9話
「どうした、シャーロット」
背後からレオナルドに声をかけられ、シャーロットの肩が大きく跳ねる。
「シャーロット……?」
「あ……すみません。少し、驚いてしまって……」
どうにか取り繕うが誤魔化せはしなかったのか、レオナルドは訝しげに眉を潜める。
この一月、レオナルドを苦しめた元凶はシャーロットだった。罪悪感と申し訳無さで息が詰まる。
「レオナルド様、これを……」
彼が事実を知ればどう思うのだろうか。断罪を待つ囚人のような気持ちで、シャーロットはレオナルドが日記を読むのを見ていた。
「この男が受けた呪いは俺のと似ているな」
「……はい。申し訳ございません、レオナルド様」
シャーロットの謝罪に、レオナルドは目を瞬かせる。
「何故、君が謝るんだ?」
「今回レオナルド様が呪われたのは私が贈ったペンダントのせいですから。あれにも、青い宝石がついているんです」
「確かにあれは青い宝石だったが……」
納得出来ないのか、レオナルドは懐からペンダントを取り出す。
このような状況になってもまだ持ち歩いてくれていたのかと、シャーロットは驚いた。てっきり引き出しの奥にでもしまわれているのではないかと思っていたのだ。嫌いな人間を想起させるものなど、なるべく目にしたくないだろうから。
レオナルドはペンダントの石をじっくりと観察すると、日記に目を落とした。
「君が言う通り、この男の指輪の石が巡り巡って俺の元に来たのかもしれない。だが、だからといって君が謝る必要はないだろう。俺の無事を願って心を込めて用意してくれたんだ。謝るとしたら、この呪いをかけた者だろう」
気にするなと、彼は笑う。その言葉にも笑顔にも嘘偽りはなかった。だから、シャーロットは素直に頷き礼を言えた。後悔する暇があるのなら、解決のために動こうと自分を叱咤する。
「その男性の呪いはレオナルド様とは異なる点もありますが、参考にできると思います」
彼が正気を取り戻したのは恋人と喧嘩別れして指輪を捨てた時だ。なら、レオナルドがペンダントを手放せば呪いが解けるのかもしれない。
シャーロットがペンダントの返却を求めると、レオナルドは渋面を見せた。
「私に返すのが嫌でしたら、どなたかに譲渡や売却するのはいかがでしょう?」
「違う、君に渡すのが嫌なのではなく……。いや、可能性があるなら試してみるべきか……」
レオナルドはためらいながらも、ペンダントをシャーロットに渡した。
落とさぬようにペンダントをそっと握りしめ、シャーロットはレオナルドを観察する。
「変わりないようですね……」
「ああ」
「まだ手放したと判断されていないのかもしれませんね。数日待ってみましょう」
「……わかった」
レオナルドはため息をつくと、日記をもう少し調べようと提案した。
恋人を失ってからも、男の日記は続いていた。深い後悔と誰にぶつけていいのかもわからない怒り。男は指輪を取り戻し、徹底的に調べた。そして気づいた。この指輪の宝石は、女神像の失われた左目ではないかと。
不実を表す左目だけを手にしたから、男は不貞を犯すことになったのではないだろうか。早くに手放していれば、もしくは女神に返していれば、呪いから開放されたのではないかと男は悔やんだ。
男以上に敬虔なラナ教徒であった恋人は男との復縁を拒み、別の男と結ばれた。もうどうにもならないが、同じ悲劇を生み出さないために、せめてこの瞳を女神に返そうと男は決意する。
「だから、女神像に既視感があったのか……」
「女神像に両眼揃った話は聞いたことがありませんし、女神の瞳はここにこうしてあるので、お返しできなかったんですね……」
「それなら、俺たちで返すか」
「ええ。大神官様にお話しましょう」
シャーロット達は、すぐに大神官に女神の失われた瞳が見つかったから返したいと伝えた。大神官はシャーロットの手のひらに置かれたペンダントをじっと見て、首を振った。
「それは無理だな」
何故、と問いかけそうになって、シャーロットは気づいた。
右目だけの女神像は、二百年前の洪水が人々への罰ではないことの証左だ。今、左目を取り戻したら、信徒達を混乱させるだけかもしれない。
だが、続く大神官の言葉はシャーロットの推測を大きく否定するものだった。
「あの女神像には最初から左目が存在しない」
「え……では、二百年前の逸話は……」
「当時の人々を励ますための偽りだ。都市の大半が水に埋もれて、絶望的だったからな。すがる希望が必要だったんだろう」
当時の人々は女神像が隻眼だったことは知っていたはずだ。偽りだとわかっていてもそれに頼るしかなかったのか。己の記憶を変えてしまうほど、彼らは苦しかったのかもしれない。
「だから、それは返す必要はない。……綺麗な宝石だ、大事にしなさい」
大神官は優しく微笑む。そして、女神像の真実はここだけの秘密にしてほしいとふたりに頼むと去っていった。
「落ち込む必要はない。ひとつ、間違った可能性を潰せた」
「そうですね……。もしかしたら、ペンダントを手放すことで解決するかもしれませんし」
「……そのペンダントだが」
シャーロットの手のひらにあるペンダントを、レオナルドはじっと見つめている。
「いつまで……いや。その宝石はどうやって手に入れたんだ? 入手経路が手がかりになるかもしれない」
「これは……先月、公園で助けた鳥に貰ったんです」
レオナルドが領地に出かけていた頃、ポーレット領と王都を繋ぐ道の天候が荒れていると聞いたシャーロットは大聖堂でレオナルドの無事を祈りを捧げた。
その帰りに寄った公園で、釣り糸に絡まっている鳥を見かけた。本来は侍女であるメアリーに任せるべきだったのだが、必死にもがく姿を見て、体が動いていたのだ。
救出された鳥はそのままどこかへ飛んでいってしまったのだが、その日の暮れにシャーロットの部屋を訪れた。青い宝石を携えて。
シャーロットが宝石を受け取ると、鳥はすぐに飛び立った。助けた礼に、宝物の宝石をくれたのだろう。
これは導きなのかもしれない。レオナルドを守護してほしいとの願いに、女神ラーラが応えてくれたのだとシャーロットは思った。
「ですから、この宝石を使ってレオナルド様にお守りを作ったんです。これを身に着けていれば、安全な旅になると」
シャーロットの手の中で耀きを放つ宝石は恐ろしい呪いを秘めていると知った今でも、引き寄せられる美しさがあった。
「残念ながら、あの出来事は導きではありませんでしたが……」
「そうとは言えないだろう。先ほどの鳥の襲撃も窓ガラスの損傷という被害はあったが、新たな情報が得られた。俺の感情の変化も何かしら意味があるのかもしれない」
レオナルドは淡々と話す。シャーロットを励ますというより、単に事実として受け入れているようだ。困難に直面しても前向きなレオナルドに、シャーロットは頬が緩むのを感じた。
「まあ、利益を得られたのは俺たちであって、大聖堂は損害ではあるが……」
「ふふ。でしたら、後日、修理費として寄付しておきますわ」
先日も寄付したばかりだが、導きのための修繕費となれば、ラナ教徒の父も喜んでくれるだろう。
「今後は君にこの宝石を渡した鳥のことを調査するつもりだが……その鳥の特徴などは覚えているか?」
シャーロットは記憶を探ってみるが、外見も仕草もその辺にいる鳥とさして変わらなかったように思える。メアリーにも訪ねてみたが、彼女も同意見だった。
「では、その鳥に遭遇した湖を調べてみるか。……実際に目撃した君がいた方がいい。空いている日を教えてくれないか?」
相談の結果、三日後に調査することを約束し、今日は帰ることになった。
外に出ると、空には薄闇が漂いはじめていた。
「今日はあっという間に時間が過ぎましたね」
「いろんなことが立て続けに起こったからな。……君も疲れただろう。ゆっくり休んでくれ」
「はい。レオナルド様もお身体を大事になさってください」
柔らかな空気がシャーロットの火照った頬を冷やす。このまま微睡みたくなるほど、ひどく心地よい。レオナルドの言う通り、疲れているようだ。帰ったら入浴だけして眠ってしまおうとシャーロットは思った。
通りを見ると、グレイス家の馬車があった。修復や調査のために遅くなるからと、今の時間に来てくれるようシスターに言付けを頼んでいたのだ。
時間通りに来てくれたことにシャーロットは安堵した。それと同時に、がくりと体が傾いだ。
「シャーロット!」
レオナルドがこちらに手を伸ばすのが見え――シャーロットの意識はそこで途絶えた。