第四話「骸の賢者と命の光」
魔王城の最下層、数万冊の古文書が放つ黴の匂いと、死霊の溜息が渦巻く禁忌の書庫。 そこに、我が軍の参謀にして宮廷魔導師、リッチのモルテはいた。数千年の時を経て肉体を捨てた彼は、今や「生」への執着も興味も失った、歩く魔導の結晶体だ。
「ザルガス様……。我ら死者に、生者の排泄物の匂いを嗅がせに来たのですか」
モルテが空洞の眼窩に宿る冷たい燐光を揺らし、不機嫌そうに顎の骨を鳴らした。 私は、執務室から離れようとしないネルを連れ、彼の前に立った。目的は、魔界の毒素への耐性確認。……のはずだった。
「おじいちゃん、骨っこ。……お星さまみたいに光ってるね」
ネルが、恐怖を好奇心で塗りつぶし、モルテの白く乾いた指先に手を伸ばした。
「触れるな、卑小なる人間め。我が結界に触れれば、貴様の魂など瞬時に――」
モルテの警告が途絶えた。 ネルの小さな掌が、リッチの周囲に展開されていた「拒絶の領域」に触れた瞬間――。 バリ、と空間が割れるような音を立てて結界が霧散した。それどころか、書庫の隅々で蠢いていた呪いの影たちが、ネルから放たれた目に見えぬ「波動」に打たれ、浄化された光の粒となって消えていく。
「……何だと?」
私は思わず剣の柄に手をかけた。モルテの結界は、並の勇者ですら触れれば発狂する絶望の壁のはずだ。
「ありえん……。魔力を吸い込み、あまつさえ『祝福』へと変換しているというのか。この、心臓の一拍ごとに世界を書き換えるような純度……!」
モルテの震える指先が、ネルの額にかざされた。 直後、死霊の青い炎が支配していた書庫が、爆発的な白銀の光に包まれた。それは魔族にとっての猛毒ではなく、あまりにも眩しく、懐かしくさえある「真昼の太陽」の輝き。
「ザルガス様……貴方は、何を拾ってきたのです。これは聖女などという安っぽい器ではない。……星の脈動そのものだ」
モルテの声から冷徹さが消え、代わりに**「狂気的な知的好奇心」**が宿った。彼はカタカタと激しく骨を鳴らし、地べたに膝を突き、家宝とも呼ぶべき禁断の魔導書を、あろうことか「絵本」代わりに差し出した。
「ネル様……。いや、我が主よ。どうか、この老いぼれに貴女の真理を解き明かさせてください。……死を忘れるどころか、生き返りたくなるほどの輝きだ」
「もるておじいちゃん、これ、絵本? ネル、読みたい!」
ネルが無邪気に笑うと、壁の髑髏たちがカタカタと陽気なリズムを刻み始めた。冷徹なサキュバスに続き、死した賢者までもが、この小さな光の「奴隷」へと成り下がった瞬間だった。
私は、角のリボンを弄られながら、暗い予感に包まれていた。 これほどの力、魔王様が聞きつければ、もはや「戦利品」という言い訳は通用しない。 この小さな手を守るためには、私は魔界すべてを敵に回す覚悟が必要なのかもしれない。
第四話あとがき
あのね、きょうは「骨のおじいちゃん」に会ったんだよ。
おじいちゃん、最初はとっても静かで、ちょっとだけ怖かったけど。 ネルがおててを伸ばしたら、おじいちゃんの周りにキラキラがいっぱいあふれてきたの。
おじいちゃん、ネルのことを「星みたい」って言ってくれたんだよ。 うれしくて、ネル、おじいちゃんの肋骨のあいだにぎゅーってしちゃった。
おじいちゃんがくれた本、絵はいっぱいあるけど、字がむずかしいの。 あとで、おじちゃんに読んでもらおうかな。
おじちゃん、ネルの魔法、かっこいい?




