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「……で、急に結婚式したくなったんですか。相変わらず単純ですね、先輩は」
自宅に戻るなり結婚の話を始めた菜々美を横目に見て、蓮は溜息をついた。
夕飯の支度をしていた彼はラフな黒ティーシャツに、長めの前髪が邪魔にならないようターバンを巻いて中近東の人のようだ。
「なんで単純なのよ。寧ろ、2年も付き合って一緒に住んでるんだから、当然の願望だと思うけど?」
少なからず勇気を出して言ったのに興味なさそうな返事をされて、菜々美はぶすっと頬を膨らませた。
逆プロポーズと捉われかねないこの話をするのに、菜々美がどれほど言葉を選んだことか。
いや、これを女性の方から言わせてしまう男ってどうなの?と逆に心配になってくる。
蓮は困ったようにターバンの上から頭を掻いた。
「結婚ってお互い責任があることじゃないですか。年金とか財産とか法的な制約もいっぱい出て来るし。簡単じゃないと思いますけど」
「そりゃ、そうよ。簡単じゃないから人生のけじめ的に結婚式するんでしょーが」
「その式がまず大変そうですよね?大体、相手は俺でしょ?」
「他に誰がいるのよ?」
「結婚する相手が俺って、先輩、大丈夫なんですか?」
「……あんまり大丈夫じゃないかも」
「でしょ?俺と結婚なんてリスク高過ぎますよ。自慢じゃないけど、俺、不良物件ですし」
腕を組んで一人で頷きながら、蓮は勝手に自己完結している。
まるで他人事の物言いに、菜々美の苛々も頂点に達した。
「あんたね、その言い方は無責任なんじゃないの!?私達もう2年も一緒に住んでて、正式に付き合ってるじゃない。いつ結婚しても何の不思議もない関係だわ。てか、したところで何がそんなに変わるってのよ?」
「何も変わらないなら、なんで今のままじゃダメなんですか?俺はこのまま先輩と一緒にいられるだけで幸せだし、特に他の要望はないんですから」
「じゃ、このまま一生、同棲カップルとしてこのマンションで生きてくの?あんた、いつまでこの名古屋で仮住まい続けてくつもりなのよ?」
「仮住まいじゃありません。大事な人がいるところが俺の故郷です」
「何のキャッチコピーよ、それは!?セキスイハウスか!?」
「だって、どこに住もうが仕事してれば同じじゃないですか。故郷っていうなら俺の本籍地は東京ですよ?」
「ええい、ああ言えばこう言う……!今はそうでも、ホラ、例えば、子供とかできたら……?」
「は?」
カラコンを入れたようなヘーゼルの瞳を最大限に見開いて、蓮は硬直した。
その驚愕の表情に、言った菜々美の方が恥ずかしくなってくる。
「……何よ、そんなに変な話じゃないでしょ?」
「ええっ!妊娠されてるんですか!?最近、そんなことしましたっけ?俺、避妊には気を付けてた……」
「ちょっとお!下品な表現やめてくれる!?」
失言をこれ以上垂れ流さないように、菜々美は蓮の口を手の平で塞いだ。
しばらくモガモガと何か言った後、蓮は降参したように両手を上げる。
菜々美が手を放すと、蓮はふーっと息を吐いて恐る恐る口を開く。
「ほ、本当に妊娠したんですか?」
「……してないわよ。もしもそうなったら、どーすんのって言いたかっただけ」
「な、なんだあ、びっくりしたあ!!」
蓮はヘナヘナとその場に座り込んでしまった。
そんなに驚くことなのだろうか?
一緒に暮らしているんだから、妊娠したとしてもさほど不思議でもない事だろう。
なんなのだろう、この頼りなさ。
30になっている筈の男がこのテイラクである。
菜々美はへたり込んでいる蓮を見下ろして溜息をついた。
「……あんたの気持ちはよく分かったわ。確かにこんな不良物件が父親になったら生まれた子供が不幸過ぎだわね」
「いや、変なリアクションしてすいません!ちょっと身に覚えがなかったので取り乱してしまいました!もし先輩が妊娠されたのなら、それはそれで俺は大丈夫です」
「私が大丈夫じゃないわよ!もういいわ。あんたみたいな頼りない男こっちから願い下げだっつーの!」
心底失望した菜々美はテーブルをバン!と叩いて立ち上がった。
「あんたはこのぬるま湯みたいな生活を満喫してればいいんでしょうけど、私はそろそろ次のステージに行きたいのよ。なんやかんや言って、あんたは私との将来を真面目に考えられないんでしょ?32歳の独身女がそんないい加減な男と同棲してたって青春の無駄遣いだわ」
「先輩……」
追い縋ってくる蓮の手を払い除けて、菜々美はきっぱりと宣言した。
「お互いこのままでいいのか、身の振り方を考えましょう!年末までに結論が出なければ、この同棲生活は解消させてもらいます!」




