第3話:冷雨の追っ手と、七色の真価
廃小屋の隙間風が、吹き消した竈の灰を小さく舞い上げた。
「イクミ、物陰に隠れて息を潜めていてくれ」
「え、、リオ、でも……!」
「大丈夫だ。僕には素材の構造を視る力がある。……君は絶対に顔を出さないで」
リオは小声で囁き、イクミを粗末な木箱の陰へと押し込んだ。彼女の服や持ち物は、この世界の人間が見れば一目で異質だとわかる。追っ手に余計な情報を与えるわけにはいかない。
軋む床を踏みしめ、リオは古びた木製の扉を押し開けて夜の帳へと歩み出た。
境界林の湿った空気の中に、松明の油煙が漂っている。
森の闇を赤く照らし出していたのは、王立工房の紋章が刻まれた革鎧を纏う男二人だった。一人は腰に長剣を佩いた下級衛兵、もう一人はペサードの私兵として雇われている目つきの濁った大柄の錬金術見習いだ。
「おやおや? 出てきたぜ。森の獣に食い殺されてるかと思えば、随分とのんきに野宿の準備かい? リオ特級……いや、ただの追放者だったな」
見習いの男が、松明をリオの顔の前に突きつけて下卑た笑いを浮かべる。
「わりぃけど、ペサード工房長からの命令でね。 お前が工房の研究資料や魔導結晶の横領をしていないか、所持品をすべて検分させてもらう。……まあ、大人しく手持ちの金目になりそうな素材を全部差し出せば、痛い目を見ずに済ませてやるよ」
あからさまな言いがかりであり、私腹を肥やすための恐喝だった。
王立工房の権威を盾に、追放された無力な少年からなけなしの私財を奪い尽くす魂胆なのは明白だ。
「僕が工房の私物を持ち出していないことは、退去時の手荷物検査で確認済みのはずだ。ここにあるのは僕個人の生活道具と、この森で拾った雑多な石ころしかない」
リオは震える感情を押し殺して告げた。
衛兵の男が鼻を鳴らし、柄に手をかけながら一歩踏み出してくる。
「石ころだぁ? 減らず口叩いてんじゃねえぞ小僧。お前のその地味な『詳細把握』だか何だかの小細工で、質のいい魔導触媒でも隠し持ってるんじゃねえのか? ほら、その懐を確かめさせろ」
衛兵がリオの胸元へ乱暴に手を伸ばした。
リオの懐には、先ほど完成したばかりの「超高純度マナ・シリカ」が入っている。 これが奪われれば、今後の工房立ち上げの資金源も、研究の足がかりも失われてしまう。
(――やるしかない)
リオは後退りするふりをして、足元に視線を落とした。
泥に埋もれた古い鉄製の薪割り斧が転がっている。
「……動くなと言ったはずだ!」
衛兵が苛立ち、腰の長剣を半分引き抜いた。その切っ先がリオの首元に向けられる。
距離は一歩。
リオは両手を上げる仕草をしながら、左手の指先を、衛兵の腰にある長剣の鞘の「金具」へ滑り込ませた。
(【詳細把握】――起動)
極小のスケールへと焦点を合わせる。
イクミとの対話によって拡張された視界は、金属の表面ではなく、鉄と炭素、そして不純物の硫黄が不均一に絡み合う分子の格子を一瞬で捉えた。
(鉄の純度が低く、結晶の結びつきに亀裂が多い。魔力を流せば……脆くできる!)
リオはスキル【再配置】の魔力を指先から流し込んだ。
スキルの発動には、対象に触れ続けて魔力を浸透させる「接触維持」の時間が必要だ。
一秒、二秒。
「おい、てめぇ! 何を触ってやがる!」
衛兵が異変に気づき、剣を完全に引き抜こうと腕に力を込めた。
三秒。
魔力が鞘の留め金具の内部まで行き渡る。
「今だ……っ!」
リオは金具の内部構造を乱雑に再配置し、分子の結合を意図的に断ち切った。
直後、ガキィンと乾いた金属音が響く。
「な、なんだぁ!?」
鞘の留め金が一瞬で砕け散り、固定を失った長剣が鞘ごと泥濘の中へと脱落した。重心を崩した衛兵が、前のめりにたたらを踏む。
「てめぇ、何細工しやがった!」
もう一人の見習い男が激昂し、手に持った魔導短杖をリオへと向けた。先端の赤い魔導石が光を放ち、初級の火炎弾が励起されようとする。
「焼き焦がしてやる!」
男が呪文を唱え切る直前、リオは飛び退くのではなく、逆に前へと踏み込んだ。
相手が火炎の焦点を合わせるよりも速く、リオの手は見習い男が掲げる魔導短杖の「先端の魔導石」へと伸ばされる。
パシッ、と掌が魔導石に触れた。
「死ねッ!」
男がトリガーを引く。
だが、術式は発動しなかった。
「……あ? なんで火が出ねえ!?」
男が狼狽えて短杖を振る。
リオの手が触れていたわずか数秒の間、リオは魔導石の内部に魔力を浸透させ、その規則正しい魔力導線の配列を、ただの「無秩序な砂粒の結合」へと再配置して破壊していた。
「な……石が、濁って……!?」
先端で輝いていたはずの赤い魔導石は、光を完全に失い、ただの脆い灰色の泥塊へと成り果てていた。魔力を通すための結晶構造が完全に崩壊し、術式の回路が物理的に途絶したのだ。
「ひ、ひぃっ……! お前、何をしやがった!?」
未知の現象に怯え、見習い男が後ずさる。
リオは冷徹な眼差しを崩さず、懐から先ほど生成した親指大の結晶を取り出し、指先でつまんで月光の下へと掲げた。
「ペサード工房長に伝えろ。僕の研究資料を漁る暇があるなら、自分の工房の安全管理でも見直したらどうだ、とね」
掲げられた結晶が、青白い月光を浴びて七色のまばゆい光彩を周囲に乱反射させた。
泥炭と闇に包まれた森の中で、そこだけが別世界のように神々しく輝き渡る。
「な……んだ、その光は……!?」
「ま、まさか……マナ・シリカ!? いや、そんな馬鹿な! 天然のマナ・シリカがこんな澄んだ光を放つわけがねえ! 王立工房の最高級品ですら、こんな濁りのねえ輝きは……!」
錬金術の見習いである男には、その結晶が放つ光の異常さが一目で理解できた。
不純物が皆無で、光の屈折が完璧な幾何学を描いている。それは、王立工房のいかなる設備を用いても決して精製できない、神話の領域の結晶体だった。
「ひ、拾ったものじゃない……お前が、その手で作ったのか……!?」
腰を抜かした衛兵と、青ざめた見習い男は、もはやリオを「無力な追放者」として見ることはできなかった。目の前にいるのは、触れるだけで武器を壊し、魔導具を無力化し、常識外の超高純度結晶を手の中で生み出してみせる、得体の知れない怪物だった。
「ぼ、覚えてろよ……! ペサード様に報告してやるからな!」
負け惜しみを吐き捨てながら、二人は転がるようにして森の暗がりへと逃げ去っていった。
乱暴に踏み荒らされた下草の音が遠ざかり、再び境界林に夜の静寂が戻る。
「……ふぅ」
リオは深く息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。
手のひらには冷たい汗がびっしりと滲み、魔力を急激に絞り出したせいで軽い目眩がする。
「リオ!」
廃小屋の扉が開き、イクミが駆け寄ってきた。
「大丈夫!? 怪我はない!?」
「ああ、なんとか追い払えたよ。……君の言う通り、構造を直接視て組み替えるやり方は、武器を壊すのにも使えるみたいだ」
リオは泥に汚れた自分の手を見つめ、微かに口元を緩めた。
追放された時に感じていた無力感は、もうどこにもなかった。
「これで、王立工房も迂闊には手を出せなくなるはずだ。……でも、ペサードがこの結晶の噂を聞きつければ、次はもっと厄介な手段を使ってくるかもしれない」
「なら、先手を打つしかないわね」
イクミは毅然とした表情で、リオの手の中にある七色に輝くマナ・シリカを見つめた。
「この素材を街へ持っていって、本当に腕のある、信頼できる職人を見つけるの。ペサードたち王立工房が手を出せないくらい、圧倒的な実績と後ろ盾を、私たちの魔科学で先に作り上げてしまいましょう」
二人の視線が合わさり、確かな決意が交わされる。
夜明けの気配が、東の空をうっすらと白ませ始めていた。
第3話までお読みいただき、本当にありがとうございました!
本日公開分はここまでとなります。
リオと地球から来たイクミ。二人の「魔科学」の歩みは、ここからさらに加速していきます!
明日の18:00には、第4話を投稿予定です。
(※以降、できるだけ毎日18:00に更新いたします!)
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