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  作者: 裕里 沙亜奈
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身の丈にあった生活のなかに、ふと、予期しない幸せが舞い込んでくるとどうしても不安になってしまうんですよね。

そんな感じのお話です。

あまり明るい感じではありませんが、お楽しみいただけると嬉しいです。

ーーねえ、そんなに無防備にしているけど、今夜、私は貴方を殺すのよ?ーー




目に痛いほどの日差しが溢れるリビング。

その真ん中に置いたソファで貴方は朝のニュースを見ている。

無地の白いマグカップを両手にもってそっと、その後ろ姿に近付いていく。

ふわふわと柔らかそうで色素の薄い髪。

女性とは違うながらも線の細い肩。

旋毛が二つもある貴方の後頭部を見つめながら、零れそうになる溜め息を圧し殺す。


「珈琲淹れてくれたの?」


貴方が振り向かずに私に問いかける。


「…うん。どうぞ。」


私が差し出したマグカップはなんの疑いも持たれないままに貴方の細い手に収まった。

くんくんと幸せそうに香りを楽しんでから、貴方の薄い唇が香ばしい液体を吸い込む。


「…っ!」


「…大丈夫?」


「…うん。熱くてビックリした。」


「…淹れたてだから、ゆっくり飲まないと火傷しちゃうよ?」


「うん。気を付ける。」


薄い唇をすぼめてカップの中身をふうふうと吹く横顔に、不意に愛しさが溢れて零れそうになる。

胸の疼きが痛くて、貴方の顔を見ていられなくなった私は、それ以上なにも言わずに隣に座る。


「あれ?今日はお茶なの?」


貴方が私のマグカップを覗き込んで訊ねた。


「…うん。何となく、そんな気分だったの。」


ふうん、とどこか不思議そうに首を傾げる仕草が胸の疼きをさらに大きくしていく。

アーモンド型の鳶色に心の中を全て見透かされていそうで、内心での動揺を気取られないように細心の注意を払って平静を装う。

貴方は何か言いたそうにまだ私を見つめていたけれど諦めたのか、小さく溜め息をついてテレビに視線を戻した。


「…行ったの?病院。」


貴方がテレビに視線を向けたままで呟くように聞いた。

心臓がどくりと嫌な大きさで跳ねた。


「…ううん。」


貴方の視線がまた、私に注がれるのを感じながらも視線だけはテレビに固定したままお茶をすする。


「…何で?」


貴方はリビングテーブルにマグカップを置いて体ごと私の方を向いて訊ねた。

声に心配と不安が滲んでいる。


「ここ最近、ずっと具合悪そうなのに?」


「…大したことじゃないよ。」


「大したことだったらどうするの?」


「…大丈夫だってば。」


「…。」


安心させようと貴方に作り笑いを向けると、貴方は中性的な顔を辛そうに歪めた。


『何故?』


貴方の色素の薄い瞳が揺れて、そう語っている。


沈黙に耐えきれなくて、私は立ち上がり台所のシンクに向かうとそこでマグカップの中身をひっくり返した。

湯気と共に立ち上る香りも、凍えそうな胸を暖めてはくれない。

シンクに両手をかけて流れていく液体を見つめていると、背中に貴方の気配を感じた。

貴方は少し躊躇ってから、そっと私の体に腕を回し、うなじに顔を埋めた。


「…心配かけてごめんなさい。でも、本当に大丈夫なんだよ?」


「…分かった。」


貴方は小さな小さな声で応えてから、私の髪に頬擦りする。


「…でも、辛かったら無理はしちゃだめだよ?」


貴方の細い腕に少しだけ力が込められる。

労るように、気遣うように込められた腕の力が、背中に感じる貴方の体温が、私の胸を締め付ける。


「うん。分かってる。」


努めて明るく聞こえるように気を付けながら応える。

貴方は最後にもう少しだけ腕に力を込めてからそっと私の体を離した。


「じゃあ、行ってくる。」


「うん。」


玄関に向かう貴方の背中を追う。


「帰るときにメールするから。」


屈んで靴を履いてから体を起こして私を見た貴方がまだなにか他に言いたそうな顔をして言った。


「うん。待ってる。」


笑顔で返した私の言葉に、貴方は苦く笑って返すとドアを開けて眩しい光のなかに出ていった。


「…行ってらっしゃい。」


貴方を連れていってしまったドアを見つめて、そっと呟いた。


ドアが閉じて薄暗さの戻った玄関が次第に歪んでいく。

滴はあとからあとから頬を伝って零れていく。

涙の粒が喉元につかえて苦しい。

私は胸の苦しさに耐えきれなくて、その場にしゃがみ込んだ。







貴方は気づけばいつの間にか、私の隣にいた。


中学校の初めての席替え以来、何度席替えをしても、なぜだか私の隣の席はいつも貴方の特等席で、窓際にいても、廊下側にいても、隣にはふわふわの猫っ毛が机に突っ伏していた。


いつでも突っ伏していた貴方と、本の虫で休み時間と言えば誰と話すでもなく空気になりきってページを繰っていた私。

思春期真っ只中の私たちが、それでもからかいの的にならなかったのはきっと、単純に存在が薄かったせいかもしれない。


一目散に部活に向かう生徒と、談笑しながら下校する生徒で賑やかさの増す放課後が一日のなかで私が一番幸せを感じる時間だった。

古いインクと木の臭い、湿った静けさがゆったりと横たわる図書室で本に埋もれていられるだけで私にはなんの不満もなかった。

あまり学校生活に積極的ではない私が、唯一自分から手を挙げて立候補した図書委員には休み時間と放課後の司書係があった。

図書の貸し出しや返却のほかにも定期的な書架の整理も含まれていて、この係りは他の生徒からは敬遠されていた。

けれども、自他共に認める本の虫である私には多くの本に触れられる天国のような時間だった。

私たちの学校は部活動に力をいれているせいなのか、放課後の図書室はさほど通ってくる生徒もおらず思う存分本の世界に閉じ籠れる天国だった。


その日も、いつも通りに17時半に閉館のプレートを下げ書架の整理をしていた。

返却図書のチェックをしていた私は、タイトルのなかにお気に入りのものを見つけ少しだけとページを繰るうちにいつの間にか夢中になって読み耽ってしまっていた。

ふと、気配を感じて隣に目をやると、ふわふわの猫っ毛がパイプ椅子に座ってカウンターに突っ伏していた。

人が入ってきたことにも気づかないほどに入り込んでいた自分に苦笑しながら見ると、カウンター上のデジタル時計はすでに19時15分を示している。

あと15分で学校は施錠されてしまう。

すやすやと気持ち良さそうな寝息を立てる姿に一瞬申し訳なさが顔をのぞかせたが、置いて帰るわけにもいかずそっと肩に手を置いて揺すってみた。


「…んん。」


両腕を重ねて枕にしていた猫っ毛は邪魔するなとばかりに唸るとこちらに顔を向けてまた寝息をたて始めた。

今まで耳しか見えなかった猫っ毛から長い睫毛に縁取られた瞼が見えた。

ふっくらとした頬。瞬くと羽音がしそうな長い睫毛。白く滑らかな肌。

それは、思わず息を飲むほどに美しい寝顔だった。


ーー…天使?ーー


入学して以来、ずっとずっと隣にいた猫っ毛は起きていることの方が少なくて、私自身大して周りにも興味をもっていなかったこともありふわふわの毛玉が制服の上に被さっているイメージしかなかった。


ーーこんな顔、してたんだね…ーー



思いがけず知ったクラスメイトの寝顔に引き込まれてしまっていた私は、白い頬がすぐ目の前にあることに気がついて思わず飛び退いた。


ーーわ、私、いま、何をしようと…?ーー


自分がしようとしたことのあまりの端なさと後悔に心臓が早鐘を打っていた。

冷たい汗が背を流れ、目眩がするほどに呼吸が乱れる。

何とか落ち着けようと両目を固く瞑り深呼吸を試みる私の耳に、悪戯のばれた子どものような声が飛び込んできた。


「…残念。」


弾かれたように彼を見ると、目を閉じたままで唇をにんまりと三日月形に曲げて笑っていた。

収まり始めていた心臓がひっくり返った。


「…な、な、なん、…」


起きていてなにも言わないなんて、と自分を棚にあげて抗議しようとするも、舌が縺れて言葉にならない。

慌てふためく私が余程面白かったのか、意地悪な猫っ毛はついに堪えきれないと言うように吹き出した。

お腹を抱えて肩を揺らしている姿を呆然と見つめることしかできなかった私の顔を見て、また、唇が満足そうに三日月を描いた。


「まぁ、物事には順序があるらしいしね。まだ今日は良いよ。」


貴方は、そう言うと私の頬に触れて満足そうに頷いた。





読んでいただき、ありがとうございます。

拙い文章ですが、精一杯紡いでいけたらと思います。

更新はあまり早くはないと思いますが、今後ともお付き合いいただければ筆者は幸せです。


…ほんとですよ?

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