第3話 おじいちゃんとおばあちゃん
天野の運転する車は、いつの間にか山道に入っていた。
舗装された後も見当たらない道だった。
その山道をさらに暫く走り、11月の日が傾いてきたころ、天野の運転する車が漸く止まった。
周りはもう既に山奥だ。
ここから一人で歩いて帰れと言われても、一夢には帰る自信はなかっただろう。
車が止まった山道の先、行き止まりになっている少し開けた場所に、古い民家が建っていた。
古いと言っても、地方にある大きな農家の家屋のような、立派な瓦屋根の豪邸だった。
一夢にとっては始めてみる様式の建物だったが、一夢は何となく「沢山部屋がありそうだな」と思った。
一夢は天野に促されてとともに車を降り、古民家に向かった。
古民家の玄関を開けると、天野が家の中に向かって言った。
「ただいま」
(ただいま?)
いま、天野は「ただいま」と言った。
一夢は思った。
(ここは天野先生のうちなの?)
「おお、吉祥、よく来たの」
土間に出てきたのは、見た目は30歳前後くらいであろうか、天野とあまり変わらないくらいの二人の男女だった。
「お父さん、お母さん。ただいま」
天野は、二人に言った。
天野に両親と呼ばれた男女は優しい眼差しで一夢を見た。
「はじめまして。こんにちは」
一夢は挨拶をして、ぺこりと頭を下げた。
考えてみれば、一夢は、自分は元より、「誰かの親」というものに会うのは初めてであった。
「親」や「親族」という関係は、センターでの学習で理解はしている。
人間でない生き物であれば、これもセンターでの学習や実習で、卵から生まれたり、母親の個体から出産されるところも見たことがある。
しかし、自分を含めて人間の親族、その関係が明らかになっている人たちを見るのは初めてであり、何だか不思議な感覚を覚えた。
「こんにちは。うんうん。しっかりしてるね」
天野の父親は、一層目尻を下げて一夢にうなずいている。
センターでは、多くの子供たちが居たこともあり、躾は厳しく行われていた。
一般常識、基礎科学、体育活動・・など、およそ必要と思われる教育も併せて行われていた。
その中においても、数学の比重は極めて高く、協調性――目的を一にした多人数での共同作業の精度を高める性質――の開発と向上には重点が置かれていた。
二人は見た目が天野と変わらない年齢であったが、一夢は違和感を覚えていなかった。
何故なら、世界が壊れる前の時代、ほとんどの人間が30歳を過ぎた頃から肉体に若化処置をおこなっていたからであった。
そのため、人の見た目は30歳頃から変わらなくなっていた。
それはセンターの中でも同様であった。
その処置には、多くの医薬品、医療設備、専門医の技術を要したため、カタストロフィ後の世界では、その若化維持が困難となっていたのだが。
「二人とも身体は大丈夫?」
天野は両親に玄関を上がるように促され、靴を脱ぎながら、両親に声を掛けた。
「もう、若い姿を保つのは難しいな」
父親が着ていた長袖のシャツの右腕を捲る。
天野は声を上げなかったが、父親の右腕・・肘から上の辺りを見て目を見開き動きを止めた。
顔の見た目からは想像できないほど、肌の老化が明らかであった。
「今は処置をする場所もないし、薬もないからね。残っている薬で顔を保つだけでいっぱいだよ。それももうすぐ無くなるよ」
隣で優し気な笑顔を見せている母親が続けて言った。
「仕方ないことなのよ。そういう世界になったのだから。私たちは十分よ」
「それにこうして一夢くんを迎えることができるんだから。こんなにありがたい人生はないよ」
「ええ、ほんとうに」
天野の両親は、お互いの顔を見合って微笑んだ。
「一夢くん、大きくなったな」
天野の父親が一夢に優しく微笑みながら言った。
母親も一夢に暖かな眼差しを向けて頷いている。
一夢は天野の両親に何故か言い表せないような親しみと安心感を覚えた。
理由はわからないが、本能的にそう感じているようだった。
でも、「大きくなった」ということは、自分がもっと小さい頃に会ったことがあるのだろうか?と、一夢は不思議に思った。
「一夢くん、改めて、私の両親よ。今日から一夢くんは、私のお父さんとお母さんと一緒に暮らすことになるの」
一夢は、目の前で起こり、自分に投げ掛けられている言葉を咀嚼して飲み込むのに時間が掛かっていた。
昨日から自分が巻き込まれている話が、自分を置いて進んでいく。
「う、うん・・」
一夢は納得するしないに関わらず、「そうなるのだ」と、理解しなければならないのだと感じ取った。
「ここは安心できる場所よ」
天野が一夢を見ながら、独り言とも思えるように言った。
言葉と裏腹に、心配そうな心のうちが、少し天野の目に映っているようであった。
「勇志や杏たちも安心できる場所?」
一夢はセンターに居るはずの友達を思い出した。
「そうね、だけど勇志くん達にはセンターがいいのよ。ただ、一夢くんにとっては、ここが一番なのよ」
天野が一夢の頭を撫でながら言った。
「一夢くん、急におじいちゃんおばあちゃんのところに連れてこられてびっくりしただろう。でも、心配しないでおくれ。ここは、一夢くんが安心して過ごせる場所だよ」
「そうよ。じい様の言うとおりですよ。このじい様とばあ様のことは、おじいちゃん、おばあちゃんと呼んでおくれ」
見た目は若くとも、二人は相応の人生経験を積んだ老夫婦であり、優しく一夢に伝えた。
その表情、声音、動作、全てが一夢を大切に受け入れようという気持ちを、そのまま表しているかのようであった。
ひと時、天野は両親と久しぶりの会話を楽しみ、センターではないゆっくりとした時間を過ごした。
一夢は一夢で、天野の隣で、センターにはあまり無いお茶とお茶菓子を楽しんでいた。
「それじゃ、何か必要なものがあったら連絡して」
そろそろ戻らなければならない時間となり、天野は帰り支度をして玄関先へ向かい、自分の両親に一夢を託して言った。
「まだ連絡はあまりしない方がよかろう」
父親が言う。
「・・そうね、そうよね。落ち着くまではお願い」
天野は俯き加減でこたえた。
「分かっているよ、吉祥。一人娘のお願いを嫌と言う親はいないよ。それに一夢くんは・・」
父親が言いかけたところで、天野が遮る。
「お父さん」
「ああ、悪かった。とにかく、お前も気を付けるんだよ」
「ええ。ありがとう。我が儘を聞いてくれて」
「一夢くんが安心して過ごせるようにするから、お前も安心していなさい」
「うん・・ありがとう。それじゃ、私行くね。一夢くん、おじいちゃんおばあちゃんの言うこときいて、元気にしていてね。また迎えに来るから」
「あ、先生・・」
一夢は天野に手を伸ばしかける。
天野はその声を聞いていたが、振り返り、出口に向かって歩き始めた。
天野は分かっていた。
この後に自分自身に何が起ころうとしているのかを。
「またね」
天野は振り返ることなく、両親の家を去っていった。