15
二人を載せたセダンは再び、公道に出た。
よく見ると、今までのあぜ道とは違い、若干、舗装されている。
さしずめ、村のメインストリートなのだろう。
村に入る時には遠くに見えた学校と思しき建造物が、眼と鼻の先にある。
校門の前からは紅葉し始めた桜の木が見えた。
「先輩? どうかしました?」
「え!?」
ふいに声を掛けられた菜々美は、ハッと我に返った。
蓮はハンドルを握ったまま、横目で菜々美を観察している。
スーパーでの出来事で頭が一杯になってしまった菜々美は、窓の外をぼんやり眺めたまま、完全にうわの空だった。
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
「俺の事ですか?」
苦笑しながら、蓮は軽く言った。
確かにそうなのだが、言われると腹が立つ。
イラッとしながら、菜々美は反抗的に返事をした。
「なんであんたの事なのよ。自意識過剰なんじゃないの?」
「じゃ、何考えてたんですか?」
「……別に」
菜々美が再び黙りこむと、蓮は肩を竦めて、再び視線を前方に移した。
その時、菜々美が顔を出していた窓の外から、歌声が聞こえてきた。
10人くらいの子供の声の合唱だ。
そのメロディーを聞いて、二人は思わず顔を見合わせた。
「この曲……懐かしい! コンクールの課題曲だったよね?」
「俺、昔、無理矢理ピアノ弾かされた覚えがありますよ」
「無理矢理って、人聞きが悪いわね! あの時は、ちゃんとお願いしたでしょ!?」
「ああ、覚えててくれたんですね。ピアノ弾いてた坊主の顔も思い出しました?」
「もう! 白々しいのよ! だから、忘れてた事は謝るってば!」
「冗談ですよ。からかってるだけです。でも、先輩、たった一日で態度が随分、横柄になりましたね」
「あんたが一々揚げ足取るからでしょ!」
アハハ……と笑いながら、蓮は車を学校の外壁に沿わせて停車させた。
「ねえ、先輩、せっかくだから、音楽鑑賞していきましょうよ」
「ええ!? 学校の中に入るの?」
「だって、今日は日曜日ですよ。授業はない筈だから、多分、部活の集まりなんじゃないかな。先生だって全員は出勤してないし、こんな田舎だったら大丈夫でしょう。不審者と間違われたら、免許証見せて謝ればいいんですよ」
「…まあね」
悪びれない顔でそう言うと、蓮は車から降りた。
既に、村の不審者だと思われている事は全く自覚していないらしい。
返答に困って言葉を詰まらせた菜々美も、渋々、車から降りた。
半分開いた校門の鉄格子をスルリと抜けて、早くも校内に侵入した蓮は、菜々美に向かって手を振った。
待つつもりもないらしく、菜々美が校門までやって来るのを見届けると、どんどん中に入っていく。
菜々美も小走りに、彼の背中を追いかけた。
2階建ての校舎の一番端の部屋から、歌声は聞こえてくる。
どうやら、そこが音楽室らしい。
二人は大胆に開け放した窓の下にこそこそ近づくと、そっと顔だけ出して中を覗いた。
音楽室と思われるその教室には、ベートーベンやバッハの肖像画が壁に掛かっている。
古い校舎には似つかわしくない、黒光りしているグランドピアノの前で、10人くらいの女の子達が声を合わせて歌っていた。
ただ、グランドピアノがあるにも拘らず、そこで伴奏するピアニストはいない。
少女達はなんとアカペラで歌っていたのだ。
中学校かと思いきや、どう見ても小学校低学年くらいの大きさの少女達もいて、何のグループであるのか分からない。
少女達が歌っているのは、中学校の教科書にも載っていた合唱曲で、野球部だった蓮を引きずり込んだ、あのコンクールの課題曲だった。
子供ばかりのコーラスの上、伴奏もないので、音程は時々外れて、何より音量がない。
合唱部の部長まで務めた菜々美には、聞いていて歯痒いものだった。
「あー、もう! 腹から声が出てないのよ。発声練習からしないと、これはダメだわ」
窓ガラスに張り付いてブツブツ言い出した菜々美の横で、蓮は可笑しそうに頬杖をついて見ている。
「じゃ、飛び入りで歌わせてもらえばいいじゃないですか」
「知らないオバサンが乱入して、突然歌い出したら、通報されるかもしれないわ」
「ハハハ……そうですね。でも、せっかくピアノがあるのに、誰も弾けないなんて勿体無いなあ。俺が行って弾いてあげようかな」
「あんたこそ、オッサンが乱入していきなりピアノ弾き出したら、不法侵入で通報されるわよ」
校舎の窓ガラスに二人は並んで張り付いたまま、二人は懐かしいメロディを聞いていた。
未来に何の不安もなかったあの頃。
毎日顔を合わす仲間と、他愛のない会話をして、一緒に歌って……。
それだけで毎日が楽しかった。
あんな日々はもう戻ってこない事は分かっている。
隣で頬杖をついている蓮をチラリと見ると、同じ事を考えているのか、遠い目をしてぼんやりと合唱に耳を傾けていた。
その時。
突然、菜々美の後頭部にコツンと何かが当たった。
「イタッ!」と頭を押さえて後ろを振り返ると、低学年くらいの少年達が三人、慌てて走って逃げていくのが見えた。
足元に小さな石ころがポトンと落ちた時、菜々美はようやく自分が石を投げられた事に気がついた。
見ず知らずの大人に喧嘩売るとはどういう了見だ!?
思わずカッとなった菜々美は、逃げていく三人の少年の背中に思いっ切り罵声を浴びせた。
「こらあ、悪ガキども! 後ろから凶器を使うなんて卑怯者のする事よ! 校長先生に言いつけて警察に通報してやるから覚悟しな!」
菜々美の声に三人は立ち止まって、一斉に振り向いた。
三人とも、それぞれにオリジナリティを生かしたアッカンベーをしてから「うるせー、バーカ! ブース!」と罵り返す。
菜々美の脳内で何かがブチッと切れた。
「何ですって!? このクソガキ共……!」
「うるせー! やーい! バンパイア!」
「村から出てけ! バンパイア!」
「うっわ! もう許さないわよ!」
追いかけようとダッシュしかけた菜々美の腕を、蓮がガッシリと掴んで止めた。
「やめましょう。子供のすることですよ」
「何言ってんのよ! こういう時はしっかりとっちめてやらないと教育にならないわ。大体、なんで私がバンパイアなんて呼ばれなきゃなんないの!?」
蓮は申し訳なさそうな顔で、首を竦めた。
「それ、俺のことですよ。どうやら村では、俺のこと、バンパイアってあだ名で呼んでるらしいんです」
「なっ、なんであんたがバンパイアなのよ!?」
スーパーで見知らぬ女性に聞かれたことと相重なって、菜々美は思わず蓮に向かって声を荒げた。
「……多分、俺の外見と昼夜逆転のニート生活のせいです。狭い村では働いてない俺のことが噂になってるみたいなんですよ。見かけもこんなんですしね」
「そりゃ、いい若いモンが働かずにピアノばっかり弾いてたらバンパイアだと思われるわよ。てか、あんた、そのこと気が付いてたの?」
「まあ、子供達は正直なので……。多分、親が自宅で俺の噂しているのを聞いてやってくるのだとは思ってました」
気弱そうな顔で作り笑いを浮かべる後輩を、菜々美は何とも言い難い気持ちで見つめた。
蓮が何したっていうの?
誰に迷惑掛けてるわけでもなく、ただ、一人でひっそりと生きてるだけなのに……!
所詮、こんな田舎で蓮の素晴らしさは理解されることはないんだ。
そう思った途端、菜々美の体に悔しさと怒りが一気に沸き上がった。
「滝沢君!」
「はっ、はい?」
菜々美は彼の前に詰め寄ると、彼のシャツの襟首をグイと掴んで、自分の顔の前まで引き寄せた。
「いい? 今からあんたは私と一緒に名古屋に行くのよ。そこでこれからの事を一緒に考えるの。こんな田舎で燻ってるより、もっとあんたに合った何かが見つかるわ。いいえ、私が見つけてあげる。滝沢蓮を華麗にプロデュースしてやるわ」
「そ、それはありがたいお話ですが、今からですか?」
おろおろする蓮に顔を近付けて、菜々美はきっぱりと言い放った。
「そう! 今からよ! 昼には出るからすぐに支度して!」




