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紅茶王子のピアノカフェ  作者: 南 晶
山奥の紅茶王子
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◇◇


 カーテンの隙間から差し込んでくる薄い光で、菜々美は目を覚ました。

 ぼんやりした頭で周りを見ると、自分の部屋ではないどこかにいる事はすぐに分かった。

 夜明け前の薄暗い部屋を見回すと、昨夜は気が付かなかった三方の窓のカーテンから弱い光りが漏れている。

 10畳くらいの広い部屋にはクローゼットと、今自分が横になっている大きめのベッドがあるだけで、全体的に殺風景だ。

 それで床一面に散らばった脱ぎかけた服や、開いたまま放置された雑誌、空のペットボトルの存在が、男のひとり暮らしに相応しい様相を醸し出している。

 気温が下がっているのか、ヒンヤリとした冷気を肌で感じて、菜々美は身震いした。

 気がつけば、風呂上がりに着たシャツとジャージという姿のまま、菜々美はベッドに横たわっていた。

 その横には、スヤスヤと規則的に呼吸をして眠っている男性……。

 それが、昨日再会した高校時代の後輩だという事を思い出すのに、時間は掛からなかった。


 私ったら、いつの間にか、滝沢君と一緒に眠ってしまったんだ。


 ようやく動き出した頭で、昨日の出来事を思い返して、菜々美は改めて蓮の寝顔を見つめる。

 彫刻みたいに綺麗な顔なのに、口を少し開いたまま眠っているのが人間ぽくて微笑ましい。

 部屋の中の冷気で鳥肌が立って、菜々美は慌てて蓮に寄り添って横になると、二人の体をスッポリ覆うように布団を被った。

 布団の中で眠っている蓮の体は体温が上がっていて、触れると温もりが心地良い。

 蓮の体温から暖を取るかの如く、菜々美はくの字になった彼の体に沿うような姿勢でくっついてみる。

 骨ばった華奢な背中は、見た目よりずっと大きく感じる。

 広告代理店に入社してからずっと仕事に振り回されて生きてきた菜々美には、誰かの肌に触れて眠った事など太古の昔の出来事のようだ。

 当然、アチラの方も長いことご無沙汰だったが、こんなに異性に接近していながら妙な気が起きないのは不思議だった。

 寧ろ、この温もりの中でいつまでもまどろんでいたい……。

 そう思って、菜々美が彼の背中に顔をすり寄せたその時。

 

「う……ん?」


 体に触れる感触が分かったのか、蓮は寝ぼけた声で呻きながら寝返りを打った。

 背中を向けていた彼の体がひっくり返って、菜々美と向かい合う姿勢になると、蓮は薄っすらと目を開けた。

 至近距離で見た蓮のヘーゼルの瞳は充血していて、まさに二日酔いの様相だ。

 蓮はしばらく呆けたように菜々美の顔を凝視した後、寝ぼけた両目を突然、見開いた。


「あ、せ、先輩!?」

「そうよ、おはよう。もう朝みたいね。私達、一緒に寝ちゃったみたい」

「い、一緒に寝ちゃった!?」


 寝ぼけていた蓮の白い顔が、突如、驚愕の表情に変わった。

 布団を跳ね除けてムクリと上半身を起こすと、クシャクシャに乱れた柔らかい髪を掻き混ぜる。


「うわあ、すいません! 俺、全然覚えてないんです! 責任は取りますから、どうか警察にだけは言わないで下さい!」


 青褪めた表情で必死で訴える蓮を見て、菜々美はプッと吹き出した。


「バカね。何勘違いしてんのよ。変な事は何もなかったわよ。ただ、疲れて一緒に寝てただけで」

「ほ、本当ですか? いや、俺、酔ってからの記憶が全然なくって……」

「私に言った事も覚えてないの?」

「な、何か変な事、俺、言いましたか?」

「別に。でも、あんたの人生がさほど満ち足りてないことが分かったわ」

「お、俺の人生!?って、そんな哲学的な事、酔った勢いで言ってたんですか?」

「さあね」


 蓮の慌て振りが可笑しくて、菜々美はわざとはぐらかしてみせる。

 自分から勧めた一杯の梅酒で勝手に泥酔した後、先輩を放置したまま一人で爆睡し、起きたら何も覚えていないとは……。

 おめでたいにも程がある。

 これが会社の新入社員歓送会ならば、翌日から仕事を回してもらえないだろう。

 彼の天然な性格は、会社勤めには向いてなかったのかもしれない。

「社会不適合者」だと昨夜自分で言っていたが、一体、どんな理由なんだろう……。


 考え込んだ菜々美を、蓮はビクビクしながらチラ見している。

 叱られるのを怖がっている子供みたいだ。

 昨日、この館で会った時の蓮は、確かにヨーロッパの童話に出てくる王子様みたいだった。

 その正体が合唱部の後輩で、野球部出身の『小坊主君』だったという事実。

 お金はあるが、5年間も無職のまま引き篭もり生活を続けているという、お世辞にも頼り甲斐があるとは言えない内向的、且つネガティブな性格。

 いつも誰かが現れるのを期待して、自分が飲めない梅酒を毎年漬けているという乙女っぷり。

 イケメン紅茶王子のイメージは、今、菜々美の頭の中でガラガラと音を立てて崩れ出し、その代わりにこの寂しがりの社会不適合者を守ってやりたい衝動が沸き上がってくる。 

 それは恋愛感情というより母性愛に近い、言わば家族愛なのか?


「先輩! 先輩ってば! どうしたんですか? 考えてないで何か言って下さいよ! 俺、昨日何言ったんですか?」

「え!?」


 菜々美はハッとして我に返った。

 蓮が許しを乞うように菜々美を上目遣いで見ながら、小さくなっている。

 寝癖のついた柔らかい栗色の髪から覗く淡いヘーゼルの瞳。

 日本人離れした端正な顔立ち。

 長い手足と陶磁器のように滑らかな白い肌。

 少なくとも見かけは完璧なのに、決定的に欠如しているものが彼にはある。


 菜々美は溜息をつきながらようやく返事をした。


「何でもないわ。あなたを何とかしてあげたいと思っただけ」

「え…、それって…先輩も俺のこと?」

「はあ?」


 想定外の言葉に、菜々美は眉間を寄せた。

 白い顔を少し赤らめて、蓮はそっと手を伸ばすと菜々美の髪に触れた。

 菜々美の首筋にそっと触れ、指先で唇に触れる。

 そのまま近づいてくる彼の顔を、菜々美はグイと押し返すときっぱりと言った。


「ごめん!、あんたの事、まだ男として見れないわ」



 

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