第15話 「ディオプトリー」
俺の意気地なし。
いや、違うな。
ジョニーの無能!!
気まずいながらも夕食の後片付けを手伝い、昨日泊めてもらった部屋に引っ込んだ。
あんな事があったが、俺を下宿させると言うスファレの意思は変わらなかったようだ。
ダワーの事も――今度スファレの居ない時にでも話を聞いてみよう。
部屋の片隅、譲ってもらったドワーフウッドの板に彫刻刀を当てる。
考えが纏まらない時は、とりあえず手を動かせ。
誰が言ったか、そんな言葉が思い出されたのだ。
「クッ……硬! この木、本当に硬いな」
親方の言っていたことを思い出す。
100年保つ木と言うのは伊達じゃないようだ。
彫刻刀に力を込めるも、表面を少し削りとる程度で全然進まない。
「目標の形の為にはこの板を貫通させなきゃいけないのに……」
思い描く完成形には大きな穴が2つ開いているのだ。
そう、メガネのフレームを作ろうとしている。
だが、このペースだと、どれだけの時間がかかるのか想像もつかない。
想像は出来ないが演算出来てしまった。
削り続けて60時間程で完成するようだ。
知りたくなかった。
「あ、そうだ」
俺はポケットにしまったスマホを取り出すと【モノリス】を起動させた。
木工が楽になる職業が有るのではないかと考えたからだ。
★ジョブ
・取得済
眼鏡士:LvMAX
└オプトメトリスト:Lv1
戦士:Lv3
教師:Lv3
ひも:Lv3
合気道:Lv3
水泳:Lv3
いつの間にかジョブLvが上がっていた。
「今日した事と言えば……冒険者認定試験で魔物を倒した位か? でも、告知が無いってのは不便だな」
Lvの上限も分からない。眼鏡士が初めからMAXだったので、湾曲術のLv5を考えると、5の倍数では有りそうなのだが。その辺はまだ漠然としている。
「しかし……なぜだ?」
俺の視線はモノリスの右上、MGの表記へ向いている。
「33MGって事は……全く増えて無いって事だよな」
昨日と全く変わらないMGを見つめて呟く。
フィールドの魔物じゃないと駄目なのだろうか?
それとも、魔物が弱すぎたせいなのだろうか?
「ま、考えても仕方ないか」
とりあえずは棚に上げておくことにする。
今は木工の職業を探すことにした。
沢山有りすぎて苦労すると思いきや、意外にも直ぐに見つかった。
と言うか、モノリスが見つけてくれた。
昨日は気付かなかったが、MGの記載されている直ぐ下に虫眼鏡のマークが有ったのだ。
つまり、職業検索が出来るみたいだ。
俺は検索項目に【木工】と入力し確定ボタンを押した。
職人(10)
大工(10)
彫刻家(10)
美術(10)
意外と多い。
どんな基準でヒットしているのか分からない分、全部が木工に関係あると、安易に考えないほうが良いだろう。
だが、これは馴れると便利な機能となりそうだ。
今度、色々試してみよう。
取り敢えず、今は何のジョブを取るか。
ポイントの関係上、全てを取ることは出来ない。
そして、元の世界に帰る為にも、出来るだけ節約した方が良いと思えた。
「最後のは、部活動の乗りだろうから除外するとして……職人も、何の職人なのか漠然としているから除外か」
なら大工と彫刻家になるのだが――。
「ま、普通に考えたら彫刻家だよな」
彫刻家をタップする。
瞬間ポイントが10減少した。
「さて、特性スキルを確認するか」
☆特性スキル
湾曲術:Lv7
演算術:Lv6
交渉術:Lv4
剣術:Lv4
槍術:Lv2
斧術:Lv2
鞭:Lv2
指導術:Lv2
性欲:Lv2
合気術Lv2
呼吸術Lv4
水耐性Lv2
空間造形術Lv1
彫込術Lv1
前回Lv1だったスキルが軒並みLv2になっている。
これはジョブLvが上がった結果と見ていいだろう。
問題はジョブLv2で上がったのかLv3で上がったのかと言うことだ。
さて、なぜか湾曲術が上がっていた。
彫刻家に付いてきたんだろうが、一体何に使うというのだろう。
空間造形術ってのと関係あるのかな?
彫込術、これは石でも木でも関係ないのだろうか。
とにかく実践してみるしかない。
それにしても、湾曲術ばかり伸びても困るのだが……。
ほら、ショートソード曲げた位でしか使ってないし。
ラビアン戦で湾曲術を初めて使った時は「スゲー!」と思ったが、今考えると何とも微妙なスキルだ。
僅かな力で金属疲労なしで曲げれると言うのは、眼鏡士として非常にメリットが有るのだが……Lvが上がった所で何が出来ると言うんだろうか。
「いずれは運命も捻じ曲げれるよになったりして? さすがに中二病こじらせすぎか?」
「ほぉ。おもろい事考えるや無いか。ありえへんとは言えんで?」
「いやいや、無いだろ~。見えないものをどうやって曲げろって言うんだよ」
「そりゃおまえ。見えるようにするのが眼鏡士の仕事なんやろ?」
「見える物しか見えるように出来ねー……って、え?」
「なんや?」
俺の後ろに小さなオッサンが飛んでた。
「げええ! ルガシコイン!?」
「なんで〝げええ〟やねん!」
驚いた。
振り向いた時、金髪をハゲちらかしたオッサンが覗きこんでたら誰でも驚く。
しかも宴会芸でもやっていたのか、鼻にはピーナッツを詰め込んでいる。
「って、なんでいるんだよ」
「ふんっ。そりゃお前、ヘタレに喝入れたろおもてやな」
何だそれは。
俺は訝しんで、ルガシコインを見据える。
「ええか? 据え膳ゆう言葉があってやな? 女の子がわざわざ裸で私を食べてって言うてる時……っちょ、おい。何でワシの頭掴むねん! こら、窓空けて何するき――」
「覗いてんじゃねーー!!」全力で投げた。
「大リーグボーー……!!」星になった。
まったく、あのエロオヤジ。
俺とスファレの入浴を覗いていたに違いない。
「一体どっから、覗いてたんだよ……」
「そりゃお前、妖精さんなめたらあかんで?」
「戻ってくるのはええよ!」
ほぼ無傷のルガシコインが、窓に向けてぼやいた俺の背後にいた。
「信じてくれたら空だって飛べるんやで?」
「信じねえよ! どこの三代目怪盗だよ! 既に飛んでるよ!」
「あ、でも湖の水飲み干すんは勘弁な。青臭いのあかんねん」
「誰も頼ま……く!」
俺は突っ込みたい意思を、下唇を噛む事で耐えた。
「で……結局何しに来たんだよ」
このまま延々とボケ続けられてもたまらない。
何とか本題を済ませてもらって、早急にお引き取り願おう。
「そりゃお前据え膳――」
「それは! ――さっき、聞いた」
「なんや、つれないやっちゃなー」
唇を尖らせて、空中の小石を蹴っているルガシコインを睨みつける。
風呂のぞきだけで万死に値するのだが、ここで処刑してしまっては、何のために出てきたのか聞くことが出来なくなってしまう。
だから、俺はルガシコインの言葉を黙って待つことにした。
「――おもんな」
ルガシコインは軽いため息を一つ。
俺の持つ板を指さしながら発した言葉は、驚くべき物だった。
「それ……〝メガネ〟作るきなんやろ?」
「ああ」
何とか、驚きを顔に出さずに返事をする。
今は全くの板なのだが、これを削ってメガネのフレームを作ろうとしていたのだ。
だが、なんでわかったんだ?
「なんや、不思議そうやな? なら覚えとき」
腕を組みふんぞり返るルガシコイン。
「ルガシコインは何でもしっとる! 隣の家のオカズから、あの子の今日の下着まッブベシ!」
ただの覗き魔をハエたたき宜しくはたき落とした。
「あたた……あかん、まちごうた。あの子のホクロの数から、生理の周期まッブップシ!」
お巡りさん、こいつです。
「ぐっっっぎゃぁぁぁぁぁあああああ~~~!!!」
床にへばり付くルガシコインが奇声を発しながら転げまわりだす。
「お゛お゛あ゛あ゛あ゛! 臭っ!! くっっっさ!! 鼻が……鼻がもげるーー!!」
よく見ると、二度目のハエたたきで、鼻に詰めたピーナッツがとれてしまったようだ。
「おいおい、そこまで臭いか?」
いや、臭いのか……俺も一度意識を失ったんだった。
「あはりまえや! おまへはなは、おかしいんちゃうか!?」
鼻を摘みながら話されても良くわからない。
俺が苦笑いするのを悔しそうに睨みつけ、指を二本突き出す。
「ピース?」
「二日や!」
意味が分からず、二日? と、オウム返しのように聞き返す。
「そのメガネ、今夜含めて二日でしあげえ」
「は? 何で、お前にそんな事言われなきゃいけないんだ?」
「知らん! いや、知っとるが教えん! とにかくワシはゆうたからな! 後二日でメガネつくらな〝村が滅ぶ!〟ええか! 忘れるなよ!」
そう言うとルガシコインはフラフラと飛び上がり俺に背を向ける。
「お、おい!? 説明しろよ!」
「おう゛ぇぇ……ほんまこの匂いかなわん! あいつも滅多なもん残して逝きおって……」
背中に手をのばす俺を無視し、指をパチリと鳴らしてルガシコインは煙のように消えた。
「クソッ、また突然消えちまいやがった」
なんなんだ? 突然現れたと思ったらメガネを急いで作れだって?
そして、作らなきゃ村が滅ぶってどういうことだ?
俺は直ぐにスマホでルガシコインにコールする。
だが、帰ってくるのは血の通わない音声ガイダンスだけだった。
■◇■◇■
「さて、今日はディオプトリーに付いて教えようと思う」
「ハ、ハイ!」
少しぎこちないが、スファレのしっかりとした返事を聞き、俺の眠気も幾分和らぐ。
昨日、ルガシコインが消えてから俺はフレーム作りを再開した。
彫刻術の効果は絶大で、気持ちいいくらいにドワーフウッドが削れてくれたのだ。
そのせいか、調子にのって朝方まで作業をしてしまった……やはりまだ眠い。
言っておくが、断じてルガシコインの意味深な言葉のせいではない。
「先生……大丈夫ですか? 目の下にクマが……」
「あ、ああ。気にしないでくれ」
あくびを噛みころす俺を、スファレが心配そうに見上げてくる。
「あ、あの……もしかして私のせいでしたら――」
「いや、違うんだ。本当に、気にしないでくれ」
風呂での事、スファレの中でも色々あるのだろう。
少しシュンとした空気になってしまった。
「本当に、気にしないでくれ。じゃ、じゃあ早速始めよう」
「……ハイ」
何か言いたそうだが、ここは強引に進めさせてもらおう。
あの時の事は、俺自身もまだ整理がついていないのだ。
「スファレ、算数……で通じるのかな? 足し算や引き算は出来る?」
「はい、魔術学院で基本的な算用は習いますのである程度は大丈夫です。乗算や除算も習っています」
その言葉で安心した。
このディオプターと言うのは、最低限小学生並の算数が出来ないと理解できないのだ。
しかし、メートル法と四則演算、この2つが揃うなら教えるのはとても楽になったと言える。
「良かった。なら今から授業もきっと理解出来るはずだ。眼鏡士が習得しなきゃいけない学問の中で一番重要な光学。その光学の中で幾何光学と言うのがある」
本来、波動性を持つ光を〝線〟として考える光学だ。
眼鏡士の初歩としては、こっちの方が理解しやすいだろう。
俺の言葉に合わせて、羊皮紙の上で羽ペンが踊る。
本当に目が見えない間、勉強か読書しかしてこなかったみたいに、その字はとてもキレイに書かれていると分かった。
読めないけど。
「幾何光学は、本来の光の性質を色々省略してると思ってくれ。光は一定の方向性を持ち、直進し、反射し、屈折するものなんだけど。ディオプトリーってのは、その屈折させる力の単位なんだ」
手元の羊皮紙に簡単なイラストを書く。
凸レンズを描き、その中を直線の光に通過させる。
そして、通過した少し先に収束させた。
「昨日、ピントの話をしたよね?」
「ハイ、覚えてます」
「ディオプトリーは1÷ピントの距離で表される」
「え?」
スファレがたったそれだけなのか、とでも言いたそうな、少し呆けた顔をする。
そう、たったそれだけなのだ。
イラストに書いた凸レンズを指しながら続ける。
「例えば、このレンズは1メートル先にピントを結んだとする。ならこのレンズのDは1÷1で1Dとなるんだ」
次に、凹レンズのイラストを書き、先ほどのように線を通過させ、発散させる。その後、入射側にピントを結ばせた。
「さて、この絵のようにピントがさっきの逆に来る事もある」
「先生、これもピントなのですか?」
鋭い。
俺はスファレに教えたのは【キレイに見える所がピント】だ。
なら、今イラストに書かれているのは見えない所なんじゃないのかと言うことなんだろう。
「これもピントだ」
押し切った。
「この場合、目には見えない。だが、その距離に発散する光源を持ってきた時、通過した光は真っ直ぐな光になる。さっきとは全くの逆のパターンだからマイナスのピントとでも言おうか」
「マイナスのピント……」
「だから通常の、光を集める方はプラスのピントと言おう」
「光の通過……マイナスとプラス……」
「そう、プラスのピントを作るプラスのD。マイナスのピントを作るマイナスのDが有るんだ」
スファレが俺の説明を自分なりに書き留めていく。
描かれるイラストは俺よりもキレイだった。
「あの! 先生!」
何か閃いたのか、羊皮紙から勢い良く頭を上げた。
その目は大きく見開かれ、顔はやや上気している。
「つまり、ピントが1メートル先に有る人の目は、プラスの1Dを持っているから、マイナスの1Dを加える事で、その……ピントが遠くに行くということでしょうか?」
いつの間に模写していたのか、俺が以前書いた眼球の断面図を指差し説明してくる。
なんという事でしょう。
おい、そこまで教えた覚えはないぞ。
◆ディープトリー
一般的には、眼科による処方箋などでしか触れることが無い。
例えば、処方箋にS-4.00Dと記入されていたら
その人のピントの位置は
4=1÷距離xで0.25メートル
眼前25センチ付近と言うことが分かる。