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ののじはおどる

 蓼丸眞子(たでまるまこ)は徹夜明けで気分が悪いのである。

仮眠して帰ろうとも思ったが、その前に急激にお腹が減っているのに気が付いた。しかもガッツリ食べたい。

 ただこの時間では大抵の飲食店は閉まっている。

いつもならコンビニで大量飼いをして家で貪るところだが、今日の眞子は機嫌が悪いのだ。豪勢とまでは行かなくとも、二郎系ラーメンのような山盛りの料理をガツガツと貪り、今朝の事を忘れてしまいたい。そう、ただの一時でも。

 そんな気分なのである。


「一龍に行くか・・・。」

 眞子は小さく呟く。

 最近はご無沙汰だが、一龍なら朝ラーをやっている。

今から行けば、空いている時間だろう。

 日に焼けた暖簾をくぐると「らっしゃい!」と威勢の良い声が店内に響く。

 はて・・どこかで聞いた声だなと思いながらあたりを見回すと店の中はやはり空いていて、テーブル席がいくつか開いていた。ここは魚河岸に近いせいか、朝でも混雑する店なのだが、もうセリが終わっている時間なので忙しい時間帯はとうに過ぎている。

 眞子が席に着くとすぐにバイトらしい店員がお冷を運んできた。

「豚骨チャーシュー大盛で。それに餃子とチャーハン。」

「へい。豚骨チャーシューと餃子とチャーハンっすね。」

「チャーシューマシマシでね。」

「了解ッス。大盛豚骨、チャーシューマシマシ、餃子、チャーハン入りましたぁ!」

 眞子は去って行く店員の姿をなんとなく見送った。

  やっぱり・・どこかで、確かに会った・・。

 厨房で忙しく働くバイトの兄ちゃんをじっと眞子は見続けた。

だが、相手は眞子の事を覚えていないのか、言葉を交わしても無反応である。店長から「哲っ!」と呼ばれる名前にも、胸に付けた山田のプレートの苗字にも記憶がない。だがしかし、必ず面識があったという自信がある。ただ・・・いったいいつ会ったのか・・?

 自慢ではないが・・いや・・自慢だが、眞子は自分にかかわりのあった人間は忘れない。人の顔と名前を一致させるのは眞子の特技なのである。


(ちっ。思い出しちまった。)

 眞子は昨夜の張り込みを思い出していた。


 昨夜は闇バイトで人を集め、強盗(タタキ)をする奴らの主犯格の男のマンションを徹夜で張り込んでいたのだ。

 前日の打ち合わせで、今朝に家宅捜索に入る予定だった。それまでの間、犯人の逃亡を防ぐため張り込みを命じられていたのである。2チームに分かれ、一方は窓を、もう一方はマンションの出入り口を見張っていた。

 眞子は先輩と一緒に出入り口を担当していたのだが、深夜に一人の女性が外出した時、眞子は直感的に犯人の男だと思った。その事を先輩に告げ、職務質問を提案したのだが、先輩はあくびを噛み殺しながらその提案を却下した。窓を張っているチームからは、カーテン越しだが犯人に動きが無いという報告を取ったばかりだからだ。眞子は不満だったが、先輩は頑として動きそうもない。

 案の定、捜査令状と共に家宅捜索(ガサ)に入った班は、もぬけの殻となっていた犯人の室内で地団駄を踏むことになる。窓の脇には椅子に座ったトルソーがあって、その顔は無表情ながらも、明らかに我々をバカにしていた。


 散々上司に絞られている時、思わず

(だーから、あの時、職質かけてりゃ押さえられたでしょうにぃ!)

 というその言葉が口から出そうになった。

先輩は鋭い目つきでこっちを見ていた。もはや口が裂けても言えない状況だけど、防犯カメラを調べれば我々の班がしてやられたことは白日の下にさらされるであろう。しかし、眞子にはそれも面白くない。なんだかモヤモヤとした気分がずっと続いていてムシャクシャするのである。

 逃がした犯人にあの時、「佐藤さんですね。」とでも一声かけておけばどうなったか・・

「思い出したァ!!」

 思わず大声を出して立ち上がる眞子を店中が凝視した。

一瞬、店の中の時間が止まったが、眞子は何事も無かったように席に着いた。少しの間店中の人が眞子を見ていたが、やがて何事も無かったように店の中は平穏を取り戻した。

「お待たせしましたぁ! 大盛豚骨チャーシューマシマシ、餃子チャーハンっす! ご注文お間違えないっすか?」

 あの店員がやって来てラーメンをテーブルに置く。

眞子は店員の顔をマジマジと見つめ、ニヤリとほほ笑んだ。

「あの・・・なんか注文間違えましたか・・・?」

 引いた店員は恐る恐る眞子に聞く

「いいえ、これでOKよ。」

「そースか。んじゃ、ごゆっくりどーぞぉ。」

 店員が去ると、眞子はワシワシと食料にかぶりついた。およそ淑女とは言い難い有様であった・・が。

 眞子はラーメンのスープをすすりつつ、名刺を出すとボールペンで何かを書き込んだ。


「ごちそうさま。」

「ありあとあしたーっ!」

レジに出たあの店員に愛想笑いをしながら支払いを済ませると、現金と一緒に名刺を渡した。

「え? なんスか、これ?」

「いいから、来ないと逮捕しちゃうぞ♥」

 眞子はそう言い残すと機嫌良さげに店を出た。

店員はゾクッっとひとつ、身震いすると名刺を見た。


<3:00PM ○○で待つ>

 と、書かれていた。



 5時間ほど眠った。

家に帰ろうかととも思ったが、体中の血液が胃袋に集中しては、さすがの眞子も睡魔には勝てず、近くにあったネカフェで睡眠を取った後、まっすぐに指定のファミレスに向かった。

 時間は2時40分。

ひょっとして店員が先に来ているかとも思ったが、まだ来てはいないようである。時間帯のせいなのか、ガラガラのファミレスで『お好きな席にどうぞ。』と言われた眞子は通りが見渡せる窓際の席に座った。

 寝起きのせいか、まだ覚醒には程遠い。

このファミレスには名物のチョコをたっぷり使ったパフェがある。それをまずキープしつつ、ドリンクバーとホットケーキを頼む。ガーナではチョコの原材料のカカオが不作らしく、いずれチョコが高級品になるという噂がある。

(今のうちに食いだめしておかねば・・・)

 なんとも卑しい理由ではあるが、目の前に置かれたチョコパフェに瞳を輝かせる眞子であった。

「あの・・俺にナンカ用っズか?」

 貴重品になるであろうたっぷりチョコのチョコパフェにスプーンを突き刺そうとした瞬間、おどおどとした様子で店員は現れた。

 ボサボサの髪に安物のスカジャンとジーンズ。靴は履き古したボロボロのスニーカーといういでたちで、スカジャンのポケットに手を突っ込んだままふてくされたようにしている。キョロキョロとあたりを見回す素振りは少しばかり怯えているように見えた。ちょっと見には、どこにでもいそうな気のいいチンピラ風のお兄ちゃんだ。

 眞子は一瞬躊躇したが、スプーンを置くとポケットに手を突っ込んだままの店員に向かってニッコリほほ笑んだ。

「あなた、佐藤君でしょ。(たたら)さんとツルんでた。」

「え? ・・・誰っすか、それ?」

「まあ、お座りなさいよ。」

「はあ・・・」

「私はねえ、一度かかわった人間の顔は忘れないの。」

 座って・・・顔を上げた店員の顔が変わっていた。

 いや、顔は変わっていない。正確に言えば雰囲気が変わったのだ。なのにそれは既に別人である。気の良さそうなチンピラ風のお兄ちゃんはどこかに消え失せ、今目の前にいるのは温厚そうでありながら、どこか人を食ったような感じで、とっつきにくそうな雰囲気の人物に変わっていた。服装もメイク(メイクはしていないのだが)も変わってはいないのに、さっきまでラーメン屋で働いていたバイトの店員と似ても似つかぬ人物がそこに座っていたのだ。

()()()()()()()にでもなればいいのに。」

 不敵そうに笑う店員(山田)=佐藤は、ある意味悪魔を連想させる。

「残念だけど、そういうのは嫌。私は事件を追いかけるほうが好きなの。」

「なるほど。それで、ご用件は?」

「・・・ねえ、君。もしかして二重人格?」

「違いますよ。」

 佐藤君はそう言いつつ、何気なくメニューを手に取る。

「じゃあ、なに? さっきのは演技?」

「そうですね。ただ今の僕が素顔かどうかはご想像にお任せします。ところで、僕を呼んだのがただの暇つぶしなら、僕はこのまま帰りますよ。」

「ふーん。言うじゃない。最初はね、鑪さんの情報屋かと思ってたけど、違ってるわよね。あの連続殺人事件の真相に、最も早く辿り着いたのが君。そうでしょ?」

「・・・さあ。僕は鑪さんの為に、ちょっとだけ助力したにすぎませんよ。」

「そう。」

 眞子はパフェをパクつき始めた。

「隠しても無駄よ。ネタはちゃーんと上がってんだから。」

「そうですか。じゃ、僕は帰ります。」

立ち上がりかけた佐藤の袖を眞子が掴んだ。

「待ってよ。私にも協力してよ。」

「駄々っ子ですか、あんた。僕が協力する謂れもメリットも無いんですよ。」

「ただとは言わないわ。ここの勘定は私の奢りヨ。」

 佐藤はプッと吹きだすと、ニコニコと笑いながら席に座りなおした。

「厄介事はごめんですよ。」

「分かってるわよ。ちょっとだけ知恵を貸してくれればいいわ。そうそう、君も何か注文しなさいよ。なんてったって、ただ飯よ。ただ飯。」

 そう言いながら、眞子はポーチの中から写真を一枚、テーブルのメニューの上に置いて見せた。

「何ですか、これ?」

()()()()()()()()()()ヨッ。」

「はあ?」

 写真にはおそらく血で書かれたであろう”の”という血文字が床に描かれていた。

「どうしてこれがダイイングメッセージなんですか?」

「肝心な所は話せないけど、これは被害者の手元に書かれた血文字なのよ。」

  (言われなくとも、見ればなんとなくは分かる)

「被害者の死因は失血死。刺されてからしばらくは意識があったみたいで、この”の”という字らしきものを残して死んでいたの。」

「・・・ふーん。じゃあ、あの貿易商の事件ですね。」

「ち・・違うわよ。これはあくまで架空の事件。私は君に謎解きクイズしてるだけなんだからね。」

 スプーンに特大に盛ったアイスをかぶりつく眞子。

「・・分かりやすい人ですね。でも、どうしてこれがダイイングメッセージで、なぜ”の”の字なんです?」

「だから、そこが謎なのよね。関係者に”の”の字が付く人はいないし、それになぜ”の”の字一文字だけなのか?」

「それで、地方公務員の方々の見解は?」

「犯人の名前を書こうとして力尽きて死んだ。というのが概ねの所見よ。でも私は何か違うような気がするのよね。」

「でしょうね。」

 佐藤は事も無げに言い放った。

「この写真を見る限り、続く字を書こうとした痕跡は無いです。しかもやや字が震えているように見えるものの、しっかりと一文字だけ書いて満足しているように見える。それに、そもそもこれは文字なんですか?」

「え?」

 眞子たち地方公務員の見解は”の”という文字であるという前提から成り立っていた。それが文字であるなら当然それは犯人の名前だろうという結果に落ち着いたのである。だいたい、刺されて死にかけた人間が、犯人の名前あるいは犯人を指し示す何か以外のモノを書くことなど有り得ない・・と誰もが考えるからだ。

「僕には”の”の字と言うより、渦巻のように見えます最初の円が”の”の字ように上にくっついていない。まるでナルト巻の模様のようだ。」

「なると!」

 眞子は少しだけ腰を浮かしかけた。

「どうかしましたか?」

「いるのよ。関係者の中に成人(なると)って名前の人が! それも、左利き!」

 眞子は新しい発見をして興奮しているように見える。

 しかしそれを冷めた目で否定したのは佐藤だった。

「・・・そういう思い込みが冤罪を産むんですよ。」

「え? 君がナルトっていうから、そう思っただけよ。云わば誘導ってヤツかしら。」

 しかし、一度ナルトというワードが頭の中に入った眞子の脳は、ナルト犯人説に大きく傾いていた。

「あ・・そう言えば彼にはアリバイがあったんだ。」

「・・・まずは詳しい状況を教えてもらえませんか?」

 佐藤はあくまで冷めた様子である。




 二日前。眞子の所属している管内で強盗殺人と思しき事件が発生した。

強盗殺人であろうとの機捜の所見を受けて捜査は開始された。特にマルガイ(被害者)がダイイングメッセージらしきものを残していることから、マルヒ(被疑者)は顔見知りの犯行である可能性が高いと思われた。

 マルガイは小さな貿易商を営む百田 朗(ももた あきら)氏(47歳)。

現場は古いオフィスビルの3階に構えている百田貿易のオフィス内で犯行が行われた。古いビルにはいくつかの会社が入っていたものの、防犯カメラも無く、不審な人物を目撃した者も見つからなかった。犯行時刻は死亡推定時刻から割り出された21:00から23:00の間。解剖の結果、百田氏は背中と腹部に3か所の刺創があり、凶器は包丁のような鋭利な刃物。その刺創のひとつが腹部大動脈を傷つけた事による失血死と断定された。

 捜査班の見立てでは、灯りが消えた室内で仮眠を取っていた百田氏に気づかずに、犯人は鍵のかかっていない入り口から侵入し、それに気づいた百田氏に騒がれたことによる突発的な犯行ではないかと思われた。詳しい被害額はまだ分からないが、開けられた金庫の中には約400万ほどの現金が入れられていたという。室内は荒らされ、足の踏み場もないほど書類や備品が散乱しており、血の付いたマルヒのゲソ痕(足跡)が残されていた。

 顔見知りの犯行との見立てから、真っ先に疑われたのは社員である3名である。


一人目は乾 成人(いぬいなると)氏48歳・男性。妻帯者で都内在住。営業職。

二人目は猿倉 太陽(さるくらたいよう)氏36歳・男性。独身、都内在住。営業職。

三人目は木地本 薫子(きぢもとかおるこ)氏42歳・女性。独身でバツイチ。事務職

 事件の容疑者は3人。

まるで、どこぞのミステリーアニメのようである。


 当夜、退職する事になった乾氏を見送った二人は居酒屋で軽く飲んだ後に帰宅したとの証言しかなく、アリバイははっきりしない。ただ、乾氏については19:55分の京都行の東海道新幹線に乗車するのを二人が見ている。

 乾氏は実父が2か月前に亡くなっており、家業を継ぐために退職を決意。その時に社長と相当揉めたとの噂があった。百田貿易は近年、次第に業績が悪化し、トップの営業成績を誇る乾氏に退職されるのは百田氏にとっては相当な痛手であったに違いないのだ。

 捜査陣の疑いの目は乾氏に向けられたが、乾氏は実家で家族と会っている。身内の証言なのでその信憑性には欠ける・・・という捜査員も多い。


「今のところ、動機がありそうなのは乾さんだけという所ですか・・。」

「そうよ。」

 眞子はスマホで時刻表とにらめっこしている。

 気分はきっと十津川警部であろう。

「蓼丸さん。」

「なあに。」

「現場に行って見るって事、出来ますか?」

 素っ頓狂な顔で、眞子は砂糖をマジマジと見た。

「・・・ダ・・ダメに決まってるでしょ!」

「現場はまだ保存してあるんですよね?」

「そりゃあ、そうだけど・・。」

「写真1枚と話だけじゃ、力になれませんよ。」

「ゔ・・・。だけど、そこには想像力と言う武器があるじゃあないの、君ぃ。」

 佐藤は涼しい顔で眞子を見つめ返していた。

「・・なるほど。では蓼丸さんの想像力を見せてもらってもいいですか?」

「え? 何? どういう意味?」

「蓼丸さんはパントマイムって知っていますか?」

「そりゃ、知ってるわよ。バカにしないでくれたまえ。」

「では、パントマイムでコップの水を飲んでいただけますか?」

 眞子は気恥ずかしいのか、そっと周りを見る。

「分かってるわよ。簡単でしょ。」

 眞子はテーブルにある架空のコップを掴むと、それを口に持っていき、架空の水を飲み干した。お冷には氷でも入っているのか、舌で頬を膨らませて転がして見せる。

「どお? 上手いもんでしょ。」

「ダメです。」

「何い!」

 自分では及第点だったハズだと思っていたのにダメ出しされた。

「魅せるためのパントマイムには、より分かりやすく、そして興味を引くために動きにある種の演出が入ります。ですが、今は基本的にリアルな動作を見たかったんです。」

「私の演技にケチをつけるつもり。」

「ええ、たとえ蓼丸さんが大女優でも、ダメな物はダメです。では、おさらいしてみましょう。蓼丸さんはテーブルに置かれたコップを見て、それを掴んで飲む動作をした。」

(図星・・)

「もう一度、コップを掴んだ手の形をしてみてください。」

 眞子は言われたとおりに手で形を作る。

すると佐藤はコップを掴むと、それを眞子の手に持っていく。明らかに眞子の手の握りが狭い。

「手を広げて・・・そう、今度は実際に掴んでみてください。」

 眞子は砂糖の言うようにコップを掴む。

「大した事ではないかもしれませんが、重みがあるでしょう。」

 眞子は言われて初めて気が付いた。

「今度はコップの水を実際に飲んでみてください。」

 今度も言われた通りに水を飲む。

「気が付きましたか?」

「え・・何を・・?」

「コップは自分の手で口に持って行くと同時に、口がコップに近づいて行くのをです。」

 言われて初めて気が付いた。毎日のようにやっている動作なのに、自分では認識していなかったのだ。

「これが()()()()()()()()()です。」

 眞子は返す言葉を失った。

「ですから、ね。実際に現場に行って()()()()()()()()()事の方が多いんですよ、」



 そこは古びたオフィスビルだった。

 狭いエレベーターは二人で乗っても窮屈に感じるほどである。

「いい。何もしゃべるな。いいな。」

「承知しました。」

 事件のあった部屋の前には黄色いテープが立ち入り禁止であることを告げていた、そして、おまけのように制服の警官がポツンと一人で断っている。

「ご苦労様です。吉川巡査。」

 眞子は警官に向かって敬礼する。

 警官も眞子に敬礼を返した。

「蓼丸巡査長。何か御用ですか?」

「ちょっとね。事件にかかわりがある参考人に室内を検分してもらいたくて連れて来たの、」

「マルモク(目撃者)ですか?」

「違うけど、これは内緒にして欲しいの。まだハッキリと彼の証言が役に立つかどうかはあやふやだから。」

「いや。それはちょっと。一応、報告しとかないと・・・。」

 実直そうな中年の警官は顔を曇らせた。

「そこを何とかお願いします!」

 頭など下げそうもない蓼丸が一気に90度まで頭を下げた。

「頭を上げてくださいよ。でもねえ・・私も上に叱られますから。」

 その時佐藤が吉川巡査に近づいて耳打ちした。

「・・・・え? 公安・・・・ええ・・・はあ・・・」

 下を向いている眞子の額から脂汗

(こ・お・あ・ん・・だと~~~~マジかぁ~コイツ。。。。)

 チラリと二人を見上げると、やはり佐藤の雰囲気が変わっていた。

「承知しました、伊藤警部補。今回の事は自分の胸に納めておきます。」

「ありがとう。1時間ほどで見分は終わるから。」

 吉川巡査は丁寧にドアまで開けてくれた。


 ドアを開けるとそこは殺風景な廊下になっていて、さらに左手側に三つのドアがあった。二つは締め切りで開かないが、ドアを開ければ百田貿易のオフィスに通じる。入れる入り口は一番奥である。

「ちょっと。何が承知しましたよ!」

「大声出すと聞こえますよ。」

「煩いわね。公安って、どういう事!!」(小声)

「潜入捜査中の伊藤警部補が、事件に関係あるかもしれない物証の確認の為に入りたい。これには国家の存亡がかかわっている大きな事件で公には出来ないし、緊急を要するため、正規の手続きを踏んでは間に合わないかもしれない。それに所轄との軋轢を防ぐために、ぜひ内緒でお願いしたい。・・・とそう言いました。」

「・・・ドラマの見過ぎなんじゃないの、あんた! 分かってんの、もしバレたら怒られるだけじゃ済まないのよ!」(小声)

「吉川巡査は正直で言い方ですね。彼はきっと誰にも言いませんよ。」

「なに、それって自分は人を見る目があるって言いたいわけ! 私よりも!」(小声)

「ま、立ち話も何ですから、部屋に入りましょうか。」

 佐藤は蓼丸を軽くいなしてオフィスのドアを開いた。手にはいつの間にかスキングローブがはめられている。毒気を抜かれた蓼丸は佐藤に続いてオフィスに入る。


 オフィスの中は暴風の後のように荒れていた。

机が4つ。複合機が一つ。そしてパソコンが3台、キャビネットが真ん中のドアを塞いでいる。4人が仕事をするには少しばかり狭いだろうというような部屋。そして奥には社長室との仕切りと、サッシの引き戸が付いていた。

 サッシのガラスに血の掌紋がべったりと付いていて、サッシ戸の下あたりが血まみれになっている。そこから血を踏んだらしい足跡があちこちに付きまくっている。そしてデスクやキャビネットにあったである書類が床一面に散乱し、3台のパソコンも叩き落されて壊れているらしかった。

「ビニール袋、ありますか?」

「なによ。手袋は持ってるのに。」

「バイトで使うから持ってただけです。無ければお借りするところでした。」

 もう鑑識の仕事は終わっているから指紋など残しても問題は無さそうな物だが、佐藤は用心深い。新らたな指紋や足跡が残るのを気にしている。

 眞子はゴム付きのビニール袋を佐藤に渡すと、佐藤はそれを自分の靴の上から着ける。

「死体は社長室ですか?」

「そうよ。」

 眞子の顔もいつもの刑事の顔に戻っていた。

佐藤はゆっくりとした足取りで、社長室の引き戸から中を覗く、辺りをざっと見まわし血だまりの床を見る。そこには人の形の白い紐が<ここに死体がありました>とばかりの形を作っていた。そして右手の少し先に例の”のの字”の血文字が描かれていた。そして社長室のデスクも相当な荒らされようである。盗まれた400万が入っていたという金庫は今時珍しいレトロなダイヤル式の金庫で、キャビネットの下でバカみたいに口を開けて鎮座していた。

「ふーん。なるほど。」

「何か分かった?」

 佐藤は眞子の問いに答えず、オフィスに戻って辺りを見回す。そして血の足跡に気を付けながらうろうろと歩き回り、時には散らばった書類などを手に取って見つめる。

「蓼丸さん。」

「なに?」

「犯人は金庫を見つけて中のお金を盗んだ。番号はまだ生きている社長から聞き出したんでしょうか?」

「多分そうじゃないかと思われてる。刺し傷が3か所もあったのは社長を脅すためじゃないかって。」

「身内が犯人だとしたら、金庫の番号を知っていたという線はありませんか?」

「それも想定内よ。有り得る話でしょうね。」

「少しチグハグな感じがします。犯人が身内の人間なら、お金の有る無しは別にしても金庫を狙うはず。お金はそこにあった訳だから、オフィスを荒らす必要はないんじゃないでしょうか? もし、外部の人間ならばパソコンまですべて壊すなんて事するでしょうか?」

「私たちは内部犯行説を取っている。室内を荒らしたのは偽装と見ているのよ。」

「オフィスの入り口のカギはかかっていたんですか?」

「いいえ。社長がいたからかかっていなかったと思われているわ。現に第1発見者の木地本さんが出社した時には開いていたそうよ。」

「セキュリティも無いのに、400万の現金を金庫に入れておくのは不用心じゃないですか?」

「たまたま現金の集金があって、銀行に入金できないときは社長が自宅に持って帰っていたそうよ。」

「じゃあ、時間が無いので仮説のままでシナリオを書きます。さっさと稽古を始めましょうか。」

「・・・え? どういう意味?」

 眞子には意味不明の言葉である。


「違う! いいですか、最初にこう腹を刺される。百田さんは苦しんで腹を押さえようとするけど、犯人は百田さんの肩を掴んでもう一度刺すんです。百田さんは逃げようとして社長室に向かう。その時ついた血の跡がこれ。」

「・・はぁ・・。」

「そして崩れるように床に倒れる。犯人は百田さんの背に乗りとどめを刺そうと心臓を狙って刃を突き立てるが、肋骨に阻まれ致命傷にはならなかった。分かってる?」

「はい。すいません。」

「分かったら、もう一回行くよ、いいね。」

「は・・い。」

 眞子は佐藤に当時の状況を再現するため、被害者の百田さんの役を割り振られ、佐藤の演技指導を受けているのである。

「あー、一つ言っとくけど恥ずかしいは捨ててくれ。いいね。」

「ええ、はい。」

 何度かリハを繰り返した後、いよいよ本番と言われた眞子だが、自分でも何をやっているのか分からなくなってきた。恥ずかしいのもあるけれど、演技なんてまったくやったことが無い。ド素人相手に、コイツは容赦なく罵声を浴びせ、演技を繰り返し覚えさせようとする。

「一つ聞いていい?」

「なにか?」

「こんなことに意味でもあるの?」

「それはやってみてのお楽しみだ。そろそろ時間だ。巻きで行こう。」

 お日様はとうに沈み、外はネオンの光が入って来る夜である。

 佐藤はオフィスから出ると、室内の電気を消した。


 暗闇の中、オフィスのドアが開くと、灯りが点けられた。

「誰だ? 誰かいるのか?」

社長室の戸が開けられ、百田が姿を現す。

「なんだ、お前か。 いったいこんな時間に何の用だ?」

 入って来た人物は、いきなり駆け出し、殴りかかろうとする。百田は両手で顔を庇った瞬間、犯人は百田の腹に包丁を突き立てた。

「があああ! なんだ、お前、何を・・・」

 二の句を告ぐ間もなく、凶刃は再び百田の腹に刺さった。

「が・・あああ・・げほっげほっ。」

百田は強烈な熱さと手にかかる生暖かい液体の感触を感じて、気が遠くなりかけた。

{逃げる・・逃げなきゃ・・)

百田のなすべきことは社長室に籠って鍵をかける。しかし、足に力が入らない。足がもつれて無様に床に倒れ伏した。体が思うように動かない。這うのが精一杯である。鼻の奥がツーンとする。痛い、痛い、体中が痛いのに何をしていいのかが分からない。

 突然、百田の背中に重みがかかると、次の瞬間に新たな痛みが襲う。百田は気を失った。


 気を失っていたのはほんの数分だろう。

部屋の中が荒らされている物音で目が覚めた。覚めたが、息が苦しい、吐きそうだ。

 このまま死ぬのか・・助け・・助けて・・助け・・・

 せめてこいつを告発しなければ・・・

 百田は指先で何かを書き留めると、薄笑いを浮かべた。そして満足したように瞼を伏せた。


 犯人は一通りの作業を終えると、百田の側に戻って来た。

  怖かったのである。

 万が一、死んでいなかったら。

そう思って傍に来て、鼻先に手をかざす。すでに百田の息は絶えていた。

 犯人はホッと一息ついたが、百田の指先に渦巻のような模様が描かれているのに気が付き、ギョッとした。靴底で消そうとしたが、犯人はそれをやめた。

 犯人は持ってきていたタオルで体についた返り血を拭き取り、これも用意していた服に着替える。合わないサイズの靴も履き替えた。

 そして・・


「出て行った。」

 眞子は倒れ伏したまま呆然としていた。

百田の死体の枠にすっぽりと納まっている自分に気が付いたのだ。血糊は既に乾いていたが、多少は服に汚れが着いていた。しかし、眞子にはそんな事を気にしている余裕が無かった。不思議な達成感があり、どこか高揚している自分に気が付いたのだ。

(恐ろしい子・・・<注:自分の事>)

「蓼丸さん。起きていいですよ。」

 眞子はむっくりと起き上がると、手で服の埃を払った。

「まるっきり・・計画殺人じゃない・・。」

「僕ならそう見るね。少なくとも、金庫があって、そこを開け、400万を手に入れたら。僕なら後は何もせずに逃げ出す。死体が転がっている部屋になんかいつまでも居たくは無い。少なくとも金銭目当ての強盗ではないだろうね。」

「怨恨・・・でも、マルガイに殺すほどの恨みを持っている人物は浮かんできてないわ。動機は?」

「さあ。・・・でも、きっと早く浮かんでくるかもしれませんね。」

「聞き取りをまたやらなきゃ・・・町の防犯カメラももう一度・・。でも証拠がない。いったいどうしたら・・。」

「日本の警察のオハコを使うんですね。」

「オハコ?」

()()ですよ。」

 佐藤はそう言うと、一枚の紙片を眞子にかざして見せた・・・・。





「じゃあ、あの後の貴方の行動を証明してくれる人はいないんですね。」

「はい、残念ながら。」

「まあ、殺人事件が起きるなんてことは分かりませんしね。」

「アリバイがある方が怪しいんじゃないですか?」

「そうかもしれませんね。計画性があればの話ですが・・・。」

 そいつは余計な事を口にしたと気づいたのか、それっきり口を噤んだ。

 ここは取調室。

眞子は3人の容疑者を一人ずつ呼び出し、尋問する事にしたのだ。そして、今の容疑者が本命である。

「話は変わりますが、オフィスの配置を教えていただきたいのですが、見取り図か何かをかいていただけますか?」

「・・・はい・・。」

「長田君。ノートか何かある?」

 長田刑事はまっさらのコピー用紙を一枚、眞子に渡した。

眞子はボールペンと紙を渡し、そいつに部屋の配置を描くように促した。

 ボールパンを渡されたそいつは、紙に向かって描きはじめたが、ボールペンのインクでも詰まっているのか、描くことが出来なかった。

「ごめんなさい。こっちのを使って頂戴。多分大丈夫なはずだから。」

 そいつは、新しいペンを渡されると、紙の端に試し書きをした。そして簡単に四角い部屋を書いてデスクの位置を描くと眞子に渡した。

「分かりました。ありがとうございます。」

「はあ、こんなんで何が分かるんです?」

「分かりますよ。貴方が犯人だって事がね、猿倉さん。」

 猿倉はギョッとして眞子を見据えた。

 眞子は慌てる事も無く、あの写真を猿倉が描いた紙片と一緒に机の上に並べて見せた。

「ほら。一緒でしょ、これ。」

 眞子が指示した先には、渦巻のような”の”の字の猿倉の試し書きがあった。

「そんな、試し書きなんて誰でも一緒じゃ・・・」

「試し書きには個性があるんだそうですよ。場合によっては筆跡鑑定も可能だそうで、指紋のように判別可能なんです。あなたは大事な書類によく試し書きをして百田社長に怒られていたそうですよね。」

 猿倉はがっくりと肩を落とした。


**********


「ありがとう。お陰で事件が早く片付いたわ。」

「そうスか。良かったっすネ。」

 夕闇の中を歩く二人は恋人同士のようにも見える。

佐藤は探偵の佐藤ではなく、普通の青年のように見えるからだ。

「動機はね、猿倉の横領だったようよ。それが百田社長にバレてて、近いうちに告発されることになっていたらしかったわ。」

「ふーん。」

「部屋を荒らしてパソコンを壊したのは、証拠隠滅の為だったようね。」

 佐藤はどこか遠くを見ている。

探偵の佐藤には大方予想がついていたのだろう。何の感慨も見せなかった。

「私、今度演劇サークルに入ったの。」

「ええぇ!」

「・・・なに、その化け物を見るような目つきは?」

「いや・・・なんでもないっす。」

「もしかしたら数年後は大女優になってるかもね。」

「はあ・・・頑張ってください。」

「それじゃ、私はこれで。別の佐藤を追っかけなきゃね。」

 そういうと、蓼丸真子は軽く手を振って雑踏の中へと消えて行った。


「ああーーー!」

 佐藤は突然大声を出した。

彼は眞子に報酬をもらっていなかったことに気が付いたのだ。

(・・ま、いっか・・。憂さ晴らしも出来た事だし・・。)

 佐藤はスカジャンのポケットに両手を突っ込むと、眞子とは反対の方向へと歩き始めた。

 そして、普通の人々の中へと溶けて行ったのである。

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