ep.7 Romance Boom -爆発の夜明け-
「うおおおおお俺が悪かったからもうついてくるんじゃねえ、いやっ、ついてこないでくださいっ! お願いしますうううう!!」
走る、走る、走るっ!
荒れた山中、足元は大量の落ち葉。
一歩踏み出すごとにガサガサとうるさく喚き散らし、舞い上がり、その下にある自然の罠、ひょっこり飛び出た木の根や、全く慣らされていない大地の凹凸をひた隠しにしている。
いつその罠に捕まってしまうのか、怖さはある。だが、そんなもの今この状況では二の次だ。
より強い恐怖の前では、もはや、どうでも良い。
ただ走れと、本能が告げる––––––。
––––––ザザザザザッ!!
「くそっ、いつまで追いかけてきやがる! 元はといえばテメエのせいだろうが––––––アッ、すんません何も言ってませええええん!!」
猛然と突き進む中、ちらと後ろを振り返ってみれば、明らかに自分を追って来ている“モノ”がいることが感じ取れる。
二足歩行ではあり得ない激しい音、そして、音からわかるその身の大きさ。
確実に自らに勝るであろう相手の体躯、その巨大さが、生物としての本能的な恐怖を煽る。
––––––木々の隙間を縫うように、テルはただ走る。
泥と血と汗と、その他諸々の汚れという汚れに塗れながら、彼はただただ前へと走る––––––––––––。
★
前回のあらすじッ!
富・名声・力、どころか、この世における全ての「これ持っといたほうがいいよ」をどこかに落っことしてきた少年、日本出身異世界人、テル。
彼がハンター登録の際に女神リラから放たれた一言は、彼をクエストへと駆り立てた!
『これで自爆しても、少なくとも直接死んでしまうことはなくなりました!』
いや全然駆り立てていなかった!
そんなわけあるかと、テルは無難にモンスター遭遇率の低い、遭遇したとしても大人なら素手で勝てる程度と言われる『薬草採取系クエスト』を開始し、キノコを追い求め山の中へ。
その山の中で、自らのフンを飛ばす習性を持った大蛇が––––––。
『うわっ、きったねえ! テメエかこのクソヘビ––––––––––––あっ』
時はまさに、大逃走時代!!
★
時は少しだけさかのぼる。
……。
…………。
【自爆】は絶対に使えない。それは理解した。
誰だって「これから大怪我して生死の淵をさまようほどの激痛を負いまーす」と言われて「はーい」とはならない。しかも一瞬じゃなく、じっくり時間をかけて傷が治っていくらしいのだから、ある程度長い間苦しむことが確定している。
そんなのもう耐えられるはずがない。怖すぎる。発狂しそう。
……でもそれはそれとしてやっぱり【クエスト】ってやってみたいよね。もうバイトはいいわ。
とりあえず軽いやつでいいよ、軽いやつで。
と、意気揚々と異世界転移モノの定番(とテルは思っている)、薬草採集クエストに出かけようとしたものの、どうやらこのココナツの街では『薬草をとってきた分だけお金になる』というクエストはあまりないらしい。
というのも、【魔王イルファ】とやらの影響によって周囲にモンスターが増えた現在のココナツには、普段よりも少し多くのハンターが来ているらしく、彼らがクエストついでに適当に薬草を採取してくるため、一般的に多く使われる薬草自体の需要は減少しているとのこと。
よってテルが受けることにしたクエストも『ポーション用の薬草をとってきてください。買います』とかではなく、『少しレア目のあの薬草やこのキノコをとってきてほしい』という、ターゲットの捜索がメインのクエストだった。
「そのキノコでしたら、街の西側の山でたまに生えていますよ。あそこはあまりモンスターが出現しませんし、出たとしても強くはないので、ハンター登録したての初心者さんが場慣れのために向かうことが多いです」
「へー……。どんなモンスターが出るんですか?」
ハンターズギルド受付の隣に設置されている、大量の紙が貼られた巨大なボード。通称【クエストボード】から、テルは初心者向けだというEランクのクエストをとってきた。
余談だが、クエストやモンスター、ついでにハンターには【ランク】があるらしく、一般に下はEから上はAまで、特別に高いものはSになるらしい。登録したてのハンターであるテルは、もちろんEランクハンター。
ここでチートスキルを持っていようものなら、ギルドマスターに奥の部屋に呼ばれて注目され以下略。
チートスキルへの憧憬は永久不滅だ!
『マジカルマッシュルームを探してきてほしい。ひとつ4000リラで買います』
ひとつ4000リラという高値に釣られてクエストを引っ張ってきたが、なんか幻覚作用がありそうでヤバそうな名前だな。あれこれマジックマッシュルームじゃね?
と思いきや、この世界では高位の解毒薬や心霊薬などに使われる、レアではあるが割と一般的なアイテムらしい。
末端価格じゃないよ!
ギルドはあくまで公的な機関。怪しいものは見過ごさない。
恐らくは毒をもって毒を制す的なアレだ。きっとそうに違いない。
「あの辺だと、スライムやゴブリンがほとんどですね」
「ふむ……。大丈夫かな……」
スライムやゴブリン……。
だ、大丈夫だろうか。スライムなんて、世界によっては強モンスター扱いなこともある……。ゴブリンだって群れてリンチしてくるイメージだし……。
テルは恐る恐るお姉さんを見る。男の上目遣いとか世界で一番需要ないのに。
しかしお姉さんは「どうしてそんなに分かりきったことを訊くんだろう?」と首を傾げる。キモがられてないからセーフ。
「どうしました? スライムはその体の中心に、必ず核となる結晶を持っていますから、それを砕けば良いだけですし……。あ、ゴブリンの見た目がイヤなんですか? 確かに醜い見た目ですが、力は人間の子供くらいしかありませんし……。どちらのモンスターも、成人男性であれば特にスキルも使わず対処できますよ。テルさんはショートソードもお持ちですから、尚更簡単に」
あ、そんな感じなんだ。
二つとも、この世界の最弱クラスのモンスターってわけね。
オーケーオーケー。完璧に理解した。
したり顔でテルはうなずく。
なおテルの腰には短めの剣が装備されていたりする。お値段3000リラだ。
どうでもいいが、この世界のお金の数字感覚は日本とだいたい同じ感じだ。ちょっと包丁買うくらいの感覚で、安物のショートソードとその他護身用アイテムなどを買っておいたのである。
使えないけど。
実は実家で古武術を習ってたとか、ハワイで親父に剣の使い方を教わったとかは一切ない、正真正銘の素人である。
でも秘めたる才能が開花する可能性が無きにしもあらずなので、これはもう無限の可能性を持っているまである。可能性の獣、爆誕。こいついつも爆誕してない?
「ふーん、でも、じゃあいけそうかな––––––」
★
「––––––じゃねえよ、二時間前の俺のアホおおおお!」
時は戻される。
現実逃避気味にこの状況に至るまでの流れを思い出していたテルだが、自分を恨まずにはいられない。
……なぜ、少なくとも日本以上に命の危険がある世界だとわかっていたにもかかわらず、軽はずみな気持ちで、たった一人でクエストを受けてしまったのか。
……なぜ、そんな状況の中、金に目がくらみ山の奥深くへと進んでみてしまったのか。
あ、それは金に目がくらんで「あれここ誰も入ってなくね? キノコあるくね?」と思ったからでした……。
……そしてなぜ今、自分を執拗に追いかけてくるこの大蛇モンスターにうんこを飛ばされた際、反撃の泥投げを我慢できなかったのか。
いやでもそれは弁解の余地がある。人間になら舐められようがむしろ靴を舐めるくらいどうでもいいが、畜生相手に舐められるのは気が済まない。自分を底辺だと思うのは、あくまで人間界での話だ。そう、これはテルの、人間としてのプライドの問題だ!
「そんなプライドクソ食らえっ、ちくしょおおお! ––––––はぁ、はぁっ」
そうして変わらず走り続けるテルだが、徐々にそのスピードに陰りが見え始める。
それは引きこもりの宿命––––––体力の限界だ。
体育のシャトルランは30回たたずにいつの間にかドロップアウト、持久走はぶっちぎりで学年最下位。でもこれは参加してるだけ偉い。
そんなテルであるから、恐怖で一時的にブーストされていた脚力と体力に、いよいよ終わりが近づいてきたらしい。
「はぁっ、くそ、きつい––––––っ、うわっ!?」
そんな刹那、不意に、足元に隠されていた木の根に足が引っかかってしまう!
体を立て直すのにかかったのは数秒、だがそれは今、致命的なタイムロス。
––––––シャアアアアアアアアアッ!!
「くそ、追いつかれた……はぁっ、くっ」
その一瞬でテルの体の真正面に回り込み、その全貌を現した追跡者––––––巨大なヘビのモンスター。
「で、でけえ……っ! ちょ、待って、いったん話し合おう!? アイムファインセンキューアンデュー!?」
テルが日本にてテレビやネットなんかで見たことがある、地球最大のヘビ、ニシキヘビ。
人よりもはるかに大きいその体長はおよそ7、8メートル前後だと覚えていたが、今、自分の前に鎌首をもたげて立ち塞がるそのヘビモンスターは、地球の地上生物では考えられないほどさらに巨大。
長さはもちろん、その、身の太さも。
人ひとりを丸呑みできそうなほど巨大な顔面はテルの前にあるのに、尻尾の先は背中に存在している。
恐らく全長は10メートルを優に超え、15メートルにも迫るかもしれない。もしかしたらそれ以上かも––––––。そんなの目測でわかるか––––––い。
いやふざけてる場合じゃない。ステイステイ。
今わかるのは、この敵が明確にこちらを意識していること。そして今望むのは、ワンチャン自分を見逃してくれることだけだ––––––。
––––––シャアッ、シャッ、シャアアアアッ!!
「うわっ!?」
だが懇願むなしく、いきなりヘビはその体をテルに巻きつけてきた!
その巨体からは想像できないほどに俊敏、そして目がヤバい、怖い。まるでカエルになった気分––––––さしずめ人間社会での井の中の蛙––––––。
「ぐ、うぎぎぎぎ痛い痛い痛い痛い!」
ギリギリギリッ!
とんでもない力でテルの体が締め付けられる。このまま数秒経てばあっという間に全身の骨を砕かれることを一瞬で理解できる痛みが走る。そうして粉砕骨折してだらんだらんになった体を、丸呑みするのだろうか……。ぼんやりと浮かぶ死のイメージ。
「や、ヤバいヤバいヤバいっ、ちょっ、ターーーイムっ!!」
タップタップ!
痛みに塗り潰されかけた精神をかろうじて保ち、ヘビモンスターの身の隙間から出ていた手で、テルはウロコを何度も叩く。柔道とかの「参った」だ。そんなこと、人語を理解しないモンスターに通じるはずもないのに。
––––––シャアッ……
「え、離した!? なんでだよ!!」
いや離すのかよ!
「くっ……。っ、はあ!?」
なぜかテルをその締め付けから解放したヘビモンスターは、さらに不可解な動きを見せる。
どーん!
「いや見下しすぎて逆に見上げちゃってるやつ!?」
ヘビはその顔面を空に垂直に屹立させ、まるで首元をテルに曝け出すようにその身を堂々と鎮座させているのだ。
いやなんで?
「っ…………ごくり」
じりっ……。
弛緩しかけた空気を真剣モードに切り替え、テルはじっとヘビを見据えて視線を離さない。一見逃げ出せそうな雰囲気だが、まだ背中は晒さない。視線こそ向けてこないが、こちらを伺う空気を感じるのだ。
––––––……
だが対するヘビは、硬直。
もう5秒は同じ体制のままだが、いまだ追撃をかけてこない。
なんだ、こいつ……。テルは油断せず、しかし一歩後ずさってみる。
じりっ……。
……。
…………。
……………………。
「––––––退散っ!!」
★
「ああっくそ! いい加減にしろよ、してください! ホントなんなのお前ら!?」
テルが謎の行動を見せたヘビから逃走し、一時間ほど経過してしまった。
その間、彼は締め付けられたり身を叩きつけられたりと、何度も何度も追い詰められては「これ死ぬのでは?」と自らの死期を悟りかけていたのだが、その度になぜか都合よく逃走のチャンスを得るのだ。しかも、逃走不可のダメージはギリギリ負わずに。
それはまさしく死のシャトルラン、その繰り返しの果てに––––––。
––––––なんか、増えてた。
「攻撃しては固まって、攻撃しては固まって、って、もういいわ! 五匹もついてくんな!!」
四匹も増えてた。
あまりにも派手に山の中を駆けずり回りすぎたのか、音で引き寄せてしまったらしい。
しかし、一匹増えた、ヤバい死ぬ。と思っても、この、派手な色の鱗を持ったヘビモンスターはなぜか同じ行動原理を持っているらしく、何匹増えてもテルに絶望的なダメージを与えなかったのだ。そして気づけばめちゃくちゃ増えてた。
なんだこいつら。
プロレスやってるのか。
「はあ、はあ……。なんてふざけたモンスターだ……。性根も、見た目も……!」
テルはもう息も絶え絶え。限界を超えた体力の限界が来た。
両の足で立ち上がることもできずに、肩膝立ちで肩を上下させている。
その周りを取り囲む、五匹の巨大ヘビ。
テルからしても、側から見ても、それは完全にチェックメイトだった。
普通、異世界を生き抜く術を持たずに転移してきた、ほとんど一般人と変わらぬたった一匹の日本人が、この状況に出くわして何かできるはずもない。
せいぜいが『痛くないように殺してくれ』と祈るくらいだろう。
テルもそうだ。
彼は普通の日本人だった。
才能も、お金も、ここまで何かに努力した経験も、ただの一つもありはしない。
人望も、力も、人に何かを与えたことも、普通の人よりもありはしなかった。
無味無臭な人生、平々凡々な精神性。
……ただ。
ただ、そう。
彼は、ほんの僅かに、ある一点においてのみ、普通の日本人ではなかったのだ。
そう、彼はただ偶然にも、どこかで何かを打開できそうな、彼だけの、一発限りの、自らをも滅ぼしうる、盤上をひっくり返すような反則の権化を持っていた。
……ただ、それだけ。
だが……人はそれを、そういったものを【天啓】と、そう呼ぶのであった。
……どうせチェックメイトなら。
俯く一瞬、一回の呼吸で、テルはできるだけ息を整えた。
––––––覚悟を決めよう。
「……おい、知ってるかクソヘビ共。お前らが俺を全身粉砕骨折させなくたって、俺は自分で粉砕骨折できるんだ。……ついでにこんがり焼けたりするから、おいしくなってるかもな、ハハ」
そうして再び顔を上げたテルは今までの、おちゃらけた雰囲気を捨てていた。
軽く瞑目し、少しだけ長く、また息をひとつ吐ききる。
「––––––まあ、その肉、お前らが食えるとは言ってないけど」
突然、にぃっ、と顔が裂けたような凄惨な笑みを浮かべるテル。
––––––シャッ!?
その笑みを見て、あるいはテルの纏う雰囲気が変わったことを感じてか。
ヘビたちの頭が、一瞬、気圧されたようにわずかに後ろに下がる。
「おーおー残念でした、キミたち今から死んじゃいまーす! ついでに俺も多分死んじゃいます! お前らのせいです、どうもありがとうございました! 波瀬照先生の次回作にご期待ください––––––」
だがもう何をやっても遅い。
テルは意地で立ち上がり、空を見上げて口を開く。
「……じゃあな! 来世で出直してこい––––––––––––」
天を衝くような、覚悟の叫びを轟かせるために。
放つ言葉はたった一言。
この世界に来たテルがもっとも忌避した、たった三音の言葉。
「––––––––––––【自爆】ッッ!!」
––––––––––––その瞬間、世界に、光が満ちた。
そして、運命の歯車は回り始める––––––––––––––––––。
★
……。
……………。
……………………。
「………【ヒール】。……ねえ、あなたは、誰?」