第08話 「サイドナイロール」★
「先生、なぜメガネを替えられたんですか?」
「気分だよ気分。メガネは服装、髪型、心理状態によって着替えるものなんだ。これ、大事だから覚えておくように」
「はい! 先生!」
うん、いい笑顔だ。
こんなに素直に聞いてくれると教える側も清々しい。
俺が今かけているのはメガネは、最初の物と比べ、かなりスポーティーなデザインとなっている。
顔に添うように緩やかにカーブした赤いフロント部分は、元の世界で最近出だしたポリエーテルイミドと呼ばれる樹脂素材だ。
耐熱、強度、重量に優れ、過去大ブームを起こしたTR樹脂と比べると強度面でかなり改善されている。
レンズの両サイドをナイロンの糸で固定することにより、フレーム自体のカーブを顔に近づける設計となっているのが特徴的だ。
まあ、ぶっちゃけ冒険者ギルドに行くのが怖いから、気合を入れるのと時間稼ぎのためだったんだけどね。
カジュアルなメガネを掛けると気分も前向きになるってもんだ。
「どっからでもかかって来いゴンザレス! 15ポイントは頂きだ!」
「別に争いに行くわけでは無いんですけど……」
「え? じゃあシルバーソードは諦めるの?」
「銀の剣……ですか? 鍛冶屋さんに行けば有ると思いますけど……ゴンザレスさんは持っていないと思いますよ?」
通じないのは分かっていたんだが、名前を聞いた時から言いたくて仕方なかったのだ。
バトル展開になったら絶対に「あんたは強い」と言ってもらいたい。
スファレに村の要所を教えて貰いながら冒険者ギルドへと向かう。
昨日の夜には気付かなかったが、新しい作りの土壁の家屋に混じって、苔の生えた頑丈そうな石積みの建物も多い。
森の方角には石造りの見張り台なども有り、まるで要塞のようだ。
その辺りをスファレに聞いてみると、この村は昔、対魔族との戦争で最前線の拠点として作られたそうで、その名残が今も残っているのだとか。
「平和になってからは、大きな街に移住する人が多いんですけど、元最前線って事もあって冒険者さん達は多いんです。魔物の作った洞窟や迷宮に行くにはアグロスの村が一番都合が良いって言ってました」
ダンジョンがあるのか。
ある程度今後の目処が付いたら行ってみたい。
「スファレはこの村から出たいって思わないの?」
「私は……既にアグロスを出ちゃってるんですよ……旧王都にある魔法学院に通っているので」
「そうだったのか」
そして魔法学院、つくづくファンタジーの典型を行く世界のようだ……そう言えばダワーが学院の長期連休がどうとか言っていたのを思い出す。
「この季節はどの村も収穫で人手が必要なので、学院を長期連休にして生徒を親元に返すんです」
もちろん自由意志なんですけど、と続ける。
なら、両親を無くし、ダワーが薬師のスファレはなんで帰ってきてるんだと聞きたくなったが……俺は口を噤む。
両親の事は、まだスファレから直接聞いていない。なにか理由があって学院に居づらいのかもしれないが、本人の口から話すまでは気づかないふりをしてあげた方がいいだろう。
俺の沈黙に気まずくなったのか、数歩先に出て一際大きな石造りの建物を指さす。
「ほ、ほら! 着きました。あれが冒険者ギルドのアグロス支所です」
今はとにかく、連休明けまでにスファレのメガネを作ろう。
常時目が見えるようになるなら、自分の身を守りやすいだろうしな。
その上で、スファレに対処しきれない厄災が降りかかろうものなら――。
「なに、俺が守るさ」
「え……!? な、何か言いました?」
「いや、何も? さ、ちゃっちゃと用事を終わらせようか」
このメガネにしたら性格も少しアクティブになって困る。
■◇■◇■
さっき「俺が守る」と言ったな?
あれはうさだ。
うそだじゃない。うさだ。何を言っているのか分からないって? すぐに分かるさ。
「それではー冒険者認定試験ー始めまーす。ラビアンの檻を開けまーす」
気の抜けた声で俺に合図を送るのは、支所受付のヒュプノスさん20歳だ。おカッパ頭に眠そうな瞳が2つぶら下がっている。
ギルド支所に到着し、屈強な男たちに辛辣な視線で歓迎を受け、何とか受付カウンターまで辿り着いた俺を迎えたのは悲しい事実だった。
ゴンザレスは遠征に出て昼すぎまで帰らないのだと。
なら、待っている間に魔晶石の換金をお願いしたら――
「冒険者の認定が無い方からはー、買い取りできないんですー」
で結局、冒険者の認定を貰う為に認定試験を今から受ける事になったわけだ。
なぜかスファレも一緒に。
「スファレさんや……ラビアンってのは兎の魔物だから怖くないっていってましたよね?」
「は……はい……最もランクの低い魔物のはずです……」
「あれが……ランクが低いと……?」
支所の裏庭に通された俺達が目にしたのは、今しがた檻から放たれたラビアンと言う魔物。
その体は白くてフワフワした体毛に覆われている。
毛玉に似た丸い体からは長い耳が2本、アンテナにように真っ直ぐ伸びていた。
つぶらな赤い瞳がとても可愛らしい。
問題はその図体だ……耳を計算から外しても1メートルほど大きさがある。
大型犬とさほど変わらないが、丸い体から感じるこの圧迫感は尋常じゃない。
「2人同時なのでー難易度を調整しときましたー」
背後にある支所の2階から声が響く。
いらんことを!
「と、とにかくスファレは下がって!」
「は、はい!!」
スファレには検眼枠を外してもらっているので今回戦力外だ。
もしも壊れるような事があったら取り返しが付かないし、下手にぶっぱなして周りに被害をだしてもいけない。
俺はヒュプノスさんから貸して貰ったショートソードを中段に構えるとラビアンと正面から対峙する。
これでも剣術Lv2が有るのだ。その辺の雑魚モンスターに遅れを取るわけにはいかない!
「こい!」
睨み合いから先に動いたのはラビアンの方だった。
俺へ向けて一直線の突進。
俺はそれに合わせて、演算術で計算されたジャストタイミングに剣を降る。
――もらった!!
瞬間、ラビアンの赤い瞳があざ笑うかのように細められる。
確実に捉えたと思った俺の斬撃は虚しく空を切っていた。
ラビアンが直角に進路を変えたのだ。
――な!?
振り向いた時には既に遅い。
俺は体制を立て直す間もなくラビアンに肉薄されてしまった。
――舐めるな! 俺にはまだ合気術がある!
――瞬時に合気道第一教から第五教までがイメージされる!!
「げふぉ~!?」
――しかし! ラビアンには腕も小手もなかった!!
景気良く吹き飛ばされる俺。
「先生ーー!?」
そして直ぐに、パアンっと気持ちのいい程の破裂音が辺りに響き渡る。
「みたか! これが受け身だ!」
「……」(心配そうな目)
いみねーー!! 合気術Lv1だと技らしい技が使えねーー!!
ラビアンは俺を跳ね飛ばした後も、稲妻のようにジグザグと跳躍し、まるであざ笑うかのように俺との距離を保っている。
くそっ! 白い悪魔め! 性能の違いが、戦力の決定的差ではないということを教えてやる!!
だが……どうする……? 斬撃はかわされる、剣術も合気術も当てにならない……俺には他に何が……。
――そうだ、手はまだある!
その時、俺に晴天の霹靂にもにた閃きが舞い降りた!
「うさこう! さっきは良くもやってくれたな!」
俺は手にしたショートソードを冓えるのではなく、その柄と切っ先の先端を両手でしっかりと掴む。
「まっがぁ~れっ!」
別に声に出す必要は無いのだが……気分だ!
俺はそのショートソードを、本来曲がるはずのない刃の有る方へとひん曲げた。
ショートソードは金属疲労で折れる訳でもなく、まるで水飴のようにグンニャリと90度に曲がる。
そして俺は演算する。今もジグザグに跳躍するラビアンの動きにも法則性を見つけ出す!!
いまだ!
「ショートーソーード! ブーーメラン!!」
体の捻りを加えて全力で投擲!
ラビアンとは全く関係のない、あさっての方向にショートソードは飛んでゆく。
ラビアンの目が武器を失った俺に嘲笑し、再び進路を俺へと向けた時――
「ピッキーー!?」
ラビアンの横っ腹に戻ってきたショートソードが突き刺さったのだった。
「よしっ!!」
当たり所が良かったのか、その一撃でラビアンが光の粒子になって消えていく。
「先生……すごいです!!」
スファレの黄色い歓声が心地いい。
「何なんですかー、今のはー」
ヒュプノスさんも眠そうな目で驚いてくれた。
結果、俺は兎からスファレを守る事に成功しのだった。
受付に戻った俺達はヒュプノスさんからドッグタグの様な木製の板を渡された。
板には、さっき倒したラビアンだと辛うじて分かる程度の、デフォルメされた焼き印が押されている。
「これでー、お二人をラビアン級冒険者として認めますー」
「なんか……いっちゃ悪いがチャチイな……」
「そうですか? 可愛いですよ?」
「仕方ないのですー、最も数の多くなる最下級冒険者ですからー、一々金属プレートなんか支給してられないのですー」
確かに、試験自体も無料で受けさしてもらった訳だし、魔物の手配だって無料では無いのだろうから、この扱いもやむなしといった所か……。
「それにー、もし野垂れ死んでも木製だと自然に帰りますしー、エコですよー?」
なんか怖い事言ってる!?
「ち、因みに昇進? って言うのか? 次のランクにはどうやってなるんですか?」
木のプレートに不満が有ると言うわけでは無いが、知識として聞いておく。
「簡単ですー、試験としてコボルトを単独で倒して頂ければー、次のコボルト級へと昇格登録されますー」
「単独? 今回俺達は2人で受けましたが……」
実際倒したのは俺だけだが、スファレも俺同様木製の板を受け取っている。
「今回は特例ですー、スファレさんを守れるかの試験も兼ねてー2ランク上の強さのラビアンで受けていただきましたからー」
おい。ならウルフ級をよこせと言いたかったが……黙っておいた。
ヒュプノスさんもきっと、昨日今日来た俺のことが信用ならなかったのだろう。
スファレが俺と一緒に冒険者試験を受けると言った時、俺以上に驚いていた(風に見えた)のだから。
「俺は及第点でしたかね?」
俺の言葉にヒュプノスさんは優しく微笑んでくれた。
「そうですねー、ショートソードの弁償をして頂けましたら―」
っく! 黙っていたらばれないと思っていたが……世知辛い世の中だぜ!
その後、魔晶石を換金し銀貨10枚(意外と安い)を得て、ショートソードの弁償としてその内2枚を取られてしまった。
取引を終えた頃、丁度ゴンザレスが戻ってきたのか、俺達は2階の部屋へと通されることとなる。
階段を登り切った俺達にドアを押し開けながら、ここまで案内してきたヒュプノスさんが耳打ちしてきた。
「昇格試験にー、挑戦されたい時はいつでも言ってくださいねー。ホブゴブリンまでなら召喚出来ますからー」
試験のコストほぼ0じゃん!!
苦笑いの俺など気にも止めず、ドアを閉めて1階へ降りて行ってしまった。
「うぉほん! あー、すまない。待たせてしまったな」
重低音の声が狭い部屋に響く。部屋にはハゲ脳筋とは思えないほどの書物や地図が散乱しており、片付ける=積み上げて端によせる、そんな風に出来た部屋だ。
そんな部屋の中央には若干不相応な感じの重厚な作りの応接セットが。
奥にはゴンザレスのデスクと思われるこれまたしっかりとした作りの机があるが、どちらも丸められた羊皮紙や、分厚い書物でうめつくされていた。
「すまないな、散らかっていて……まあ、座ってくれ。ソファーの上の物は適当に端によせてくれて良い」
そう言うと、テーブルの上を簡単に片付け、俺達に薦めたソファーの向かい側へと座った。
「あの……帝国からの召集状とかも有るのですが……」
スファレが座りながら、端に寄せた書類の一番上を手に取る。
それって、こんなぞんざいに扱って良い物なのか?
「ああ、良いんだ。今は緊急事態だからな……とにかく、今は君たちの話を聞くのが先決なのだ」
そう言って、俺を鋭い目で睨みつける。
「聞かせてもらおうか? 昨日、平原で何が有ったのかを」
◆サイドナイロール
ナイロン糸によってレンズを固定しているフレームをナイロールと呼びます。
針金が使われた時期も有りましたが、現代は殆どがナイロン糸です。
プラスチックレンズと共に普及し始め、フレームデザインの自由度が格段に上がりました。