序章2:隣人
将武と美亜の目の前に降り立った者。
隣人
この世界が文明の崩壊を経験してから、人類は万物の霊長の座から追いやられた。
旧文明が終焉を迎え、通信を始めとした電子機器や移動の手段を失い、さらに人類を捕食する特異生物の出現により、海や空を超える移動は、一部を除きほぼ不可能となった。
その中に於いても、人語を解し、人類を凌駕する生命体としての能力を持つ、人類ではない生物の出現により、人類はその存亡の淵に立たされたことを認識した。
その人類を超える生物は、人類に対して、自らを『隣人』と、名乗った。
機械的な、それでいて粘着質の、極めて耳障りな低く、くぐもった声が響いた。
「セイメイ活動ヲ、停止シナサイ。貴方タチヲ回収シマス」
隣人が、拘束具の下から青い液体を流しながら、将武たちに向かって言ったのだ。
顔を除く艶めかしい容姿と、あまりの異形に直視しづらい容貌との組み合わせに似合った、気味の悪いものに感じられた。
「ひでぇ言いぐさだな。大人しくやられろってか」
将武は、気を抜けば自分の意思から離れていきそうな、重い身体を起こして、隣人に対して抵抗の姿勢を取る。
「回収」
隣人から低い声が聞こえた刹那、隣人の両肩付近で、強烈な光が瞬く。
将武の身体が消え、隣人と美亜の直線上に移動する。
ボッ!
美亜は何の音か、何が起こっているのか、把握できていなかった。
ただ、目の前に、左肩から先が、抉られるように吹き飛ばされた将武が立っていたことだけが分かった。
「っ!!」
美亜は声を出すことができなかった。
いつもは圧倒的な強さで、圧倒的な余裕で、冗談を言いいながら、敵対するものを倒してきた将武が、今、目の前で命を散らそうとしている。
それも、自分を助けるために。
美亜は、自分の目から涙が零れていることも気付いていなかった。
ただ、左肩から先を失い、大量の血を噴き出して倒れてくる将武に手を伸ばし、駆け寄ろうとしていた。
「美亜、待て」
将武の声が聞こえた。
将武は踏みとどまっていた。
身体を半分程失っているにも関わらず、倒れずに、踏みとどまった。
「あ・・」
将武の声で、混乱に陥っていた美亜は、思考を取り戻す。
(この声は、ずっと私を支えてくれていた声。私がずっと一緒にいると決めた人の声)
「美亜、すまねぇな・・。やっぱ、ここで最後らしい」
将武の言葉を聞きながら、美亜は自分が涙を流していることに、改めて気付いた。
「うん」
何故か、美亜は微笑んでいた。
「だが、最後に出し切ってやろうぜ」
将武は残った右腕を、手のひらを上にして上体の前に差し出し、美亜に言う。
将武の瞳が金色に輝きだす。
右腕の付け根から手のひらに向かって、腕を囲う光輪が流れていく。
逆立つ髪の毛と不敵に笑う口元から覗く犬歯、全てが輝きだす。
美亜は、将武の言葉を正確に理解していた。
(ここで、これが、私たちの最後。終わりの場所。私の最も大切なパートナーと一緒に居られる最後の時間)
美亜は目を瞑り、もうほとんど動かなくなっている自分の身体の中で、その脳にだけ全てを集中させる。
自らの出自、自らの役割、それを果たすことに全霊を傾ける。
人類が産み出した、最も精緻で最も高性能な、禁忌の演算処理装置。
フェアリと呼ばれる、生きた人間を素材とした、生体コンピューター。
フェアリは、ヘッドと呼ばれるパートナーと対になり、ヘッドが持つ「才」と呼ばれる特殊能力の具現化、強化のための演算を行う。
ヘッドの才は、純粋な攻撃能力、生物の精神への干渉能力、物質の変換能力・・など様々なものが確認されているが、その全容は明らかではない。
そして、ヘッドとなれるもの、つまりは才を持つ者は、概ね驚異的な身体能力、生存能力を有していると言われる。
フェアリは、ヘッドがその特性能力である「才」により発現させた様々な能力を「型」として、具体的な物理干渉力を持たせ、さらにその威力、精度など、才に合わせた属性及び性能を強化、向上させる。
ヘッド単体でも、才を具現化し行使することはできるが、単独で実用に耐え得る性能で才を発揮することのできるヘッドは、ほとんど存在しないと言われている。
美亜はそのフェアリの中でも、最高と称される27フェアリーズの一人であった。
その自分が、最も相応しいと考え、添い遂げようと決めた、新都自治国大首 吉田将武。
その男に、残された全ての力を捧げる。
美亜は将武と完全に同期する。
将武が起動した才により、敵対する戦力を殲滅するための巨大なエネルギーを発出するための門が右手に開く。
フェアリである美亜という超高性能外部演算装置による、人類もシリコンも超えた演算能力が、将武の発動した才による攻撃手段の性能を際限なく肥大化させていく。
美亜は、自らの残存能力の全てが、将武の才の強化のために使われていることを認識していた。
いずれにしても、自分たちはここが最後だ。
この隣人を倒すことができたとしても、恐らく、自分にはもう、目を開ける力すらほとんど残っていないだろう。
ましてや、あの傷を負っている将武が生き残ることは、どうあっても困難だろう。
美亜は、演算性能を下落させる動揺をしないよう、自らのために、将武のために、今は将武のことを思考から切り離した。