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1話

 その瞬間を、シャーロットは生涯忘れることはないだろう。


 いつも彼女への愛情を湛えていたその瞳が、嫌悪に濁る様を。穏やかな笑みをかたどっていた口元が強張り、彼女の名を紡ぐ声に棘が混じるのを。そんな彼を目の当たりにし、己の胸に去来した感情を。


 シャーロットは一生忘れないだろう。




 王都の中央にある公園を、お気に入りの日傘を差しながらシャーロット・グレイスは歩く。


 彼女は陽の光を集めたかのような淡い金の髪をきっちりと結い上げ、この日のためにと卸したばかりの首元まで布地のある上質な服に身を包んでいる。淑女たる彼女に声をかけられたいと秋波を送る男もいるが、彼女は一顧だにせず足早に進む。


 今の自分は落ち着きがないだろうかとシャーロットの胸に不安がよぎるが、歩調を緩めることはできなかった。今日は領地から王都に帰還した婚約者との待ちに待った逢瀬なのだ。行儀に厳しい侍女のメアリーも今日だけは小言も言わずに同行してくれている。

 

 万一彼にこの姿を見られたらどう思われるだろうか。どうか、淑女らしくないと呆れないでほしいとシャーロットは願う。


 快晴の空に、水鳥たちが鳴き声を上げながら飛んでいくのが見えた。


「あら……珍しいこともあるものですね」

「あの鳥たちが鳴くところなんて、初めて見たわ」


 日傘を傾けて鳥たちを見上げる。その中の一羽と目があったような気がして、シャーロットはどぎまぎした。

 まるで、何かを忠告しているかのような視線だ。


 シャーロットが困惑している間に、鳥たちは飛び去った。自分も立ち止まっている暇はないと、シャーロットは止めていた足を再び動かし始めた。


 やがて鳥たちが飛んできた方角、新緑に囲まれた湖へとたどり着いた。


 ひとけのないその場所にはひとりの背の高い青年が佇んでいる。


 レオナルド・ポーレット。ポーレット子爵家の次男で王国騎士団に所属するシャーロットの婚約者だ。


 仕事帰りなのか、騎士姿でこちらに背を向け、湖を眺めている。


 距離があってもわかるほど、彼の黒髪は艷やかで美しい。つい撫でたくなってしまうくらいだと慎みも忘れてこぼしてしまったシャーロットに、それは男にとっては褒め言葉ではないと照れくさそうに笑った彼の姿を思い出す。 


 レオナルドは寡黙で、感情を表に出すことは少ないと言われている。子爵令息として礼儀作法は身につけているため日常生活に問題はなく、腹の底を探り合う社交界ではその無表情は武器にもなり得るだろう。


 だが、婚約者としてはどうなのかと婚約が整う前に母は渋い顔をしていた。シャーロットへの愛情が感じられない、そんな者を婿にしていいのかと。シャーロットだけが彼を愛した状態では必ず痛い目に合うだろうと。


 そんなことはないとシャーロットが否定し、相思相愛だと強く主張したため母は口を閉ざしたが、納得はしていないだろう。


 母は知らないのだ。レオナルドがシャーロットに向ける眼差しがどれほど愛情に満ちているのかを。他の人には愛想笑いでしか動かない彼の表情が、シャーロットの前では如何に柔らかくほどけるのかを。


 レオナルドと想いを通わせるようになってから数年、シャーロットはずっと幸せだった。彼以外との結婚は考えられないほどに。


 ようやく再会出来た喜びと緊張で鼓動を速めた心臓を落ち着かせるべく、シャーロットは深呼吸をする。


 だが、たいした効果はない。少しの逡巡の後、意を決して彼に近づき口を開いた。


「レオナルド様」


 名を呼ばれた彼の肩がぴくりと動く。


 ゆっくりと彼が振り返る。長旅後すぐに仕事に復帰したからか、現れた端正な顔には疲労の色があるが、その動きはしっかりとしている。


 レオナルドの視線がシャーロットを捉えた。その濃い青の瞳が、大きく揺らぐ。


「シャーロット……」


 頭一つ分高い位置から落ちてきた声は掠れている。そこに込められていたのは、シャーロットがよく知る感情ではなかった。


 レオナルドが近づき、震える手でシャーロットの頬に触れる。エスコートで手に触れること以外の接触は控えている硬派な彼にしてはとても大胆な行動だ。


 彼は顔を寄せて、確かめるようにシャーロットの顔をまじまじと見やる。秀眉が、苦しげに寄せられた。


「シャーロット……俺は……」


 間近で見上げる瞳は彼の気持ちを雄弁に語る。だから、シャーロットは理解した。


 ――愛し合ったはずの彼が、自分を嫌ってしまっていることに。

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