第二話「魔王城の晩餐」
魔王城へと続く黒石の廊下。
普段なら、私の軍靴が立てる冷徹な足音に、兵士たちは畏怖を込めて道を開ける。だが今日、彼らが凝固したのは別の理由だった。
私の腕の中。
返り血を浴びた漆黒の甲冑に包まれ、泥だらけの人間の幼女が、あどけない寝息を立てている。
「な……掃討隊長が、獲物を生け捕りに?」
「まさか。……鮮度を保ったまま、自ら調理して喰らうおつもりか」
すれ違いざま、震え上がる配下たちの囁きが聞こえる。
私はそれらすべてを凍りつくような一瞥で黙らせ、己の私室へと踏み込んだ。
「……おい。この娘を洗え。それと、服だ。人間が着るような、鳥の羽よりも柔らかいものを用意しろ」
呼び出された老執事は、文字通り目玉を零さんばかりに見開いた。
「ザ、ザルガス様……。正気でいらっしゃいますか。これは、人間。それも、一噛みで砕けるほど脆弱な……」
「冗談に見えるか。これは……そう、戦利品の管理だ。……それと、食い物だ。最高級の肉を、山ほど持ってこい」
数刻後。
湯浴みを終え、サイズの合わぬ白いシャツに身を包んだネルが、私の前に座っていた。
机の上には、魔界でも一握りの貴族しか口にできぬ「獄炎ドラゴンの燻製肉」が、禍々しい香りを放ちながら積み上がっている。
「……食え。拾われたからには、太らせねばならん。痩せ細った戦利品など、私の名に傷がつく」
私は腕を組み、威圧するように椅子に深く腰掛けた。
ネルは大きな瞳をぱちくりとさせ、山盛りの肉と私を交互に見つめた後、おずおずとその一片をかじり――。
「……からい。おじちゃん、これ、からいのぉ……ッ」
みるみるうちに、その瞳に大粒の涙が溜まっていく。 私は戦慄した。
忘れていた。
ドラゴンの肉には、魔力を賦活させるための凶悪な香辛料が塗り込まれている。
魔族にとっては至高の刺激だが、人間の幼子にとっては、喉を焼く劇薬に等しい。
「ぬ、ぬう……! 泣くな! 泣くなと言っている! 敵陣を蹂躙した時のような声を出すな!」
数千の軍勢を前にしても微動だにしなかった私の心臓が、この小さな雫一つに、無様に打ち鳴らされる。
私は部屋を飛び出し、厨房へとなだれ込んだ。
「辛くないものを出せ! 甘くて、柔らかくて、こう……とにかく、この世の慈愛をすべて煮詰めたようなものだ! 出さねば貴様らをドラゴンの餌にする!」
結局、その夜、私がネルに与えたのは、魔界の稀少果実を原型がなくなるまで煮潰した、黄金色のスープだった。
ネルはそれを美味しそうに啜り、最後に、私の指をぎゅっと握って笑った。
「おじちゃん、ありがとう」
その瞬間。私の胸の奥で、鉄よりも硬い矜持が、音を立てて粉砕された。
これが、敗北か。
あるいは――それ以上に救いがたい、破滅の始まりか。
寝台の端で丸くなって眠るネルを見つめながら、私はこれから始まるであろう「戦場よりも過酷な日々」を予感し、深く、深く溜息をつくのだった。
第二話あとがき
えへへ、ネルがかきます。
きょうはね、すっごくおおきなお城にきたんだよ。 おじちゃんは、ちょっと怖いお顔をしてるけど、じつはとっても優しいの。
ネルが「からいよー」って泣いちゃったら、おじちゃん、すっごくあわててて面白かったんだよ。 いっしょうけんめい、あまいスープを運んできてくれたの。
おじちゃんの指、大きくて、ネルの手がすっぽり隠れちゃうんだ。 でも、その指をにぎってると、とっても安心してねむれるんだよ。
明日は、おじちゃんと何してあそぼうかな。




