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7話

「これは……」


 侍女の手にあるのは見覚えのある本だった。タイトルはなく、鮮やかな装飾が施された美しい本。あの怪奇集だ。


「先日、あなたがこの本を持っているのを見た時は驚いてしまったわ。まさか私以外にあの本を読んでいる方がいたなんてと」

「……オルコット伯爵夫人もお好きなのですか? その、不思議な話が」

「ええ! だから、一度あなたとお話してみたかったのよ。突然私とふたりきりでお茶会なんて驚かせてしまうだろうから、少数人なんて書いてしまったの。騙してしまってごめんなさいね」


 夫人は微笑んだ。淑女然としているが、どこか無邪気さを感じられる少女の笑みにも思える。


 尊い身分である伯爵夫人の意外な一面に親しみが持て、シャーロットの緊張が自然と解ける。


「いいえ。……私もあの本が好きなので、趣味のあう方とお話できて嬉しいです」

「でしたら、たくさんお話しましょう。あなたはこの本でどの話がお好きかしら?」


 怪奇集の話題は大いに盛り上がった。夫人は会話が上手い人で、引きこまれる話をするだけでなく、こうした場に慣れていないシャーロットの話も引き出した。ここまで打ち解けて話せたのはメアリー以外初めてだった。


「それで、お祖父様からこの本を頂いたのよ。シャーロット様はどういうきっかけでこの本に出会われたのかしら?」


 これまで澱みなく出ていたシャーロットの言葉がぴたりと止まる。この本を取ったのはレオナルドの感情が突然真逆に変わった理由を調べるためだ。だが、それを素直に話すことはできない。どう誤魔化そうか悩むシャーロットに、夫人は口元を和らげた。


「込み入った内情があるのね? 無理には聞かないわ」


 シャーロットは安堵したが、ふと思う。不可思議な現象に詳しい夫人なら、レオナルドの陥った現象に似た話を知っているのではないかと。


「いえ、大丈夫です。……私が怪奇集に興味を持つきっかけは友人から不思議な話を聞いたからですの」


 あくまで知り合いの話だと前置きして、シャーロットはレオナルドの話をした。


 直前まで愛していた恋人を見た瞬間、嫌いになってしまったこと。数日経ってもその状態は変わらず、困っていること。怪奇集なら似た事例が見つかるんじゃないかと思ったこと。


 夫人は時折相槌を打ちながら、シャーロットの話に耳を傾けた。


「そういうこと。……ふふ、相思相愛の婚約者がいらっしゃるシャーロット様にとって、気になる話ですものね。お相手の方も一途な方で、あなた以外に目がいかないようでしたし」

「レオナルド様のこと、ご存知なのですね」

「舞踏会で何度かお見かけしてるから。先日もお見かけしたけれど、どうされたのかと驚いて――いえ、話がそれたわね」


 紅茶を一口飲んだ夫人は思案するように視線を空に向ける。


「愛していたものを憎んでしまう、という話は以前読んだことがあるわ。……遠い異国の地の話だけれど、禁足地に足を踏み入れた罰として与えられた話などね。高貴な者のお墓だったから、強い魔術師が呪いを施したとかで」


 レオナルドは領地に戻っていたのだが、道中で立ち入ってはならないところに踏み入ったのだろうか。しかし、あの時は天候の荒れにより寄り道する余裕などなかったはずだ。ポーレット領は豊かな農作地が広がる穏やかな地で、そんな恐ろしい場所があるなど聞いたことがない。


「あと思いつくのだったら、呪いの財宝あたりかしら。持ち主を次々と不幸にしていく逸話付きの宝があるそうなの」


 こちらの方が可能性としてありそうだが、レオナルドは財宝に興味を持つタイプではないだろう。彼が最近手に入れたものといえばオペラグラスだが、それの持ち物はシャーロットだ。彼女のレオナルドの愛は微塵も揺らいでいない。


「どちらも興味深い話ですわね……。調べてみますわ」

「ああ。それなら家にある本を持っていって構わないわ。読み終わったら、届けてくれればいいわ」


 夫人はいくつかの本をシャーロットに貸してくれた。恐縮しながら礼を言うシャーロットに、夫人は少女のような笑みを見せた。


「私もあなたの知人の話が気になるの。もし、何か進展があったら、知らせて頂戴。約束よ」




 帰宅したシャーロットを出迎えた母はお茶会がつつがなく終わったこと、夫人と良い関係が気付けたことを喜んだ。


「どうなることかと思ったけれど、上手くいったようで良かったわ。伯爵夫人と親しくなれば、グレイス家の人間であってもお茶会が過ごしやすくなりますからね」


 機嫌よく立ち去る母を見送り、シャーロットは息を吐いた。メアリーの持っている籠を詮索されるのではないかと内心不安だったのだ。


 幸いなことに母はお茶会の結果にしか意識が向いていなかった。


「メアリー、重くはない?」

「いえ、問題ありません」


 メアリーはそこで口を閉ざしたが、籠の中身が気になるようで、ちらりと自身の手元を見る。遠ざけられ、主人が失態を犯さないか気を揉んでいたお茶会が盛り上がっていた理由がこの中にあるかもしれないと思っているのだろう。


 レオナルドの評判にも関わることだから彼の許可なく話すことはできないが、調べ物をしていることは話したほうがいいのかもしれない。夫人もメアリーに話すくらいなら構わないと言っていた。


 シャーロットは部屋に戻ると、メアリーに怪奇現象に興味があることを簡単に説明した。


 ここ数日主人が調べ物ばかりをしていることを不思議に思っていたメアリーは納得したように頷く。そして、心得たように笑った。


「承知しました。このことは奥様方には秘密……ということですね?」

「ええ。ここだけの話にして。夫人の趣味を変に広めたくはないの」


 その後、シャーロットは数日かけて借りた本を読破した。夫人から聞いた話をふたつとも見つけたが、あまり詳しい話は載っていなかった。


 レオナルドにも禁足地や呪いの財宝のことを手紙で尋ねたが、心当たりはないようだった。彼の調査も難航しており、手がかりは掴めないでいるようだ。


『俺のことで苦労をかけてしまってすまない』


 そんな文面とともに、レオナルドは焼き菓子を贈ってくれた。王都の人気店のものだ。シャーロットはこの甘い菓子を好んで食べていたのだが、子どもっぽい気がして隠していた。


 レオナルドがこの菓子を贈ってくれたのは偶然だろうか、それとも知っていたからなのだろうか。なんとなく、シャーロットは後者だと思った。


 彼はいつもそうだったから。シャーロットのことをよく見て、口にせずともその意を汲んでくれる。これまでも、そんな彼にたくさん支えられてきた。


 今回、レオナルドは初めてシャーロットの望みを拒んだ。それだけ、婚約を継続することは彼にとって譲れないことなのだろう。


「それなら、私もできることをしなければ」


 気合を入れると、シャーロットは新たな書物を探すべく部屋を出ていった。 



  

 シャーロットは憂鬱だった。あれからいくら調べても呪いに関する詳しい情報は得られず、ただ時間だけがいたずらに流れた。


 調べ始めた当初は何か希望があるのではと思ったが、今はその期待も萎み始めている。


 仰いだ空は彼女の心を映したかのような曇天だ。いつ雨が降るとも知れない天気のせいか、大聖堂はいつもより人が少ない。


 こういう日こそ、礼拝に適している。女神像の前で、人を気にせず祈りを捧げられるからだ。


 シスターは別の仕事に追われているのか、誰ひとり姿が見えない。明るい彼女たちの姿もいないとなると、さらに静けさが増した気がした。


 メアリーを伴い、シャーロットは進む。ヒールの音を立てないように、品位を保ちながら。女神像へ向かう神聖な道だと思えば、自然と背筋が伸びる。


 行くべき道を見失った哀れな迷い子の声を女神はきっと聞いてくれる。正しい道を示してくれる。


 それが彼との離別だとしても、受け入れなくてはいけないのならシャーロットは覚悟はできている。元々、レオナルドの提案がなければ、彼を諦める気でいたのだから。


 胸の痛みを感じながら女神像の前に来たシャーロットは息を呑んだ。女神像を見上げている人影がある。


「レオナルド様……」


 シャーロットの声に弾かれたように振り返ったのは、恋い焦がれた恋人の姿だった。

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