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エピローグ

 月面・国際協約機構直轄・ガガーリングラード

 2374年07月(現在年月)


「お客様、地球へお帰りでよろしいでしょうか?」

 出迎えたのはポーターロボット。古風なベルボーイの格好をして、右腕に『地球行旅客専用』と書いた腕章をしている。彼らの仕事は、エントランスロビーで客を捕まえては正しい手続きで地球へ帰還させる手伝いをするというもの。荷物の発送手続きから乗客の健康診断や出立手続きまでを乗客に代わって処理、サポートする。月を出る手続きは結構煩雑なので、慣れた者も利用するサービスロボットだった。

「ああ、16時30分発グロスユニバース91便だ」

「GUV091便ですね。お荷物はご用意出来ましたか?」

「ホテルから直行させている」

「チケットと貨物預り証をお預かり致します」

 ウィンは擬似窓ビジュアルウィンドウを開いて地球行きのチケットと直送貨物請負証書を表示させるとロボットに投げる。ロボットは左手でキャッチすると、

「確認致しました。ピエール・ド・ウィンスラブ様、1名でございますね」

「そうだ」

「こちらへどうぞ、ウィンスラブ様」

 ロボットは彼の先に発ってロビーを行く。月に3つある旅客用宇宙港のうち最大のガガーリングラード宙港スペースポート。午後の発着ラッシュを迎え、宙港は行き交う人々で混雑していた。到着便の客は検疫兼月環境慣習ガイダンス用施設へ隔離されるため、ここにいるのは地球へ向かう客と、ラグランジェポイントのうち4つに造られたスペースコロニーへ向かう客だった。地球へ向かう客はグループ毎にポーターロボットが付いているので目立っている。

 2つある待合室は彼と同じように地球へ向かう旅客で溢れていた。

「では、手続きをして参ります。お待ちの間にこちらの問診票にチェックをして署名頂けますでしょうか?」

 ロボットが示す擬似窓を受け取ると、ウィンは黙って頷く。

「では、擬似窓に映ります指示に従って下さい。同時に検温と簡易ウィルス検査も行ないますのでご了承下さい」

「分かった」

「私はガンマ23号です。何かございましたら擬似窓に表示されましたコールボタンを押して下さい。それでは手続きはおよそ30分かかります。問診票をクリアしながらお待ち下さい」

 特徴のない20代男性を模したロボットは一礼すると去って行った。ウィンは擬似窓を開けると表示された32項目の質問に真面目に答えて行く。


 彼女はあの翌日、何も告げずに姿を消した。

口数がめっきり少なくなったブルーノに、砂漠からホテルに直行するよう命じると、彼は二人を予定より3時間早くホテルへ帰した。

「ありがとう、ブルーノさん」

 ウィンが言うと、

「どういたしまして」

 営業用のスマイルに戻ったブルーノがお辞儀する。ユンファは黙ったままお辞儀をすると、そのままホテルの外来者用気密エントランスの重い扉の前に立つ。ウィンとブルーノは扉の中に消えるユンファを見送ると、どちらともなく軽く息を吐いた。

「あの先生が何か酷いことを言ったんで?」

 ブルーノは何か疲れたかのように問う。

「酷くはない。ごく、当たり前のことを言っていたように思うよ」

「それにしちゃ、言っちゃあなんですが大変な災難にあったような様子じゃないですか」

「当たり前が結構響くこともある。あの人に罪はないよ。先生もあの女性ひともね」

「まあ、悪い思い出にならなきゃいいですよ。折角の旅行なんですから」

「そうだな。多分大丈夫だろう。すまなかったな、色々言ってしまって」

「いいえ、こちらこそ。あの先生はちょっと苦手なんですよ」

 ウィンは鷹揚に手を振ると、ふと思い付いたように、

「そう言えば、ブルーノ。君は最近病気で亡くなった同業者の女性を知っているかい?」

「女性?ヘルガのことかな?60くらいで右腕に薔薇の刺青がある?」

「まあ、名前も様相も知らないがね、下半身をサイボーグ化していて、ガンを宣告されても尊厳死を選んだそうだが」

「じゃあ、やっぱしヘルガのことだ。ふた月ほど前に死にましたが。彼女がどうかしたんで?」

 ウィンは首を振る。

「いいや、ちょっとね。それとこれはあまり広めて欲しくない話だが、彼女の客で、毎年決った時にやって来てはあの先生のように宇宙を眺めていた男性がいたそうだが、何か聞いたことはあるかい?」

「へえ、その話、半年前にも聞き捲くってた奴らがいたな。ウチ等の間ではちょっとした噂になった。まあ、直接は知らないが、ヘルガってヤツは無口な女でしてね。何でもヘルガの客で毎年この街にやって来ては、宇宙そらを眺めていた人がいたそうで」

「その人はさっきの先生と知り合いかな」

「どうですかね。そこまでは知らねえけど。まあ、シュミが似ているなら何か繋がりがあるかも知れねえが、聞いた話じゃその男の人は、さっきお連れした砂漠とは街を挟んだ反対側にあるクレーターで見ていたそうですがね。確かに星だけを見るなら地面が眩しい砂漠あっちより、日陰があるクレーターこっちの方が向いてるわな。今日はご婦人連れだと言うんで足元がしっかりしてる方へ行きやしたが、向こうの方がよかったかな?」

 ブルーノが興味深げになって来たのでウィンは切り上げることにする。

「いや、今日の方でよかったよ。あの先生にも会えたからね。ああ、そうだ、料金はこれでいいかな?」

 ウィンは生体送受信機マイクロタグを活かして最初に告げられた金額の2割増をブルーノに伝える。ホテルが目の前なのでもうタグを使っても大丈夫だろう。

「いや、コースの半分しか回ってないし、そんなに。まあ、お客さんの都合で帰ったんで満額は頂きてえとこですが」

「いいんだよ、不愉快な思いもさせたしな。取っといてくれ」

「そうですかい?じゃあ遠慮なく」

「ありがとう、楽しかったよ」

 ウィンは宇宙服の腕を伸ばして握手を求めるとブルーノはがっちりと握り返して上下に振った。

「また月に、『アームス』へお出での際はジョルダーノ・ブルーノをご指名のほどを」

「ああ、そうするよ」

「では、これで。旦那、良い旅を」

「君も元気でな、ブルーノ」

 その日の残りは部屋に帰って1回15分間1日3回までと制限のあるシャワーを浴び、ベッドに横になって過ごした。一度ユンファの部屋へ内線を掛けたが擬似窓には『不在』の文字が出るばかりだった。

 『夕方』6時には正装してラウンジでシャンパンを啜ったが、ユンファが出てくる様子はなかった。ウィンはクラブサンドを頼んでその場で軽い夕食を済ませ、日付が変わるまで青く美しい半円の地球を眺めて、物思いに耽っていた。

 夜中の2時。着信の音で目を覚ましたウィンは、闇に青く光る擬似窓に「開けて頂けますか」の文字を見て、素早く身を起こすとローブを羽織り部屋のドアを開けた。

 ユンファは黒いイブニングドレス姿で立っていた。ウィンが一礼すると彼女は軽く頷き、黙って部屋に入った。ドアが閉まるなり彼女は背中へ手を伸ばし、古風なドレスの留め金を弾くように外す。パサリと落ちたドレスの下、彼女は一糸も纏っていなかった。そのままウィンのベッドへ行くと、今まで寝ていたウィンの場所の隣の毛布を持ち上げ、肢体を潜り込ませる。ウィンも黙ったままベッドへ行くと彼女を見下ろした。彼女は黙ったまま黒い瞳で見つめ返す。ウィンはそっと屈んで彼女の唇に唇を重ねた。沈黙は何よりも物語る。直後、伸びて来た彼女の両腕に首を掴まれ、半分引き擦り倒されるようにベッドに沈んだウィンはそんな警句を思い浮かべ、後は彼女のペースに任せて行為に没頭した。

 翌朝、目を覚ますと彼女は消えていた。職業柄、どんなに疲れていても傍らの動く気配で目を覚ます自信はあったが、彼女が明け方に帰った気配を彼は感じなかった。思っていた以上に彼女はしたたかだった、と彼は思う。擬似窓を開くが、「朝食のご連絡をお待ちします」というホテルのメッセージだけが光っていた。ベッドで遅い朝食を一人で食べながら、ユンファの部屋の内線を繋ぐが『空室』の文字が躍っただけだった。そのような予感もしていたので、彼は擬似窓を閉じ、そろそろ慣れて来たパッケージのコーヒーの残りを啜って飲み切った。


 アークティックにはその後3日間滞在し、4日後には次の滞在地へ向かった。その目的地、直径85キロメートル余りのクレーター脇に作られた地下式のコロニーは完全な観光都市だった。

地球から一旦、パーツ毎に軌道上へ打ち上げ、地球を周回しながら組み上げた巨大な円筒形の居住シールドにブースターを付けて月まで運び軟着陸させる。直径300メートルの円筒を月面に埋めてレゴリスで覆う。こうして出来上がった6つの円筒形ブロックを繋いだ直径300メートル長さ6キロメートルの空間を、人は近接するクレーターの名を採って、月のレジャータウン『ティコ』と呼んだ。

 彼は残りの10日余りをこの街で過ごしたが、長期の航海クルーズに参加する社交性のある妙齢の男性ならこうであろうという行動の見本を示した。即ち、利用出来る限りの楽しみを思う存分楽しんだ。10日ばかりのティコでのバカンスで、彼はカジノで少しだけ損をして、月では最高の美食で1キロほど体重を増やし、月で作られた葡萄を主原料にしたその名もバッカスという名のワインを験し、ルールが単純で攻守の激しい球技、ムーンボールの魅力を知った。ティコでの10日間でユンファとのエピソードも随分と影が薄くなったが、後で振り返ってみれば、彼の月旅行での一番の思い出と言えば、やはりユンファと過ごしたアークティックホテルでの2日間ということになるのだろう。

 結局、ウィンにはライネケンやユンファの夫が感じたであろう劇的瞬間は訪れることがなかった。彼はティコからガガーリングラードへ向かう連絡船ムーンプレーンから月面を見やりながら、自分と彼らとの違いを思った。

 愛する人と別れ、その思い出の中で多分唯一だろう謎を探ったところ、愛されていたという現実が幻と化してしまい、己の拠り所を失った女。瀕死の身を救われ、妻子を失ってただ独り、予定外の生を歩まざるを得なかった男。片や傷付いた心を抱え月を彷徨い、片や己の拠り所を宇宙に見出し、その暗黒の空間に彷徨う。

 しかし、ウィンは絶望も救済を求める心も持ち合わせていない。彼はライネケンやユンファとは根本から違っていた。己の生まれた過去から切り離され、独り未来へと召還され、困難な任務を押し付けられたとはいえ、彼の心は平静だった。いつしか任務は彼の信念となり、仲間は家族と同義となった。同時代に生きた人間は無に等しい、形は孤独の中にあるとはいえ、それに心乱されたこともない。ライネケンの見定めた通りだった。彼は実に幸せな男だったのだ。


「お客様、お待たせしました。問診票の記載はお済でしょうか?」

 ぼんやりと出発客を眺めていたウィンの前に『ガンマ23』が立っていた。

「ああ、全部書いたよ」

「ありがとうございます。お手続きは全て無事に終わりました。お荷物も通関を終えています。貨物料金はお客様の携帯端末でご確認出来ます。暫くお待ちを」

そう言うとガンマ23はウィンの擬似窓に自分の左人差し指を当て、暫く動かなかったが、やがて、

「ありがとうございました。お客様の健康状態が確認され、地球へのランディングダウンが許可されました。GUV091便は定刻通り月時間16時30分の出発です。現在15時55分。往還機へのチェックイン16時、後5分となります。出発の10分前、16時20分までには必ず機内のご自分の席にお座り下さい」

「ありがとう」

 すると、まるでその言葉を待っていたかのように耳に心地よい女声のアナウンスが届く。

「大変お待たせ致しました。ガガーリン発第2スペースステーション行きグロスユニバース91便にご搭乗予定のお客様、間もなく搭乗手続きを開始致します。出発ゲートナンバー11へお出で下さい。なお、ご利用頂きましたポーターロボットはその場にて捨て置き下さい」

 ロボット『ガンマ23号』はプログラミングの指示に従い、若い男性が形作る最高の微笑みを具現する。

「ウィンスラブ様。月滞在は楽しまれましたでしょうか?」

「ああ、存分に」

 実際はスクリーンの窓、静寂に包まれる灰色の荒野を見やって彼は言う。

「随分と昔、出版されたばかりの奇天烈な本を読んだことがある。砲弾に乗ってここへ飛んで行く話だ。私は人馬が重なり斃れている戦場を照らし出す月を見上げながら、今直ぐ本当に行けたのならどんなにか素敵だろう、と思ったものさ」

 お客の想定外の行動にもきちんと対処出来る学習機能を持っているとはいえ、ガンマ23号はほんの1秒ほどウエイトした。

「・・・はい」

「ヴェルヌ氏に見せてあげたかったね。彼は長距離砲で月に行く考えを示したことでマスドライバーの元祖とも言える。しかし、未来はもっと先へ進んだ訳だ。この有様を見たら彼はきっと改訂版を出したことだろう」

 彼は何の話か理解出来ず曖昧な笑顔を浮かべたままのポーターロボットに笑い掛ける。

「しかし、空想はSFゆめのままでいるのが一番光り輝くに決っているんだよ」

 ウィンは「ありがとうございました」とお辞儀するロボットを後に、足取りも軽くコンコースを11番ゲートへ向かって歩いて行った。


FIN


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