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2;ショッピング

 月面・国際協約機構直轄・アルテミス  同年紀


 思わぬ時間を支部で過ごしたウィンは、昼食を『何時でも・どこでも・宇宙でも・変わらぬ味とサービス』の看板ホログラムが輝くバーガーショップで簡単に済ませることに決めた。

 ミッチェル女史には話の都合上食べ物は気にならないようなことを言ったウィンだったが、月の食事は確かにあまり褒められた味がしない。フランス貴族出身の彼は食事に関して一家言持っていた。地球では仲間と連れ立たない限り決して自分から立ち入ることがないバーガーショップに入った理由も、『変わらぬ味』とやらに惹かれただけだ。

 入り口のスライドドアが開くと、ウィンはつと立ち止る。店内は観光客と風変わりな服装をした月の若者で溢れていて、古風なストライプのスーツを着て首に黄色のスカーフを巻いた彼は多少浮いて見えた。軽く肩を竦めると、入り口にたむろする若者にぶつからぬよう身体を横にして入って行く。

 店内に入った途端、彼の携帯端末ピーシーの擬似窓が勝手に開く。「ようこそ」の文字が躍り、メニューが現れる。確かにメニューは地球上どこへ行ってもお目にかかれるバーガーショップとそっくり同じものだった。違うのは値段で、いわゆる『宇宙値段』、もっとも人気があるダブルチーズバーガーセットが6UNEユニ50セントもする。およそ地球の倍だ。ウィンは顔を顰めると画像に触れ、ダブルバーガーのオニオン抜きとミネラルウォーターをチョイスする。注文完了の印に擬似窓が赤い番号札に変化する。彼はざっと辺りを眺め、まずまずの広さの店内で最も人が少ないと思える奥のトイレ近くに席を見つけた。

 席に座るなり腰に付けた重力場発生装置を起動させ、地球の椅子に比べるといやに背凭れの高い椅子に背中を押し付けた。シートベルトが揺れていたが、そんなものをするつもりはない。月の条例では『入管』後3日間はポータブル重力場発生装置を身に付けなければならないが、彼がそうであるように、その後も身に付ける人間は多い。重力差に大分慣れて来たウィンだったが、こうして腰掛ける時には装置を入れた。意識しないと腰が浮くように安定せず落ち着かない気分にさせられるからだった。

 彼は暫く背凭れに身体を預けて店内を見渡していた。観光客の雑談と時折混ざる若者の奇声や笑い声で、今や殆ど夢の中の出来事のように思える生まれ故郷の19世紀、ナポレオン3世時代のパリを思い浮かべる。酔っ払いの高声と娼婦の嬌声、ニンニクの臭いとアルコール、むせ返る煙草の煙で満ち満ちていた場末のバー。もちろんここにはアルコールはなく、一世紀以上前に煙草も消え失せてしまった。あそこからなんと遠くまでやって来たことだろう。

 ふと見ると番号札が点滅し「お待たせしました」の文字が浮かぶ。と、同時に中空を小型のトレイ型ホバーが滑るように飛んで来て彼の前にふわりと下りた。乗っていたトレイごと注文のダブルバーガーオニオン抜きとミネラルウォーターのパックを取る。同時に『番号札』が『5ユニ25セント頂きました。毎度ありがとうございます』に変わり、彼が軽く触れると消え、ホバーも飛び去った。

 ハンバーガーの味は確かに地球と変わらない。正真正銘地球から持ち込まれるミネラルウォーターは、月面の工場で月の砂『レゴリス』から取り出される『月の水』と違い、舌に優しく妙な臭いもしない。彼は踊るように飛び跳ねふざけている若者たちをぼんやり眺めながら、背凭れの高い椅子に沈み込み、ゆっくりと食べた。


 バーガーショップを出ると『アルテミス』の街路を宛てもなく歩く。それはこの『コロニー』のメインストリートだったかもしれないが、『道』ではなかった。幅4メートル、天井が高い広い廊下と呼ぶ方が地球人にはしっくりとくるだろう。街をブドウの房に例えるのならば、道は果実を繋ぐ枝、その中央、一番広く一番通行人が多い通路といったところだ。

 しかし、アルテミスはやはり月の首都、この通路も所々休憩所が設けられ、通路の分岐点や大きめの建物の入り口付近には月面を臨む窓も設けられている。通路の両側には様々な店舗が並び、ショッピングモールと呼んでも差し支えない。住民のための店もあれば観光客目当ての店もある。月はどこの地域にも属さない国際協約地域なので基本タックスフリーだ。地球上にもいくつかある協約地域や月以外のスペースコロニーがそれを売り物にショッピング目当ての客を呼び込むように、月でもブランド店や土産物店が並んでいる。

 だが、スペースコロニーやスペースステーション、月など宇宙で買い物をしても地球に持って帰るのでは結局余計に金が掛かる。地球と違い宇宙では手荷物などと言うものはない。全てが有料荷物で、それも容積と重量両方で計算される。第一、旅客も大人子供の違いだけでなく体重、身長で料金差があるくらいなのだ。

 そのため必然的に宇宙土産は軽く小さなものが好まれる。そうなると俄然人気は装飾品で、チェーン、リング、ピアス、カフス、ブローチ、ピンバッチなどが良く売れていた。もちろん、ブランド品も人気だがやはり土産物、その地区特産の何かを象った物や地球に持ち帰っても検疫や税関で没収されない安全な鉱物などを使った商品も人気がある。

 ウィンはふらりとそんな土産物を扱うノンブランドの装飾品店へ入った。

「いらっしゃいませ」

 すらりと背の高い女性店員がぺこりと頭を下げる。ロボットを見慣れたウィンには直ぐに3次元偽装を施したロボットだと分かるが、地球と違い月では店員の殆どがロボットだと月到着後の慣習ガイダンスで教えているので、月の常識といえる。

「ここでは土産に何が人気だね?」

 ロボットは実に自然な笑みを浮かべる。例の喜怒哀楽24種類の表情を記憶させたお買い得品ではなく、顔面筋がヒトを模して忠実に作り込まれている。主に宴席酒席で相手をするコンパニオンを想定し開発された高級品。手を抜かず結構高いものを使っているな、とこの店を見直した。

「レゴリスを使ったものが良く出ておりますが・・・」

 思わず見とれてしまう微笑を浮かべたロボット。当たり前だ、この手の高級接客用ロボットは人間が作る最高の表情を模してプログラムされている。可愛らしく小首を傾げると、

「月は初めてでいらっしゃいますか?」

「そうだ」

「どのような方に差し上げるのでしょうか?」

 冷やかしのつもりだったウィンは衝動的にここで買おう、と決めてしまう。

「30になる女性、20の男性、後、18の女性と40代の男性・・・25くらいの男性。5人だ」

 ロボット店員は一瞬情報を咀嚼する時間ラグを取ると、

「それぞれの方に何かご希望はございますか?ご予算は?」

「希望は特にない。予算は5つで10万UNEユニ以内。君が適当に見繕ってくれないか?気に入らなければその都度言うよ」

「承知いたしました。どうぞこちらへ」

 ロボット店員はウィンをカウンターの一角に案内し、座らせる。もちろん彼は直ちに重力場発生装置を作動させた。

「最初に30になる女性の方に」

 ロボット店員はカウンターへビロードを張ったトレーを置き、その上にいくつか装飾品を並べると、

「レゴリスを使ったペンダントなどいかがですか?」

 月面を覆う微細粒物質レゴリス。いわば月の砂だが、それから雑成分を取り除いたものを砂時計(地球の重力にあわせてあるので月では使えない)や溶解して固めアクセサリーにしている。ロボット店員が見せたものはレゴリスの輝石成分を強調し光を反射して美しく輝くものや、虹のような光沢の斜長石を組み合わせたものなど、中々に目を引くものだった。しかし、彼の知る『30になる女性』はこのように目立つものは好まない。

「悪いが、他のものを。もっと小さいものでいい」

「暫くお待ち下さい」

 店内には他に10人ほどの客。誰もが観光客と分かる出で立ちで、それぞれにロボット店員が応対している。よく見ると男性客や若い女性客にはウィンと同じ女性タイプが、中高年の女性客には男性タイプのロボットが付いているのに気付く。客によって店員のタイプを自然に変えている。なるほど、こんなところにも商売の哲学が生きている。ウィンが一人笑うと、彼に応対するロボット店員が戻って来た。

「女性の方はピアスをしていらっしゃいますか?」

「普段はしないがフォーマルな席ではそうしているのを見たことがある」

「では、こちらなど、いかがでしょうか?」

 ロボットがビロードの上に並べたのは5種類の小さなピアス。意匠はオーソドックスで控えめ、円形の金枠の中ガラス状の石が輝いている。石は色違いで赤・緑・紫・青・透明、金の枠も微妙に形が違う。

「どうぞお取りになってご覧下さいな」

 見惚れていたウィンははっとして目線をカウンターの左右へ飛ばす。ロボットの表情に戻ると相変わらず自然な笑顔が浮かんでいる。

(プログラム外だな、遠隔操作だ)

 しかし脅威と言えるものは見当たらず気配もない。ウィンが冷やかしでなく本気で買おうとしていること、機転を必要とする客であることを見抜いた『生の』店員が本腰を入れて対応しようとしている。

「なかなかいいね。君ならどれを勧める?」

 ロボット店員は一瞬笑顔のまま動きを止める。それはほんの一瞬だったがオートがマニュアルに切り替わった瞬間をウィンは見逃さなかった。

「そうですね、ワタクシならこれを」

 ロボットが白く細長い指で取り上げたのはワインレッドにきらりと輝く品物だった。30になる女性、としか情報を与えていない。ウィン自身は一番無難な透明を考えたのだが。よくよく考えてみれば深く濃い赤は褐色の肌を持つ彼女に似合いの色だ。

「いいね。それにしよう」

 彼はウインクしてみせる。ロボットは微笑を深くして頭を下げる。彼は己が認めた専門家の意見には素直に従うべし、という経験から得たポリシーを持っていた。

 

 20分後に全ての品物が揃い、ラッピングされた5つの小箱がトレーに載せて運ばれて来た。これもプロの意見を尊重して何も希望を伝えなかったのに、それぞれが貰って喜ぶであろうラッピングが施してある。

 即ち、30女性用のプレーンな黒、20男性の赤、18女性はホログラム処理で派手に色が変化するラッピング、40代男性の月面をあしらったラップ、そして25くらいの男性用にはシックな木箱に金色の細いリボン。

「ありがとう。実に見事だね」

 ウィンが思わず小さな拍手を贈るとロボットは頭を下げ、隣に立った人物がにこやかに、

「ご満足頂けましたでしょうか?」

「ええ、手間を掛けて申し訳ない」

「ありがとうございます。ではご会計を」

 中年の店員は中空に擬似窓を開き、彼に差し出す。彼が受け取るとウインドウの下に擬似ボードが現れ、IDとパスを問う。打ち込むと現れた数字に彼は、

「随分安いね。安物をチョイスしたのかい?」

「滅相にありません。本当の金額は・・・これです」

 『生の』店員が手を差し伸べて擬似ボードを叩くと現れた数字は最初の数字のほぼ倍近く、彼の告げた予算の50%増しの数字だった。ウィンは笑うと、

「開店セールか何かだったのかな」

「そのようなものです。お客様は月は初めてでいらっしゃいますでしょう?サービスですよ」

「何か気味が悪いね」

「ご不快でしたら変えますが」

「もちろんそのままでいいよ」

 ウィンは素早くボードに『サイン』すると擬似窓を渡す。店員は軽く頭を下げると、

「ありがとうございました」

 やり取りの間にロボットが土産を古風な手提げ袋に詰めていて、彼に渡す。

「ありがとう、キミの応対もよかったよ」

「ありがとうございます。お気を付けて」

 ロボットは例の笑みを浮かべて深く一礼する。

「ああ、そうだ。あなたの名刺を頂けないだろうか?」

 ウィンは中年の店員に声を掛ける。

「かしこまりました」

 店員は擬似窓を開き彼に渡す。彼はちらりと画面を見やると閉じた。ウインドウは瞬時に消え去る。

「地球に帰ったら仲間にここの事を教えるよ。中々心得た店主がやっている、とね」

 店主は満面の笑みで返した。

「そう言って頂けると期待しておりました」

 ウィンは笑って手を振ると、深々と礼をするロボットと人間を後に店を出た。

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