LIVE.15 大国 霊人、『次元の扉』を封鎖する。
ドスの効いた重低音の声が、絶界に響く。
漆黒の軍服の男は、右目に黒革の眼帯をつけていた。
太い眉の下で、鋭い眼光を放つ瞳は、前髪に隠れて見えない。
額には大きな十字の傷があった。
がっしりとした体格で、その両腕は丸太のように太い。
鍛えられた四肢が、漆黒の軍服に凹凸を作っている。
霊人の付き人、というより、同等の立場にある戦友のような振る舞いをするその大男は、腰に2本の剣を差し、銃を携えていた。
「やるさぁ。
今頃、地上では本殿が焼き払われちゃってるだろうし」
「……」
銀髪があっけらかんと言うと、
軍服の男は、腹を抉られたような苦しそうな顔をした。
「そんな顔をするなよ。
式神たちだって、頑張ってくれてたんだ。
ーーまあ、やるしかないよね。
全く、“こいつ”を匿うのにも限界があるよ」
ふふ、と霊人は苦笑する。
「ねぇ? 『神剣 神楽』」
扉の前の祭壇に立てかけた大振りの剣を手に取り、くるりと回す。
霊人の身丈ほどある剣の刀身は、
奇妙な形をしていた。
その剣は太く、そして透明だった。
片側は弧を描いていて、何本もの切り込みが施され、その切っ先は尖っている。
先の方には大振りのオーロラ色をした水晶が埋め込まれていて、梵字が、刃先に沿ってびっしりと刻まれている。
ーーそれはちょうど、何かの鍵のような形をしていた。
刀身の柄の近くは何故か盛り上がっており、
それを隠すように、何枚もの護符が貼ってある。
霊人が楽しそうに回転させる度に、その剣は、風の抵抗を受けて、ヒュウウンと哭いた。
「ねぇ?
我らが社である大国神社の本殿で守護してきた『神剣 神楽』、
これを守るために、僕たち大国家は、古からずっとその血を“絶やさずに”存続してきたんだ」
2メートルはある剣をまるで木の棒でもあやすように回す。
簡単にやってのけているが、20キロはあると言われているそれを弄ぶなど、
常人では到底不可能な所業だ。
「大国の正統後継者のみが、この『神剣 神楽』を継承でき、
その神力を操り、
『鍵』として覚醒させることができるんだ。
ーーだよね?」
霊人はそう言って、剣舞でも舞うかのようにぶわりと風を起こしてその場で一回転してみせた。
「その通りだ。だが、その為にはッ」
霊人の態度に、男はやりきれないといった表情で叫ぶ。
二人の間には、明らかな感情の温度差がある。
「うん、ーー僕の魂を献上しなければならない」
その言葉に、軍服姿の大男は低い唸り声にも似た溜息をついた。
「霊人が、死ぬ事になるんだぞ?」
「理解しているよ。
もう、君は昔から心配性だなあ、そういうとこ嫌いじゃないんだけど」
言って、ひゅ、と神剣を振り下ろして風を切り、微笑む。
「話を逸らすんじゃない!」
「お堅いなあ、もう。
この朴念仁。モテないよ?」
言われて、眼帯軍服男は大きく舌打ちをした。
「大丈夫さ、分かっているよ」
霊人はそう言って『神剣 神楽』に埋め込まれた水晶に映る自分の顔を覗き込んだ。
「――なぁ?
2310年、地球から異次元にしか『流れ』が認められていない『次元の扉』が、逆流を許してしまった。
それが第一次異次元戦争のトリガーだったってね」
「ああ」
眼帯の男は、霊人に短い相槌を打つ。
霊人は微笑んで続ける。
「本来ならば、この扉は地球から向こう側に行く事しかできないように“創られて”いたんだ。
なのに、何故かその理が、破られてしまった。
かといって、その『流れ』を止めるために、扉を封鎖する事なんて許されない。
異次元には、僕達とは違う次元の『異界』は勿論『死界』も含まれるからね。
人が死ねなくなってしまう。
ーーそれはおおごとだ。
ーーーーねぇ? おおごとなんだよ」
流暢にそこまで喋りきると、もう一度、手悪さでもするかのように『神剣 神楽』をひと振りした。
まるで子供の玩具扱いである。
「まあ、僕も君も本当に死んだ後どうなるかなんて知らないけれど、ね?」
心底愉快そうに、からから、と笑う
。
齢35になるというのに、この霊人という男の態度からは、年相応の老いを全く感じない。
老化を感じ取れるというファクターがあるなら、
せいぜい、霊人の目尻のシワが笑った時にくしゃりと寄る所くらいだ。
霊人は、祭壇に寄りかかるようにして体を預け、言葉を続ける。
「『神剣 神楽』は、鍵としては、ずっとお飾りだったんだ。
まあ、ちゃんと役目は果たしてはいたけれどね。
ちょいちょい異人が侵入してきた時に、それを『悪魔』として祓ったりする神具として、とかね。
だってホラ、元来、必要とされない鍵だし。
この扉が閉められた事は“創世記以来ない”はずだ。
そうだよね?
時空のモリビト、リラ・クロノス?」
霊人の視線の先には、いつからいたのか、
金髪を自分の足首まで伸ばした女が一人いた。
裸足で佇んでいる女に、強面の軍服男の顔が一瞬、綻んだ。
「……霊人様」
リラ・クロノスと呼ばれたその女は、
ベビーフェイスの可愛らしい顔をしていた。
左耳のあたりに、大きな鬼血石をあしらった冠をつけていた。
ラヴェンダー色をしたドレスをふわふわと遊ばせて、
二人の男の元に歩み寄ってくる。
ドレスと同じ色のヴェールが彼女の後に続いて揺れる様が儚い。
銀色の瞳を覆う双眸は物憂げに伏せられてる。
薄い桜色をした小さな唇は、微かに震えていた。
女神、その言葉が具現化するなら、こんな感じだろう。
「今宵も相変わらず、おしゃべりなものですね。
大国の神剣遣いの霊人様」
こつ、と大理石の床を叩く錫杖のヘッドには、赤子の頭の大きさ程の水晶が光を受けて球体の深い所で輝いていた。
錫杖から垂れる金属の装飾具は、
どこか切なげな和音を奏でている。
「霊人様に、フルネームで呼ばれるなんて、何年ぶりかしら?」
少しだけ頬を染めて、リラは微笑んだ。
「はは、そうだね、リラ、リラ、うん、やっぱりこっちの方が馴染むな」
霊人はリラに跪いて、その小さく細長い手にくちづけを落とした。
続いて、軍服の男も恭しく、そしてどこかたどたどしく、くちづけを落とす。
「 いつもそうやって私をからかうんですから。
貴方様のお戯れが、気の遠くなるほどの長い間、私の胸の高鳴りの引き金になるのだと、ご自覚がおありなのかしら?」
挨拶をされた手を、するりと錫杖に添わせると、リラはまるで宙を飛んでいるかのような軽い足取りで、祭壇の正面に移動した。
真珠のような白い肌が、大理石の上を音もなく滑る。
「ーー時が、来てしまいましたわ」
霊人たちに背中を向けたリラの呟きは、芯が通っているのに、どうにかしたらぼきりと折れてしまいそうな危うさがあった。
『神剣 神楽』を握る霊人の手に、ぐ、と力がこもる。
その気配を汲んで、リラは、天を仰いだ。
足元まである金髪が床に寝そべって揺れた。
「10年前、この扉が異次元からの本格的な侵略を受けました。
私では手に負えず、霊人様をお呼びし『神剣 神楽』を使って、一時的にその『次元の歪み』を修復しました。
その時に侵略を許してしまった異人たちは、未だに地球人の脅威として地上でその権力を奮っています。
そして、その時に修復した歪みが、また広がり始めています。
ーーほら、あそこも」
そう言って、リラは天を見上げた。
自然に、男二人は彼女の視線を追う。
はるか高い天空までそびえる『次元の扉』の右上あたりに、どす黒い閃光がバチバチと光っていた。
「あれかぁ、ひどいね~。
わぁ、すごい……、こっちに来たがってるなぁ」
見上げたまま、ぽんやりと言う霊人。
「また呑気な」
軍服男が呆れた声を出した。
「まあまあ、なんとかするからさ」
と、霊人。
「霊人の“なんとかする”は、毎度毎度、加減と容赦がなさすぎる!」
「だから、“なんとかする”んだろ?何、言ってんだ」
至極当然という顔をされて、男は言葉を失った 。
「だ、だからと言っても、
やはり、『次元の扉』を完全封鎖するというのはあまりにも行き過ぎだ!!」
今日一番の大声が、眼帯男から発せられる。
霊人は、間髪入れず、
「誰かが、やらないといけない」
と答えた。
こつんと、霊人の履物が大理石を叩く。
霊人は祭壇に歩み寄っていく。
眼帯の男は、銀髪の式服を視線で追った。
「しかし、霊人ッッ」
「そしてね、そういうのは、勝手な使命感を背負った馬鹿がやると、相場が決まっている」
「お前はいつもそうだッ!
簡単に身投げをする!それに」
大男はチラリとリラに視線を移した。
リラは、二人に背中を向けたままで動かない。
「……ああ、そうだね。
リラにも、苦労をかけてしまう事になるけれど」
その瞬間、霊人が宿した妖しげな眼光に、軍服の男はもう一度、言葉を失う。
いつだって、この霊人という男は、本音と思惑を口に出すことをよしとしない。
軍服男は、自分の掌の皮膚が裂ける位強く拳を握りこんだ。
自分にはできない所業をやってのける霊人が、恨めしいとでも言うように、ぎりと歯ぎしりをした。
包帯を巻いている手の平にドス赤いシミが出来ていく。
「くそ」と小さく呻いて、男は言葉を紡ぐことをやめた。
「僕が10年前に『次元の歪み』を修復して、
消耗した自分の力を貯めるのに10年かかった。
また10年前と同じ事をした所で、
これから10年後に歪みができる事は、猿でも予想できるリアルだ。
ーーそして、それが今回の規模以上でない根拠なんて、どこにもない。
これでは、イタチゴッコだ。
どこかで止めねばならないんだよ。
完全に、あいつらを一掃させなければ、未来永劫、地球は異界の侵入に恐れ戦かなければならない」
そう言って、霊人は床に置いていた烏帽子を被った。
その動作の気配に、リラは視線だけを霊人に寄越す。
「異人無双の神剣遣いと名高い貴方が、どうして……どうして……ッ」
リラの言葉は続かない。
ヴェールの装飾具が、持ち主の頭が垂れた重みを受けて、シャラリと細い音を立てた。
時空のモリビトは、声を殺して泣いていた。
「リラ」
霊人は、甘くその名前を呼ぶ。
愛おしそうに、熱を孕んだその声に、そばで見ている男は固唾を飲む。
軍服の男は、二人を見守ることしかできない己の居心地の悪さに耐えている。
「泣かないで、リラ」
「ごめんなさい、霊人様が一番お辛いのに」
「はは、そうだね。
リラに泣かれるのはキツイかなぁ」
「また、はぐらかしてっ!」
リラに近づく事も触れることなく、霊人は声だけをかけ続ける。
「リラ、ごめんね。神族である君をこんなに悲しませてしまったら、僕は冥府で、神様におしおきされてしまうかな」
「そんな事っ」
振り返るリラの白銀の瞳に、
困り顔の霊人の顔が映る。
女神の瞳からは涙がどんどん溢れて、彼女の視界が霞んでいった。
霊人は、リラに近づくのを恐れているかのように、一定の距離を保っていた。
ーーリラはよく理解していた。
霊人は、いつものように穏やかだが、
同時に、いつもよりも彼と自分の間の距離が遠い事、そしてそれは意図的なものである事をーー。
「ご冗談は、おやめください」
とめどなく溢れる涙は、彼女の童顔で丸みのある顎先で、数滴溜まってから、大きな雫になり、落ちて弾けた。
霊人は、琥珀色をした瞳を潤ませ、色素のうすい眉をへの字にした。
「負担をかけてしまうね?」
伸ばされる右手は、リラに届かない。
何かを断ち切るかのように、ゆっくりと霊人は自らの手を引いた。
「いいのです。貴方様に力添えができて、光栄です。
どうせ、ッ止めても聞かないですから」
一度瞬きをしたリラの瞳は、迷いのない真っ直ぐな光を宿していた。
白銀の澄み切ったそれに、霊人は慈しみの表情を浮かべて応える。
金髪の銀の瞳の女と、銀髪の黄金の眼をした男は、呼吸を合わせるように深呼吸をして頷き合った。
「ああ、ーー始まる」と軍服の男は三人の前に静かに存在する、『次元の扉』を見上げ、もう一度だけ固唾を飲んだ。




