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短編

シャスタデージー

作者: 太田

 僕の名前は、今福博(いまふく ひろし)


 この世界では、時間が通貨だった。


 人は生まれた瞬間に「余命残高」を与えられる。金は存在せず、欲しいものがあれば自分の未来を差し出す。それだけだ。時間を使う度にこの特殊な腕時計の残り時間がどんどん減っていく。


パン一斤で20分。

スマートフォンで3日。

家一軒なら、30年。


 だから誰もが慎重に生きる。無駄遣いはしない。衝動買いもしない。

 

 恋人と過ごすひとときでさえ、腕時計の数字が脳裏をよぎる。


 僕の残り余命は、5日と4時間32分2秒


 少なすぎる。その事実を、家族は知らない。


 父は早くに亡くなり、母は病に倒れた。


 家族を支える役目は、自然と僕に回ってきた。


 生まれたとき、僕の余命は80年近くあった。 


 それが、母の医療費に消え、妹と弟の学費に削られ、食費や光熱費、家賃に溶けていった。


 気づけばこんな時間になっていた。


 フリーターとして働いてはいたが、稼げる時間はわずかだった。


 結局、足りない分を自分の余命で補うしかなかった。


 弟はこの春、大学を卒業した。妹も、もう社会人だ。母も、間もなく退院できるらしい。


 もう、僕が支えなくてもいい。


 それでも時々、考えてしまう。


 僕は何のために生きてきたのだろう、と。自分のためか。人のためか。


 考え始めると、胸の奥が空洞になる。


 死にたい、と思うこともあった。けれど死ねなかった。家族を置いていけなかったからだ。


 だが、その理由も、もうなくなった。


 僕は誰にも告げず、静かに家を出た。


 街へ出て、意味もなくショーウィンドウを眺めて歩く。その中の一つに、小さなガラス細工があった。


 息をのむほど、綺麗だった。


 値札には、こう書かれていた。


 5日。


 僕の寿命の、ほとんどすべてだ。


 迷いはなかった。


 それは、生まれて初めて「手元に残るもの」を買った瞬間だった。


 紙袋を提げ、適当に電車に乗る。

 

 降りたのは、見知らぬ田舎の駅。


 駅前には、小さな山と、深い緑が広がっていた。


 僕は山へ入っていく。


 少し歩いたところで、一本の木にもたれかかった。


 腕時計を見る。


 残り20分。


 木々の隙間から差し込む光を、ぼんやりと眺める。僕がいなくなっても、妹と弟がきっと母を支えてくれるだろう。


 人生に、飽きたのだ。


 変わらない日々。


 楽しみも、未来もない。


 結局、僕は最後まで「人のために生きる人間」だった。空っぽだ。


 袋からガラス細工を取り出す。


 白い花を模したそれは、宝石の欠片を散りばめられ、わずかに光を返していた。


 風が木々を揺らし、森が静かに息をしている。


 その音に、僕は包まれていた。


 花を見つめ脳裏に焼き付けながら、僕はゆっくりと目を閉じた。

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