第十四話「深淵よりの報復」
ネルの穏やかな寝息を確認し、私は音もなく部屋を出た。 廊下には、リリス、モルテ、ゼオラが、魔王軍の正規装備を脱ぎ捨て、「私怨の武装」に身を包んで待機していた。その眼に宿るのは、理性を焼き切った魔族本来の、昏く愉悦に満ちた殺意だ。
「……鼠どもの巣は、特定したか」 「ええ。国境の廃砦に陣を張る傭兵団『鉄の牙』。今まさに、略奪した酒と女で祝杯の最中ですわ。……下劣な猿どもが」
リリスが吐き捨てるように笑う。私は無言で魔剣を抜き放ち、夜の闇に漆黒の翼を広げた。 これは軍の進攻ではない。ネルの瞳から光を奪った「過去」を、この世から消し去るための清算だ。
国境の砦に、絶望が舞い降りた。
突如として飛来した四柱の魔界幹部を前に、傭兵たちは叫ぶ暇さえ与えられなかった。 ゼオラの極氷が逃げ道を塞ぎ、モルテの死霊が魂を貪り、リリスの幻術が彼らの脳を狂わせる。阿鼻叫喚の地獄絵図の中、私は一直線に団長の部屋へと踏み込んだ。
「な、なんだ貴様は!? 金か! 女か!」 震える手で剣を握る男の喉元を掴み上げ、壁が砕ける勢いで叩きつける。 「数ヶ月前、教会の聖女を……あの女と幼子をどうした」 「……ああ、あの村か! ガハッ、あれはいい金になったぜ! 女は死んだが、ガキは――」
男の言葉は、指先で喉を握りつぶす音に掻き消された。 私は、男がネルの母にしたであろう仕打ちを、一瞬で終わらせるつもりはなかった。魔力を指先に込め、男の全身の神経を逆流させるほどの苦痛を流し込む。
「貴様らが奪ったのは、ただの村ではない。……私の『宝物』の居場所だ」
一晩のうちに、砦は沈黙した。建物ごとモルテの獄炎によって、石の破片一つ残さず焼き払われた。文字通り、この世から彼らの存在した痕跡を消滅させたのだ。
夜明け前。 私は返り血を完全に蒸発させ、新しい鎧に着替えてからネルの部屋へと戻った。 ネルは目を覚ましたところで、ふにゃりと笑って私に手を伸ばしてきた。
「おじちゃん、おはよ……。どこ行ってたの? ちょっとだけ、冷たい風のにおいがする」
その小さな鼻が嗅ぎ分けたのは、夜風ではない。私が今しがたまで浴びていた、死の匂いだ。 私はネルを抱き上げ、その柔らかな髪に顔を埋めた。
「……ああ。遠くまで、ゴミを捨てに行っていただけだ」 「ごみ? おじちゃん、お掃除したの? えらいねぇ」
ネルが私の首に腕を回し、無邪気に笑う。 彼女の未来に影を落とす闇は、もうこの世のどこにも存在しない。 私は、彼女にだけは見せる「優しいおじちゃん」という仮面を、例えその下が血塗られた怪物の素顔であろうとも、死ぬまで守り抜く。
窓から差し込む朝日は、かつてないほどに澄み渡っていた。
あのね、ネルね、きょうはお寝坊しちゃったの。
でもね、おじちゃんがお部屋に戻ってきたとき、なんだか「お外のにおい」がしたんだよ。 おじちゃん、「お掃除に行ってきた」って言ってたの。 夜中に一人でお掃除するなんて、おじちゃんは本当に働き者だね!
リリスおねえちゃんたちも、なんだか今日はいつもよりスッキリしたお顔をしてるの。 お掃除、みんなで手伝ったのかなぁ?
ネルも、おじちゃんのお手伝いできるように頑張るね! まずは、お部屋のおもちゃをお片付けするんだよ!




