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時は流れて令和4年も終わりに近づいた12月。
菜々美は一人であの山道をドライブしていた。
そう、忘れもしない愛知と長野の境に位置する、とある山岳地帯。
この先にひっそりと佇む不気味な洋館がある筈だった。
名古屋から車で3時間程もかかるあの辺鄙な場所に向かう理由はただ一つ。
いなくなった滝沢蓮を連れ戻しに行く為だった。
蓮と「正式なお付き合い」なるものを始めてから、2年の時が過ぎていた。
澄香のレストラン「PRIMAVERA」でバイトを始めた蓮は、水を得た魚のようにその才能を一気に開花させた。
彼が山奥の別荘で考案していたメニューは次々に採用され、名古屋の高級志向のマダム達の間で人気を博している。
ランチの時間には近隣で働く女性客で大賑わいで、その半数は蓮のウェイター姿をインスタに投稿するという目的ではあったが、料理のクオリティーの高さを認めてやってくる舌の肥えた客層も大分根付いた。
週末はいつもの個人エントリー制のライブハウスと化しているが、ここには菜々美も参加するようになっていた。
「ジャズが歌える女性ボーカルがいたら、蓮君の伴奏で一緒に出てもらいたいんだけどな~、どっかにいないかな~」
と、澄香に意味深な言い方で話を振られ、初めは他の女性を雇われるよりはと意地になって始めたのだが、今ではこの週末ライブのメインイベントになっている。
今の二人は平日はお互い仕事で、会えるのは夜10時過ぎ。
一日の初顔合わせが一緒に夕食を取る時だけという中で、週末のこのイベントは二人で参加できる貴重な場所になっていた。
相変わらずブラックな広告代理店で営業職を続けている菜々美だったが、この2年で変化があったとすれば、百戦錬磨の婚活マスターの友人・千春が結婚して退職したことか。
本人曰く、最後の婚活で運命の出会いをしたらしい。
今は子供も一人いて、子育てに追われながらも幸せに暮らしている。
「菜々美は蓮君とどうなってるのよ?早く結婚してもらわないと長すぎた春で終わっちゃうよ?」
時々、ランチを一緒にする度に、千春は菜々美に詰め寄った。
菜々美としては一緒に暮らしてお互い好きな事に没頭できる今の生活は寧ろ快適だった。
結婚という制度的な枠組みにはめられたくないという思いもある。
だが、千春が時々一緒に連れて来る赤ちゃんを見てから、少し考えが変わって来た。
結婚するのに時間的な制約はないと思うが、出産はやはり違うだろう。
今年で32歳になってしまう菜々美にも、その部分だけは多少なりとも焦りが出てきている。
保守的な名古屋人である両親も盛大な結婚式を挙げるのを心待ちにしていて、祖母などは桐箪笥を既に注文しているらしい。
世の中の常識に疎い蓮に名古屋流の豪華絢爛な結婚式をさせるつもりはないが、それでもけじめとして儀式のようなことはしたいと思っていた。
「菜々美のウェディングドレス姿見たいなあ。蓮君のタキシードなんて映え過ぎで絶対バズるよね?お料理は蓮プロデュースのフレンチがいいなあ。でもって、最後はブーケ投げちゃったりしてさあ。あ、私、会社の連中集めてフラッシュモブやったげようか?センターはもちろん営業部長ね」
自分の結婚式の事でも思い出しているのか、千春は遠い目をしてうっとりと語り始める。
主役の菜々美の事など忘れているようだ。
自分の世界に没頭している千春に菜々美は苦笑して言った。
「まあ、いつになるか分かんないけど、式する時は絶対千春も呼ぶからさ。フラッシュモブ、楽しみにしてるよ」
「絶対だよ?結婚してから何のトキメキもないからさ。蓮君の王子様みたいな真っ白なタキシード姿、絶対見たい!」
「……そっちが目的なんだ」
「そんなことないって。ついでに菜々美がハッピーになるとこも絶対に見たいもん!」
「何よーついでって」
二人は同時に笑い合った。
同じ職場で長い間一緒に過ごした千春は言わば戦友のようなもので、いつか結婚する時には必ず立ち会って欲しいと思っていた。
蓮と結婚する時があるなら、その時は千春を始め、高校の合唱部の仲間や「PRIMAVERA」の澄香さんや常連さん、今までお世話になった人達みんなに集まってもらいたい。
豪華でなくても、二人の節目の儀式に相応しい音楽と料理が主役の楽しいパーティーができれば……。
今まであまり考えていなかった結婚という儀式に少し憧れを抱き始めた。
そして、人生の次のステージに進んだ千春のことが少し羨ましくもあったのだ。
今のままでも十分楽しいけど、蓮と次のステージに行きたい……。
結婚はその第一ステップではないかと思い出したのだった。




