ep.9 そして緊急へ…
「っ、夢じゃ……ない……!?」
半径数十メートルに及ぶクレーターの、ちょうど中央。
金髪美少女、アンジェに癒され続けることおよそ30分から一時間。
時計がないから感覚がわからない。気づけば夜になる生活をしていたから時間感覚が破壊されている。
ともかくテルは、全身大怪我・意識不明の重篤状態から、夏風邪の体調不良病人くらいの症状へと驚異的な回復を遂げていた。
「ええ、さっきも言いましたが、夢ではありませんよ……? ともかく、街に戻りましょうか。テルさん」
テルはなおも仰向けに横たわっている状態だった。
しかし、確かな質感をもって身体を押し返してくる大地や、辺り一面が吹きさらしの更地になったことにより一層寒々しく肌を撫でるようになった風、焦げついた土と木々の匂いが、今が現実の世界であることを告げている。
そして、目の前で前屈みになっているこの天使の圧倒的な存在感も。
なんか超良い匂いする……。
「そ、そうふぇ、っすね」
焦って立ち上がるのと同時に喋ろうとしたら、緊張も相まってめっちゃ噛んだ。
変な汗がぶわっと出てくる。人生で一度だけ美容室に行ったときと同種で、より強い緊張感がテルを襲う。
このままではいけない。固まってしまってガチガチの動きになるのを避けるべく、また男子の本能的に緊張を隠すべく、できるだけ自然な動作に見えるようにパパパッと尻の汚れを払う。
気を取り直して。
「さ、さあ行きましょうか」
「あ、ちょ、ちょっと待ってくださいテルさん。あ、あのですね……」
だがテルに待ったをかけるように、天使がモジモジと、やや頬を赤らめてテルから視線を逸らす。
「えっ!? な、なんでしょう!?」
こ、これは!?
まさか、何もしてないのにヒロインの好感度が最初からあるやつ!?
自慢じゃないが、テルは自分の顔を「悪くはないだろ」と勝手に思っている。誰にも確認したことがないので100%主観なのだが……。というか、確認を取れる知り合いがいなかったまである。鏡が友達みたいなもん。白雪姫の魔女役やれます。
鏡よ鏡、この異世界で一番バカなスキル所持者はだーれだっ?
お前。
「その、前を……。服……着直してもらっても、良いですか?」
「はっ!?」
!?
服焦げて半裸になってるじゃん!
★
「うーわっ、なんだこの騒ぎ……」
テルにとっての天使、アンジェの『西側は今は混んでいそうなので、北から入りましょう』という言葉に従ってギルドに生還したテルだが、ギルド内外のハンターが明らかに多いことに気が付く。
頃は夕方ではあるが、少しの間だけバイトをしていたテルには分かる。まだ酒場がここまで混む時間ではないと。
「よう、元気してるか? 新人ハンター。さっきの爆発は魔王が攻めてくる合図なんじゃねえかって、みんな大騒ぎだぜ。自信がないならギルドにいときな」
「お、おう……なるほど……」
ギルドに入ってすぐ左右にある柱。その前に立つ黒タンクトップのワイルドなおっさんに急に話しかけられた。
これあれじゃん、ジム戦の入り口にいる人みたいじゃん。
ハンターになった感があってなかなかナイスなおっさんだ。訊いてもないのに情報をくれるとことか非常にポイント高い。
ていうか俺の【自爆】のせいかこれ。そりゃそうっすよね。とテルは微妙に目を逸らした。
さすがに騒ぎの元凶だとバレることはないと思いたい。服焦げてるけど。
異世界なんだから服焦げてるやつくらいいるだろ。
「とりあえず、座りませんか……? もう少し治療を続けますので」
現実逃避気味にキョロキョロと辺りを見回していると、アンジェが後ろからそう提案してきた。
初めてその姿を目にしたタイミングが神がかっていただけに、テルは内心で『天使』と形容していたが、一緒に街に戻ってきて改めて見てもその容姿はやはり天使だった。容姿だけを比較すると女神リラよりもテルの好みまであった。ふとした瞬間にその容姿に目が行ってしまう。吸引力の変わらないただ一人の美少女。テルソン。
体調不良状態であるからその提案は是非もないと、テルはとりあえずギルドのテーブルにつく。
ちなみに服焦げてるやつはテルだけだった……まあ流石にね……。
「それでは……。【ヒール】」
「あぁー……」
席に座ってすぐにアンジェは【ヒール】––––––スキル【治癒】のもっとも基本的な魔法と言われるらしい––––––を行使した。さっき聞いた。
にしてもこれ、超気持ちいい。
「癒される……天使だ……」
最初にかけられた時もそうだったが、それまで感じていた体の痛みが一時的に取り払われ、その代わりとして絶妙に心地良い快感が身を包むのだ。
これはもう天使。間違いない。
あまりの心地よさにテルが目を細めていると。
「それで、テルさん……。一体、あそこで何があったんですか?」
うっ……。
来たか。と、テルの顔が少し強張る。
その質問が来るだろう、とは予想できていた。
なんの変哲もない山の中で起こった突然の大爆発。生き残っていたのはクレーターの中心にいたテルだけ。
そのとき偶然にも近くにいたらしいアンジェが、それを気にするのは仕方のないことだろう。テルが起こした爆発なのか、強大な力を持ったモンスターが出現したのか。
素性はよく知らないが、もしこの少女がハンターであるならば、特に後者は気にするところだろうと推測できる。
……めちゃくちゃじーっと見られている。
うーーーわ可愛いッ!
この可愛さを前にすると、あることないことから思い出したくもない黒歴史まで、全て白状してしまいそう……。しかし、いま、自分のスキルをそのまま伝えるのはあまりにまずい、と冷静に思うテルがいた。
あれは【自爆】という、ひとたび撃てば自分が死にかける代わりに周囲を灰塵に帰すことができる最強スキルです! ……とか言えるわけない。特に、撃つ代わりに自分がズタボロになって死にかけるところとか、男子的に恥ずかしすぎる。
そう、これはテルの、男子としてのプライド的な問題もあるのだ。
ヘビにうんこ飛ばされた時もそうだが、彼は妙なところで最低限のプライドを守りたい系の人間だった。埃か、誇りか。
それに––––––。
「いやあ、気づけば謎の爆発に巻き込まれたみたいで……。もしかしたらあの爆発を起こしたのは、巷で噂の【魔王イルファ】の配下かもしれませんね……。本当に助かりました」
テルの思考を過った心の声に、彼はほんの一瞬目をつむり、アンジェに嘘をつくことにした。
すまん魔王の手下、今回は濡れ衣を被ってもらおう。いやむしろ被れ。
心の中でまだ見ぬ魔王の配下とやらに謝罪し……直後、謝罪必要ねえわと発言を撤回した。なぜ倒すべき魔神の、配下的な存在の、さらにその手下ごときに謝らないといけないのだ。
「へぇー……そうなんですか……」
アンジェはほわりとした顔で相槌を打っていた。どこか抜けていそうなそんな顔も、この天使がすれば非常に絵になる。
……しかし彼女はなおも、テルのことを、どこか興味深げに見つめていた。
あー可愛い。
★
「聞いたか、魔王の配下は強力な爆発魔法を使うらしいぞ」
「いや、俺は謎の爆撃術師【ボンバーマン】の仕業だって聞いたぜ」
なんだ【ボンバーマン】て。そんなポンポン使えねえよ。
テルが【自爆】を行使してから数日が経過した。
謎の爆発に神経を尖らせていたハンターたちは時間の経過で自然と落ち着きを取り戻し、『魔王の配下』を以前よりも警戒こそすれ、ピリピリとした雰囲気は既にない。
そしてテルはというと現在、バイト漬けの生活に逆戻りしていた。
理由は単純。クエストに行くことを諦めたからである。
そう、あの日テルは、自らの唯一のアクティブスキル【自爆】を完全に封印することに決めた。もう二度とあの痛みの地獄を経験したくないという心理が働いたのだ。
具体的にいうと、トラウマになってしまったのである。
無知とは怖いもので、これから起こりうることが想像はできていたとしても『割となんとかなるんじゃね?』と謎の楽観を頭の片隅に抱え込んでしまうために、その行動に対する心理的ハードルは割と低かったりする。
全然勉強してない人がテスト前日の深夜『意外といけるんじゃね?』となるアレだ。
【自爆】を行使した時のテルもまさにそれで、『俺も多分死にます』などとかっこつけておきながら『まあ女神さまが”死なない”って言ってたし大丈夫だろ』と割と打算的に自爆したのだ。
その結果の、地獄。
テルは完全に、【自爆】に対して腰が引けてしまっていたのだった。
ということで、異世界初日から特に変化のない生活をルーティーン的に繰り返すテルは、もはやクエストやハンター、ひいては魔神討伐のことすら、あまり考えないようになってきていた。
もちろん、異世界で王道の生き方をすることへの憧れは変わらない。
しかし同時に、客観的に見て自分には何もすることができないことを決定的に理解した。だって当然だ。【自爆】はもう撃つことができない死にスキル。前回は偶然アンジェがいたから助かったが、次撃てば痛みに精神が耐えられず、廃人になってしまう可能性すらある。
最終手段にだってなりはしない。【自爆】は、決して切り札にはなり得ない。
「テルさん、今日もクエストに行かないんですか?」
時刻はお昼過ぎ。特にすることがなくギルドのテーブルでダラダラしていたテルの横から、高すぎず低くもない、あまりにも流麗な声がかけられる。
そちらを見なくても誰のものか一瞬で理解できる、その声の主は––––––。
「アンジェさん! ……ええ、まあ」
「ふーん……」
大して変化のない、と行ったものの、あれから唯一、生活に変化があったと言えばこの天使。もとい超絶美少女のアンジェが、テルによく話しかけてくるようになったのである。
しかも、なぜか会うたびにクエストの予定を訊いてくるおまけ付き。
「アンジェさんこそ、クエストに行ったりとかはしないんですか?」
「わたしですか? わたしはあまりクエストは……」
あ、あまりご興味がない感じで。そうなんだぁ。困り顔も可愛いなぁ。
もうアンジェさんマジ天使って感じ。
なぜか毎度クエストの予定を訊かれることなど、テルは別にどうでも良かった。それよりも、毎日のようにこんな美少女が自分に話しかけてくれることを役得だと思っていた。
なぜか学年一の美少女が自分によく話しかけてくるストーリーの主人公みたいでめっちゃ良い。
周りにいるハンターたちの視線が集まっている気がするが……。これはアンジェの容姿が人目を引くからしょうがない、と割り切る。むしろこれも主人公感をさらに感じさせるアクセントだ。
「クエストに行くときはわたしに一声かけてくださいね。その……テルさんは初心者ハンターなので、怪我をしたら治療してあげられますから」
「あはは……でも、もうクエストはあまり行かないと思いますけどね……」
普段、愛想笑いなどほとんどしないテルにそれをさせる魔力。恐ろしいッ!
彼女は自分がクエストに行く際、ついてくるつもりなのだろうか。二人きりでお出掛け……。
テルが想像した状況は彼にとり、とても魅力的な光景だったが……。
「(命の危険と引き換えのデート、ねえ……)」
やっぱり、ないかな……。
まあ、このままバイト生活を続けて、毎日のように会いにくる美少女がいて。
そんな折にひょっこり魔神が出てきたりすれば、この身を襲う地獄と引き換えに【自爆】を使って討伐してやるかな……。
俺の異世界人生、それくらいで良いんじゃないかな––––––。
なんて、平和的な考えを巡らせ始めていた彼を。
押し止めるように。
『––––––緊急! 緊急!』
ピィィィィィィッ!!
ギルド内にとどまらず、街全体に響き渡るようなその音は––––––。
『––––––緊急。ギルド所属の全ハンターへ通達。たった今より、【緊急クエスト】を発令します!!』
それはギルドが定めた警報音。
全てのハンターを巻き込む【緊急クエスト】発令のサイン。
どうやら運命は、そう簡単にテルを逃さないらしい––––––。