第1話:王立工房の落日子と、異邦の触媒
はじめまして、宇寄ともなと申します。
本作をお手に取っていただき、誠にありがとうございます!
追放された少年錬金術師と、地球からやってきた理系女子高生による「魔科学」クラフトファンタジーです。
楽しんでいただけましたら幸いです!
王立第弐錬金術工房の主任研究室に、冷ややかな嘲笑が響いていた。
「――以上が、我が研究室の提出する『魔導回路の効率化に関する最終報告』です。従来品に比べ、魔力の伝達損失を約四分の一にまで圧縮することに成功しました」
執務机の前で、リオ・エストラダは直立の姿勢を保っていた。
一七歳という異例の若さで昇進を果たした証である銀章が、リオの胸元で鈍い光を返している。
しかし、上座の豪奢な革張りソファに深く腰掛けていた工房長ペサードは、微かに鼻を鳴らすと、手元にあった羊皮紙の束を放り投げた。パサリと乾いた音を立てて、リオが何日も徹夜して綴った報告書が毛足の長い絨毯の上へ滑り落ちる。
「おいおい、リオ君。冗談は給料日を過ぎてからにしてくれんかね」
「冗談などではありません。ここに記した魔力導線の配列パターンを――」
「無駄だと言っているんだよッ!」
ドッ、と激しい音を立てて机が叩かれた。
立ち上がったペサードの額には太い青筋が浮かび、唇を吊り上げてリオを睨み据えている。彼一人ではない。部屋の壁際に控えていた他の上級研究員たちも、値踏みするように細めた目を向け、口元に冷たい笑みを貼り付けていた。
「君のその〈詳細把握〉とやらでこしらえた微細な回路だがね、たしかに見た目だけは整っているよ。だが、それが一体どうしたというのだ? 我々が求めているのは、圧倒的な火力を誇る大魔導砲であり、国家の威信を示す巨大な防衛結界なのだよ! 木の葉の葉脈を一本一本数えるような、そんなちまちました手慰みなど、我が工房の格に泥を塗るだけの役立たずの道楽だ!」
「……役立たず、ですか」
「そうだ! お前が数カ月かけて調整したその成果とやらも、既存の魔導石の出力をわずかに底上げするだけではないか。派手さのかけらもない、お前のその根性そのものが地味なのだよ!」
低く湿った含み笑いが、研究室のよどんだ空気を満たしていく。
リオは足元に散らばった自身の研究報告書を、静かに見下ろした。
自らのスキルを大層なものだと過信していたわけではない。彼にとっての〈詳細把握〉とは、触れた素材の表面的な性質が頭に浮かぶ程度の力であり、〈再配置〉もまた、その情報に従って素材の形を少し整える程度のことしかできなかった。上層部が求めるような派手な破壊魔法や巨大な魔石を生み出せない以上、彼らに『地味で実用性のない小手先の芸』と切り捨てられてしまえば、ぐうの音も出ないのが冷厳な現実だった。
見掛け倒しで大味な魔道具を作る気にもなれず、ただ効率と精度を突き詰めようとしていたのだ。遅かれ早かれ、こうなる運命だったのかもしれない。
「本日付けで、君の特級研究員の資格を剥奪する。同時に、この王立工房からの無期限追放処分を下す。――おい、衛兵。この不毛なゴミを外につまみ出せ!」
ペサードの吐き捨てるような合図とともに、重厚な扉が開き、甲冑を擦り鳴らして二人の衛兵が入ってきた。
有無を言わさず両腕を締め上げられる。抵抗する隙すら与えられず、リオは足をもつれさせながら連行された。
放り投げるように突き出された先は、冷たい雨の降る王都の路地だった。
石畳の泥水が跳ね、膝や上衣を汚す。
背後で、重い鉄張りの扉が乱暴に閉ざされ、錠の落ちる鈍い金属音が響いた。
降り注ぐ雨水が瞬く間に衣服を重く濡らし、容赦のない冷気がじんじんと肌の奥まで染み込んでくる。
(……結局、僕のスキルなんてこの程度だ)
膝の泥を手で払い、リオはよろめきながら膝に手をついて立ち上がった。
怒りで熱くなるようなこともない。ただ、口の中に残る苦みと、胸の奥に冷たい隙間風が吹き抜けていくような静けさだけが、悔し涙と一緒に雨音へ紛れていた。
◆
王都を後にしたリオは、身の回りのわずかな道具と研究ノートを背負って、人が踏み入らない領域『深緑の境界林』へと足を踏み入れていた。以前、研究資源を探しに立ち入った時に目についていた記憶を頼りに草木をかき分けて進む。
街道から遠く離れた森の奥、鬱蒼とした木々に埋もれるようにして古い廃小屋が佇んでいる。かつて隠遁した先達の錬金術師が残したと思しきその場所を、リオは当座の住処と定めた。
もう誰かの顔色を窺う必要もない。ここで細々と、扱える素材だけを弄って暮らしていくか――。
小さく息を吐き、煤けた竈に薪をくべて火を起こそうとした、その時だった。
――ズズン……ッ!
大気が軋むような異様な重圧が肌を叩き、頭上の破れた屋根の隙間から空間が紫電を帯びて裂けるのが見える。
まるで夜空そのものが砕け散ったかのような轟音が森を震わせ、空間の裂け目から、眩い閃光とともに何かが猛烈な勢いで地面へと叩きつけられた。
暴風のような衝撃波が周囲の枝葉を激しく薙ぎ倒し、立ち込める土煙と熱風が廃小屋の窓枠をガタガタと震わせた。
リオはとっさに腰の短剣を抜き放ち、廃小屋から身を低く保ちながら、白煙の立ち上るクレーターの中心へと恐る恐る足を進めた。
そこに倒れていたのは、凶暴な魔獣でも、天災の残滓でもなかった。
見たこともない奇妙な織り目の衣服をまとった、黒髪の少女だった。
年齢はリオと同じくらい、十七歳前後だろうか。
煤にまみれてはいるものの、鼻筋の通った整った顔立ちをしている。彼女のすぐ傍らには、金属とガラス?でできた未知の精密な板状の器具が転がっていた。
何より異様だったのは、その身体から、この世界の生き物なら誰もが微かに放っているはずの魔力の揺らぎが、塵一つ分すら感じられないことだった。
「……う……ん……」
少女が身じろぎをし、固く閉ざされていた瞼がすこしづつ明かりを確かめるように持ち上がった。
焦点の定まらない瞳が彷徨い、やがて、短剣を握りしめて自分を見下ろすリオの姿を捉えて目が見開かれる。
「……あなた誰!? その刃物で私に何するつもり!?」
「いやっ! これは……君が突然現れたから念のため……大丈夫か、立てるか?」
リオが警戒を解かずに声を掛けると、少女――井原郁美と名乗った少女は、泥だらけの自分の両手をぼうっと見つめた。それから、頭上に覆いかぶさる鬱蒼とした巨木の原生林と、紫色のオーロラが揺れる異様な夜空を見上げ、短く息を呑んだ。
「木……? 空……? 嘘でしょ、さっきまで私、実験室にいたはずなのに……!」
混乱のあまり過呼吸になりかけるイクミの肩を支え、リオはひとまず彼女を廃小屋の中へと招いた。このままではさっきの轟音で逃げた森の獣も戻ってきてしまう。
熱い白湯を差し出し、途切れ途切れの言葉に耳を傾けるうちに、リオは彼女がこの世界の人間ではないことを知った。『地球』と呼ばれる、魔法の存在しない別の世界からきてしまったらしい。彼女もリオが危害を加える気がないことを感じたのか、徐々に警戒を解いていった。
同時に、イクミもまた、自分が投げ出された過酷な現実を突きつけられていた。
ここは剣と魔法が支配し、植物を原料とした安価な紙すら普及しておらず、羊皮紙が貴重品として扱われる中世のような文明圏であること。そして目の前にいるリオが、組織を理不尽に追放されたばかりの少年錬金術師であること。
「魔法はあるのに、技術はこんなに遅れてるなんて……。むしろ魔法があるのが理由かしら……。紙すらない世界で、私、どうやって生きていけばいいのよ……」
膝を抱えて項垂れるイクミに、リオは竈の赤く揺れる火を見つめながら、静かに自嘲の息を零した。
「すまないな。僕のスキルがもっと役に立つものなら、君を元の世界へ帰す手がかりくらい見つけられたかもしれないんだが……。僕にできるのは、触れた素材の大雑把な使い道が頭に浮かんで、その通りの形に少しだけ整える〈再配置〉と〈詳細把握〉くらいだ。それも既存の魔石の不純物を少し減らして、導線をなぞる程度の芸当しかできない。工房の連中からも、使い道のないゴミだと捨てられたよ」
溜息を交えたリオの告白に、イクミはハッとしたように顔を上げた。
「……スキル? 魔法とか、特殊能力のことよね? 私にも何かそういうの、あるのかな……ステータスオープン、とか!?」
イクミは真剣な眼差しで虚空に手をかざし、祈るように呟いてみた。しかし、薄暗い小屋の空気が揺らぐことすらなく、ただ薪のはぜるパチパチという音だけが落ちてくる。心なしかイクミが少し気恥ずかしそうだ。
「……何も起きないわね。身体もすごく重いし、さっきリオが言ってた『魔力』って感覚も全然分からない」
「ああ……君からは、魔力の気配がまったく感じられないんだ。この世界の人間なら誰でも微量な魔力を持っているし、生まれつき何かしらのスキルが体に馴染んでいるものなんだけど……君の体は、この世界の法則から完全に切り離されているみたいだ」
「私、完全にただの一般人ってこと……!? 魔法もスキルもゼロの状態で放り出されたわけね……!」
がっくりと肩を落とし、イクミは深いため息を吐き出した。
だが、数秒ほど俯いた後、飲み終えた白湯のカップのふちをなぞりながら少し考え込むと、何かを確かめるように小さく顎に指を添え、少し頭を傾げてリオの顔をじっと覗き込んできた。
「でも、リオにはそのスキルがあるのよね。さっきの〈詳細把握〉って、具体的にどういうふうに見えているの? 素材の使い道が浮かぶって言ってたけど」
「どうって……」
急な問いかけに戸惑いながら、どう説明したものかとリオは記憶を探るように言葉を選ぶ。
「錬金術の書物に載っているような『鉱物の性質』や『魔力の通り道』が、ぼんやりと頭に入ってくる感覚だ。それ以上でも、以下でもないよ」
イクミは白湯のカップをじっと見つめて少し考える仕草を見せると、足元に転がっていた石ころを拾い上げ、リオの目の前にコトリと置いた。
「たとえば、この石。リオのスキルだと、どう見えているの?」
「……ただの質の悪い魔石のカスだ。土の魔力が混じっていて、中は濁った砂粒の集まりになっている」
「じゃあ、その『砂粒』の一つにだけ集中して、もっとよく見てみて。砂粒の中身はどうなっている?」
「砂粒の中? いや、砂は砂だ。それ以上細かく見ようとしても、霧がかかったみたいにぼやけるだけで……」
「ぼやけるってことは、そこから先は『見えない』んじゃなくて――あなたが『最初からそういうものだ』と思い込んで、ピントを合わせていないだけかもしれないわ」
「え……」
こころの奥まで見透かすような 迷いのない眼差しで告げられた言葉に、リオは虚を突かれたように目を見張った。
イクミはクズ石を握るとリオの手に乗せて、そっと自分の冷えた指先を重ねてくる。
「私の世界ではね、どんな物質も、目に見えないほど極小の粒が集まってできているの。だから、もっと目を凝らしてみて。その砂粒よりもずっと奥へ……分厚いレンズでどこまでも覗き込むように、意識を集中して!」
極小の粒の、集まり。
荒唐無稽な話だと思いつつも、彼女の真剣な瞳に押されるようにして、リオは指先に魔力を巡らせた。
これまで無意識のうちに『砂粒の性質』として知覚し、そこで止めていた認識の境界線。そのさらに奥底へと、意識の針を研ぎ澄まし、強引に〈詳細把握〉の焦点を絞り込んでいく。
(……もっと奥……砂粒を形作っている、見えない粒……!)
「……あ……」
リオの視界が、ぐらりと揺らいだ。
目の前を覆っていた分厚い霧が晴れ渡るように、濁った石の内部が急激に引き寄せられ、拡大されていく奇妙な感覚に呑まれる。
「どう!? 何か見えてきた!?」
「……粒だ。本当に、極小の粒のようなものが見える……。二種類の違う粒が、不規則にぐちゃぐちゃに混ざり合って、網目のようなものを形作っている……」
「二種類……きっと、珪素と酸素の原子ね! 他には!? 規則正しくは並んでいないの!?」
「並んでない。泥や土の魔力が間に挟まっていて、結びつきが歪んでいる。だからこの石は脆くて、光も通さないんだ……!」
自分の唇から次々と溢れ出る言葉に、リオ自身が一番の衝撃を受けていた。
これまで『ただの濁った石』としか認識していなかった物の、本当の構造。それが今、網膜に焼き付くほど鮮やかな光の光景となって、リオの頭に流れ込んでいた。
見えないはずの理を解き明かし、あるべき形へと組み替えていく――職人としての奥底に眠っていた直感が、全身の血を熱く滾らせていく。
「すごい……本当に見えているのね! じゃあリオ、あなたの〈再配置〉っていうスキルは、その『結びつき』を並べ替えることはできるの!?」
「並べ替える……? 分からない。でも、不要な泥を弾き出して、この二種類の粒だけを……綺麗に、規則正しく手を繋がせるように魔力を通せば……!」
濁ったクズ石を握りしめるリオの指先に、これまでとは違う、澄み切った淡い魔力の光が宿り始めていた。
第1話をお読みいただきありがとうございました!
本日この後、以下のスケジュールで第3話まで連続公開いたします。
・19:00 第2話
・20:00 第3話
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