第十五話「始まりの場所、約束の丘」
かつて死臭と絶望に塗りつぶされていた開拓村の跡地には、今、信じられぬほど柔らかな冬の陽光が降り注いでいた。 あの日、略奪者どもの血を吸った土壌は、ネルの歩みに合わせて浄化されたかのように、穏やかな風を奏でている。
背後には、ネルの強い希望で同行したリリス、ゼオラ、そしてモルテの姿がある。魔王軍の最高幹部たちが人間の廃村を歩く姿は滑稽ですらあるが、彼らの瞳に宿るのは、戦士としての鋭さではなく、身内を慈しむ「親戚」のような温かさだった。
「……おじちゃん、ここだよ。ネルの、ママがいたところ」
ネルが立ち止まったのは、崩れた石壁と、天を突くような大きな枯れ木のそば。 そこは、彼女の母親が、娘に最後の一片のパンを託し、血の盾となって果てた終焉の地だ。
私は無言で、持参した銘酒を大地に注いだ。ゼオラが氷華を刻んだ石碑を安置し、モルテが死者の安らぎを祈る古の詠唱を口ずさむ。
ネルは、その石碑の前に跪き、小さな、しかし汚れのない掌を合わせた。
「ママ、ネルだよ。……あのね、おじちゃんが助けてくれたよ」
ネルの震える声が、静寂に溶けていく。
「いまはね、魔王城っていう大きなお城に住んでるの。おじちゃんは、ネルが転んでもすぐ助けてくれるし、お料理もすっごく頑張ってくれるんだよ。リリスおねえちゃんも、モルテおじいちゃんも、ゼオラおねえちゃんも……みんな、とっても優しいの」
ネルはそこで一度言葉を切り、こらえきれずに溢れた雫を、小さな拳で拭った。
「だからね、ママ。もうネルのこと、心配しなくていいんだよ。……おじちゃんが、ネルのこと『宝物』だって言ってくれたから」
その瞬間だった。 枯れ木から最後の一葉が舞い落ち、ネルの肩に優しく触れた。同時に、モルテが安置した石碑が、ネル自身の持つ「聖女の魔力」と共鳴し、白銀の光を放ったのだ。 それは魔族の私ですら思わず目を細めるほど、温かで、慈愛に満ちた輝き。 私には見えた。ネルの背後で、かつての「母」の面影が、愛おしそうに娘を抱きしめ、そして私に向かって、静かに頭を下げる姿が。
「……ザルガス様……っ」 リリスが背を向け、嗚咽を漏らした。ゼオラは剣を捧げ、戦士としてではなく一人の女として、亡き母の献身に最大の敬意を示した。
私はネルの元へ歩み寄り、その小さな体を抱き上げた。 「……帰ろう、ネル。お前の母親は、確かにお前の心の中で、今の幸せを笑っている」
「うん! ……おじちゃん。ネル、今日のご飯、いーっぱい手伝うね」
過去を背負い、それでも「今」という光に向かって歩き出す少女。 私は彼女の重みを感じながら、もはや自分の魂が魔王のものでもなく、ましてや戦場のものでもなく、この小さな少女一人に捧げられていることを、冬の空に誓った。
あのね、ネルね、きょうはママに会いに行ってきたんだよ。
おうちがあった場所は、とってもポカポカしてて、なんだかママの匂いがしたの。 おじちゃんたちが作ってくれたキラキラの石碑、ママもきっと「きれいだね」って喜んでくれてると思うんだ。
最後にお空から飛んできた葉っぱ、あれね、きっとママが「ネル、頑張ったね」って撫でてくれたんだよ。 だって、おじちゃんに抱っこされたとき、ママの声が聞こえた気がしたんだもん。
「おじちゃんを、大切にしてね」って。
だからネル、お城に帰ったら、おじちゃんに美味しいスープのお手伝いをいーっぱいするの! おじちゃん、リリスおねえちゃん、モルテおじいちゃん、ゼオラおねえちゃん。 みんな、ネルを連れてきてくれて、本当にありがとう!




