あとちょっと、もう少し
両親と次の約束を取り付けて、お開きになったパーティーを後にしたエトは、鍵を使って研究室の前まで帰ってきた。この時間の廊下は暗くてがらんとしている。校舎を歩いているのは一部の職員だけだろう。
ほろ酔い気分でドアを開けると、中は明かりがついていなかった。生徒たちが来るような時間ではないから当たり前だ。
出かけた前より空気が新鮮な気がする。リアンが部屋の空気を入れ替えてくれたのだろう。
息を吐いて入り口で靴を脱ぎ捨てて素足になった。汚れてしまうが、今はどうでもいい。ペタペタと音を鳴らしながら月明かりに照らされたテーブルに近づくと、人影があった。
「あらら、寝ちゃってるな。ただいまぁ」
小声でそう言って、静かに荷物を下ろした。
窓辺にある小さめのダイニングテーブルには向かい合わせに2脚の椅子があり、訪問者が増えたここ最近設置したものだ。そこで課題をしていたのだろう。リアンが突っ伏して寝落ちていた。
散らばった教科書やノートをどかしてエトはブランケットを探して、リアンの背中にかけた。
(なんか小さい?)
リアンがよく使っていたそれに首をかしげて、おもむろに向かいに座った。頬杖をついて寝顔を眺める。
ブランケットが小さくなったのではない。リアンが大きくなったからだ。
モーガンとあんな話をした後だからか、余計に実感してしまう。窓から差し込む淡く青白い光に照らされた寝顔はあどけなくて、口元が緩んだ。
以前は自分もこうして寝落ちたときに、リアンがブランケットをかけてくれた。昔は図書館で寝てしまったリアンを迎えに行ったこともあった。
「もうおんぶできないや。大きくなったなぁ……ふふ」
指先で眠る彼の前髪を撫でて、小さく笑った。なかなか止まらなくなった笑い声が溢れないように、同じように突っ伏して腕で抑えた。ちょっとしたことで可笑しく思えてしまうのは、酔いが回っているせいかもしれない。
呼吸が落ち着いたころ息を深く吐き出して首を倒して、リアンの寝顔と向き合った。
「なんも面白くないけど、なんか懐かしいかも」
あたしたちは”超新星”だ。
星が自分で輝くように、自ら才能を磨いて輝く必要がある。人の手が届く範疇に居てはいけない。
そういうふうに教えられ、今がある。
新たな星を生み出す壮大な計画は、可能性をたくさん広げてきた。星から星へと繋がって、やがて大きな星を描ければいい。でも。
「……そんなに急がなくてもいいのに。ゆっくりでもいいのになぁ」
エトが見つけた新星がいま、強く光り出そうとしている。どんどん手から溢れ出してくるのだ。
「あとちょっとだけ、”先生”でもいいなぁ」
酔いと眠気に微睡んで、自分勝手なことばかり口走る。誰も聞いていないのだから、許してほしい。
「……さむ」
いよいよ重くなる瞼に顔をしかめながら、呪文を唱えて上着を着た。ずっと肩を出していたからようやく落ち着いた。下はもういいや、と意識を手放した。
******
翌朝、朝日が顔を照り付けてリアンは目が覚めた。身体が痛いのは昨日座ったまま机で寝てしまったからだろう。肩から掛けた記憶のないブランケットがずり落ちる。
「背中痛い……ってあれ?」
顔をしかめて状態を起こすと、目の前に飛び込んできた光景に混乱した。朝日に透ける淡い金髪を散らばらせて、部屋の主が突っ伏して眠っている。
「帰ってくる前に寝たのか……あ!」
よく見るとエトの格好は上着は羽織ったようだが出かけたままであり、おまけに素足を晒して寒そうだ。
見たことない服だが、このままだといけないことはわかる。
「せっかくの服がシワになるのに……はぁ、起きたら着替えさせよ」
上半身が落ちない程度に椅子を引かせ、机との間にできた隙間から腕を入れて肩に担ぐようにして抱き上げた。
魔法を使わないのか、と聞かれたこともあるがまだ慣れないのだ。入学してから基礎的なことは扱えるようになったが、リアン自身が対人に向けて魔法を放つことに抵抗がある。ほかの学生が居れば、浮遊を頼んでいたがあいにくこの場には自分しかいないからこその手段だ。
(……また軽くなった?)
頬にあたるスカートの部分が、生地のせいでとてもくすぐったく感じる。
「……ぅう、ん……ん゛~」
「あ、コラ。おとなしく寝ててよ」
ぐんと上に持ち上げた反動からか、背中でエトがぐずったような声をあげ素足がパタパタと動く。あわてて腕に力を少しこめた。
「……りあん?」
「そうだよ。おかえり、エト」
「ん~~フフ……おおきく、なった、ね……………」
ぽやっとした様子で名前を呼ばれて答えながら仮眠スペースに到着する。寝転がして毛布をかけてやると、機嫌がよさそうに少し笑いほとんど寝言のような言葉を落としてまた寝入ったようだ。
赤子のようなヒトだなと思いながら立ち上がって大きく息を吐く。
「はぁ、大きくなりましたよ。あなたを運べるくらいには」
昔はメガネを外して毛布をかけてあげることしかできなかったが、いつのまにかやってあげたかったことができるようになっていた。ここに来てから5年も経ち、エトの身長もいくらか越した。
ずっとここには居られないから。急がなくてもその日がいずれやってくる。飛び越えた分だけ少し早く。
「どこまで行けばあなたのような”新星”になれますか」
「すぅーー……」
「もう少しだけ、待ってて」
眠るエトにそう言い残して、リアンは部屋を出た。
その後、寮では朝帰りしたと同期たちに騒がれてしまうのはまた別の話。
星影は遠く(了)
続きは明日の18時に更新します