では、お好きにどうぞ。
「私の愛はお前などではなく、彼女にあるのだ! お前との婚約を破棄する!」
あらあらまぁまぁ。
お前、だなんて失礼ですこと。相変わらずですわね。
わたくしと貴方様ではわたくしの家の方が爵位は上ですのに。破棄を宣言するのならお前、ではなく、ゼッツェル侯爵嬢、と呼んで欲しいものですわ。
「左様でございますか。一つ訂正致しますと、既にわたくしと貴方様の婚約は解消されておりますの。ご安心下さいな、カルノラ子爵子息様。では、お好きにどうぞ」
わたくしが踵を返して立ち去る背後からカルノラ子爵子息様がお相手のオケノス子爵嬢様にプロポーズしている声が聞こえて来ます。
大体彼方もご存知のように、婚約が解消になっておりますのに、未だにわたくしの婚約者であると何故口にして……ああ、いえ、そういえばそうでしたわ。
元々この婚約が締結したのはカルノラ子爵子息様の見栄のためでしたわね……。
抑々、カルノラ子爵子息様ことバッカス様とオケノス子爵嬢様ことサンドラ様は、わたくしことリーゼ・ゼッツェルの幼馴染です。
尚、此処はカルノラ子爵家の屋敷です。事の発端はバッカス様からの相談を受けた時のこと。予てより相思相愛のサンドラ様にプロポーズをするのに、インパクトのあるものにしたい。そのために演技に付き合って欲しい、と言われましたわね。
その内容を全く知らさないで協力を求めてくる調子の良さと言いますか、断られるとも思っていない傲慢さと言いますか。呆れ果てましたわ。
もちろん断りましたわよ? 当然ですわよね。幼馴染とはいえ、わたくしの家は侯爵家。断っても問題にもなりませんわ。カルノラ子爵家ともオケノス子爵家とも付き合いが断絶されても我が家が困ることなんて少しも有りません。
困るのは我が侯爵領の隣に位置する両家ですわ。両家とも我が家に縋らなくては困るのに、その子であるバッカス様もサンドラ様もその辺を理解しておられないのです。
ただ、更に困ったことにゼッツェル侯爵である父はかなりのお人好し。
わたくしが両家に見切りを付けたくても父の方針は、それにノーを突き付けるのです。だから渋々バッカス様とサンドラ様に付き合っていただけですのに。何をどうお考えになられたら、バッカス様はご自分の方が上位に立てると思っていらっしゃるのかしらね。
でも。
バッカス様は父がお人好しなことはよくご存知で。
だからこそ、わたくしと婚約をしていました。
抑々、この婚約話、わたくしにもゼッツェル侯爵家にも何の旨味もありませんでした。侯爵とも有ろう方が旨味も無い婚約を締結する事が有り得ないのですが、そこは父の性格。お人好しな性格につけ込まれまして、バッカス様が直接父に直談判をしましたの。
曰く。
「相思相愛のサンドラにプロポーズをするのにインパクトがあるものにしたい。そこでリーゼと形だけの婚約をして、ある程度したら婚約破棄を宣言する。その勢いでプロポーズをしたらサンドラは感動してくれるのではないか」
と。
愚かにも程があるし、それに付き合う義理はわたくしには有りませんわよ。もちろん、バッカス様はわたくしが断ることも考えていたので、内容をわたくしには話さないで、父に直談判をしました。
父は確かにそれならインパクトがあるね、と乗り気になったようで。
我が父ながら呆れましたわ。こんなにお花畑でしたっけ、と。まぁ侯爵としての仕事はきちんとこなしていましたけれど、プライベートは……。
そんなわけで、わたくしには“当主命令”として、知らぬ間にバッカス様と婚約させられていましたわ。父からは時期が来たら婚約破棄になる、とか頭痛がすることを言われましたので、わたくしを醜聞塗れにするなんて、それが実の父親のやることですか! と叱りつけました。亡き母が生きていたら同じことを言ったはずです。
ですので、父には時期が来たら此方からの円満な婚約解消と、迷惑料として、わたくしの好きにさせてもらう、という一筆を書いてもらいました。
そして、本日の、このカルノラ子爵家主催の夜会でプロポーズをする、と決意されたバッカス様はわたくしに婚約破棄を突き付けてその勢いに乗ってサンドラ様にプロポーズをすることにした、と。そのためにご自身の友人達を集めて夜会を開催したようですわ。
でも嗤えるのは、そんなプロポーズ作戦(笑)をサンドラ様がご存知だということ。わたくしとの婚約も形だけなのも最初からご存知。それはそうよね。父への直談判をした時、カルノラ子爵もオケノス子爵もその場に居たのですもの。オケノス子爵からサンドラ様に話が伝わっているわけですわ。
つまり。
茶番以外のなにものでもない、今回の件。
それにわたくしが巻き込まれたのは本当に不愉快ですわ。
父もノリノリでこの話に乗っているし。昨夜、本日の婚約破棄宣言からのプロポーズ作戦を聞かされましたの。
その前に婚約解消は、した。と父は言ってましたが。さすがに娘から醜聞塗れにさせる気か、と叱られたのは堪えたようですが、わたくしに叱られる前に自分で気付いて欲しいものですわよ、ほんと。
そんなわけで、一応婚約破棄を宣言されたわたくしは、さっさとカルノラ子爵家を出る所です。
ワッと声が上がった所を聞くと、プロポーズは上手くいったという所でしょうね。まぁサンドラ様もプロポーズ作戦を知っていたわけですし、いつなのか待ち続けていらっしゃったようですからね。何しろ、わたくしに。
「バッカス様はいつプロポーズをしてくれると思う?」
……なんて言ってきましたもの。
わたくし、なんでこんな茶番に付き合わされているのか、と本当に父を恨みましたわ。
でも。
あの一筆書きが有りますから落ち着きましたけれど。
ようやくプロポーズの決心がついたのは良かったですわね、サンドラ様、バッカス様。一応おめでとう、と祝してあげますわ。
さて。
これからが本番ですわよ。
わたくしもわたくしでやることがありますからね。
***
さて。先ずは父からの一筆書きを三枚出します。
そう。三枚書いてもらいましたの。
二枚はカルノラ子爵家とオケノス子爵家に、わたくしの手紙を添えて。
つまり。
絶縁宣言ですわ。頼って来られても助けません、という。
三枚目は父に突き付けますの。
「さぁお父様、あなたのお人好しは此処までです。当主の座を降りてもらいますわ」
「な、なんで⁉︎」
寝耳に水とはこういうことを言うのでしょうが、そんなことは知りません。わたくしは何度もあの二家との絶縁を忠告しましたし、お人好しの部分を指摘して参りました。その度に侯爵命令で退けて来ましたが、この一筆書きがある以上、もう侯爵命令は出せません。矛盾になるからです。
もし、一筆書きを無視して侯爵命令を出した時は、今回の茶番劇をお母様のご実家や我が家と付き合いのある貴族家に暴露するともわたくしは宣言してあります。
さすがに父もそんなことをされたら肩身が狭いどころか蔑まれることも分かっていたので侯爵命令は出さないでしょう。つまり、当主の座は降りなくてはならないのです。まぁ暴露されても同じことですけどね。
「なんで、では有りませんわ。あの二人の恋愛ごっこに何故わたくしを巻き込む決断をしたのか。そんな決断をしなければ、まだ親子の情を切れさせませんでしたのに。あの決断でお父様は実の娘のわたくしよりあの二人の方が可愛いと示したようなもの。ですので、わたくしも親子の情など切り捨てました。わたくし、密かにお父様の弟である叔父様に連絡を取り、長男は叔父様の婿入り先の侯爵家の跡取りだから諦めまして、次男のマギスを我がゼッツェル侯爵家の養子に迎え入れることにしましたの。この件は、お祖父様に許可を得ていますし、叔父様の婿入り先の侯爵家でも許可を得てます。わたくしは嫁に行きたい方がいる、と言えば納得もしてくれますわね」
「養子? 父上の許可? 弟も? リーゼの嫁入り? わ、私は何も知らない!」
父は立て続けに知らされた事実にパニックを起こしてます。まぁそうなるだろうとは思っていました。プライベートの事になると途端にダメな人になりますからね。
でも、わたくしは容赦しませんの。
「当たり前では有りませんか。元々、お父様が我が家の執務室に子どもとはいえ他家の子を簡単に出入りさせることは亡きお母様も執事も止めていたはずです。それを聞き入れないばかりか、わたくしが発案した当侯爵領を富ませるための果物のジャム売買の件を、いくら隣の領地だからといって我が家と業務提携もしない……つまり、旨味の一つも考えないでカルノラ子爵家に話して案を掻っ攫われてしまったじゃないですの! 確かに果樹園は彼方にも有りますけれど、ジャムはわたくしの発案でしたのよ? 何を勝手に話して利益を生ませてるんですの! せめて業務提携をするべきなのにそれすらせず、彼方はオケノス子爵家と提携してしまい、我が家には全く利益が有りませんわ!」
「だ、だからそれは、我が家は裕福なのだから、それくらい構わないだろうし、それであの二家が富を得たのなら良いことで……」
わたくしの剣幕に父は尻込みしながらも反論する。
「ええ、そう仰るから一度は黙りましたわ! それが、子どもとはいえ執務室を他家の子に出入りさせた事によって、我が家が考えていた商会の取引先まで奪っていたとしても、ね。あれはバッカス様とサンドラ様が商会の資料を盗んだからですからね! その証拠の資料も二人が持っていて執事が取り押さえたのに、お父様が許してしまったから、お咎め無し! それも許せませんわ!」
「しかし、あれだって、もう七年前……。十歳の時の事だろう」
「わたくしも同い年ですが、普通は十歳ならば泥棒だと判断出来ますわよ! お父様の甘い性格が、付け上がらせたのです! それでも黙ってあげましたわ! ですがっ!」
わたくしは大きく深呼吸をして宣言します。
「今回の茶番劇! あれは、わたくしの評判に傷が付くものでもあるのです! それを! 可愛がってる子が恋人にプロポーズするから、という理由で! お父様はわたくしの評判に傷が付いても構わない、と判断されたのでしょう⁉︎」
「そ、そんなつもりは」
「お黙り下さいっ。そんなつもりはなかった? どれだけ愚かなんですか! いいですか! 本日確かに夜会にて婚約破棄を突き付けられました! あの二人の友人達の前で、です! その友人達が面白可笑しくご家族に話さないとは限らないでしょう! その家族がまた誰かに話したら? 直ぐに噂など広まりますわ! つまり、お父様は実の娘よりも、他人の子の方が大切だ、と断言したのと同じことですっ」
「そ、そんなつもりじゃ……」
「そんなつもりじゃなかったのならどんなつもりですか! 侯爵家当主と有ろう者がそんな事にも考えが及ばないのであれば、領民に何かあってもそんなつもりじゃなかった、で、済ませることにもなりましょう! お父様は、そういう判断をされたのです! そんな当主は要りません! 今回の茶番劇のことはお祖父様や叔父様には話していませんが、わたくしがもらった好きにしていい、というこの一筆書きだけで、何かをやらかしたことは察したようで、わたくしがお父様を当主の座から引きずり下ろすことを認めてもらいました」
父は、先程からそんなつもりではなかったとしか言いませんが、わたくしが突きつける現実に顔が青褪めていきます。己がどれだけ短慮なことをやらかしたのか、気付き始めたようですね。
「だ、だが、侯爵家当主の座は」
「大丈夫ですわ! マギスには当主教育をお祖父様が施し始めてますし、暫くはお祖父様が補佐について下さいますもの。この一筆書きを無視するのなら、お祖父様にも叔父様にも今回の茶番劇の件は暴露しますわよ。もちろん、叔父様の婿入り先の侯爵家にもお母様のご実家の伯爵家にも暴露します!」
「そ、そんな」
父はようやく自分の短慮がどんな結果を生み出すのか気づき出したらしい。青褪めるどころか顔色が白くなっていきます。が、容赦はしませんわよ!
「あと、この一筆書きを三枚書いてもらいましたわね。二枚は、一筆書きと共にあの二家に絶縁宣言をわたくしの名で手紙を突き付けておきました。今後、あの二家から頼られても当主だろうが子どもだろうが使用人だろうが、誰が来ても門前で帰って頂きます!」
「そんなっ! それでは二家が可哀想だろう⁉︎」
「知りませんわ。わたくしをあんな茶番に巻き込んだのですもの。それ相応の報いは必要ですわ。バッカス様もサンドラ様もいまいち気づいておられないようでしたが、我が家は侯爵家。国王陛下からお心配りをもらえるような家ですわ。社交界では、我が家に睨まれたあの二家は、直ぐに吹けば飛ぶくらい落魄れる事でしょうね」
わたくしが言えば父は頽れた。
あの二家を父が気にかける理由はお人好しな性格もあるが、あの二家を気にかけてあげれば、二家の当主が父を持ち上げてくれるからだろう。
父は弟である叔父にコンプレックスを抱いている。つまりまぁ優秀な弟に嫉妬している兄、ということ。そのコンプレックスを二家の当主に持ち上げてもらう事によって、プライドを保っているようなもの。
侯爵としては決して悪くないのだが、叔父と比べると平凡な父。しかもお人好し。
その結果が、今。
「もし、もしも、私が当主の座を降りたら?」
「一つ。監視付きですがこの侯爵家本邸に留まって生活。でも軟禁ですね。外出は無理。二つ。叔父様の婿入り先の侯爵領にて平民生活。三つ。わたくしと共に隣国へ行く。但し、隣国に行ってもわたくしとは中々会えない。この三つですわね」
選択肢があるだけマシだと思ってもらいたいわ。
「隣国……?」
「わたくしが結婚したい方は隣国の方ですの」
父は、目を白黒させながら、わたくしが本当に結婚したいのだ、と理解したよう。
「隣国……。リーゼはいつから……」
「お父様が茶番による婚約を締結する前からですわ! 学園でイチャつくバッカス様とサンドラ様と距離を置いていた頃に彼方からの留学生と知り合いましたの。古代語を勉強したいわたくしと、古代語に詳しいその方。同じ授業で友人となりまして。あの方が隣国へ帰ってからも文通してましたの。それから想いを打ち明け、婚約を我が家に打診する、と仰って下さいましたが、その頃は我が家を継ぐつもりでしたから、どうにもならない、とお断りしました。あちらは嫡男でしたから。そんな矢先にわたくしの気持ちを考慮せず、勝手に茶番の婚約を締結したお父様には失望しまして。わたくしの好きにしていい、という一筆書きを手に入れましたわ。お祖父様と叔父様と連絡を取るのと同時に、あの方にご連絡をしたら、結婚したいのはわたくしだけ、と申してくれましたのでお受けしましたの。ですから隣国に嫁ぎますわ!」
父は、そんなことになっていたとは……とガックリと気落ちしているが、知ったことでは有りませんわね。
「り、隣国に行く……」
「そうですか。まぁ平民に身分を移すお父様には中々会えないでしょうがお元気で」
「えっ。へ、平民?」
「えっ。それはそうでしょう? お父様は侯爵当主ではなくなりますのよ。隣国に爵位など無いのですから平民でしょう? わたくしは嫁ぐ方の家が養子先を探して下さって、そちらの養子になりますから、貴族としてあちらに嫁げますけれど」
なんでそんな当たり前のことが分からないのか不思議ですわね。
父の顔が白から土気色に変わりつつ有りますがそれもわたくしの知ったことでは有りません。今後は自分だけの力で頑張ってもらうだけです。そのまま倒れてしまったので執事を呼んでベッドに運んで貰いました。
こうして、たった一日でわたくしは他家の養女。父は平民。義弟と叔父と祖父母を迎え入れることになりました。
その後は、改めてわたくしの婚約者になって下さった隣国のクレヴァー・エンペル公爵子息に連絡をし、祖父母と叔父と義弟には執事を始めとした使用人達のことを頼み、使用人達にも彼らを主人として良く仕えるように話します。
尤も彼らも祖父が当主だった頃から仕えてくれているので問題もなく。執事や侍女長は父がわたくしよりも他家の子を可愛がって婚約が無くなること前提の婚約を締結したことは、言葉に出さなくても不満だったようで、主人が変わることは大歓迎のようでした。
……これ、父が茶番劇に絡んだ婚約を締結したことが祖父母や叔父にバレるのも時間の問題かもしれませんね。もちろん、祖父母も叔父もわたくしがバッカス様と婚約をしていたことは知りません。期間が一年程でしたし、社交場には婚約者として参加したことが無かったですからね。
取り敢えず、わたくし達が隣国に移るまでは黙っておくように口止めをしておきましたけど。
でも、父がわたくしの発案のジャムについて教えてしまった一件はきちんと知っているし、商会の資料の件もご存知の祖父と叔父ですから、わたくしが一筆書きの元、バッカス様のご実家・カルノラ子爵家とサンドラ様のご実家・オケノス子爵家に絶縁を突き付けたことは褒めてくれました。
尚、果樹園の果物をどうにかしたい、とジャム売買の件は諦めたにしても、果汁からお酒を作って売買することでゼッツェル侯爵領を富ませる発案をしてますので、その功績もあって祖父と叔父はわたくしの意見を聞いて下さっているのだと思います。有難いですわ。
ということで。
執事を筆頭に門番に至るまで、我が家が二家と絶縁宣言をしたことを教えましたので、わたくしの絶縁宣言の文書と一筆書きを持って押しかけて来た二家の当主は、到着していた祖父と叔父が門の内側で見届けられつつ門番に追い払われておりました。
ええ、あの二家は絶縁宣言の撤回を申し出てきましたの。でも祖父と叔父を見て、もう絶縁宣言が撤回出来ないことを理解したようですわね。肩を落として帰って行きましたわ。父は屋敷の中からその様子を見て悄気ておりました。……反省してもらいたいですわね。
さて。一ヶ月程でわたくしの荷物や父の荷物などをまとめたり売ったりして、クレヴァー様が隣国からお迎えに来てくれたので、隣国へ嫁ぎますわ。祖父母と叔父夫婦と義弟には結婚式の招待状を出すつもりです。
隣国に向かいながら侯爵領を通りますからお母様のお墓にご挨拶をする予定です。義弟にはゼッツェル侯爵家を頼みます、と託したら時々は里帰りをして欲しい、と願われました。可愛い従兄弟はまだ十二歳ですからね。そんな嫉妬しないで下さいな、クレヴァー様。里帰りすることも約束して、父とは別の馬車に乗って出発です。
生まれ育った侯爵家を出るのは寂しいものが有りますが。
「寂しい?」
クレヴァー様が顔を覗き込んできます。黒い髪はわたくしと同じですが、わたくしの髪はちょっと茶色に近いのに対し、クレヴァー様の髪は漆黒です。美しいと思います。その美しい髪に彫刻のようなお顔立ちで、わたくしの顔を覗き込まれると顔が熱くなってしまいますわ。
しかも、全てを見透かすような薄い水色の目で見られたら心の中まで覗かれているようでとても恥ずかしいのです。
「さ、寂しいですが、クレヴァー様がこれからはご一緒ですから、大丈夫ですわ!」
わたくしの言葉を嬉しそうに微笑んで聞いて下さるクレヴァー様。それからそっとわたくしの頬に人差し指で触れて。
「愛しいリーゼにそう言ってもらえると私も嬉しい。君のルビーのような赤い目と同じくらい真っ赤な頬がとても可愛いね」
「まぁ、揶揄わないで下さいませ」
「揶揄ってなどいないよ」
クスクスと笑いながら、わたくしの頬を撫でるのをやめてくれないのでわたくしの頬は益々熱くなります。
気分を変えるようにコホンと咳払いをして、クレヴァー様を見ます。
「あの、父のことですが」
「うん?」
「本当に、エンペル公爵領に迎え入れて下さいますの?」
「うん、そのつもりだよ。だってリーゼは、本当は父親似のお人好しだもの。情にも厚い。私が婚約したい、と申し出た時、父を見捨てられないと言っていたのをきちんと覚えているよ。君の父が他国でも一からまた貴族として生きていくのが難しい、と君は一番分かっている。だから突き放して平民として暮らしていけるように覚悟を決めさせた。父親が貴族に向かないことを誰よりも君が知っていた。そして、君もお人好しで時には情よりも冷静にならないといけない貴族には向かない。でも、それは私が嫌だからね。君には悪いけど私の妻は君以外居ないから頑張ってもらうしかない。でも君の父親は頑張れない人だから。だから平民になる道を君は選ばせた。だったら君が気にしないように、我が公爵領で生活をしてもらう方がいいでしょう」
本当にクレヴァー様には見抜かれている。
「クレヴァー様には見抜かれてしまいますわね」
「それはそうだよ。学園でイチャつくバッカス・カルノラとサンドラ・オケノスからよく君は父親を嘲笑されていた。侯爵当主なのにお人好しだ、と。君は気にしない風を装いながら影で父親を嘲笑する二人が許せず泣いていたのを、私は見ていたからね」
そう。それで声をかけられたのよね。そこからわたくし達は親しくなった。
「留学期間が短くて、私が居なくなった後、君の涙を誰が拭うのか不安だった。私がずっと拭いたい、笑顔にしたい、と思って、初めて君が好きだと気づいた」
クレヴァー様から手紙を頂いて、そのように書いてあったのを読んだ時もドキドキしましたが、目の前で言われてしまうとドキドキどころか呼吸が止まってしまいそうです。
あまりにも嬉しくて幸せで、どうにかなってしまいそう。
「う、嬉しいです。クレヴァー様に声をかけてもらってハンカチを貸して頂いたあの日からお慕いしておりましたから」
「うん、ありがとう」
護衛の騎士と侍女が同じ馬車に乗っているのに、クレヴァー様はギュウッとわたくしの両手を握ってきます。
「馬車の中じゃなかったら君を抱きしめていたのだけど」
などと熱い吐息混じりに言われてしまえば、益々わたくしの顔は熱くなってしまって。これ以上は恥ずかしくて……と思っていた所で、クレヴァー様はわたくしの両手を離し、続きを話します。
「まぁ、だからね。君の憂いを無くすためにも君の父には我がエンペル公爵領で暮らしてもらうことにするよ」
「ありがとうございます」
まだまだ熱い顔を俯かせながら、わたくしはお礼を伝えました。
「それはそうと、バッカス・カルノラとサンドラ・オケノスは、君の家と絶縁したことにいつ気付くだろうね」
口調を軽やかなものに変えたクレヴァー様のお言葉に、わたくしは苦笑します。
「カルノラ子爵とオケノス子爵に伝えられても信じないと思いますわ。勝手にゼッツェル侯爵家本邸に押しかけて、門番に追い払われても気付くかどうか……」
何しろ、自分達の都合の良いことしか受け入れられない二人ですから。でも、もう学園を卒業し、子どもでは居られなくなり、結婚し、バッカス様が跡取りとして本格的に始動されたら気付く事でしょう。
もう、領地を富ませる案を考えるわたくしが居ないことも、それを軽く喋ってくれるゼッツェル侯爵が居ないことも。
きっとバッカス様とサンドラ様のことです。ご自分がカルノラ子爵とその妻になっても、ゼッツェル侯爵家を我がモノ顔で出入りして、わたくしの案を盗もうと思っていたはずです。自分で考えなくていいのですから気楽ですわよね。当主になること、妻になることの重圧すら気にしないはずです。
でも。
わたくしが居なくなった事をようやく理解した時、あの二人は自分達の力で領地をどうにかしなくてはならない、と気づいて……さて、どうなる事でしょうね。
今からその未来を想像するだけで楽しくなってしまうわたくしは、実は性格が悪いのかもしれません。
「ああ、そうだ」
不意に思い出したようにクレヴァー様が口調を改めます。
「言っておくけどね。私はリーゼの発想力も気に入っているけど、別にそれが妻にしたい理由じゃないからね。君の発想力も君の魅力の一つで、私は君自身を好きだからね」
……どうやらわたくしの不安に気付かれていたようで、クレヴァー様がそのように仰いました。気持ちを疑ってごめんなさい。
「ありがとうございます、クレヴァー様。わたくしもこんなに素敵な方が夫になると思うと嬉しいですわ。大好きです」
幸せそうに笑うクレヴァー様。
きっとわたくしも同じ笑顔です。
そうしてもうすぐ、お母様が眠るゼッツェル侯爵領が見えて来る頃です。
お母様、わたくしの夫はとても素敵な方なのよ、と自慢したいと思います。
(了)
お読み頂きまして、ありがとうございました。