第神界話 「虫眼鏡」
序幕は、主人公が異世界へ行くまでの話となります。
本編【異世界転移編】から読み始めても問題ないのでお好みでお選び下さい。
ゼウスは苦悩していた――。
木製の仕事机に両肘を付き、両手で額を支えて俯いている。
流れ出た冷や汗が、豪華な作りの木製机に点々と染みを作る。
苦悩――それは、最近薄くなりつつある自身の頭皮の事……ではなく。
両親から与えられた名が偉大過ぎて、萎縮のあまり胃がキリキリと痛む事――でもない。
(どうして……こんな事に?)
今日もいつもの様に、滞り無く業務をこなしていたのだ。
単純なデスクワークではあれど、この神界で与えられる仕事に、不服など微塵もなく。コツコツとした業務内容には、むしろ性が合っているとすら思えるほどだ。
同期の馬鹿どもは、やれチート召喚だ、やれ世界跳躍転生だと、自身の管轄する世界に必要以上に他者を呼び込んでいる――。
転神法【転移召喚及び別世界転生神界規制法】の元、間違った事をしている訳ではないのだが、不用意な他世界干渉や、パワーバランスの崩壊を招く裁量は如何ともし難いと考えていた。
「だから俺は思うんですよ! 異世界なのに何でメガネは普通に存在するのかってね!」
(外野がうるさい!)
ゼウスは他の馬鹿神とは違う。そう自分に言い聞かせながら今日最後の召喚業務を行おうとしていたのだ。
対象は第3万6千524号世界。目的は魔王の討伐。
ゼウスの管理する世界の中では一番若い世界で、生息生物達のパワーバワンスが著しく崩れているためである。
標的は、前方大画面に映し出される美女だった。
長い金髪を靡かせ、プリーツスカートから伸びたスラリとした足が特徴的なとても凛とした少女。
いつもの様に、少女の歩く進行方向に転移魔法を設置。
転移スイッチに手をかけ、内心、秒読みを始めたところだった。
「だいたいメガネって科学の産物なんですよ? だいたいのファンタジーが舞台にしてる中世って、本来まだ虫メガネ位しか無かった時代でしょ?」
そう、あれは神風だったに違いない。
(神――つまり同僚の誰かによる罠!?)
思い当たるフシは複数ある。
恐らくは、普段から摯実なゼウスに対して、出世を妬む同僚からの妨害工作なのだろう。
そうでもなければ、このゼウスが〝あんな布切れ〟に惑わされるなど有り得ない事なのだ。
「なのに皆、普通~にメガネをかけてるんですよ? これって変だって思いません?」
惑わされる――つまり。
「ねえ、聞いてます? ゼウス様!?」
「ええい! うるさい!! 私は今考え事をしているのです!!」
(この采配に今後の出世がかかっているだ!!)
そう――。
ゼウスは俗に言う「誤爆召喚」をやらかしてしまったのだった。
(何とかして現状を切り抜け、通常の業務に戻らなくてはならないと言うのに!)
ゼウスは改めて、呼び出してしまった人間を見る。
今はゼウスの怒りに触れたと思ったのか、その表情を固くし、神判をまつ子羊のように震えているが、先程は本当にうるさかった。
人間はどこにでもいそうな青年だ。背も、髪も、ルックスでさえどこにでもいそうな、そんな青年。
無理に特徴を探すなら、少し変わった形のメガネをしている位だろうか。
大きな革製のアタッシュケースを抱え、肩から重そうなショルダーバックをかけて今は正座している。
(彼の召喚をいかにして正当化するか……それが問題だ……)
人間が静かになったからだろうか、多少冷静さを取り戻したゼウスは、如何にして現状を切り抜けるか思案を巡らせた。
1.人間に召喚ミスだと正直に告げお帰り戴く。
2.サックリと人間をヤっちゃう。
3.危険世界に転送してサックリと人間をヤってもらう。
4.異世界に永住してもらって証拠隠滅。
(1は……無いですね)
これでもゼウスは神だ。神界業務上の末端ではあれど、その行動は神界全体のイメージとなる。
そんな事をしようものなら誤爆召喚を行った事が公になり、ゼウスの将来に暗雲がかかることになるだろう。
(神は過ちを犯してはならぬ! なら……2? ヤっちゃおうか? ヤっちゃったら良いのだろうか?)
絞殺、毒殺、撲殺、刺殺、元素魔法に神聖浄化、多種多様の方法を検討し……。
(無理だ……! その時バレなくともバレた時に取り返しが付かない! それに転神法に抵触してしまう3も無しだ!)
転神法によって、召喚、またわ転生を行った神は転送者への責任が発生する。
だいいち、転移先での目的が有って召喚しているのだ。転移先で、神の望む仕事をして貰うために特殊な技能を与えたり、運命を操作して優遇してやるのである。
それを転移して何も成さずにやられちゃいました~では、転移を担当した神の責任問題となるのである。
だからと言って、優遇のしすぎる同僚たちを認める訳にはいかないのがゼウスだ。よって最後に残った選択肢に歯ぎしりすらしてしまう。
(ならやはり……4……しかも正当な理由を付けて……? そんな事が可能か?)
苦渋だが方針は決まった、ならば後は材料探しが必要となる。
「人間、名は?」
「はい! 白金 光といいます!」
ゼウスは素早く人間の名前を入力する。すると、前方の大画面に光のプロフィール、過去、因果、そして推定される未来が神界の文字で表示される。
(なになに、職業、眼鏡士……変わった職業ですね……年齢25、童貞……25で童貞……魔法使い志願者か……他に何か変わった事は……ほう……これは!)
ゼウスが注目したのは推定される未来だった。どうやらこの人間は新たな手法による商売を始めようとしていたようだ。
その結果として、市場の独占、大量の失業者と自殺者を産むと記載されている。その手法に感化された者達が、別の業種でも市場を荒らし、死の連鎖がおこるとも。
(つまり、この人間を「世界から取り除く」事によって……多くの命が救われる事になる!)
筋は……通った! ゼウスはそう確信し、光の異世界転移を決めたのだった。
ただの転移では無い、戻ってきては困るのだから事実上は転生として伝えるのが無難だろう。
考えを整理し、掛ける言葉を高速思考しながら――ゼウスは仰々しく、オーバーな手振りを付けて光に呼びかける。
「おお……光よ、死んでしまったのですね」
「ぁ、テンプレ……え……? ええぇぇーー!? お、俺、死んだんですか!?」
突如死を告られた光が飛び跳ねる勢いで驚く。
だがゼウスは冷静そのものだ、神は簡単に取り乱さないのだ。
「ええ……とても残念ながら、光は死んでしまったのです」
「残念ながらって……あんな事で!?」
「あんな事でです」
「でもさっきゼウス様言ったじゃないですか!『ようこそ勇者、そなたを異世界へいざないましょう』って!! 死んだなんか一言も言ってないじゃないですか!?」
「……」
「……」
(なあーーにを言っとんのだ私はーー!!)
ゼウスは言われて思い出した。確かに言った。誤爆召喚を行ったショックのあまり、パニックになった頭で、召喚の定形文句を言ってしまったのだった。
「だから俺、どうせ異世界行くならって語ってたのに……」
(そ、そう言えば私が大混乱をしていた――もとい、思案を巡らせていた間に何か言っていましたね)
「よく聞く異世界物なんだったら、ご都合主義で用事さえ済めば、元の世界の元の時間に戻してもらえると思ったのに……」
(え……ちょっと、何ですかその至れり尽くせり? いったい何処の神がそんな椀飯振舞を!?)
「しかも、異世界で得た知識や経験で元の世界でも無双出来るって思ってたのに……」
(どんな妄想!? それ転神法に抵触しちゃうから!!)
「ああ~……死んだんだったら……もう……色々いいです……」
(色々諦めちゃったーー!?)
光はどんよりとした空気をまとい、床に〝の〟の字を書きだしてしまった。
(これはかなり……マズイですね……何とかして異世界に興味を持たせなくては)
冷や汗を流しながら、ゼウスは考えた。
このままでは光を異世界に送って証拠隠滅出来なくなる。いや、異世界に送るだけなら可能だ、だが光のモチベーションが低すぎて、このままでは異世界で自殺しかねない。
それでは転移責任を問われてしまう。何とかして光に異世界での生き甲斐を与えなければならないと。
「光よ、あなたは死んでしまいました。しかし、それは無駄な死ではないのです。光を必要としている世界が有るからこそ、この場所に呼ばれたのですよ?」
「え~……でも俺死んだんでしょ~? もう仕事出来ないんでしょ~? 色々苦労してこれからって時だったのに~……必要とされる世界とか、どーでも良いんで……もう帰してくれませんかね? 俺、地縛霊にでもなるんで。そんで適当に悪戯して過ごすんで。いつかジバヒカリンってマスコットになるんで」
「……」
(うっぜーー!! この人間面倒くせーー!! 転生ですよ? ――いや、実際は違いますが。本来なら渡りに舟位の現状なのに、この人間は何でこんなにも後ろ向きなんでしょう! しかも地縛霊って! あなたのメダルなんかちびっ子はいりませんよ!)
「ほら、早く帰して下さいよ……。さっくりヤっちゃって下さいよゼウス様~……」
出来るならやっている、そう叫びたいゼウスはまたも考える。
死んだ魚のような光の目を睨みつけ。このままでは計画が頓挫してしまうと。なら仕方ない……例え嘘でも、言葉にするのもの嫌いな過剰支援に他ならないが、ゼウス自身の出世のため、光にとっての極上の餌を提示する。
「分かりました……。光を元の世界で生き返らせましょう!」
「え!! 本当!? それ本当!?」
(反応はやっ! 立ち直りはっっやっ!)
さっきまで半ベソだったはずの光。今は目をキラキラさせて、ゼウスに向かって飛びつきそうな位、身を乗り出している。
「た、ただし! 条件があります!」
「やるやる!! 何でもやる!!」
「先ほど光が言っていた異世界を救って下さい」
「よしきた! まかせろ!」
(かっっるっ!)
ガッテン承知之助と続ける光を横目に、ゼウスは転移先の世界を今更物色し始めていた。光の言っていた異世界を探す為……。
(メガネの無いファンタジー世界……ですか……そんなの有るのでしょうか)
3万6千522種の世界から素早く検索をかける。
条件は光が死なない程度に治安の良い世界。永住したくなるような可愛い子の居る世界。そして、メガネの存在しない世界。
(意外と多いのですね……驚きました)
表示された結果にゼウスは驚いた。その結果――3件。
その中でも最も馴染みのある魔法の世界をチェイスした。異世界時間で100年前に勇者を転移させ、バランスの調整後、勇者にはお帰り頂いた世界だ。
世界識別名【グラスタシア】
ゼウスは世界の現状を軽く流し見ると特に考えるでも無く、早急に手続きを済ませていく。
センターに転移内容、目的の送信――完了
転神法抵触無しと判断、転移プロセス開始許可――受諾
異世界跳躍者、基本支援プログラム――添付
異世界跳躍者、超越チートプログラム――除去
異世界跳躍者、世界救済目的、達成条件設定――完了
センターに転移条件、座標の送信――完了
異世界跳躍者、転移許可――受諾
転移術式展開――完了
「ちょっ! ゼウス様!? 足元光りだしたんですけど!?」
「ええ、今から光には世界を救ってもらいますから」
「あの……」
「何でしょう?」
「また生き返った時って元の時間ですよね!?」
(なんだそんな事か……)
ゼウスは、召喚時に使った大きな赤いスイッチとは違う、青いスイッチに手をかけながら笑顔を作った。
光にとっては、初めて見るゼウスの笑顔に、これからの旅の不安が洗い流されるようだっただろう。
「大丈夫、全て終わったら元の生活に帰れますよ」
「よかった! じゃあ行ってきます!」
「ええ、無事に世界を救って来てください」
(救うことが、出来たなら……ですけどね)
「あ、世界を救うって何やっ――」
カチッ。
「ふぅ……思わぬ時間を取られてしまいました」
真っ白な、室内なのに地平線が見えるそんな部屋。
さっきまで騒いでいた人間は、もう何処にも居なくなっていた。
「さて、本来の標的を転送して。帰ってペガサスのみーちゃんに餌を上げましょう」
眼鏡士……光、変な人間でしたね……とゼウスはぼやく。
メガネに執着するが余り、ファンタジーに対するメガネのあり方に異議申立てを行った青年。メガネについて、生半可ではない知識を有しているがゆえに、中途半端な有り方が納得出来なかったのか……。
厄介な性分ではあるが、そんな青年なら……もしかしたら救済条件を成し遂げるかもしれない。
そんな考えを巡らし、思わず破顔しながらも……心から笑っていない自分に、ゼウスは戸惑いを覚える。
「ははっ、そんな馬鹿な……それは無い。――それは無い……はず」
そう言いながらも、画面に映る救済達成条件を改めて確認してしまう。
【救済達成条件:メガネによる救済。世界中の人間にメガネを掛けさせる。もしくはそれに相当する数のメガネを普及させる事】