6;カスタネダ
月面・北極域/アームストロングシティ近郊 同年紀
見知らぬ旅人に突然の身の上話。偏屈そうで猜疑心が強そうに見えた老人が打ち明けた悲劇的な過去に、ユンファは言葉に詰まりウィンは裏を読もうとする。すると、観測装置の前に置かれた斜長石で出来た椅子から当の老人が、
「そんな顔をするでないよ、二人とも。溢れんばかりの同情と本能的な猜疑と。全く人間てぇのは木星に到達しようがカエサルやアレクサンダーに会いに行けるようになろうが、なーんも変わらん。ちっぽけな頭で考え、ちっぽけなことしか理解しない。すぐ顔に出て本性が現われる」
ポーカーフェイスを気取ったつもりがこのざまだ、とウィンは苦笑する。無表情で有名な上司を見たらこのセンセイはなんと言うだろうか。そんな下らないことを考えるとウィンは、
「降参ですよ、先生。なるほど我々の生体送受信機とご自身の電脳をリンクして感情の起伏を手繰ってらっしゃるのですね?こちらが見ていた先生の画像も虚像だったし、我々の心の動きは丸見えだ。『生身』は安全装置や通信障害を恐れタグを起動出来ない。しかし先生にはそれが可能。いや、この過酷な土地で暮らすには便利でしょうね」
幾分の皮肉が混じったウィンの言葉にライネケンは鼻を鳴らすと、
「ふん、今度は怒らせようとするか。ブルーノがほざいたんだろうが、先生などと呼ぶな、ライネケンでいいわい。やはり心理操作をなまじっか齧っとる奴は鼻持ちならないな。悪いがこちとら感情などというものは簡単にオンオフ可能だ。もちろん恣意的にはそれは出来ないがね」
「感情を機械的にコントロール出来るのですか?ライネケンさん」
ユンファが恐る恐る聞いた。するとライネケンは随分穏やかな口調で、
「勿論だとも、お嬢さん。但し手順を踏まないとね。たとえば、思わず相手を張り倒しそうになる、自分を見失う予兆が現われたとする。一定の条件下でそういうことが起これば、電脳は怒りや自棄的な行動に繋がる感情を制御するようプログラミングされている。これはあんたらが良く知っているピッカーとか言うロボットも同じ仕組みと聞くが、当然といえば当然だね。私が我を忘れてあんたらを襲えば、銃器でも使わなければ停められはしないだろう。失礼だがそこのお兄さんでも苦労するだろうよ」
「苦労しますね。腕をへし折られるくらいならマシで、本気で掛かられたら首を捻じ切られそうですね」
ウィンがこともなげに言うと、ライネケンは初めて笑った。
「荒事にも慣れておるか。軍にいたな?」
「そんなこともありましたね」
「まあよい。素姓を知ったところで何の意味もない」
ウィンはそれには釣られず、ちらっと宇宙を見上げると、
「あなたは毎日ここで宇宙を?」
ライネケンもふと見上げると、
「毎日ではないが、気が向いた時はいつでもな」
彼は手に持っていたヘルメットを被り直す。丁寧に首の周りをシールドすると立ち上がり、
「熱くなって来たんでね」
言い訳がましく苦笑を滲ませたのは、二人を受け入れた証拠だろうか。ライネケンは後ろ手を組んで、ゆっくりと行きつ戻りつを始めていた。
「見ろ。この摂氏100度の砂漠。月は静寂に包まれた無慈悲な場所だ。天然由来の生物は一切存在しない。人間は何故こんな場所に街を築き住み始めたのかね?人口問題も環境問題も乗り越えたように見える人類が、必要もない侵出をする。確かに過去滅ぼされた数多の文明や動植物に似た存在はこの地にはない。劣悪な環境は滅ぼすべき弱者をも排除する」
先生とは言い得て妙だ、とウィンは思う。こうなる以前、ライネケンは本当に教師だったのかもしれない、と彼は思った。
「しかしだ。過去人間は劣悪な環境への挑戦を止めたことがない。辺境やら秘境、未知なる大陸や大海。犠牲は省みず乗り込んでいった。名誉か。黄金か。征服欲か。そうやってフロンティアは先へ先へと延びて行き、果てが宇宙と過去だった」
ライネケンは行きつ戻りつを続け、その姿に往年の若き教師の姿が重なり、ウィンは得心するのだった。
「過去は聞くところによると絶対限界があるらしい。その先へ行けぬという時空の壁が。宇宙も然り。今のところ千光年単位での到達は人類には不可能だろう、と言われる。だが、『過去』への限界が絶対的なものであるのに比べ、宇宙のそれは技術的なものだ。いつか人類は易々とその壁を乗り越えてしまうだろう。そう思わせるものが人間の欲にはあるのだ」
そこでライネケンはぴたりと立ち止る。少しの間動かずに何を考えていたのか、やがて装置の前へ行き、先ほどのように斜長石の椅子に腰掛ける。ウィンは続きを待ったが、彼は黙したまま動かなかった。ウィンのモニターには目を閉じ顔を上向ける老人の顔、ライネケンの偽像が映っている。
「あの、よろしいでしょうか、ライネケンさん」
ユンファが尋ねる。
「何だ?」
「月は・・・この場所には何か人を惹きつけるものがあるのでしょうか?」
ライネケンは顔を上げると、
「開拓精神云々という人間の本能以外にか?」
「具体的に仰って頂けたのなら、私のような浅学の者にも多少は分かるかと思うのです。あなたの感じるもので構いませんので、私に教えて頂けませんか?」
ウィンは横に座る女性が何か必死になっているのに気付いた。同じ思いをライネケンも抱いたのだろう、興味深げに、
「どうしてそんな戯言を知りたい?」
ユンファは何かを言いかけ、止め、また何かを言いかけたが言葉が出ない。そんな彼女を見やりながらライネケンは、
「まあ、いい。私がこんなことをしている理由にも繋がる。たいしたことでもないが・・・宇宙を見上げてみろ」
二人とも宇宙を見上げる。
「地球においては空気という保護膜が自然を守る。しかし同時にこの宇宙を隠してしまう。青い空、白い雲。無論、夜となれば青いカーテンは開かれ、宇宙が覗くのだがそれは厚い空気の膜を通してのもので、真実ではない。もう一つ地球は重力井戸の底にある。月にもそれはあるが、地球に較べたら軽いものだ。地上では下とは地面だ。それが空を飛ぶことで漸く下にも空間を得る。これだけでも人間の精神には飛躍だが、それが重力井戸を脱し宇宙空間に出た途端、上下の感覚が消失する」
星の配列は月も地球も変わらない。オリオンはオリオンでカシオペアやサソリもそのWやSの形を見せる。しかし、その量は圧倒的だった。銀河は数倍明るく輝き、闇の黒さは底がない黒。ここからは見えないが、地球の青さには息を飲む。
「宇宙空間と較べれば月の人間も地球のそれも地面の上。しかしここは地球より数倍宇宙に近い場所だ。スペースコロニーの方が距離的には近いと言えるが、あちらは地球環境に似せた住空間、実際は月面よりはよほど地球に近い。往還船や星間連絡船などは密閉された空間だが、ここには開けた世界がある。その意味で、月は宇宙を感じる最適な場所と言えるのだろう」
「ライネケンさんは、そこに魅力を感じてお住みになっているのですか?」
ユンファが問うと、ライネケンは、
「そうとも言えるが、そう言い切れない部分がある」
ライネケンは身を乗り出すと、ユンファをいきなり指差し、
「なあ、あんた。この先を知りたいのなら、それを知りたい理由を言え。一体何を知りたいんだ?」
「私は・・・私の・・・」
「外そうか?」
ウィンが口を挟むと、ユンファは頭を振り、
「構わないわ。いえ、ちゃんと話します」
彼女は座りなおすとライネケンに、
「私は最近、夫を亡くしました。夫は年に1回、2週間ほど休暇を取って月に来ておりました。しかし必ず一人で出掛け、私は結婚して5年、一度も連れて行って貰ったことはありません。彼は、結婚前からよく月に来ているようでした。月から帰って来ると、いつもお土産を買い込んで、行く前よりも、何と言うのか、安らかな様子でしたので、私は浮気を疑って調査を依頼したのです。でも、実際は艶めいたことには無頓着な人でしたので、内心は一体月で何をしているのだろう、という興味の方が強かったのだと思います」
彼女の声が掠れ、彼女は水を一口飲んだ。
「済みません、調査は有能だと評判の興信所に頼んだのですけれど、彼が帰って来て2週間後に報告を貰うと、実に意外な結果でした」
彼女は両手を膝に置き、手を拭うような仕草を繰り返す。やがて話し出した声は一段と低かった。
「彼は月に入ると直ぐに北極域の同じホテルに滞在し、出発の日までその街を動かない、というのです。毎日同じ時間にホテルを出て、同じ案内人を雇い、同じ郊外の開けた場所に来て一日中空を眺めていた、といいます。何をしている訳でなく、ただ寝転がって宇宙を見ていた、と。調査した人はそのホテルの従業員や案内人を探りましたが、何もおかしな点は出て来なかったそうです。ホテルでは誰とも接触はなく、それは毎年同じだったといいます」
男は10年前に初めて月へとやって来た。その年は普通の観光客と同じにあちらこちらを見て周り、帰って行った。翌年、昨年一週間ほど滞在したホテルを予約した彼は、郊外で星が見たいから、とホテルのコンシェルジェに頼みベテランの案内人を雇った。彼はその日から一週間、毎日その初老の女案内人を頼んで、郊外で宇宙を見続けた。男は翌年もやって来て、同じホテルに泊まり、同じ案内人を雇い、同じ場所で星を眺めた。その翌年、更に次の年も。その後、ホテルは彼のために毎年決った一週間同じ部屋をリザーブし、女案内人は同じ一週間を予約済みとした。そしてそれは年中行事のように続いて行った。
「私はそれでもその女案内人が怪しいと思い、再調査をお願いしました。でも、出て来た彼女の経歴や普段の生活からは、彼との接点や彼が好意やら興味を惹かれそうな点は一切出て来ませんでした」
女は地球で輸送ホバーのドライバーをしていたが、ある重大事故に巻き込まれ、下半身を失った。再生治療では完治不可能だったので、半身をサイボーグ化したが、上半身との整合性の問題で後遺症に悩んでいた、と言う。医師の勧めで身体に負担の軽い月への移住を考える。同じ宇宙でもスペースコロニーには地球並の重力があり、各ステーションでは彼女のような資格を必要としなかったからだ。彼女は地球を捨て、月へと移住する。
「月では最初、運転手として働き始め、やがて案内人となったそうです。無口な方で人付き合いも最低限だったらしく、彼女を知る人は少なかったようですが、運転の腕は確かで口は堅いとの評判があり、お忍びで月散歩を楽しむ著名人などを案内していたと聞きます。彼を連れて行く時も会話はなかったそうで、彼が宇宙を見上げている間も離れたところで本を読んだり寝ていたそうで」
調査員が会いに行った時には彼女も死期が近かった。上半身で残った臓器に悪性の腫瘍が見つかったが、その時には広範囲に転移していた。もちろん臓器は人工品に換装出来るし、金を掛ければサイボーグ化も可能だった。しかし、彼女は尊厳死を選択し宣言した。国際協約地域に居住を許可された人間には法令でそれが認められていたので、医師は彼女のカルテを静かに閉じると、鎮痛剤のアンプルだけを処方した。
普段の彼女を識る少数の人間が知ったら驚いたろうが、調査員に彼女は様々なことを語った。彼女には結婚歴があり離婚後相手に引き取られた子供が一人いて、地球を去る時に生き別れになったことも判明した。調査員が特記したのは彼女のユンファの夫に対する印象で、中でもユンファの心に突き刺さったのは「彼はとても孤独な人だと思う。男女の違いなく誰からも愛される人だし、事実ホテルの使用人にも丁寧で人気もあったが、人からの好意は受けても人は愛せない、愛する芝居をしているように見えた」という感想だった。
調査員は所見に彼女の多弁を「第三者に自分の存在を遺したいという気持ちは、死に臨んだ者が発作的に抱く当たり前の反応である」と記していた。彼女は2ヶ月前に亡くなっている。
「私は、彼の気持ちを知りたくて」
ユンファは俯いたが、ウィンが伸ばした手を優しく遮り顔を上げ、
「この地に来たのです。同じホテルに泊まり、同じように星を眺めてみようと・・・でも、それでも迷っていました。偶然にもこの方とご一緒出来、月面を歩かないかと誘われたので、踏ん切りが付いたのです」
ウィンはユンファを哀れんだ。今までの話に嘘はないだろう。では昨日の行き擦りの行為は、と思うが、それも彼には痛いほど分かった。
彼にも好意を抱いた女性がいたが、一人は過去の世界で生き別れ、もう一人は恋愛感情など微塵も許されない厳しい生き様を歩む女だった。人は寂しい生き物だ。望んでも与えられないものは代用するしかない。それが出来ない一途な人間もいるが、彼もユンファも現実的な人間だった。それでも何かの拍子に後悔の念が浮かぶもの。ウィンは彼女の様子を窺ったがそんな感じは受けなかったので少々ほっとしていた。彼女は、自分を愛しているものとばかり思っていた男の本当の気持ちを知ろうと足掻いているのだ。
「残念だが」
ライネケンがゆっくりと言う。
「わしはあんたの旦那が抱いていた宇宙観など分からんな。そういうものは極めて個人的精神的なもので、人によっては神秘的ですらある。確かにわしも宇宙に惹かれ毎日のように見ておるよ。この傀儡の身体となって肉体と頭とを切り離されたお陰で、わしはここから宇宙に飛び立ち漂うことが出来る。しかし、あんたの旦那は『生身』だったのだろう?」
彼女はゆっくり頷くと、力なく項垂れる。
「まあ、生身であってもこの土地は地球の数千倍、感性が高まる場所だ。あんたの旦那は何か悟りのようなものを得て、それを体感するために月を訪れていたのかも知れないがね」
「それは・・・私のようなものでも感じることが出来ると・・・思われますか?」
彼女は俯いたままか細い声で尋ねる。
「さあ、どうだかね。こればっかりは自分の問題だからな。他人がどうのこうの言えるもんじゃない。但し、あんたには、難しいかもしれんがね」
「何故でしょう?」
「激しい怒りや恨みが見えるからだよ」
ウィンはライネケンを睨む振りをしてユンファの様子を確かめた。モニターに映る顔は自失しているようにも見える。
「何に恨みを持つかは知らんし、それが何者だろうとわしの知ったことではないが、恨みや怒りを抱く者にとりこの感覚は、到底理解の及ぶものではないだろう」
ライネケンは再び宇宙を見上げ、
「底の浅い欲望や深い憎しみ、そして恐怖など雑念は全て宇宙との語らいには邪魔となる。全てに限りがある世界の象徴なのだよ、そういった雑念はな。宇宙には限りがない。ああ、人間から見れば、だがね。超越した存在には限りがある宇宙が見えているのだろうが」
「超越した存在?神ですか?」
ずっと黙っていたウィンが口を挟み、彼女の話から流れを逸らす。
「ふん。その言い草には棘があるな。お前無神論者か?」
「そんなことはありません。これでも機会が有れば教会にも通いますよ」
「人知の及ぶ範囲の外にあるものは、神と呼んでも差し支えないだろう、違うか?」
「それでは人類とは違う進化を遂げた異星人や、過去から見た未来人も神格化されてしまいますが」
「ピサロを最初は神として迎えたインカのように、か?そうだ、人類は偏狭な己の外にあって明らかに自己より優れたものを神格化する。この世で全自動化技術が神格化されているようにな」
「宇宙でもそれが当てはまる、と」
「感じないか、お前は。宇宙に出て」
ウィンは黒々とした天を見やる。大気圏内より数倍強烈な光なので見つめてはならない、と言われた太陽を見る。途端にバイザーに保護が掛かり、視界がサングラスを掛けたようにグレーに染まる。視線を外すとバイザーは元に戻った。太陽が出ているのに夜の世界。いや、地表は砂で輝いているのだから、昼であるのは確かなのだが。
「脅威を感じますよ。おこがましいですが、この風景が見慣れた理解の外にあるのは確かですし」
ライネケンは喉を鳴らして笑うと、
「それが第一歩だ。なあ、それの先へ突き抜けると、どうなると思う?」
「その先とは?」
「さっきも言ったが。精神世界だ」
ウィンは俯きながらも聞いているように見えるユンファを意識しながら、
「もう少し具体的な話をお聞かせ願えませんか?」
「ふん。この先は禅問答になるよ。それも億劫だがな、そもそも真理なるもの、私は心得てもいない。そんなものは徳の高い坊主か何かに尋ねるのだな。だから何時まで経ってもお前らの求めるものになど到達はせんぞ?一体私に何を求めているのやら。それは知らんが、私とて肉体を切り刻んで元の骸からは似て非なる者と変わり果てた男だ。根本的にお前らとは違ってしまっている」
ライネケンはそこで大きな吐息を吐いた。それが本人にも意外だったのか、暫く言い淀んだ後で屈み込むと、レゴリスを両手で掬う。
「わしが良く聞く宇宙生活者の体験を一つだけ教えてやる。わしもそれを感じるが、まあ、解釈は人それぞれだ。いいか、もう、これしか言わんぞ」
「是非にも」
「こうやって意識を宇宙に漂わせるとだな、ああ、生身ならこのように独り宇宙を見上げたり宇宙遊泳をするとだ。自分が本当に何者でも、本当に小さな存在だと強く意識するようになる。この砂のようにちっぽけで一見無価値な存在だ、とな」
そう言って彼はレゴリスを両手から零す。それは砂煙となって漂いながら散って行く。
「全てが偶然の産物で、地球すら、いや太陽系すら小さな存在、そんな風に。そうすると今度は、何故自分が存在するのだろう、と考える。偶然に偶然が重なり、自分の存在がある、とな。理解は一瞬にして訪れる、という。私は少し時間が掛かったがね。何物もその存在に意味を成さないものはない、と考えるようになる。全てが予定調和の中に収まり、有機も無機も、偶然の産物など一つもないのでは、と感じるのだ」
ライネケンは身を乗り出すと
「それが神さ。人によっては幸福感に包まれ、死を恐れなくなると言う。立派な宗教だな。だから、負の感情に支配された者は、その位置に辿り着くことが至難なのだ」
彼は両手を見つめると、今までになく真剣な物言いで、
「その怒りすら、ちっぽけだ、という悟りを得ることも可能かもしれん。人知を超えた宇宙は人それぞれに答えを出す。人間が月に棲むようになってまだ200年余り。本当に人間は変わるのかもな」
ウィンはぼんやりと考える。ひょっとしてライネケンはユンファの夫と会っているのではないだろうか。彼が最初に月へとやって来た時、ウィンとユンファのようにして出会い、宇宙を眺めることに何かを見出す話をされて。そう考えれば納得出来る部分もある。その20世紀の作家カスタネダが語るような体験が、彼を月へと誘っていたのでは、と。
俯いて両手で自分の上腕を抱き締めているユンファを見やり、ウィンは静かに言う。
「ありがとうございました。我々にとっては意義のある話だったと思います。お邪魔しました」
ライネケンはそれを聞いた素振りも見せず、呟いた。
「本当に、ここには何もない。あるのは砂漠と宇宙だけだ。人間の存在など塵芥だ。開拓など世迷言だ。皆、彷徨っているだけだ。しかしもう遅過ぎる。元には戻らない」
ライネケンは装置に屈みこみ、装置とリンクした電脳は空を彷徨い始めたのだろう、そのまま動かなくなった。ウィンは黙って一礼する。頭を上げるとユンファに歩み寄り、屈み込むと優しく両肩に手を掛ける。暫くそのままでいると、ユンファは自分の手を解き、彼に項垂れかかると宇宙服の様々な装置が邪魔になるのも構わず、両手を背中に回そうとした。そんな中途半端な体勢で2分はそうしていただろうか、やがてユンファは無言で立ち上がると、ゆっくりとブルーノの待つ小高い丘へ歩いて行った。ウィンは彼女の足取りがしっかりしていることを見届けると、今一度ライネケンの後姿に目をやってからユンファの後を追うように歩き始める。
「若造、知っていたか?」
皺枯れ声が耳に響くとウィンは立ち止るが振り返らない。
「全身の90%以上をサイボーグ化した人間は寿命が決められていることを」
「知っていました。140歳だそうですね」
「やはりお前は紳士だな、本物の。生まれは・・・19世紀か・・・お前も彷徨っているんだな、自分の本来の死に場所を遠く離れて・・・いや、そうでもないか。幸せな男だ、全く」
くくく、と笑い声が響く。
「私はまだ20年ほど生きて行かねばならない。例の感情制御で自殺も出来んのだからな。94年前に死んだはずが生かされて、ずっと生かされて・・・」
「さようなら、先生」
ウィンが呟くとライネケンはまだ笑いながら、
「お前は幸せな男だな、うらやましいよ」
ウィンはもう立ち止まらなかった。その耳に歌うようなライネケンの声が追いかけて来た。
「幸せな・・・本当に幸せな・・・」