序章1:将武と美亜
今回より開始させていただきます。
よろしくお願いいたします。
2080年10月
「さすがにやべェな」
吉田将武は、それでも余裕のありそうな苦笑をしながら、隣に居る美亜に言った。
将武と美亜の二人は、巨大な高層ビルの影に並んで座っていた。
栗色の髪の毛を、少し丸みを帯びたショートボブにした美亜は、幼げな顔立ちで少し下がった目尻の大きな目を将武に向ける。
美亜は、将武の声を聞きながら、本当はそんな余裕はなく、将武が強がっているのだと理解していた。
美亜自身も、相当に顔色が悪い。
「もう40も近ぇってのに、運動させるんじゃねぇよ」
身長が190cm近くある筋肉質のがっしりとした浅黒い肌に金髪、薄い顎鬚を蓄えた将武がボヤくのを聞きながら、美亜が言う。
「ただの運動ならよかったけど」
完全な廃墟となっている、巨大ビル群の街。
かつて西新宿副都心と呼ばれた場所。
寄り添って蹲っていた将武と美亜の頭上で、ビルが弾けとんだ。
隠れていた60階建てビルの20階付近が、一気に爆発し、巨大な煙塵を巻き上げて、上下の階を一瞬で消し飛ばした。
瞬間的に支えを失ったビルの階上40階分は、至近では凄まじい速さで、遠目にはまるで止まっているかのようにゆっくりと、その巨大な塊を崩壊させながら落下する。
将武達が寄りかかっていた地上1階部分の壁が一瞬で砕け、20階以上上空からの瓦礫とともに、二人の頭上を全て覆い尽くして降ってきた。
「ちぃっ!」
将武は苛立たし気に舌打ちし、美亜の肩を抱き抱えるようにしてビルの壁から飛び退いた。
将武の跳躍は、およそ通常の人間のものではなく、将武が足元を蹴った瞬間に、美亜を抱えたまま30mほどを跳んでいた。
着地した瞬間、将武の脇に抱えられていた美亜が、自らの身体が真っ赤に染まっていることを感じた。
将武の身体から、尋常ではない量の血液が流れ出ているのだ。
美亜自身、身体も服も傷だらけの状態で、少なくない出血をしており、将武に従って動くのはもう厳しい。
「将武、私はもういいから。あなた一人なら逃げきれるかもしれない。でもこのままだとあなたまで」
美亜は、息のあがっている将武を軽く押して離れようとしながら言った。
その言葉を聞いて、将武が何も言わずに美亜を睨み付けた。
美亜は続けて将武に諭すように言う。
「もう、私はあなたを支えるだけの力を出せない。あなたが生き残れば、またきっと次の私が見つかるから」
将武の目が、美亜を睨みながら大きく開かれる。
「将武、今までありがとう。生きて」
将武が美亜を抱き抱える腕に力が入った。
「んっ!」
美亜は強く抱き締められて、思わず声を上げた。
「バカヤロウ。俺に対して、ありがとうなんてのは、過去の事に言うんじゃねぇ。未来に対して言え」
「え?」
「いいか、今までありがとう、じゃねぇ。これからも一緒にいてくれてありがとう、だ。いいな」
「でもそれじゃあ、あなたが・・」
「うるせえよ。他のヘッドとフェアリがどうかはしらねぇが、俺とお前はそうなんだよ。俺が他のフェアリを選べるとでも思ってんのか。それも、俺の半分しかまだ生きていないようなお前を犠牲にして・・」
将武を見つめながら、言葉を聞いていた美亜は、一瞬言葉の意味を理解するのに時間が掛かったように固まっていたが、少しずつ、頬を紅潮させながら、目に涙を浮かべた。
美亜が将武と行動を共にするようになって、5年が過ぎていた。
将武は現在の日本において――従来の国家機能は既に麻痺していたが――、相当の実力者であり、その戦闘能力も極めて高い。
美亜もまた、その将武を支えるパートナーとして、並ぶものは数えるほどしか居ないと言われていた。
これまでも、美亜が将武に好意を抱いていたことは事実だったが、美亜に対して将武がそんな素振りを見せたことはないし、事あるごとにコンビの解消だと喧嘩をしていた気もする。
この二人をして、ここまで追い込まれる相手。
将武から、これまでに口にしたことのないような言葉が出ていることからも、きっと自分達が今日ここで終わることは避けられないのだろう。
美亜にはそれが決定事項のように理解されていた。
不思議なことに恐怖はない。
(この人と一緒なら、後悔はない)
将武は、目を潤ませ始めた美亜の頭を撫でた。
「計算するのがお前の仕事だってのに、なに固まってんだよ。俺が恰好良過ぎて惚れちまったか?」
将武がニヤリと白い歯を見せた。
「もう、何を今さら」
美亜は涙をこぼして笑いながら、将武に言った。
ドドン!
刹那、二人の目の前の瓦礫が圧倒的な重量に押し潰されて軋み、破壊される音が響いた。
その音は、耳に聞こえるというよりも、将武と美亜の身体全体に、巨大な空気の津波を叩き付けたかのようだった。
「ぐぅっぅ!!」
美亜が強烈な空気圧と弾け飛んでくる瓦礫の弾丸を受け、呻き声をあげる。
「もう少しゆっくりさせろよ。余裕のねぇやつだな」
将武は、二人のすぐ近くに落下してきた影を、忌々し気に睨み付けながら、言葉を吐き捨てた。
少しずつ、影であったものの輪郭が浮かび上がってくる。
人の形。
身長は3m程であろうか。
腰ほどまでの真っ直ぐな黒く長い髪。
顎から首筋、肩から脇、腰から脚にかけてのくびれた曲線。
胸から腹部、下腹部から太腿にかけての艶めかしい膨らみ。
深い藍色の、まるでイブニングドレスと見紛うばかりの衣装を纏ったその者は、人としては大きすぎるにも関わらず、無意識のうちに妖艶さに心が囚われてしまいそうな、性的な欲情を誘う姿であった。
将武は、思わず唾を飲み込んだ。
「事ここに至って、目を奪われちまうとは、やっぱ人外は怖えぇな」
その艶めかしい人影が、俯いていた顔を上げた。
将武は、目の前の人影と目を――正しくは目ではないのかもしれないが――合わせる。
「へっ、もう少し化粧でもして来いよ。そんなんじゃ、俺のストライクゾーンからは外れてんぞ」
その顔は、両目から複数の金属製のチューブが飛び出して蠢き、鼻は無く、口は黒い拘束具に捕らわれていた。
その拘束具の下からは、青い液体が滲み、わずかに流れ出ていた。