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篩に掛ける  作者: 相沢信機
2/10

百合花粉警報発令!波乱の入学式

―はっ!


 アラームよりも優秀な目覚ましの御陰で、俺は7時半に起床した。


 入学式は10時からだ。随分と余裕をもって起こしてくれたらしい。式場となる総合体育館までの所要時間を差し引いたって1時間以上はある。


 遂に振井玄汰ふるいとうたの大学生活が幕開けたのだ。県内でも有名な私立の総合大学。名は盛士大学(通称盛大)だ。


 理工学部情報工学科に現役合格を果たして、現在下宿して通っている。

 1DKの東向き。

 物件階層二階。

 家賃3.3万円。


 一人暮らし最初の朝を迎えて早々に気付いた事がある。


 何もかもが未知で新鮮で、期待や不安に胸を膨らませる一方で、蘭子の事で後ろ髪を引かれている。


 あの過去が夢に出て、毎晩毎晩再生されるのは、そのせいだろう。


 まるで呪いにでも掛かったかのようだ。


「今更悪足掻きしたって、無駄だってのに……」


 朝食の支度をしながら往生際の悪い自分を戒めた。

 自虐的な笑みを鍋で煮え立っている味噌汁に落として火を止めた。


 まあこんなものだろう、記念すべき朝食のメニューは。


 白米、味噌汁、目玉焼きに韓国海苔。ここから徐々にレパートリーを増やしていくとしようか。


 因みに目玉焼きにはソースも醤油も掛けずに食べる口だ。母親はいちいち

「醤油をかけて食べろ」と癪に障る声でがたがた干渉してくるわけだが、逐一無視してきた。


 まあ、今となってはストレスも無く好き勝手にいただけるのでよしとしよう。


 その上料理の具材や味付けも自由にできるから一人暮らし万々歳だ。

 もっとも、掃除や洗濯とかが面倒だが、これは「慣れ」が解決してくれるだろうと楽観的に考えてみる。実家である程度予習してきたしな。


 ま、とりあえず身の上話はここまでで切っといて、顔を洗って歯を磨いてクローゼットに保管しておいたスーツに袖を通せば一丁上がりだ。


 火の元と戸締りを確認して玄関を施錠。その直後に腕時計が8時20分を告げていた。





 盛大は連翹キャンパスと藍晶キャンパスを構えている。後者は薬学部のみ、前者はそれ以外の学部学科が設置されている。


 そして俺の下宿している部屋は連翹キャンパスから徒歩7分の場所にある。


 が、式場へは地下鉄で30分掛かる訳で、早々から楽をさせてくれそうにないらしい。


 地下鉄へはエレベーターから入るのが一番近い。俺はさして慌てもせず観光気分で市街を歩いていた。


 ここは簡潔に言うなれば、住宅街と学生の街。


 大学周辺は活気があって、それでいて少し離れれば静かで落ち着いている。そんな街だ。


 それにしても、この時は想像もしなかった。

 今から数十秒後、まさかあんな事になるなんて。





 エレベーターに乗り込もうとした刹那、閑静な街が喧騒な空気に包まれたのだ。


「……でぇ!!」


 早い話が扉に挟まれた訳で、やや大袈裟な悲鳴が響いた。


 しかしながらあながちそうでもない気が段々と色濃くなっていく。新品のスーツが埃で汚れ、


「あ、ボタンを間違えました。うっかり」



 こんな何処か胡散臭い女性と遭遇してしまったのだから。


 女性はウェーブが掛かった明るい茶髪を胸まで伸ばしており、黒く真新しいスーツを身に着けており、下はスラックスを穿いている。


「大丈夫ですか?」


 俺も僅か十分足らずで輝きがくすんでしまったスーツも大した問題ではない。


 埃もコロコロさえあれば始末できるのだから。


「スーツが汚れてしまいましたね。ならば私のと交換です!」


 いやいや待て待て!いくらなんでもそれはあらゆる意味で問題だ。


 身長は俺とあまり大差は無いが,体格が合致しない。


 まして芸人でもないのにレディースを着て大事な式に臨めなど、道徳的にももってのほかだ。


「いやいや大丈夫ですよ!思ったほど汚れも大した事ないですから!!」


「さあここですぐに脱ぐのです!」


 この人全く聞いちゃいねえ!目を妖しく輝かせて、ベルトに手を掛けてやがる。


 そう、政治家からコメントを取ろうと必死に食い下がるマスコミと同じオーラを感じた。


 そしてそれを必死で阻止しようとする俺はノーコメントに徹して彼等から逃れようとするその政治家達と似たり寄ったりな状況である。


 大学生活に寄せた期待が初日早々からエレベーターと共に下っていく。


「そもそも監視カメラで撮られてますから!」 

 最近のエレベーターを舐めるなよ。暴れたりしたらすぐに検知されて音声で忠告されたり、ブザーを鳴らしながら最寄りの階で停止して扉が開くんだ。


 その言葉が効いたのかは計り兼ねたが、女性は手を止めてしおれた。

 どうやらなけなしの良心が安全装置を作動させたらしい。


「これが……これが……ドッキリカメラ!!」


 そんな訳ないだろ!!お前の奇矯な挙動に振り回される身にもなってみろ!


 いっそのこと、こいつも一緒にコロコロで排除したい。


「あ、着きましたね。……今、君から「一緒に行こうぜ!」って心の声が聞こえましたので、さあ行きましょう!」


 はあ!?こいつ明らかに頭がおかしいだろ。あからさまに怪しいを通り越して、スタートラインに立つ前から問題が勃発する中、おかしな女性は俺の異議も許さず強引に手を引いて地下鉄のホームまで引きずり込まれた。





 ホームで電車を待つ間、今更な感を押し退けて、


「あの私、こういう者です、ますぞ」


 と今や慇懃無礼に思える丁寧な身振りで名刺を渡してきた。


 盛士大学理工学部電気電子工学科一年 佐々百合ささゆり


 それによると俺は4年間この変人と同じ大学に通う事になるらしい。 

 それと裏面にはこいつの電話番号と思しき数字がシャーペン書きで記されていた。そうなるとやはり……、


「今すぐでなくとも構いませんぞ、拙僧は。個人情報ですからな」


 拙僧ときたか。随分と古い一人称を掘り起こしてきたもんだ。


「そうかよ。だといいんだが」


「振井殿、先の件にまだ腹を立てておられるのですかな?」


 語勢がタイムスリップしたようだ。


「ああ……それ以上に、あんたみたいな奇人に捕まった自分が嘆かわしい」


「照れるなよ~とうさん。さゆりさんにはお見通しだぞ」


「誰が父さんだ!」


―はっ!


 過剰反応してはいけない。それはゴシップ記事を真に受けて騒ぐのと同レベルであり、単なる被害妄想だ。


 佐々はただ、玄汰にちなんでとうさんと呼んだだけだろう。


 ……だがやっぱりとうさんはまずい。利用者達の非難がましい視線が痛い。


「……佐々さん。とうさんは勘弁して下さい」


「じゃあふるた君でオッケーイ?」


「アウトだ!」


 また変化球だ。当然、2球目もエラーで終わった。


「むう……」 

 不公平だ。何でお前が拗ねて、俺が悪役を買って出なきゃならん。


 客観的に見れば、男の俺が女のこいつを困らせているように映っている事だろう。


「こうなったら、さゆりさん本気出します。私、こう見えて凄いのですよ。あっさりかっくりぽっくりびっくりさせてやる」


 佐々の眼光が鋭くなったのはその時だ。


 こいつは手帳とシャーペンを鞄から取り出すや否や、何かを書き始めた。俺はくだらん、と冷めた目で静観していた。


 すると、佐々はたった数十秒で作業を終えたのだ。メモ書きを突き付けて、


「HURUITOUTAですから……UOTUTIHARUですっ!」


 なんだとおおおぉぉぉっ!!


 まさか数十秒後に俺が度肝を抜かされようとは。

 「とうさん」や「ふるた」との落差もあって首を竦めてしまった。


 今までの人生で初めてだ、アナグラムまで使う奴は。しかも駄目押しに漢字で「魚津知春」と走り書きまでしてある。


「とうさんは他の人にしますから、これからは知春君と呼びます」


 知春。一見すると女の子のような名前だが、司や怜と同じだ。男にも使える両刀である。


 俺から特技……渾名を付ける事と書いた折り紙を付けてやる。


「君には感服した。もう、それでいい……」


 がっくりと項垂れて溜め息を漏らした。

それに対して佐々は俺の体力を奪い取って得意顔が輝きを増していた。


 そしてそこへ俺から言わせれば、今迄空気を読んで、じっと様子を窺っていたようなタイミングで漸く電車が到着した。 

 スタートラインに立つ前から既に息絶え絶えだ。30分以上佐々の電波を拾わされ続け、オーバーヒートもそう遅くはない。


 砂漠を彷徨い続け、運よくオアシスを発見したかのような気分で地上の世界へ帰還したが、それは蜃気楼だったらしい。何故なら、


「入学おめでとおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!!」


「なっ……!?」


 そこは戦場だった。新入生を上回る学生達による奇襲と人海戦術の二つ押しがサークル勧誘の連中の作戦だったようだ。


 とりわけ実家性は長旅の疲れが追い討ちを掛けて絶好のカモにされるのではなかろうか。


 それでなくともおばちゃん達にもみくちゃにされる店員達の様を有難くもないが疑似体験できる。


 火蓋を切ったのはアメフト部の岩を組み上げたような大柄の男達であった。


 揃いのユニフォームに屈強な体で固めで、目に付いた奴を片っ端から捕え、漏れなく胴上げをプレゼントしている。


 だが俺には要人警護に精を出すボディーガードのように映った。


「そこの君、入学おめでとーっ!おらこいっ!」


 やべっ、見つかっちまった!


 俺は無意識の内に佐々さんの手を掴みながら人と人の隙間を掻い潜りながらとんずらした。


 某気弱な高校生の走りを自分なりに再現しつつ。


「ちょっと……待て!待つんだジェイソン!」 

 しまった、肉壁を振り切るのに夢中ですっかり忘れていた。


 この際ジェイソンは棚上げして、佐々さんの悲鳴がそう訴えるのが辛うじて伝達されはっとする。


 慌てて徒歩に切り替えて手を放すと腹を抑えながら頬を膨らませたのだった。


「はあ……はあ……女の子に……乱暴は……いけません……ダメ、ゼッタイ」


「あはは……すみません」


 本当ならそういえばそうだっけ、と後付けしたかったが、ここは沈黙した方が得だろう。


 だがそれでも、悪戯をして怒られた幼子のような気分だ。


「ましてアメフト部なんてもってのほかですよ!ぷんぷん」


 ……で、何が言いたいんだ。


 俺は苦笑を浮かべて頭を掻いて、乾いた笑い声も出した。


 俺の暴挙はアメフト部の連中から逃れる為だ。二の句は大体察しがつくが、それだけでは弱い。


 俺は佐々さんの歩調に合わせて進みながらじっと続きを待ち続けた。


「でもエレベーターでは知春君に迷惑を掛けましたから、おあいこです」


 ……ふっ、


 意外と気にしていたのか。こいつに気取られないようにひっそりと小さく笑った。


 変な奴ではあるが、それ以上に誠実な奴なんだな。


 元はと言えば、あのエレベーターでの件は赤の他人の服を汚してしまった責任からだったし。


「そうか……」


 この後も言葉を連ねるつもりだったが、後衛に文化系サークルが控えていたため打ち切る事にした。 

「そこの君!今からでも鉄ちゃんになるのは遅くない!我がサークルへ是非!!」


 ……眼鏡の兄ちゃんが鉄道研究会のチラシを押し付けてきた。


「いやいや、私達漫画アニメ愛好会へ来て下さい!」


 佐々さんと共に新入部員争奪戦に燃え上がる彼等を捌かなくてはならんので、


「じゃ、とりあえずチラシだけいただきます」


「おぉ!君達が来るのを待ってるぜ!!」


「じゃあ私は漫画アニメ愛好会のを1枚」


「有り難う。じっくり考えて下さいね」


 この先輩方は前衛の連中と比べ、自由を与えてくれる。選択する……ね。





 そろそろ人海も突破できるだろうと安堵していた俺達はそこで、興味深い新入生を目の当たりにする事となった。



「そこの渋そうな君!将棋に興味は無いかな?」


 将棋部のお兄さんが勧誘しているのは、切れ長の目に2つに枝分かれした眉毛、そして顎鬚を生やした、戦国武将を髣髴とさせる面構えだった。


「趣味で嗜んでいる程度ですが、あなたには及ばないでしょう」


 下手に出て相手を持ち上げている。式場が近いとは言え喧騒に包まれているにも拘らず、 

2人の世界は固有結界でも展開しているかのように超然としている。


「上手い下手関係なく大歓迎だよ!楽しくやれればいいんだしね」


「そう仰って下さると助かります」


 何か大人びてるよなあ。本当に俺達と同じ新入生なのかと疑いたくなる。


「もしよかったら名前とアドレスを教えてくれないかな?」


「!」


 何だ?


 突然彼の雰囲気が変わったような気がした。


 普段穏やかな川が大雨で氾濫したような。だがそれも気のせいかで片づけてしまう程の、ほんの一瞬の間だった。


「では名前だけ……飛川 桂介ひかわけいすけと申します」


「飛川君だね。君の入部を待ってるよ!」


「はい」


 軽く一礼して将棋部の先輩と別れた。


 飛川さんが俺達に気付いたのはそれから数秒後の事だった。彼と将棋部との会話。その一部始終を目撃していたからだろう。


「おや、君達も新入生かな?」


 先輩に向けていたのと同じ薄い笑みを浮かべながら声を掛けてきた。


 いかにも年上のオーラが全身から吹き出ているため、それに圧倒されて思わず上がってしまう。 

「は、はい!俺……理工学部情報工学科の……ふ、振井玄汰と申します!」


「タメ口で構わんさ。同じ新入生だからな」


 テンパる俺を温かい目で見守りながらほっかほかの温度の返事を返した。


「お初にお目にかかります、飛川殿。それがし、理工学部電気電子工学科佐々百合と申す」


 恐らく、侍をチョイスしたのだろう。出会ったばかりだがほとほとおかしな奴だよな、こいつ。


 飛川さんは思った程気にしていない様子だが、表に出してないだけだろう。


「個性派が出たな……まあいい。俺は―本当は、奔河蛉一ほんがわりゅういちだ」


 偽名なのか!飛川改め奔河さんは内緒だぞ、と念を押すように口元も手で隠しながら声を潜めて暴露した。


 幸いにも先輩は勿論、俺達以外には漏れていないようで何よりだ。


「理工学部建築学科だ。呼び捨てで構わんが、よく奔流と呼ばれているよ」


 どちらかと言えば清流の方がイメージにぴったりだと思うが、どうして逆のイメージなのだろうか。それとも、


「単純に奔河蛉一だから、苗字と名前の頭を取っただけとか?」


「それだけではない。まあ、2つ目はその内解るだろう」


 言葉を濁したか。訳は計り兼ねたが、深追いせずに話題を変えるか。


「奔流の旦那、将棋部に入るんですかい?」 

 今度はヤクザの下っ端か。


 新たにキャラクターのデパート……何か長ったらしいな。


 キャラ姉さん……誰かと被るな。


 キャラ職人…職人じゃなくて変人だしなあ……。


 あ、そうだ!こいつに相応しい渾名が頭を過った。


 そう……ブラックボックスだ!


「いや、彼らの部には入らんよ。一通りチラシを受け取って、更に個人情報にまで手を出してきおった。この二つから……」


 !―まただ。


 奔流さんの纏う空気が冷たく、そして鋭く身を刺すようになる。


 俺もブラックボックスも背筋が寒くなり、硬直した。


「きゃつ等はクラブ・サークル勧誘の者達ではない。そう結論したのだよ」


 何だと?


 クラブ・サークルの関係者ではないのなら、彼等は何者なのだろうか。


 奔子曰く、正規のチラシには大学の配布許可の印が押されている……そうだ。


「今は2年の元同期から情報を貰っていたのだよ。恐らくきゃつ等は新興宗教団体の類に違いない」


 後でこっそりチラシをゴミ箱へぶち込んでおこうかと思案していたが、元浪人生の助言によりその決意が固まった。


「もしその手のきゃつ等と接触したら、俺に教えてくれ。作戦がある」 

 にやりと笑いながらそう言った奔流さんの眼は、妖しい輝きを放っていた。


 恐らくそれは、好手を閃いた棋士の、勝ち誇ったそれだろう。


「ちょっと奥さん、入学式まで35分もありませんわよ!」


 せめて旦那さんと呼んでほしかったよ奥さん。


 それにそれがどうした。たっぷり余裕があるじゃないか。胡散臭い連中が撒いた餌を廃棄処分する、さ。


 ブラックボックスは暴走して単身式場へと独走した。他の奥様に後れを取ってスーパーへ突入するように。


「ならば玄汰君、俺達はゆっくりと行くとしようか」


 それとは対照的に、奔流さんは晩年をまったりと過ごすじいさんのような空気を醸している。


 駄目押しで、縁側で日本庭園をバックに、のどかに一人で将棋を指させてみれば、さぞかし絵になる事だろう。 

 式場に到着すると、どうぞ此処で花見でもして下さいとばかりに咲き誇った桜が鮮やかに、華やかに彩っている。


 馬子にも衣装とはよく言ったものだ、古ぼけた外観や無骨な建造物で味気ない街も、桜の御陰で町の印象が覆った。



 残り30分を腕時計が報せた。俺達が着席している席の一列前には、ブラックボックスの存在が認められた。






 30分後に入学式が幕開けた。


 内容は高校のそれと大差無く、俺の周りでもブラックボックスを含め殆どの新入生が長時間動作がないためスリープモードに入っていた。


 学長もその他諸々のお偉いさん方も取り上げている内容はほぼ同じ。せめて一人ぐらい違う話題を持ち込んできてほしかったものだ。


 隣の奔流さんは同じく、彼等の挨拶に関心が無いそうで、代わりに興味は前の新入生達をバリケードにして読書にのみ向けられている。


「何読んでるんだ?」


 その本はカバーが付けられていてタイトルが分からない。


 周囲を夢から醒まさないように、真面目に静聴している同期の神経に障らないように配慮して、囁き声で訊ねた。 

「「男性・女性心理がおっかないほど解る本」だ。これが中々面白いのさ」


 それにしては笑みに苦みが混ざっているようだが、彼に合わせよう。


「男性には少しばかり手厳しい内容だが、500円で買えるぞ」


 そうだなあ、気が向いたら買ってみるとするか。


 因みに彼が読んでいる項目は「相手の嘘はしっかり見抜ける」だ。


『新入生挨拶。新入生代表、空木蜻奈うつぎせいな


「はい」


 ぶっきらぼうな返事は、彼女が涼しい顔で壇上に上がる前に沸き上がったどよめきに飲み込まれて消えた。


 胸の辺りまで伸ばした漆黒のストレートヘアーが、「クールな女性」という印象をより一層引き立てている。


 挨拶に抑揚は入れているものの、低めの声で今まで経験した学生のそれの中でもいまいち活気に欠ける。


 大概この役を請け負っていたのが爽やか系か体育会系ばかりだったせいだろう。


 彼女が壇上から降りるまでの間、空木さんとやらから一瞥を貰ったが、俺は頭に疑問符を浮かべたまま眉を曇らせた。


 空木蜻奈。彼女のあの挙動の疑問が氷解しないまま、入学式は幕を閉じた。


「なあ、おい見たかよ?美人だったよなあ、新入生代表で挨拶した女子」


「ああ、勿論だ。確か空木蜻奈さんだっけ?」 

「何て言うの?クールっていうか……」


「堂々としてたもんねー憧れちゃうなーあたし」


「そう?何か偉そうな感じがしたし」


 新入生の間でも既に話の話題を独占し、賛否両論だ。


 俺も上っ面だけ見れば囁き合っている連中と同じく彼女の事が頭を支配していた。


 一目惚れ?


 いやいや、そんな漫画や小説のような都合のいい話の筈がない。


「知春君?おーい、知春くーん!」


「反応が無いな……ふむう、空木君か……」


「こちらさゆりさん!知春!応答しろ!知春うううううぅぅぅぅぅぅぅっ!!」


「やかましいわっ!!」


 ゴッ!鈍い音が佐々の脳天で響くと、彼女は頭を押さえて悶えている。


 口をトラブルメーカーと書いた札を貼り付けて塞いでやろうか。


 いや、こいつの為に札なんて使うのも勿体ないから布ガムテープで十分か。


「うう……酷いです知春君。女の子に暴力は駄目って言ったのに……」


「ブラックボックスこと佐々は例外」


「さゆりさんです!ブラックボックスじゃありません!」


「その辺にしておけ。年甲斐も無いぞ君達」 

 奔流さんが仲裁に入り、周囲の揶揄するような視線。


 見下すような眼光に包囲されている事に漸く気付いた。


 初日から自爆してしまったと。





 俺は2時間後にオリエンテーションが行われる連翹キャンパスまでの道を、背に岩でも背負っているみたいにがっくりと項垂れ、たまに溜め息を漏らしながら辿っている。


 今の俺を作った元凶の奇人女と、年齢より外見も性格も老けて見える元一浪生で両脇を固めて。


「連翹キャンパスでオリエンテーションがあると聞いて、ピッチピッチチャプチャプランランラン、とさゆりさん達が蜻蛉返りしてきました」


 意味不明だ。


 数時間前に分析した佐々百合の人となりのデータの信憑性がひび割れてぼろぼろと崩れ始めている。


 ま、それはとりあえず置いといて、現在の天気は青い画用紙に白クレヨンで無作為に塗り付けたが、それでも青と白の面積の比率が大体7と3くらいの晴れ模様である。


「玄汰君達は下宿なのかね?俺は大学から徒歩15分の所に建てられた木造のアパートで下宿しておるよ。南向き2DKで、家賃4.4万円」


 佐々の奇矯な声を激流に流して訊ねた。俺に気を遣って話題を変えてくれたのだと解釈してみる。


「俺も下宿だ。キャンパスから徒歩7分」


「仲間外れですか……がっくり。私は一人でどうすればいいのっ!?」 

 世も末だと言わんばかりに悲劇の主人公になりきっている。


 案ずるな、頑張れという社交辞令の激励くらいは恵んでやる。


 それ以前にキャラの切り替えがあっさりしっかりすっかりできる子だから「頑張れ」はお蔵入りとなるだろう。


「まだ初日だ。焦らず悲観せずに探せばいいさ」


 そっと肩に手を置き、温かい目で温かい言葉を贈った。


 何故だろう、たった一つ上なのに10も20も年上のように映ってしまうのは。


「奔流さんは優しいです……それに比べて知春君は……」


 苛めてばかりです、ってか。


 とんだお門違いだな。

 お前がおかしな言動、行動で引っ掻き回すからだろうが。

 被害者様気取ってんじゃない。


「だが奇妙奇天烈な語調、行動は慎むように。折角仲間を見付けても、敬遠されては本末転倒だからな」


 俺の心を察してくれたのか、そう諭してくれた。


「むぅ……奔流さんどっちの味方なんですかぁ?」


「状況次第で臨機応変に立ち回るさ」


 と薄く笑いながら返事を返した。






 オリエンテーションはA~Rまでのそれぞれのクラスごとに振り分けられて行われた。


 俺と奔流さんはEクラスだが、佐々はJクラス。 

 奔流さんの助言がより重く、現実味を帯びてきた。因みに空木さんはFクラスだ。


 授業のとり方、単位について、大学内でのマナー等の旨が説明された。


 あ、そうそう。サークル選びの注意点で胡散臭い宗教団体がサークルになりすまして勧誘している情報が彼の説明をほぼ忠実になぞっていた。





「ここから先はまた荒れるぞ。本物が参戦してきおるからな」


 ブラックボックスの事か?


 「綺麗な薔薇には棘がある」というが、奴の場合は「希少価値の花には中毒がある」がしっくりくる。


 別に笹百合に毒性は無いが。


「俺の元同期も参戦するぞ……おや、玄汰君。どうしたのかね?」


「いや、別に……」


「もしや、花粉症かね?」


「いや……いや、そうかも知れない」


 駄目だ、もうばれてる。


 鈍い奴は暗喩に気付かないだろうが、俺には奔流さんの言う通り、質の悪い花粉が付着し、ある意味アレルギー症状が出ている。


「ふむ……終年波乱に満ちそうだな」


 その花粉は季節の壁を無視して猛威を振るう。


 いや、前言撤回だ。

 それはある意味でインフルエンザをも凌駕する中毒性を伴うウイルスだ。


 何より厄介なのが、ワクチンも特効薬も実在しない点だ。 

「おお、そうだ。今日俺の部屋へ寄って行かんか?友もできたし、落ち着いた空間でゆっくり話もしたいしな」


 扇子で掌を概ね一定の間隔で叩いていたが、何か閃いたような素振りを見せていたかと思えば、そんなお誘いを持ち掛けてきたのだ。


 俺も下宿だからいざ部屋へ戻ると物寂しくなる。


 だからそれを承諾するのはやぶさかではない……が。


「それじゃあ着替えてからでもいいか?」


「うむ、異議は無い」


 扇子が黒いショルダーバックに戻され、ボールペンとA6サイズのリングノートと交代する。


 30秒以内にペンが止まり、びりびりと破られたページが俺に手渡された。


 その内容は奔流さんが下宿している部屋への簡素な地図であり、連翹キャンパスをスタートに駅やコンビニ等目印になり得そうな建物まで書き込まれている。


「それは俺の部屋へ来る際に持ってきてくれ。それでも個人情報なのでな」


「……用心深いんだな。奔流さん」


「大学生の身の上、用心に越した事は無いさ」


 正論だな。

 慣れない飲酒に夜遊び、新しい友達、一人暮らしと、どれをとっても誰も助けてくれないし、自己責任って奴を背負う事になる。


 俺も気を付けた方がいいな。怪しい連中のカモにされやすい訳だしね。 

「!」


 二人は目を少し見開いた。ハイヒールが床を叩く音がこちらに迫ってくるから。


 それだけではなく、周囲の囁き合う声と、視線が二人に徐々に接近してくるため、との3つ押しで漸く視覚で確認するに至った。


 刹那、足音が止んだ。

 漆黒のストレートヘアーと、ギャラリーの注目を独り占めにしていても崩れない、冷静な顔色には見覚えがあった。


 ぶっきらぼうな新入生代表挨拶という俺達の記憶に新しい話で、盛大の時の人として取り上げられた人物。


「空木……蜻奈……」


 新入生共の視線の集中砲火を受けているせいもあるが、それ以上にきついのが、彼女の纏う空気だ。


 超然としているが、奔流さんとは違い、冷たい。


 彼は人当たりがよく、包容力もある印象を受けたが、彼女はと言えば拒絶の一点張りだ。


「理工学部情報工学科の……振井玄汰だ」


「俺は建築学科の奔河蛉一。皆からは奔流と呼ばれておるよ」


 流石老け学生。空木さん相手でも鷹揚に構えて自己紹介をした。


「そう……私も君と同じ、情報工学科」


 素気ない自己紹介が返ってきた。ギャラリーからは、


「俺も情報工学科だ!」


「俺は違ぇ……」 

等と一喜一憂する声が無秩序に飛び交っている。


「現役で受かったのかね?俺は一浪したが」


「そうよ」


 奔流さんに道を切り開いてもらいながら俺も攻めに転じた。


「俺も現役でここに受かったんだよ。君は実家性?それとも下宿生?」


「下宿生……君は?」


「俺もなんだ。奔流さんも同じ」


「そう……」


 助け舟を出してもらって悪いんだが、はっきり言ってやり辛いです。


 反応は皆無だし、生返事を繰り返すし、人海は荒れ模様だし。


 この人と打ち解けようなど断崖絶壁を登るようなものだ。


 男という単純馬鹿の連中が雁首揃えて設置された舞台はアイドルでもない限り、ただ邪魔なだけだと心の中で愚痴るに違いない。


「あの……盛り上がりませんね……」


「そう?」


 労力を徹底的に省いた受け答えを繰り返すものだから、キャッチボールではなく、球拾いを強いられている。 

「ふむ、思いの外話が長くなってしまったな。失敬」


 手詰まりした俺を庇ったのか、奔流さんが切り上げを提案した。


「それじゃあ、あたしはもう帰るわ……疲れたし」


「うむ。じゃあまた明日会うとしよう、空木君」


「じ……じゃあな……空木さん」


 奔流さんが丁寧に御辞儀をすると、俺も流れに巻き込まれて同じ動作をする。


 オリジナルと違いぎこちなかったのはどうか勘弁してくれ。


 2人が踵を返すと、空木さんは俺達とは逆方向へ歩き始めた。


 彼女が名残惜しげに背中を一瞥したのは、俺達の知る由もなかった。


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