礼でもするかのように手を上げて、祐輝さんが。


「くすっ、またね」


 小さな溜め息と共に微かな笑みを漏らして後列へ下がった。


 少々キャラが変わりすぎな気もするが、気楽に声を掛けられるようにはなったし、とりあえずよしとしておこう。





 オリエンテーションから漸く解放され、俺は一旦2人と別れて同館内の売店で紅茶を買い求めている。


 タワー内の売店と比べれば規模は小さいが、それでも食糧及び文具品等の品揃えやレンジやお湯、コピー機等のサービスは大学周辺のコンビニに引けを取らないし、弁当が最大で通常価格の30円引きで買えるメリットがある。


 大体大学の弁当は高くても400円出して釣り銭が帰って来るしな。


 彼等とは用が済んだらタワー2階の学生ホールで落ち合う予定だ。


 そう言えばKクラスの4限もここの教室だった。それを思い出すや否や、いつでも真琴さんが現れてもいいように警戒心が掻き立てられる。


 草食動物にでもなったような気分だ。 

「ねー」


「!」


 目当ての品を脇に抱えて、テーブルに目いっぱいプリントを広げて講義の復習をしているグループに気を遣ってさっさと退散しようとしたが、途端に女性の声に呼び止められた。


 御丁寧に背中までつついて。


 刹那、俺は振り返り際に手刀で相手の首筋を捉えた。


「え!?」


 ところが女性は真琴さんなんかではなく、全くの赤の他人だった。


 声が裏返り、さっと顔が青ざめる俺。


 全く色んな意味でいい迷惑だ。勉強中の連中は何事かと、すぐ近くを通り掛かった男子は電撃攻撃に飛び上がり、釘付けとなっている。


 女子側もどうしてこうなったのか合点もいかず、思いもしない展開に犠牲者は硬直している。


「いきなり何?何考えてんの?」


 おやおや、相手方の沸点は随分と低いようだな。

 いや、これが普通の反応だろ。


「すみません。何分条件反射で」


 考える暇も無かったから仕方ない。

 謝罪というよりも寧ろ開き直りになってしまった。


「何それ?有り得ないんだけど」


 だが事実さ。


 それともっと沸点を上げないと、折角メイクで綺麗な顔に仕上げても、骨折り損のくたびれもうけだぞ。 

 相手はアイラインの入った目に、亜麻色のボブカットを胸に掛け、ピンクのフレアスカートに黒いVネックと裾を縛った水色のカーディガンを合わせた、露出が高めの身なりである。


 俺から言わせれば、猫を被ったようだがな。


「本当にごめんなさい」


 いらん事言ったら先が面倒になりそうだから、本音を抑えてひとまず様子を見る。


 今、俺はか弱い女の子に暴力を振るった最低野郎のレッテルを貼られている。


 見掛け通り汚い女にもてるなど願い下げだが、少しでも体面を回復しておきたいのさ。


「何であんたみたいなむかつく奴が藍屋先輩と友達なわけ?」


 親切にも、あっさりと目的を明かしてくれたな。

 祐輝さんの方だとは思うが、こいつは「藍屋さん」を狙っているらしい。それでいて後輩であると。


「藍屋?それは祐輝さんの事ですか?」


 こいつを切り口に突っ込んでみよう。取るに足らない確認だがな。


「他に誰がいるわけ?いつも赤い革ジャン着てるし、間違える訳ないじゃない」


「いつも……ですか。以前から面識があったようですね」


 証人を尋問する弁護士のような気分だ。


「高校の時、サッカー部のエースだったわけ。それであたしはマネージャーだったの」


 なるほど。それなら関わる時間も長かった事だろうな。後輩さんは俗に言うどや顔で、 

 俺を見下ろしながら答えた。まるで……そう。自分の彼氏だと自慢するように映った。それがあまりに滑稽にも哀れにも思えて、眉を顰めているんだか、冷笑を浮かべているんだか、自分でもよく判らない。


「だが解せないな。あんな軽そうな男の何処がいいんだか。あの人なら二股や三股くらい平気でやりそうだぞ」


 実際には子供に気さくに接するおっちゃんみたい、が正しいが。或いは地上に光を齎す太陽、人々の活力や団結力を掻き立てるお祭り、か。要は1人に特別な感情を寄せないタイプだって事だな。


「先輩の事を悪く言わないで!何にも知らない癖にっ!!」


 ああ、仰る通りだ。だからこうして情報を引き出そうとしてるんじゃないか。


 売店内は再び嵐に見舞われた。今度は第一波の比なんかじゃない。鼓膜を破らんばかりの、それはそれは強烈な奴だ。


「ほう?」


 人々が驚倒し思わず退いた荒波を受けても、最高に冷静だった。駄目押しが怯まずにできるのがその証拠だ。蓋然が確然へ昇華した事実。どうやら俺にはサディストが肌に合うらしい。


「先輩は言ってくれた。同じ大学に入れたら付き合おうって!」


 ……大誤算だ。よしんばその話が真実なら。そして謝罪しなければならないよな。 

 この子にも、祐輝さんにも。


「……これから祐輝さんともう1人の友人と会う事になっている。君にも来て欲しい。その話が本当かどうかを確かめたいからな」


 心の中で滝のように冷や汗を流しつつ、そんな提案を持ち掛けた。


「いいよ。目に物見せてやるから。あたしは環境工学科の穂波蛍ほなみほたる


「どうなるものか、高みの見物させてもらうよ。俺は情報工学科の振井玄汰だ」


 もう後には退けない。こいつの妄想か、俺の邪推か、学生ホールではっきりする。





 学生ホールへはタワー2階の正面入口から入れる。同じ階に別の通用口もあるし、もちろん1階からでも構わない。


 この学生ホールでは各学科ごとの連絡事項が確認できる他、学生同士で雑談もよし、自習もよし、自販機で飲み物を買ってもよし、そしてATMで金の出し入れだってよしだ。要するに学生達のキャンパスライフを応援するシステムがギュッと集約されている、いわば拠点みたいなものだ。


 昼間は外から差し込む光だけでも十分に明るい。壁の色が白やそれに近い配色で統一されているせいもあるだろう。だがもうそろそろ照明と交代の時間かな。


 タイル張りの床を靴底で叩きながら待ち惚けている2人の元へ淀み無く進む。これも派手な革ジャンの御陰か。彼等は下の売店で買ったのか、わらび餅に舌鼓を打っていた。 

「すまん、遅くなった」


「何かあったのかね?そちらの方と」


 奔流さんが穂波を掌で示しながら訊ねた。さあ、どうなる?


「おぉ!蛍ちゃん久し振りー!」


 どうやら顔見知りなのは確からしいな。今日見た中で一番活き活きしているぞ……祐輝さん。


「お久し振りです、藍屋先輩!」


 焦るなよ。部活の先輩と後輩の間ならありふれたやり取りだろう。


「ほう、この子は君の後輩なのか?」


「正確にはマネージャーなの。サッカー部の」


「穂波蛍です。宜しくお願いします。えっと……」


「奔河蛉一。玄汰君や祐輝君を初めとして、皆から奔流と呼ばれているぞ」


 奔流さんのお決まりの自己紹介。それに若干手が加えられたようだ。


「それじゃあ、奔流さんで呼びます!」


「タメ口で構わんさ。俺達は同じ1年だからね」


 入学してから、1度も無い気がする。女子とまともな出会い方をした事が。空木さん以外。


 第一印象が最悪の形でスタートしているからか、何か妬ましいな。


「まして恋人同士なら先輩後輩の垣根も越えなくっちゃ!」 

 ここまでか……。祐輝さんは文句は軽いが目が本気だ。

 健気に努力して現実にした訳だ。


 これで大好きな先輩と……結ばれた。


「先輩……それって……!」


「約束したろう?同じ大学に入れたら付き合おうって」


 ガタッ、告白しようにも場所が問題だろう。

……いや、逆にこれでいいのか?


 とにかく彼女の抑えが利かなくなっている。気持ちが体から止め処無く溢れ出すその前に、祐輝さんが腰を上げ、そっと小さな肩に手を置いた。


「二言は無いよ……絶対に」


 そして素早く背中に手を回し優しく抱き寄せ、少々暑苦しい殺し文句で御用となった。


「先輩……っ」


 アニメやゲーム、そして小説の世界でお馴染みのシーンを再現した現実に立ち会ってしまった。


 いつか俺が再び恋を実らせたとしても、こんなロマンティックに飾り付けられないだろうな。


「はぁ……」


 ひっそりと、空気を壊さぬよう慎重に溜め息を漏らした。


「やはり……辛いか?」


 派手に夜空を彩る花火でも見上げるように、ぼんやりと眺めている。


 花火大会など、もう行く機会すら無い。

その前に蘭子と袂を分かってしまったからな。


 そんな時、俺を案じてか奔流さんが声を掛けてきた。 

「意外と……大した事はないみたいだ……」


 2人は更に輝きを増し、それとは対照的に俺には暗い影が落ちる。


 まさかとは思うが、俺には最悪の結びが待ち受けているかも知れない。薄々だが、そう予測はできていた。


 だがその一方で、祐輝さんはあまり彼女に拘っていないだろうとの推理を捨て切れなかった。だから告白の瞬間まで曲げずに粘った。


 彼等に掛けてやる言葉は何だ?純粋に、


「おめでとう!」


と祝福してやるべきか?

 はたまた、


「リア充爆発しろ!!」


と沸き立つ負の感情をぶつけるべきか?


 さて、俺の答えは……数秒の沈黙を経て示した。


「……参りましたっ!」


 心無いお世辞よりも、はしたない罵りよりも、この方がずっと進歩的だ。


「むかつく奴だと思ってたけど、往生際はいいんだね」


 高みから引きずり落とされただけだ。祐輝さん流に言うなら、本当の勝負はこれからだよ。


「何玄汰ちゃん、蛍ちゃんにも容赦なく突っ込んだの?」


 突っ込んだ……か。色んな意味でその通りだ。


「その御陰で少しばかり聞かせてもらったよ。あんたの事や、彼女の事を」


「だからって声を掛けただけでか弱い女の子にも暴力振るうわけ?」


 導火線に遂に着火しやがったか。

 穂波は彼氏にぶちまけて、追い討ちを期待している。 

「どうなのかな、玄汰君?」


「穂波の言う通りだ。振り返り際に手刀を見舞ったよ。それで、謝りもした」


 目撃者が証言するように淡々と正確に答えた。


「蛍君、本当だろうか?」


「間違いないよ。あたしが後ろから声を掛けたら……」


「そこまで聞けば十分だ。玄汰君に非があるのは明らかだな」


 そう、どんな理由があろうとな。


「でもさ、今回は妥協してやってくれないかな?玄汰ちゃんもまだ難しい年頃だしさ。それに、暴力もマコの奇襲を警戒してたからだろうしね」


 歳はあんたとそう変わらないんだが。そうは言っても俺は沈黙するしかない。


「……分かりました。先輩がそこまで言うんでしたら」


 意外と話の分かる奴……でもないだろう。祐輝さんが取り成してくれたから軽くなった訳で、媚売り女の疑いはまだ完全には晴れていない。


「ごめんね。内の玄汰ちゃんが迷惑掛けちゃって」


「いえ……今日の晩御飯を奢ってもらいますから」 

 にやりと悪戯っぽい笑みで俺を一瞥した

。まだアルバイトをしていない身としては中々きつい。

 が、それで許されるのなら甘んじて受けるのに吝かではない。


 無言のまま頷くと、表情がぱあっと白々しく輝いた。


「それならさ、スッパーランドって店はどうだい?ボリュームからレパートリーまで自由に決められるスパゲティやなんだよ」


 俺のアパートから徒歩2分くらいの場所にあるな。

 スパゲティが好きな身としても、俺に異論は無い。


「ああ、あそこですか。いいですよ。あたしも少し気になってましたから」


「オーケー!奔流の旦那はどうする?」


「む、ではお言葉に甘えて」


 そうこなくっちゃ!屈託のない笑みが太陽の如く輝いた。


 今日はとんとん拍子でまとまっていくな。今の件と言い、選択科目と言い。


 祐輝さんの決断力、奔流さんの采配が連携を組むとここまで鮮やかに進められるのか。

 まあ、今回は役割分担が逆だったが。





 履修登録の手続きにおいても加速するばかりだった。


 6階の情報処理教室までの道中で選択科目の情報を奔流さんが開示した御陰だろう。穂波も足並み揃えて手続きを完了できたのは。 

「ありがと、奔流さん。それにしても、あれってやっぱり先輩から聞いたの?」


「なに、高校時代の悪友から情報を引き出したのさ」


「へぇ、そうなんだー」


 すっかり打ち解けているな。奔流さんとも。


 俺と奴等の間が不可視の壁で仕切られているようだ。

 原因は運も絡むが、何より語勢が攻撃的だからだろう。


 小さなものでいい、何かこいつを長所に転化できるきっかけがあれば、流れを呼び込んで、あわよくば、ベルリンの壁を崩せる筈だ。


「なあ、祐輝さん」


 2人に気取られないように注意を払いながら耳打ちする。


「何だろう?あ、もしかして蛍ちゃんの事かな?」


 流石に察しがいいな。


「ああ、奴は高校時代から主張の強い女だったのか?」


 無礼を承知でぶつけてみた厳しい質問。


「皆玄汰ちゃんみたいに思うだろうけど、実は逆なんだよ」


 もう俺に慣れてきたのか。

 元々沸点が人並み以上に高いのか。

それとも両方か。


 怒気を微塵も見せないどころか、先入観をも彼女を持ち上げるのに利用している。反発するより敢えて弱みを曝け出して強みを引き立てた方が前向きという事か。 

「あの子、ああ見えて大人しくてあんまり目立たない方でさ。よく僕の事で学校中の女の子から邪険に扱われてたからねえ」


 大学にもいそうだよな。そんな汚い女。


 ターゲットと一緒に話しているってだけで女の子をいびることしかできない。自分は彼と仲良くする為には大して何もしてない癖にさ。


 寧ろ哀れに思える連中は、教室でパソコンの陰からちらちら祐輝さんへ視線を送っているギャル共の事を指すのかな。


 ふん、鼻で笑いながら睥睨すると、それに気付いてくれたようだ。


「……大体ああいう感じだね」


「なるほど……登録も済んだし、ちょっとトイレに行ってくる」


「あ、それじゃああたしもー」


 やれやれ、色々と油断ならなくなりそうだそ。


 ひっそりと溜め息を漏らしながら教室のドアのサムターンを摘んだ。


 この類の教室は学生証をセンサーに触れさせなければ入る事ができず、退出時はこうしていちいち手でロックを外さなければならない。


 廊下に出てからサムターンの回る音が響いた。

 トイレへと消える直前に確認したら、やはり先程の連中だった。


 読みが正しければ、無駄に絡んでいる事だろうな。全く、そこだけには頭が回りやがる。


「うおっ!」


 トイレから廊下へ出た刹那、ドロップキックが出待ちしていた。 

 そのせいで、薄暗い通路へ飛び退かざるを得なくなった。


「やっぱりそうきやがったか……真琴!」


 あからさまに不機嫌そうな面を向ける男女を非難する。


「力づくじゃあ駄目みたいだね。全てかわされちゃう」


 6、7階の廊下は教室の出入り口に、トイレに、エスカレーターに、エレベーター。それ以外は中央の605教室の両端に木目のベンチがあるくらいだ。

 そして周囲に生徒はいない。


「お前……何をする気だ?」


 ガッ、自ら無意味と認めた筈の力ずくで、俺の右腕を両手でがっちりと捕まえた。

 まずいな、こんな時に穂波とかが現れたら。


「僕は太ってなんかない。それをみっちり教えるだけだよ」


 そうか……そういう事か!第三者に俺を痴漢だとでっち上げれば逃げられる。

 真琴め……そこらの猫被り女よりも悪質じゃないか?


「考え直せ……証明の仕方は他にもあるだろ!」


 露出の高い服装で登校するとかさ。

 だが真琴は「今日中に証明する」に拘る腹らしい。


「うるさい」


 俺の反論を薄い笑みと共に握り潰して、腹に手を押し付けた。


 バイクのチェーンのように適度に緩んでおり、少なくともたるんではいない。

 その役は全て胸が引き受けているといっていいだろう。


「これで判った?」


 ぱっと真琴さんの笑顔が視界のほぼ全てを埋めた。

 少年のような容貌だが、太い唇のせいだろう。女の色気を感じたのは。


「ああ、非常に丁寧な証明を有り難うよ」


 だから早く放してくれないか。誤解なんて雑草が生える前に。


「よろしい」


 ウインクをして漸く俺の希望に応えてくれた。


 それにしても穂波の奴、化粧をするにしても流石に遅すぎだろう。

 まあ、どれだけ掛かるかなど、男には知る由も無いが。


「誰か待ってんの?」


「ああ、祐輝さんの後輩だ。それより、静かにしてくれ」


 どうやら、俺の予感していた事が当たったみたいだからな。


「あんた、藍屋くんと付き合ってるって本当なの?」


 カツリ、ヒールを踏み替える音が響いた。獣が獲物へ襲い掛かる前触れのように思えてならない。


「そうですけど、それが何か?」 

 物怖じせずにはっきりと答えた。

 何かが切れる音がしたな。


 そして俺達が傍聴しているのを知らぬまま不毛な争いが始まるようだ。


「蛍ちゃん……だよね、今の?それって本当なの?」


「つい数時間前にせ……」


「何言っちゃってんの?あんたみたいな愚図でブスなんか相手にする訳ないんだから。勘違いとか大概にしなよ」


 スポーツの実況と解説のやり取りを余所に、成立したばかりだ、と続ける声を遮るまでにグラウンドは醜く白熱していた。

 いくらトイレでも、ここまでの馬鹿騒ぎは閉じ込められない。


「あんたじゃないんだから……」


 やれやれ、仕留めるべきはこいつだな。

 憐れみと皮肉、そして溜め息を込めた台詞を奴にも聞こえるように言ってみる。


 自分にとって都合のいい真実しか認めない輩へ。


「誰?」


 今頃俺を見つけようとあたりを見回しているのだろうか。


 まあ、無いとは思うが女子トイレに忍び込んでいる事にされてるなら最高傑作だな。


「愚図でブスなのはあんたの方でしょう?」


 あら?

 真琴さんでも、穂波でも、まして天の声でもない。


 どうやら中に飛び入り参加した方がいらっしゃるらしい。

 俺は知っている。このクールで懐かしい調子の声を。 

「そっちにも丸聞こえなんでしょう、クロ?」


 そう言えば履修登録に来てたんだっけ、空木さんも。

 いや、そろそろこう呼ぶべきだろう。

初めは違和感を覚えていたが、実はそんなに変わってなかったようだしさ。


「アカネの言う通りだ。俺にも、勿論「藍屋さん」にもね」


 アカネか……懐かしいな。

いつか、彼女の事をそう呼んだ事がある。

 なに、それも9年以上も昔の話だよ。見た目も、あの頃とは随分と違う。


 話の見えぬ真琴に、奴をとっちめる作戦だと説明して落ち着かせる。

 即席とはいえ、お前もちゃんと鬱憤が晴らせるように組んであるから、まだ待ってくれ。


「で……でたらめ言ってんじゃねえぞ!」


 まあ、席を離れる直前に確認してただろうしね。


「流石の藍屋さんもお冠みたいだぞ」


 それでもかまわず白を切る。嘘はついてないしね。


「自分の恋人を傷付けたんだし、当然でしょ」


 カッ!ヒールが床を蹴った。

 アカネがそう言ったのを皮切りに。


 顔を青くして俺が捏造した「藍屋さん」に弁解しようと俺達の元へ迫っている。


 ドッ!交差点で俺の時はあしらわれたドロップキックが炸裂し、死角から鉄砲玉のように飛び出した女性に衝突した。


 不幸中の幸いにも、女性は失神しただけで罪から解放され、今度は俺達がせめてもの罪滅ぼしをする番だ。


「真琴、お前は俺とアカネの荷物を頼む。俺はこいつを保健センターへ連れて行く。アカネも付き添ってくれるか?」


 実行犯はパシリ。教唆犯は裏でこそこそと後始末に走るよう、新たに役割を与えてみる。

 アフターケアという名目を共有して。心配した仲間に現れてもらっては面倒だ。それからの行動は救急隊員の方々には遠く及ばないが、素人にしては迅速だった。

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