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紅茶王子のピアノカフェ  作者: 南 晶
山奥の紅茶王子
14/28

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 朝食を済ませた菜々美は、ようやく乾いた自前のスーツに着替えて屋敷の外に出た。

 朝日もすっかり登った山の中は木漏れ日が差し込み、あちこちで鳥の声が響いている。

 ヒンヤリした朝の空気を吸い込んで、菜々美は大きく伸びをしてみる。

 確かに名古屋では経験できない清々しさだ。

 こんな綺麗な場所でストレスもなくのんびりと行きていけるなら、自分だってそうしたい。

 だが、喋り相手がいなければ発狂してしまう菜々美には、一週間で飽々してしまう事は想像に難くない。

 その時、爽やかな山の静寂を引き裂くが如く、物凄いエンジンの騒音が屋敷の後ろから響いてきた。 

 

「先輩、買い物に行きますから、乗って下さい」


 屋敷の裏の草むらから、黒いセダンが現れ、運転席から顔を出した蓮が手を振っている。

 明らかに年代物の車種を見て、菜々美は一縷の不安を覚えた。

 恐る恐る近寄ってみると、黒い車体のあちらこちらにぶつけたような凹みがあり、バンパーやミラーの隙間には蜘蛛の巣が張っている。

 助手席のドアに手を掛けるのを躊躇っていると、しびれを切らした蓮が内側から開いた。


「何してるんですか? 早く乗って下さいよ」

「だ、だって、この車にかなりの歴史を感じるんだけど、大丈夫なの?」

「古くても走りますよ。俺一人ならバイクで行くんですけど、先輩が後ろに乗ると荷物が積めなくなっちゃいますからね。車検は通ってるので大丈夫と思います」

「思いますって、あんたね……」

「まあまあ、こんな山の中で事故ったって、ぜいぜい崖から転落するくらいですよ。俺と心中するのがそんなに嫌ですか?」

「心中する前に、崖から転落するのが嫌なのよ、私は!!! あんた、どっかおかしいんじゃないの!?」


 ヒステリックに喚きながら助手席に乗り込む菜々美を横目で眺めて、蓮は苦笑した。

 年代モノらしいシフトレバーをガタッとばかりに下げるとクラッチを踏み込んでハンドルを切る。

 後方に急発進した車の助手席で、菜々美は勢いよく前方に倒れ込んだ。


「ちょ、ちょっと! 急に発進しないでよ!」

「急じゃないですよ。さっきから出発するって言ってるじゃないですか」

「発進する時、声掛けろって言ってんの!」

「はいはい、分かりました。じゃ、今度は前に走りますからね」


 可笑しそうに笑いながら、蓮はハンドルを切った。



◇◇



 蓮が言った通り、カーブの多い山道を少し下って横道に入ると杉林が開けた場所に出た。

 平地の方が少なさそうな土地だが、可能な限り畑や田んぼが作られ、ポツリポツリと民家が2,3軒毎に集まった集落が見える。

 田んぼ地帯の向こうには2階建てくらいの鉄筋の建物もあって、ここに文明社会がある事は間違いなさそうだ。

 あぜ道と思しき道を黒いセダンは最徐行で進んでいく。

 窓から顔を出して、菜々美は広大な田舎の景色をぐるりと見回した。


「うっわあー! こんなとこにも人が住んでるのね」

「同じ日本ですから、人なんてどこにでも住んでますよ。ケータイもここなら使えますし。この集落の人口は千人もいないと思いますけど、小学校くらいはあるんです。あと、小さい診療所と、村役場と、スーパー。俺はいつもそこまで買い物に行くんです。小さいですけど大抵のものは揃います」


 そんな話をしている間に、二人を載せたセダンは小さなスーパーのだだっ広い駐車場に入った。

 入り口で井戸端会議をしていた年配の女性達が、ギョッとしたように一斉にこちらを振り向く。

 菜々美の母親と同年代くらいで、いかにも農家の嫁といった風な素朴な出で立ちの女性が三人、こちらを凝視している。

 車から降りた蓮と菜々美を見ると、三人は気まずそうに視線を逸らせて、ヒソヒソと話を続けた。

 蓮は気にする様子もなく、三人の前を颯爽と通り過ぎると、スーパーの中にさっさと入って行った。

 菜々美も慌てて後を追ったが、どう見ても蓮を目で追っている風な三人が気になった。

 人口が千人もいないこの村で、ただでさえ人目を引く蓮の風貌は、怖いくらいに目立っているに違いない。

 定職もなく、山の上に建っている洋館に一人で暮らしている蓮が、村人と友好的に交流しているとは考えられない。

 村八分とはいかなくても、かなり浮いた存在であることは想像に難くない。

 無遠慮な視線を投げかけてくる女性達の前を通り、菜々美もスーパーに入ると、既に買い物カゴ一杯にリンゴを入れた蓮がウロウロ歩き回っていた。

 菜々美に気がつくと、無邪気に笑って話し掛けてくる。

 レジに立っている30代くらいの女性が、不信感も顕に送ってくる視線には、全く気がついていないようだ。


「先輩、今日は帰るんでしょう? 夕飯くらいは食べていく時間はありますか?」

「え、あ、そうね。でも、暗くなるとまた運転が怖いから、昼には帰らなくちゃ」

「えー……、そんなこと言わないで、夕飯まで食べていって下さいよ。昨日は有り合わせの物で作ったけど、今日はちゃんと買い物して材料用意しますから。何か食べたいものあれば、ここで買っていくので言って下さい」

 

 目尻を下げて懇願する蓮は子供のように頼りない。

 この問題の多い後輩をここに一人で置いて帰るのは後ろ髪を引かれる思いではあったが、菜々美にも仕事と生活がある。

 明日からまた出勤する事を考えたら、少しでも早く山を降りて名古屋に帰りたい。

 夕飯まで食べていたら、夜中に運転する羽目になって、また一晩泊まってしまうだろう。

 切ない視線を送ってくる蓮を見上げて、菜々美は申し訳なく返事をする。


「ごめん。明日、どうしても仕事休めないんだわ。夕飯はまた次回にお願いする。また遊びに来るから」

「そうですか。分かりました。じゃ、せめて昼食は作らせて下さい、ね?」


 肩を竦めると、蓮は割とサバサバした口調でそう言った。

 琥珀色の瞳を細めてわざとらしく笑うと、買い物カゴを担いでレジに向かって大股で歩いて行く。


……蓮は寂しいんだ。


 全身で「帰らないでコール」を発信している後ろ姿を見つめながら、菜々美がぼんやりと考えていると、背後から割烹着を着た丸っこい女性が惣菜のカウンターからひょっこり現れ、菜々美の背中をチョンと突いた。

 小柄な菜々美と同じくらいの背丈だが、全体的に丸みを帯びたシルエットに白い割烹着を着た姿は、かのネコ型ロボットを連想させる。

 色白の丸っこい顔に大きな目をキラキラさせて、女性は菜々美に小声で話し掛けた。


「ねえ、あなた、あの人の奥さんなの?」

「ええっ!? ち、違いますよ。私は名古屋の広告会社の社員で、ここには営業に来ただけです」


 菜々美が咄嗟に無難な返事をすると、女性はあからさまに残念な表情をして唇を尖らせた。


「何だ、仕事で来た人だったの。じゃあ、あの人の事、あんまり知らないわよね」

「あの人の何を、ですか?」

「いやね、あの綺麗な男の人、時々、ここに買い物に来るんだけどさ、村の人間とも付き合いないし、山の中で何してる人かも分かんないし、なんか訳ありな人なんじゃないかって噂してたのよ」

「訳あり?」

「いや、だから、刑務所から出てきた仮釈放の人なんじゃないかとか、借金から逃げてる人なんじゃないかとか、指名手配中の犯罪者なんじゃないかとか……。まあ、村の中で皆が、憶測で話してるだけなんだけどね」

「あの~、彼が犯罪者に見えます?」

「分かんないから噂になるのよ。あの人、村の人間と交流する気はないみたいだしね。情報がないのは気味悪いもんよ」

「気味悪いですか」

「そりゃ、そうよ。あの人、顔が綺麗だから、最初はお忍びで別荘に来た芸能人かとも思ったけど、何年も一人であんな山に住んでるなんて普通の人じゃないよね。大体、仕事もしてなさそうだし、どうやって生計立ててんのか……。いい若いモンが何やってんのかしらね。あ、名古屋から来たあんたにこんな事言っても仕方ないけどね」


 喋り過ぎたと思ったのか、丸い体を更に丸めて、女性は口を抑えながらそそくさと惣菜のカウンターの後ろに消えていった。

 残された菜々美は何とも複雑な気分になって、レジで支払いをしている蓮を見つめる。

 応対をしているレジの女性も愛想もなく、寧ろ訝しげに蓮を横目で睨みながら釣り銭を渡している。

 

……完全にアウェイじゃん。

 

 この村での蓮の立ち位置が何となく見えて、菜々美は暗い気持ちになった。

 


 

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