16ー謁見の間
町の中央に建つ、この国の中核とも言える王城の窓から、シェリーは外を見つめていた。
そこには、柵で覆われる城の周りを民衆が取り囲み、各人々が片手に白い紙を丸め持って、声を上げている。
届く声は、次の様なことだった。
『王よ!俺たちに明るい先を示してくれ!』
『王子は死んでしまったの?』
『伝統はどうするの?継ぐのは誰?』
『そんなことを考える必要はない!この国はもう終わりなんだ……』
『もし、小娘なんぞを王に仕立てたら許さないからな!』
ごった返す入り口付近は門兵達が押さえてはいるが、その溢れんばかりの勢いは、いつここに迫られてもおかしくない物だった。
「姫、あまり良いものではありませんよ」
後ろから聞こえたのは、そば付きの老婆、マラン。
言いたいことはわかるが、この一件を身近で感じるには、こうしている他ない。
「いいえ、意味はあります。こうしている事で、事の重大さがより感じられるのです」
出来るなら、現場に向かいたいが、この身体はそれを許してくれない。
そう思うと、心臓あたりに拳を運び、ギュッと力を込める。
「不甲斐ないものですね。病弱であると言うものは」
「姫……」
後ろからは、悲しみに同情する声が聞こえる。シェリーは振り返った。
「マランも、そんなに気を落とさないで。悲しむには、まだ早いのでしょ?」
しかし、その顔には悲しみが宿る。
泣き崩れた跡はすでに消えたが、それでも、心の奥では彼女が一番に悲しみに暮れている。
マランはそう思うと、何も言えなくなり、ただ俯き様に頭を垂れる。
「そのお覚悟、王女としての立ち振る舞い。誠に勇ましくございます」
「そんな立派なものじゃないわ。これは、あなたがくれた『信じる勇気』だもの」
シェリーはから元気で笑いながらそう言うと、去り際にもう一度だけ、周辺の状況を見ておこうと、城の正面門を窓から覗き込んだ。
すると、先ほどまで人が大勢いた門の前には、馬車が一台止まっていた。
そこでは、門兵が馬車を操縦するものと会話をしている。
その後、もん兵は後ろの人が乗る部分、キャリッジの中を覗き込んでいた。
「姫?」
マランは、そんな光景に見入るシェリーに声をかけるが、どうやら気づく様子がない。
何故なら、外の様子が秒単位で変化を迎えていたからだ。
先程現れたと思った馬車は、門兵との会話を済ませたのか、問題ないと判断され、城門がゆっくりと開かれる。
周囲にいる人々は、それに便乗しようと後ろから押すが、城内から現れた大勢の衛兵により、侵入を封鎖されている。
どうやら、あの馬車がこちらへ向かってくるらしい。
「マラン、馬車が来るわ!」
「馬車?」
一連の光景を見ていないマランは首を傾げる。
しかし、そんな彼女を気に留めることもなく、シェリーはスカートをたくし上げ、走れぬ身体を急ぎ足で動かしながら、玉座のある謁見の間へと向かう。
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「スッゲェ……これが城の中から見る景色か」
馬車を降りてからここまで、先頭を歩くスーツ姿の男の後を追いながら、イナズマは仮面越しに天井を眺め、思う。
歩く道には赤いカーペットが敷かれ、天井には無数のシャンデリアが飾る様に吊るされている。
窓から差し込む光は、初めて見る城内の神秘性をより一層際立たせていた。
「とうとうその時が来たのですね……」
今回、やってきた目的は契約の更新。
一国の重大な案件を初仕事で担う彼女には、荷が重すぎる。
しかし、人手が少ないと言う周囲の都合上、早くに独り立ちしなければいけない。
今回は、そんな自分に晴れ舞台をと、心から信じてくれる父から課された試験なのだ。
そう思い、一度、深く深呼吸をする。
「準備が整いました。いつでも」
先頭を常に歩いていた男は、やってきた衛兵から情報を聞き、それをギルフェルト達に伝えた。
「では、皆様。行きますわ」
目の前にあるのは、王が待つ部屋への入り口。
アンジェリーナのその合図により、皆は足を前進させる。
それと同時に、巨大な扉は開く。
****
中に入って、まず気づいたのは、圧倒的な壮大さだった。
開けた空間は天井が伸び、差し込む光は眩い。
そして、視線に気づき、あたりを見渡すと、左右の壁際には多くの衛兵と、少しの使用人らしき人々。そんな彼らに取り囲まれる形で、赤い道を歩く。
「よく来たな」
この空間での第一声、それはもちろん国王から。
赤い道が続く先にある巨大な存在感を漂わせる王の玉座に、怒る様な表情の男が座っている。
今までは空間の壮大さに囚われていたが、彼もまた、巨大な存在感を放っていた。
「初めまして、国王。私は、隣町『カラストル』から契約の使者として参りました、アンジェリーナですわ」
アンジェリーナはそう言うと、先ほどの緊張を押し隠し、スカートの裾を持ち上げると、優雅な一礼をして見せた。
「全ては聞いておる。お主が今回の、鎖の使者らしいな。其方の父、アンジェスは息災か」
「ええ、元気すぎてつい先程、迷惑を被ったばかりですわ」
「フン、こんな場所まで来る娘に迷惑を起こすとは、あいつらしい」
そんな事を言う王は、厳格な表情の裏で、少し顔を緩めた様な気がする。
既存のイメージを定着させてきたギルフェルト達は、そんな真の王の姿に驚くとともに、王と対等に対話するアンジェリーナにも驚いていた。
「ーーところで、その横に立つ者らは何者か?」
そこで、王は目を見開くと、元の、闇をも見通す様な刺のある視線でギルフェルト達を見つめ、貫く。
すると、横から1人の衛兵が紐で括られた一枚の紙を握って来る。
「王よ。どうやら、この様なものを彼らが握っておりました」
王はそれを受け取り、見つめる。すると、顔色は変えないまま唸り声を上げ、再びギルフェルトらと目を合わせる。
「……事情は読んだ。で、その実物は?」
多少、口数が少ない気がするが、その言葉の意図を少しの時差で理解したイナズマは、魔法袋から白い布で包まれた黄金の指輪を咄嗟に取り出し、見せるように出した。
「これがきっと、あんたの言うその実物。森で拾った、金の指輪だ」
「貴様!王に向かってなんて口を!」
近くの衛兵はイナズマの素行に槍を突き立てようと動く。しかし、王はそれを手で制する。
「待て。この者らは、どうやら冒険者らしい。王座の前での素行など、弁えずとも許す」
そう言うと、王は手招いた。
「赤面の其方、少し寄れ」
「え?いいのか?」
イナズマは流石に、素性も知れない一冒険者が一国の王へ近づいていいものか、少し戸惑う。
しかし、王は顔色ひとつ変えず、ただ怖い印象を与える表情で見つめ返すだけ。
(いいってことか?)
そう思い、隣のギルフェルトを見る。しかし、彼もまた、分からないと言った表情でいた。
「王がお呼びなんだ。さっさと進め!」
先程、王へ無礼を働いたと提言し、イナズマへ制裁を加えようとした衛兵はそう怒鳴る。
それには動じずとも、目の前にいる王の、見開いた目を見ると、そうせざるを得ないと悟る。
歩み寄る時、目先に見えた景色に注意をそがれ、一瞬で玉座についた。
気づいたら、目の前には少し高い位置に座する王が見下す様にイナズマを見た。
その圧は、今まで感じたことのない別種のもので、イナズマは人生で初めて、人前で手汗をかく感覚だった。
(気づいたらもうこんなところに来ちまった。それより、空気が重いな。あれ?これが緊張?)
「寄れ」
王は自問自答を心のうちで繰り返すイナズマに声をかける。
「お、おう」
一歩足を出せば、もう一度。
「寄れ」
「おう!」
内心、躍起だった。
初めての感覚に陥った時、人は誰しも予期せぬ行動に移る。
それが、今回のイナズマだった。
やっと、高い位置にいる王の手が届く範囲まで来ると、黄金の指輪を触らせる様に、イナズマは手を伸ばす。
「助かる」
王は城内の装飾の様に光る黄金の指輪を手に取ると、自分が付けている指輪と見比べる。
そして、表情を変えないで言う。
「……本物だ」
「マジか……」
ギルフェルトと共に同行して来た皆が同時に俯く。
これが本物ならば、既に王子は闇の彼方。
あの“なにか”に溶かされたあとだと、同様に悟る。
だが、イナズマだけは王を見上げていた。
「なぁ。あんた、王様なんだろ?何か、特別な力とか、無くした財布を見つける魔法とかねぇのかよ」
「イナズマさん!」
イナズマがそう言いながら王へ迫った時、ギルフェルトの叫び声と同時に衛兵達が槍を突きつけてイナズマを取り囲む。
今回は、王は指輪に注意を引かれているのか、イナズマの行動を庇わない。
「それ以上は不可侵だ」
さっきとは別の衛兵にそう言われると、強制的に後ろへ戻される。
その間、王は厳格な面持ちで指輪を見つめながらただ居座るが、近くから見るイナズマの目には、少しの哀憐を浮かばせていた。
隣にギルフェルト達がいる位置まで来ると、もう一度口を開く。
「俺は、その指輪の持ち主が消えるまで、ちゃんと見届けたからな。手紙にどこまで書いてあるか知らないが、安心しろよ」
「そうか……ありがとう」
イナズマ以外、その表情の変化は分からない。しかし、近くで見た時の様子に比べ、その言葉を聞いた後は、未だ鬼の形相に似た表情は健在だが、少し穏やかな様にも見える。
するとそこへ、王の右後ろの扉から、勢いよく扉が開かれる。
「客人はどなた!?」
「姫!?」
突然現れたのは、肩を上下させながら胸を押さえる様子で駆け込んだ金髪の少女。
王と同じ髪色だ。
「王女様か?」
「娘だ」
「やっぱりな!」
イナズマは、推測が当たり、はしゃぐ。
そんな光景を見ながら、王はわざと指輪を隠した。
迫るシェリーは、王の横に来る。
「何しに来た。シェリー」
「さっき馬車が入るのが見えて、久しぶりにアンジェス様の土産話を楽しみにしていたのですけど……」
そう言うと、王の前に立つ4人の来客を見渡す。
「違いましたね。アンジェス様には、お兄様を探す協力も仰ごうと思っていましたのに……」
シェリーはギルフェルトらを見るとそう落胆し、肩を落とす。
しかし、王は言う。
「シェリーよ。あそこにおるのはアンジェスの娘。アンジェリーナとその仲間である冒険者だ」
「え?」
彼女は目を丸め、首を上げる。
見上げれば、目の前の若い客人は4人。
その中で、最も貴族に近い服装の少女は、あのアンジェスと同じ、オレンジがかった茶髪をしている。
「本当に、あのアンジェス様の?」
「え、ええ。私がそうですわ」
アンジェリーナは父が以前からこの場に足を運んでいることは知っていた。
しかし、家ではいつもアンジェリーナを甘やかす親バカ。
彼女が家を出る時は、涙までしていた。
そんな父がここまで信頼されていて、少し困惑する。
「道理でこの時期に。私はシェリーよ。よろしくね!」
「ええ!」
2人はすこし離れた場で、互いに視線を交わし、笑う。
そんな横で、1人の衛兵が王に耳打ちする。
すると、今度は周囲に聞こえる様、王が大声をあげた。
それは、この空間にこだます。
「メイザス!メイザスはどこだ?」
「ここにおりますわ」
王が名を呼ぶと、玉座の後ろから突如、1人の女性が現れた。
その女性は紫色を基調とした風貌で、ギルフェルトらにも見覚えがあった。
「え?あんた、今朝のーー」
イナズマは驚愕し、声を漏らす。
しかし、それが届く前に王が言う。
「面会は終わりだ。後は、お前に任せる。良いな?」
「ええ。お身体はお大事に」
「……」
王は沈黙したままでいる。
その後、玉座のある空間から、入って来た入り口まで、1人の例外なく全員が退席させられた。