第14話 「遠視」
俺はシュヴァイク邸で、2日ぶりの風呂を堪能していた。
すると、木戸の向こうから、背中を流すと言うスファレの声。
俺の動揺など気にもとめず、分厚いローブを脱ぎ捨てる音が聞こえる。
おいおい、何でこんな事になってるんだ!?
俺のラノベ脳が告げている。
どうせ水着か下着を付けてだ。
そんなに構える事はない、と。
ほら、その証拠に脱ぎ捨ててから、少し間が開いている。
きっと水着に着替えているんだ、そうに違いない。
「――失礼します」
スファレが浴室に入ってくる。
「――ブッフオッ!!」
手ぬぐいだけでした!
申し訳程度に、胸と下半身を2枚の手ぬぐいで隠し、スファレが顔を赤らめている。
手間取っていたのはこれが原因か!
余りの事実に、盛大に浴槽で滑り、お湯を飲んで盛大にむせてしまった。
「ス、スファレ、さん? あの、恥ずかしくは無いのですか?」
変な敬語で、俺は率直に疑問をぶつける。
だが視線は外せない。
モッチリとした白い肌に俺の目は釘付けだ。
手ぬぐいが短いのか、2つの膨らみにめり込んで大切な場所を何とか隠している。
上下に溢れるそれは、今にもこぼれ落ちそう。
下半身を隠すにも、その布は面積が少なすぎだ。
結び目がスリットの様な役目をし、角度が悪ければスファレの花園が見えてしまいそうではないか!
手ぬぐいは白い肌に溶け込み、浴室の湯気のなか、ボンヤリとした視界で見ると……まるで全裸だ。
まるで、全裸、だ。
やはり恥ずかしいのか、両腕を胸の前でくみ、太ももをこすりあわせてモジモジしている。
「えっと……先生も、メガネを外されてるんですよね?」
「あ、ああ。外してる……」
「なら、大丈夫です。先生も私と同じように見えてないでしょうから……あまり、恥ずかしくないです」
そう行って、ホッと一息。肩の力も抜けたのか、表情が柔らかくなる。
いや……。
普通に見えてますけどね?
俺、普段メガネは掛けてるけど、遠視性乱視と不同視の合わせ技なだけだからね?
つまり、俺はメガネが無くても視力は1.0以上でるのである。
その事実を伝えるべきなのか……それとも隠すべきなのか……。
口で言うほど恥ずかしさが抜けた訳ではないのか。
風呂いすに掛け、ぎこちなく桶に湯をすくうと、その玉肌を洗い流す。
「!! ッゲッブッハ!! ゲホッ!!」
「せ、先生? さっきから大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫! き、気にしなでいいから!」
言えない。
水に濡れて手ぬぐいが透けてるなんて言えない!
だめだ! もう耐えられない!
俺は勿体無いが、意を決して、浴槽から出る事にする。
「スファレ、俺ちょっとのぼせたみたいだから先に出るね!」
俺のヘタレ! おたんちん!
もう一人の俺が、全力で逃げ出す俺を罵倒する。
無理だって! だって女の子の裸だぞ? 正直どんな顔したらいいのかわからないよ!
「ま、まって、下さい」
浴槽からほうほうの体で這い出し、手ぬぐいで大事な所を隠して退散しようとした俺を、スファレが引き止めた。
俺の、大切な手ぬぐいを、摘んで!
「ス、スファレさん!?」
やめて、とれちゃう! でも、そんなことは言えない。
俺はスファレの先生なんだから! あれ、関係ないか?
「お願いします、まってください……背中だけ……流させて下さい」
どこか、必死さを感じるスファレの声が、動揺のピークを超えて、むしろ悟りを開きそうな俺の足を止めた。
「お願いします……」
こんな状況でも、俺は自分の下半身を確認する。
よし、俺のジョニーはまだ大人しい。
なぜか大人しい。
どうしたんだ、ジョニー?
だが、今はそれが良かった。
もしジョニーがファイティングポーズをとっていたら、俺は振り向くことすら出来なかったのだろうから。
「わ、わかったよ……背中だけなら何とか」
「あ、ありがとうございます!」
スファレの顔に満開の花が咲く。
何でそんなに嬉しいのだろうか。
勇気を出して背中を流しに来たのに、それをスルーされそうになったからだろうか。
「それじゃあ、先生、どうぞ座って下さい」
そう言って、さっきまでスファレが座っていた、風呂いすを空けてくれた。
「あ、ああ」
浴室はそんなに広く無い。
スファレと入れ替わる際。
アングル的にどうしてもスファレの胸に目が奪われる。
先ほど掛け流したお湯が、胸の谷間で水たまりを作っていた。
「先生?」
「あ、ああ。ごめん。よっと……それじゃあ、お願いします」
「はい」
風呂いすは少し生暖かった。
これがスファレの体温か……さっきまで少女のお尻が乗っていた所に、今は俺のお尻がある。
童貞の俺には経験したことのない、なんとも言えない感慨深さ。
「それじゃあ、洗いますね?」
そう言って、俺の後ろで布をこすり合わせる音。
「そう言えば、石鹸とか有るんだっけ?」
「石鹸ですか? 有りますよ」
何か黄色味かかった棒状の物が、後ろから差し出され、俺の顔に近づけられる。
ちょっと、近過ぎる。
「なにこれ……?」
「なにって、石鹸ですけど」
これが石鹸なのか……子供の腕より少し細い位の棒だ。
浴槽を洗う道具か何かだと思っていた。
「変わった、形なんだね」
「そうですかね? うちではずっとこれでしたから……」
おばあちゃんのお手製なんですと続け、石鹸に手ぬぐいを被せて上下に擦って泡立てる。
なかなか泡立たないのか、何度も何度も何度も。
次第に、棒が白い泡で覆われだし、その泡を先端に集めてすくい取る。
おい、わざとか? わざとだろう。
目の前でそんな卑猥な事をして、俺を試してるんだろう!
なあ、ジョニー?
…………ジョニー?
十分に泡だったのか、スファレは俺の背中を洗い始めた。
俺は複雑な心境だ……あれか、緊張によってどうにかなるってあれなんだろうか?
「先生、気持ち良いですか?」
「あ、ああ。ありがとう」
「よかったです、先生の背中……大きいんですね」
「そうかな? 自分ではよく、分からないや」
むしろ狭い方だろうとさえ思う。
「いえ……大きいです。とっても、とっても」
まるで何かを思い出すかのように、呟くようなスファレの声が浴室に響く。
「先生、私、先生に謝らなくちゃいけないんです」
突然、スファレの口から、真剣な口調で言葉が飛び出す。
「ん? 謝る? なんで?」
顔は見えないが、声はやや暗く聞こえる。
さっきの、痴態に対するお詫びなら受けるぞ?
「今日、先生が他の冒険者さんに冷たくされて……先生が何もしないのを咎めるような事を言ってしまいました……」
ああ、その事か。
たしかに、スファレに泣きつかれるのは精神的にこたえたが。
「でも、あれは俺も悪かったわけで――」
「……違うんです」
スファレの絞りだす様な声が言葉を遮る。
「違ったんです、先生が冷たくされたのは……私のせいだったんです」
スファレの声はとても暗く、今にも泣き出しそうな、そんな声だった。
「おかしいなって、思った時期もあったんです。目が殆ど見えなくて、困ってる時はいつも誰かが助けてくれて」
スファレの背中を洗う手が止まる。
「でも、いつも助けてくれるのは同じ匂いの人達だったんです。何度も、何度も助けてくれる人はすぐに匂いを覚えました……」
ああ、なるほど……スファレは、気付いたのか。
「そして今朝、先生に冷たい視線が送られるのを見ました。最初は半信半疑でしたが、先生を迎えに行った時に、確信したんです」
この村の――スファレに対する――歪んだ愛情に。
「先生に冷たい視線を送ったのは……先生を〝襲った〟のは、いつも、私を助けてくれる、人達でした!」
スファレの声に嗚咽が混ざる。
背中には額が当たる感覚。
「私は恥ずかしい! 自分の、目が、見えないのが、こんなにも周りに迷惑をかけてたなんて!」
心の叫びが、泣きながらも、しっかりとした言葉で思いを吐露している。
「そして、見えるようにしてくれた、先生にまで! 迷惑をかけるなんて!」
まあ、俺は迷惑を受けたって気持ちはないんだがな。
襲われたって感じもないし。でも、それじゃあスファレは納得しないのだろう。
こんな時、どんな言葉が彼女を救える? なあ、ラノベ脳。
「スファレ――いいかな?」
背中で、嗚咽を漏らすスファレが頷く。
俺は軽く深呼吸して、言葉を選ぶ。
「――別にいーんじゃね?」
「……え?」
俺の、余りにも軽い言葉に、スファレが驚きの声をあげた。
俺は……別に驚かない。
この答えはずっと前から決めていた事なのだから。
「別に、いいんだよ。気にしなくて」
「そんな……そんな訳!」
「そんな訳、あるんだ。冒険者達は好きでスファレを助けてたんだから」
英雄願望と言う言葉がある。
男が持ちやすい自己顕示欲の1つの形だ。
当然、俺も持っている。
昼に言った言葉を忘れたわけじゃない。
誰しも、周りから評価されたいという願望がある。
特に冒険者と言う人間は、その辺りが強く現れるのだろう。
ダワーがこの村の薬師なのも関係あるかな?
そしてスファレの境遇。
スファレが可愛いのも十分理由になる。
とにかく、
「彼らは、スファレを救うことで、それなりの満足を得ていたんだよ」
「でも、先生にまで迷惑が!」
頭が離れ、手ぬぐいに力が込められる。
「別に気にすること無いさ。少し度が過ぎただけで、根底には善意が有ったはずだ。なら、実害がない以上彼らを責める必要は無い」
「責める……」
「それとも、スファレは冒険者達に、もう私に関わるなって言うのかい?」
「い、言えません! 今まで散々迷惑をかけていたのに!」
「なら、気にしない事だ。そして、スファレが今後どうしたいかだ」
気にしなければ、誰も困らない。
そりゃ、申し訳ないって気持ちは常に付いてくるが。
その気持を持たないほうが問題な位だ。
現状に嘆くのではなく、受け入れて。
この先はスファレが考えるべき事。
「私は……」
スファレも、分かったのだろう。
止まっていたスファレの手が、力強く俺の背中を擦りだす。
少し、痛い。
「私は強くなります! 皆に迷惑をかけないように。お父さんお母さんみたいに、皆を守れるように!」
「そうか」
結果として、ダワーが最も嫌がる決断をスファレがすることとなったわけだが。
だが、この決断は自然なものとも思えた。
誰しも、自分一人で生きて行きたい。
自立したいという願望を持っているのだ。
「先生も、協力してくれませんか? その、まだ私には先生のメガネが必要で……」
そこは、先生が必要と言って欲しかった、が。
「ああ、いいとも。スファレは俺の大切な生徒だからな」
最後はスファレの目を見て、バシッと決めようと、背中を洗うスファレの方を振り向いた。
「きゃっ……あの……」
あれ?
スファレが恥ずかしがっている。
何をいまさら?
「え? あれ?」
不思議に思う俺の視線は、自然と大きな膨らみへ……。
泡立った腕で隠されたその膨らみは――。
付けていなかった。
全く。
何も!
「手ぬぐい……あー……それでー」
胸の手ぬぐいを外して俺の背中を洗っていたんですね。
なーるほどー。
って、なるほどーじゃない!!
「あの、先生……今は、ちょっと……」
「っは! わ、わ、ご、ご、ごめんなさい!」
俺は浴室から退散するため、慌てて手桶で体を流す。
「きゃっ!」
「おぉぉっっほおおぉぉ!?」
俺の体を流す水圧が、スファレにも飛び散る。
そして、スファレに付く僅かな泡が洗い流され、手からはみ出したスファレの大きな膨らみが今あらわに!
「あっ……」
ガン見する俺。
頬を赤くしながらも、潤んだ瞳で見つめるスファレ。
僅かな沈黙。
それを先に破ったのはスファレだった。
「先生も……こういうのに興味、有るんです……よ、ね? 友達が言ってました。男性は皆……その……大きな胸が、好き、だって……」
俺が見えないながらも、胸に注視していると感じたのか。
赤面する顔で、視線を逸らしながら、とんでもない質問を投げ掛けてきた。
な、何て、答えれば!? おい! 何て答えるんだラノベ脳!
「おっぱいには、世界の真理が詰まっている」
「え、真理……ですか?」
何言ってんだ俺ーー!!
「そ、そう真理! 真理の探求! それぐらい興味があるって……こと? かな?」
多分! そんな感じ!
「お、奥が深いんですね……あ、あの……触ったり、してみたいです、か?」
「もりろん」
即答。しかも噛んだ。
俺の答えに、スファレは全身が赤く染まっているように見える。
ピンク色のゆるふわな髪を、指に絡めてイジイジ。
目など、焦点が定まっていないかのように、キョロキョロとしている。
「あ、あの!」
「はい!」
「さ、さわり……ますか? 先生でしたら……私」
俺は……。
俺は……!
恥ずかしさから目を固くつむり、ゆっくりと、手をどけようとするスファレ。
「ありがとう!」
そんなスファレの決断を、止めることが出来るだろうか。
「でも、ごめん!!」
だから――俺は逃げた。
木戸に体当たりするほどの勢いでくぐり抜け。
素早く閉めると、背中で抑えて荒く息を付く。
「……先生!」
「スファレ……もっと……自分を大切にしなきゃだめだよ」
なぜか俺が泣き出しそうだ。
「先生……」
そんな俺の視線の先
手ぬぐいの上からでも分かる、全く元気のないジョニー。
本当に……どうしちまったんだ……マジで泣きそう。
◆遠視
無限遠からの光が網膜の後ろで焦点を結ぶもの。
調整力が有る内は問題なく遠方も近方も見える人。
正視近視の人より、老眼鏡が早く必要になる。
眼精疲労になりやすい。
健康診断などの視力測定だけでは分からない事が多い。