病んだりしんどかったり離婚危機乗り越えたりの話
長男次男を育て始めたころ
大企業に就職すれば安泰なわけでもない
高学歴が正解なわけでもない
この激動かつ不確かな時代を、
幸せを感じながら、心身健やかに
自分の力で生きていく人間に育てる
って、どうやったらできるんだろうっと考えました。
幸せを感じるって大事じゃない?
心身の安定と健康と自立、自活。
ニートに、引きこもりに、犯罪者にならないよう
がんばって育てなきゃ。
そう思って一生懸命になりすぎて、
夫はワーカホリック。モラハラ気味で理解も無く。
長男産後は完全にうつでした。
若い時にできちゃった婚、予定外の退職、度々の転居。
完全ワンオペ育児家事。
社会から隔絶された感と大人との会話ゼロの日々。
消えてしまいたい。
子どもがかわいいと思えなくて悩み
そんなこと誰にも言えないと苦しみ
長男次男との3人の時間が発狂しそうなほどつらかった。
何度もこのまま橋から車ごとおちちゃおうかな、とか、
精神的には長男の産後~幼児期が一番しんどかった。
末子の妊娠前~末子5才頃の転勤の頻度がほんとにひどくて、
その7年間に6回の転居。
体力的には末子産後がきつかったなー。
産後4か月で体重が20キロ以上減りました。
小学生男児2人の日々を回しながらの見知らぬ土地での出産。
長男は日能研とミニバス→テニス。
次男は公文とスイミングとサッカー→テニス
夫の世話までやる余裕あるわけない~という状況の中
もう夫が帰宅することがしんどくて、
夫が帰宅すると思うと手が震えて倒れそうなほどの頭痛・・
離婚して、転居なく地元で教員やって一人で子育てする方がよっぽど楽やわ
と思い、それを伝えるために話がしたいのに
会話ができる関係じゃなかったので
「私の話を聞いて下さい」を伝えるのに半年。
「私の話を聞いて下さい」が伝わり、
それまでの13年間ため込んでた思いを聞いてもらいまいした。
途中夫も彼の思いや気持ちを言うようになりましたが、
主に私が言いたい事を言い尽くすのに3~4年。
聞いて下さいを伝えるのに半年、話し合うのに3~4年もかかったのは、
それまでの夫は、まず家にいる時間が少ない上
とにかく仕事をしている時間がほとんど、寝食含めた彼の人生のほとんどを
会社の仕事に捧げてしまっていて、ご飯を食べる暇も、寝る間も惜しんで仕事をしていたので
家にいる時は基本寝てるか仕事してるか機嫌悪い。
たまに余力ありそうな時は子供達と遊んだり出かけたり。
長男次男が幼児期に夫の会社の調査で、男性の平均寿命が65才と聞き
(離婚率と妻のうつ発症率が高い話も同じ時に聞いたのに)
自分が病みながらも、自分に折り合いを付けるため、
ウチは完全分業やわ。夫は稼いでくるでいいわ。家にいる時は王様のように、何も気遣いなく好きに過ごしてもらおう、家のことは私が全部やろう、子供のことももう相談もしない、家庭に対して夫に何かしてもらうことは諦めた(相談したくてもまず時間がない、話がし終わるころにはそのネタ古い、ということが度々あり、あきらめた)という気持ちで接しており、
夫が死なないよう、少しでもストレス感じず、健康を害するリスクをへらそうと
食べ物や夫への接し方をすごく気遣ってしまったのです。
夫を完全に甘やかしてしまってたのです。
という会話が成立しない、会話のない夫婦関係だったため、
私の話を聞いてもらうために、冷静に話をするために、
夫と自分のコンディションが悪くない時、
最初の数ヶ月は産後ヘルパーさんがいる時
(第三者がいないと怖くて。行政のサービスで産後ヘルパーを安価で何度か使えて本当に助かりました泣ヘルパーさんがいなかったら夫と話すなんてとてもできなかった)
にその時間をあてたので。
そのタイミングを見計らって話しをするうちに、3~4年が経ちました。
そしてそれだけ年月をかけているうちに、
おそらく私の話を聞いてを伝えようとし始めてから1年以内には
離婚するのにかかる労力とエネルギーを、
関係を修復し一緒に生きる方の努力をすることに
労力エネルギーをかける方が絶対いいよね
と思ったので、
離婚するの話ではなく、
一生を一緒に生きていこうと思える関係になるための話し合いをしていきました。
離婚しよう、と思った末っ子の娘が3ヶ月の頃から、5才頃まで全部で5年くらい?
今ではお互いが言いたい事を言い合え感謝し合える良い夫婦関係になりました。