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5話

 シャーロットはその言葉の意味が理解できなかった。しばらく呆然とレオナルドを見上げていたが、近くの木に止まっていた小鳥のひときわ大きい鳴き声で正気を取り戻す。


「何故、ですか? 婚約をなかったことにしたほうが、あなたにとっても良いでしょう? だって、あなたは……」


 私を嫌っているのに、とは言えなかった。少しでも気を緩めれば溢れてしまいそうな感情を抑えるのに必死だった。


 重い沈黙が流れる。先程まで賑やかだった小鳥のさえずりも、いつの間にか聞こえなくなっていた。


 レオナルドは微動だにせず、シャーロットの手を放す気配もない。


「君が……俺の心境の変化を察していたことはわかっていた」


 一言一言、噛みしめるように紡がれる言葉。視線を下げ、苦痛に顔を歪めるその姿は、まるで告解を行う信徒のように厳かだ。


「どうにか隠し通せないかと思ったんだが、君は聡い人だからすぐに気がついた。……すまない。君をひどく傷つけてしまっただろう」

「……いいえ。変わってしまうのは仕方ないことですから」

「仕方なくなどない!」


 強い否定にシャーロットは目を丸くする。レオナルドが声を荒げるのを初めて見た。


「あ……大きな声を出して悪かった。……仕方がないとは俺には到底思えないんだ。俺はあの日、君に会うのをとても楽しみにしていた。仕事を早く切り上げることができるよう調整をして。君に贈り物をもらったことが嬉しくて、君が贈り物を喜んでくれるか不安と期待でいっぱいだった。あの時、確かに俺は君を愛していた。なのに……君の顔を見た途端……」


 わなわなとレオナルドの体が震えるのが、繋いだ手から伝わってくる。もう片方の手で彼の手を包もうとして思いとどまった。


 生真面目な彼は予想外の出来事に混乱しているだけで、シャーロットとの別れを惜しんでいるのではないだろう。嫌いな人間に慰められてもきっと不快になるだけだ。


「一瞬で心変わりをしたのはおつらいことだったと思います。でも、無理をしてまで私との婚約を続けることはないでしょう。……あなたを苦しめてまで、一緒にいたくはありませんわ」


 まぎれもない本心だった。シャーロットはレオナルドに嫌われた事実を眼前に突きつけられても、彼への恋心を捨てられなかった。別れを告げる今も彼を失いたくないと心が叫んでいる。


 けれど、それでレオナルドに苦痛を強いてしまうのなら、シャーロットは彼の手を放すことを選ぶ。


「それなら……それなら、婚約解消なんて言わないでくれ」


 何故、ここまで彼は婚約解消を拒むのだろうか。その理由に思い至り、シャーロットは微笑んだ。


「私のことならご心配いりませんわ。父が多少うるさいかもしれませんけれど、社交界デビューすれば出会いもあるでしょう」


 血筋に強いコンプレックスを抱いている父は世襲貴族を婿に迎えたがっているが、爵位で買った事実が消えない以上、どの家門と婚姻を結ぼうとも一族の扱いは変わらない。だから、相手は同じ新興貴族でも構わないのだ。それならば、婚約もさほど難しくはないだろう。


「社交界デビューで……出会い……」


 レオナルドは放心したように何度かそう繰り返す。シャーロットを見つめ、その決意が揺らがないと察したのだろう、大きく息をついた。


「時間を、くれないだろうか」

「はい。レオナルド様も領地からお戻りになったばかりですし、体調を崩されてますから、まずはゆっくり休まれてください。レオナルド様が回復されるまで、両親には伝えませんので、ご安心ください。レオナルド様の準備ができましたら、手続きを――」

「婚約解消を保留にしてほしい、ということだ。……そうだな、期間は君の社交界デビューの時までにしよう。それで俺が元に戻らなければ……残念だが婚約を解消しよう」


 シャーロットの言葉を遮り、半ば決定事項のようにレオナルドは告げる。こんな強引な彼は知らない。今日は彼の初めて見る一面が多い。想い人と嫌悪した人間では扱いの差があってと当然かとシャーロットは納得した。


 レオナルドの要望の大半をシャーロットは受け入れたが、期日だけは変えることを要求した。


「社交界デビューの時にレオナルド様にエスコートされて入場したら、あなたと婚約を結んでいるイメージが強く残ってしまいますから」


 社交界デビューではデビュタントが主役だ。社交界で最も注目を集めるであろう時にパートナーだった男と婚約解消をすれば、捨てられた令嬢というイメージがつくかもしれない。


 既に一部の貴族にはふたりの婚約のことは知られているが、伝聞として人から聞くのと実際に目で見て知ることでは印象が大きく異なる。


 レオナルド以外と結婚するのであれば誰でも構わないと自暴自棄になりそうな気持ちもあるが、家のことを考えるとより良い相手を選ばなくてはならないのだ。


「ですので、期間は社交界デビューの二週間前ほどでどうでしょうか?」

「……わかった。そうしよう」


 シャーロットは安堵した。最初はレオナルドの提案に戸惑ったが、一年ほどの時間があればお互いに関係を終わらせる心構えもできるだろう。


「それまでの間に、俺はこの怪異を調べ、対処しよう」

「怪異……?」

「ああ。俺は今回のことは人知を超えた力が働いたのだと推測している。でなければ、このようなことが起こるはずがない」


 語るレオナルドの瞳には迷いがなかった。本気で言っているようだ。


 愛情が一瞬で嫌悪に変わってしまうのは不可思議なことではあるが、だからといって超常現象だというのも発想が飛躍しすぎているようにシャーロットには思えた。


「何か、心当たりがあるのですか?」

「……いいや。俺はこの手の知識はさっぱりだからな。とりあえず、関係がありそうな書物や文献をあたっている」


 何の確証も手がかりもない状況で調べるのは、干し草の中から針を探すようなものだ。大変な作業になるだろうに、レオナルドはそれを承知で調査にあたっている。


 ただ悲観するだけだったシャーロットとは違い、レオナルドは現状を変えようと強い覚悟を持って行動していた。尊敬の念を抱きながら彼の顔を見上げたシャーロットははたと気がつく。


「あの……もしかして、体調が悪いのは眠らずに調べ物をしていたからでしょうか?」


 こけた頬はともかく、目の下の濃い隈は明らかに睡眠不足を示している。


 レオナルドは隠し事がバレたかのような気まずさを漂わせながら、首肯した。


「それも……一因だ。寝ようにも寝れなかったからな、時間の有効活用にもなるだろう?」


 眠れないのにベッドの上でじっとしているのがつらいのはシャーロットにもよくわかる。彼女もお茶会に参加し始めるようになった頃は、あまりの周囲の対応に悔しかったり悲しかったりで眠れない夜があった。


「でも……その状態でお仕事はつらくありませんか?」

「業務は通常通りには行えていたんだが、なにせこの見た目だからな。部隊長には明日からしばらく休めと指示があった。業務に支障が出てはいけないからと。……迷惑をかけてしまった」


 これまで事前に申請した休み以外で欠勤したことはなかったレオナルドが肩を落とす。衰弱した外見と相まって、シャーロットの同情心が頭をもたげる。


「でしたら、レオナルド様はしっかり休息なさいませんと」

「ああ。そう努める」

「ご安心ください。レオナルド様がお調べになっていた書物は私が引き継いでお調べいたしますから」


 レオナルドが目を瞬かせる。婚約解消を願い出たシャーロットが彼に協力しようとするのが意外だったのだろう。


「私もできることでしたら、婚約解消は避けたいですから」


 レオナルドの瞳に未だ鎮座する負の感情を見ながら、シャーロットは微笑んだ。

 


「これとこれと……あとこれだ」


 レオナルドの執務室の机上に並べられたのは歴史書や教典といった堅いものから大衆向けの小説や子どもの絵本など幅広かった。


「似たような事例やこうした現象を起こしそうな存在を当たってみようと思って」


 子供用の本はてっきりレオナルド達が読んでいたものかと思ったが、まだ真新しかった。


「義姉の妊娠が発覚した時に張り切って兄が買ったんだ」 

「ふふ。あの方はご家族を大事になさってますものね」


 レオナルドの兄、次代のポーレット子爵とは数度顔を合わせたことがあるが、穏やかで気さくな人だった。グレイス家の評判を知らないわけではないのに、レオナルドに恋人ができたのだと心から喜んでくれた。


 もし、婚約が解消となれば落胆させることになるだろう。


「父達は来シーズンまでは戻ってはこないから、借りても問題ないだろう。屋敷を管理する代わりに、あるものは自由に使っていいと許可も得ている」


 出産と育児を穏やかな領地で行いたいと、妊娠が発覚した一年ほど前にレオナルドの兄夫妻は王都をあとにした。


 ポーレット子爵夫妻は王都に残ったが、初孫が誕生してからは領地に戻って孫たちと過ごしている。領地の収入も安定しており、既に子どもふたりも既婚者と婚約者持ちとなったため、しばらく社交界から遠のいても問題はないのだろう。


「まあ、あの様子だと数シーズン伸びそうではあるが」


 つい先日、甥の顔を見に領地に戻っていたレオナルドは遠い目をする。相当な溺愛ぶりだったのだろう。


 ポーレット家は愛情を惜しげもなく表に出す人が多いから、彼らと比べれば感情表現が控え目なレオナルドは冷淡だと誤解されやすいのだろうか。レオナルドの横顔を見ながらシャーロットがそんなことを考えていると、レオナルドは息をついた。


「話が脱線してしまったな。……それで、どの本を持っていくんだ?」

「そうですね……」


 家にもある教典などを外し、いくつかの絵本や詩集などを選んでいく。


「この本はなんでしょうか……?」


 タイトルの゙ない美しい装丁の本を手に取る。凝った装飾のせいか、そこそこの重さだ。


「怪奇集だ。一部の好事家の間で人気のものらしい」


 五十年以上前のものらしく、よく見るとところどころ色褪せている。


 空想の話を事実かのように書かれている与太話とされているが、今回の件を調べるのにぴったりの本かもしれないと、シャーロットはその本も持って帰ることにした。



 本を抱えたメアリーが馬車に乗り込む。シャーロットは別れの挨拶をしようとレオナルドを振り返った。


「シャーロット。これを」


 レオナルドが差し出したのはバラの花束だった。先ほど庭に咲いていたものだろう。


「ありがとうございます。……ふふ、とても綺麗ですわ」


 摘みたての瑞瑞しい花弁と華やかな香りにシャーロットの頬が緩む。視線を感じて顔を上げると、レオナルドが冷ややかに観察していた。


 シャーロットは意識して口角を持ち上げる。


「大事にしますね。……それでは」


 笑顔を保ち、レオナルドと別れた。

 馬車が動き始めると、メアリーが瞳を輝かせながら花束とシャーロットを見ている。彼女が何を言いたいのかは察せるが、そのことについて話す気にはとてもなれなかった。


「ちょっと疲れたみたい。少し休むわ」

 バラの花束を抱え直し、シャーロットは目を瞑る。漂う気品ある香りが傷ついた心を慰めてくれる気がした。

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