おっさんは兄的存在と話す
スマホの電話帳の名前一覧。
そこにある懐かしい『星宮信太郎』の名。
「話さないわけにはいかねぇよな。」
麗華の事を考えると気が引けるが、年頃の娘を泊めている身として、その親を知っているのならば連絡すべきだ。
「信さん……出るかな。番号変わったりしてねぇよな。」
躊躇いながらも、俺は通話ボタンをタップした。
信さんは、俺にとって兄のような存在だった。
小学校に入学する前に両親を事故で亡くした俺は、父親の実家である、福岡の祖父母の家に引き取られた。
祖父母は親を亡くした俺に、返しきれない程の愛情と温もりをくれた。
そのお陰で両親のいない生活でも俺は曲がる事なく生きる事ができた。
祖父は柔道の師範で、家の隣に道場があった。
俺は引き取られてすぐに道場に通わされるようになり、それは高校を卒業するまで続いた。
その道場の門下生であったのが、当時大学生の信さんだった。
師範の孫で小学校に入学したばかりの俺を、歳上の門下生達は可愛がってくれた。
中でも信さんは、名前に"信"の字を持つ者同士として、歳の離れた弟のように扱ってくれたのだ。
俺もそんな信さんを兄のように思って懐いていた。
信さんは大学を卒業して2年ほど働いた後に起業した。
何の会社なのかは恥ずかしがって教えてくれなかったが、社長という響きに憧れたのを覚えている。
信さんは企業と同時期に、それまで勤めていた会社の同僚だった人と結婚し、娘を授かった。
俺も何度か会った事がある。
まさかその娘がギャルになるとは想像もしていなかったが。
ともかく、娘が生まれて5年後、信さんは東京へ行った。
俺が高校3年生の時だった。
東京の大学を受験する理由の1つが、信さんがいる事であった。
その後、結局東京の大学に入学した俺は一人暮らしを始め、年に数回は信さんと連絡をとって顔を合わせたりしていた。
大学を卒業してからも何回かは飲みに行ったりしていたのだが、ここ5年ほどは俺も忙しくなかなか連絡を取れていなかった。
まさか花織さんが亡くなっていたなんて。
どうして教えてくれないんだという信さんへの怒りと、連絡を取らなかったせいでそんな事も知らずにいた自分への怒り。
そして、兄のような人の娘を、そうとは知らずに泊めてしまったという複雑な気持ち。
それらを飲み込むようにして通話をタップして数コール。
懐かしい声が聞こえた。
「……信か?久し振りだな。」
「はい、政信です。ご無沙汰してます、信さん。」
あまりの懐かしさに頬が緩む。
俺も渋い声をしているとか言われるが、信さんは更に渋い声をしている。
「5年振りくらいか?急にどうしたんだ。」
「ちょっと聞きたい事がありましてね。それと、久々にちょっと話したくて。」
「聞きたい事?何だ。」
ぶっきらぼうな物言い。
しかしこれは不機嫌とかそういう事ではなく、この人の素の話し方なのだ。
「信さんって、娘さんいましたよね?名前なんでしたっけ。」
「…麗華の事か?お前も会った事あるよな。」
オーケー、確定だ。
「その麗華さんです。まだ彼女が幼稚園児の時でしたけどね。」
「おう、そうだったな。んで、麗華がどうした?」
「単刀直入に言います。麗華さん、いま俺の家にいるんですよ。」
「…は?どういう事だ?」
「実はですね………」
俺はコンビニ前で麗華と会ってからの話を、簡潔に伝えた。
「……あいつ、友達の家に泊まるって言ってたくせに……」
「麗華さんを責めないであげて下さい。それも俺が言った事ですから。」
責められるべきなのは間違いなく俺だ。
「そりゃそうだろうがな……はぁ…とにかく、麗華を保護してくれてんのが信で良かった。それにしてもこんな事があるんだな。」
「奇跡的な事だとは思いましたけどね。麗華さんの話を聞く内に、もしやと思って会社の事を調べさせてもらったんです。それで信さんの名前があったから、これは間違いないって。」
「ついに会社の事がばれちまったのか。」
「むしろ何で隠してたのか不思議でならないんですが。」
あの"メルクーリ"を運営してる会社だぞ。
もっと自慢しろよ。
「別に隠してたって訳じゃ……まぁ、良いじゃねぇか。」
これは信さんの照れ隠しだ。
実際は自慢みたいになるのがただ恥ずかしかっただけだろう。
そういう人なんだ、この人は。
「それより、麗華から話を聞いたって事は……花織の事も…?」
「はい、聞きました。……何で教えてくれなかったんですか?俺だって花織さんには世話になってたんですよ。葬式と通夜くらい、行かせてほしかったです。」
福岡にいた頃は、信さんの家に遊びに行く事は何度かあった。
そんな時は花織さんがご馳走を振る舞ってくれたりしたものだ。
物静かでおっとりしていて、誰に対しても本当に優しい人だった。
「そうだよな。……悪い、あの時のお前は仕事でかなり忙しい時期だったし、花織が亡くなったなんて知ったらキツいかと思ってな。」
「そりゃキツいに決まってますよ。俺にとって姉みたいな人でしたから。それでも教えてほしかったです。」
「……だよな。すまなかった。あの時に言わなかったから、後になって余計に言い出せなくなってな。」
だから5年も連絡なかったのか。
俺も人の事は言えないが。
それに、あの時は確かにかなり忙しい時期だった。
それでも一報入れてほしかったという気持ちもあるが、その気遣いが信さんらしいなとも思った。
「まぁ、その話はまた近いうちに会って話しましょうよ。」
「そうだな。今は麗華の事か。」
「ですね。ひとまず俺の家にいるから大丈夫ですけど。」
「迎え行こうか。」
「いえ、俺と信さんが知り合いだってのは、ひとまず秘密にしておきたいです。」
「何でだ?」
「麗華さんは考える時間がほしいって言ってました。俺が信さんと親しいとわかると、居心地が悪くなるんじゃないかと。」
「まるで今後も麗華を預かるような言い方だが?」
「麗華さんが望むならそれも良いと思っています。信さんも、相手の方と2人で色々と整理する時間が必要なんじゃないですか?」
「……お前は相変わらず世話焼きだな。」
「すみません。」
お節介と言われても仕方ない。
俺は素直に謝った。
「アホ、褒めてんだよ。」
信さんは軽く笑った。
「……まぁ、友達の家をハシゴしたり知らない奴の家に泊まるとかだったらすぐに連れ戻すところだが、お前なら安心だな。」
「信頼していただいてるようで。」
揶揄うように返す。
「弟みたいなもんだからな。」
普通に嬉しかった。
無意識に口角が上がってしまい、苦笑する。
カウンターを決めるつもりが更にカウンターで返された気分だ。
「なら、良いんですね?」
「麗華が望むなら、暫くいさせてやってくれ。生活費は払うから。」
「そこは気にしないで下さい。これまで信さんにいただいたものを、その娘さんに還元するだけですから。」
「そう言われちゃ仕方ねぇな。」
電話越しに苦笑しているのが伝わる。
「一応言っておくが、俺の娘に手出すんじゃねぇぞ?」
「何言ってるんですか。13歳差ですよ。」
「愛に年齢は関係ないって、前田が言ってたぞ。」
「いや、それたぶん意味違うと思います。」
前田さんは信さんと同い年で門下生であった。
ちなみに大学生の時に小学生の松子ちゃんと付き合っていた紳士である。
というか普通に犯罪者だ。
「とにかく、もし麗華に手を出したら……」
「出したら?」
「きっちり責任取ってもらうからな。」
電話なのにドヤ顔が見えるような気がした。
「そこは普通、ただじゃおかないとか言うところでは?」
「むしろどこぞの軟弱な野郎にやるより良い気もしてな。」
「どっちにしろないですから。」
ここは否定しておかねばならん。
「合意の上なら許す。」
「いや、ですから……」
「それじゃまた決まったら連絡してくれ。」
話聞けよ。
「近いうちに飲みにでも行こうぜ。話す事はお互いに沢山あるだろうし、麗華の件で礼もしたいしな。」
「了解です。また連絡します。」
「おう、待ってるぜ。そんじゃな。」
「うっす。失礼します。」
通話終了したスマホを置いて、無くなりかけのタバコを吸う。
ひとまず話をつける事ができて良かった。
明日は麗華に今後の話をしなければならない。
「………まぁ、何とかなるか。」
最後に長く煙を吐いて、すっかり短くなったタバコを灰皿に押し付けた。