15ー昼間の休息
お食事亭『グベリン』には、桃色の髪をもつ1人の少女がいた。
彼女はかつて、人に欺かれ、絶望し、紆余曲折を経て、今では厨房内で働くに至る。
今朝は、大恩人のギルフェルトが友人と共にやってきた。
今でこそギルフェルトや女性と会話ができる様になったが、まだまだ男性不信は治らない。
名前は確か、エバルだったろうか?
今朝来た恩人の友人に心の内で謝罪しつつ、来るべき日、仲良く話せる様になることを夢見て、昼時の忙しい職務を全うする。
「レミア!これ、先に出しておいて!」
「は、はい!」
彼女は先輩のモーリー。
かつては人間不振にまで陥ろうとしたレミアを救い、女性とまでなら会話を成立するに留めた最大の功労者。
出会ったのはギルフェルトに仕事を勧められ、ここに来た時だ。
人目が少ない早朝、ギルフェルトに連れられ来たグベリンは、丁度ミラが不在だった。
そんな時、モーリーは人に怯え、ボロボロの服を着た初対面のレミアの存在に気づいて手を伸ばし、温かいスープを出してくれた。冬の季節だったその頃、身も心も冷え切ったレミアの身体全身に、それは行き届いた。
今はそれに報いる時間。覚悟は少し重いが、ラッシュ時の厨房内、溢れる注文と、溢れる料理を器用に分配し、効率的に仕事を回す。
それには『すげぇ……』と、ホールを請け負う新人の少女、または若い男の料理人が呟く。
「ほら、ボサッとすんな。皆んなもこれを見習うんだよ!」
『えぇ〜〜!これを!?』
グベリンを取り仕切るオーナー、ミラは巨大な体躯で狭い厨房を通りながら、皆を激励するつもりで声をかけた。
しかし、対比された対象の、レミアの働きっぷりに皆感銘と、絶望の声を落とす。
何故なら、それはオーナーの要望だからだ。ここでは、それに従うのが絶対。
誰も刃向かうことなく、より一層仕事に励む。
お陰か、作業はさらに上手く回り、溜まり込む注文は確実に減っていた。
心に少しの余裕が生まれる、レミアは遠目で客達の様子を眺める。
店内を覗けば、冒険者らしき風貌の巨漢の男が何か瓶を投げ合って騒いだり、かたや、オシャレした女性グループが上品に口元へ料理を運びながら、楽しそうに会話している。
そんな光景が、急に羨ましくなった。
(いいな、私もギルフェルトさんや、皆んなと……)
その時、厨房を介して覗いていたレミアの視線先で、こちらを見つめるローブを羽織った客がいた。
その人は明らかにレミアを見ていないのに、反射的に視線を外す。
その時、またやってしまったと、嫌な癖に対してため息をつく。
その様子に、モーリーがポンと肩を叩く。
「そう気張らないで。仕事は楽しくしないと、ね?」
「……はい」
実際は、人目を気にしすぎて、そんな自分に落胆している。仕事には、不快感などない。
しかし、それを伝えるまでもない。
モーリーはギルフェルト同様、大恩人だ。
隣にいてくれるだけでありがたい存在にいちいち言葉を並べては、『嫌われないだろうか?』と言う危惧があるので、全てを聞き受ける。
そんな時、1人の客に目が止まる。
「あれって……」
「どうした?知り合い?」
恩人の声より、その存在に気を取られたレミアは無言で見つめ続ける。
何故なら、そこに、サングラス姿のエバルがいたからだ。
その様子は、はたから己の存在を気取られぬ様、新聞で顔を隠す様にして、彼もまた、別の一点を見つていた。
すると、店の入り口から扉の開閉を合図する鈴の、カラカラという音が鳴った。
『いらっしゃいませ!』
グベリン内では、朝では聞かないような掛け声が飛ぶ。
昼時は、それだけ従業員がいる。
レミアも、彼ら、彼女ら同様に、会話はせずとも入店の歓迎をした。
ここで、また驚いたのは、ギルフェルトが珍しく、親しげな仲間達を連れて、集団で入店してきたのだ。
彼らは入店して、席を探しているのか、うろうろし始めた。
ぃレミアはギルフェルトに気付いてもらえれば良い程度に考え、見つめ続けるが、流石にそこまで運はめぐらず、こちらをみる気配が一度もない。
そして、いつの間にかギルフェルトに気付いてもらおうと努力する己の姿に気づいた。
(何やってるんだろう私)
すると、やっとモーリーの声が届く。
「おーい!」
「は、はい!」
「大丈夫?ボーッとしてたけど」
「はい、ちょっと知り合いがいたので」
すると、モーリーは客席を覗く。彼女はホールスタッフ。空いていた席に新たに座ったギルフェルトを見つけると、にやける。
「ふふーん。成る程。ま、レミアならいつか報われるよ」
「?」
モーリーは首を傾げるレミアを置き去りにして、その手から料理の乗った皿を奪い取った。
そして、鼻歌まじりに客席へと歩く。
****
店内は一部殺伐としていた。
昼間から飲み会う冒険者達は騒ぎ合い、それに巻き込まれぬ形で一般客らが来店している。
しかし、皆同じくその荒ごとに微笑みを返し、遠目で眺める。
この町では、これらが日常茶飯事。
「私、こう言うところに来るの、憧れていました!」
「そうか。だったら、丁度よかったな」
アンジェリーナは嬉しそうに見渡す。
家柄のせいだろうか?と思うも、誰も、深く踏み入ることはしない。
ギルフェルトは、同じ光景を見つめ、慣れているはずなのに、頬が自然に緩む。
「どうした?ここに来て少し嬉しそうだな」
「あそこにいる皆の様に、今の自分いも話し合える仲間がいるって思うと、なんだか嬉しくって」
「へへ、そうか」
満更でもないとでも言いたげな笑いをイナズマが溢す。
すると、後ろでアンジェリーナが気付く。
「ルナ様が消えましたわ!」
「ええ!?」
ギルフェルトは一周する様に辺りを見た。
しかし、客は多い。人探しは一苦労だ。
「ま、あいつはしっかりしてるし、大丈夫だろ」
イナズマはたった少しの関わりしかなのに、無責任だ。誰もがそう思うだろう。
しかし、この場でそれを提示する者はいない。
同様にしっかりしていると、そう思えたなら、頷くしかないのだ。
「そうですね。僕は少し心配ですが、取り敢えず、席を取りましょう」
「おう!」
祭りごとで火がつく人々。相乗して、人は入り乱れる。
いつもより苦戦しそうな席取り合戦へと、足を進めた。
****
エバルは、1人机の上の料理を囲み、騒ぐ喧騒の中、ある人物の情報収集に当たっていた。
『幻影』。その名を刻まれた紙を懐から取り出し、見つめると、注意して見続けている1人の客に目を戻した。
現在、世界各国、至る所で関所を無視した不法入国を行い、様々な物を運ぶ運び屋がいた。
彼は予告状など粋なことは行わないが、盗みも行い、その被害もとてつもなく、存在はいつも神出鬼没。
影のように消えるその正体は、犯罪の噂が集まった、確かにいるかも分からない曖昧な存在とも言われ、男とも噂される。
そんな彼を、皆等しく“幻影”と呼ぶ。今回は、その調査だ。
最近、近くで幻影の噂が流れている。それは、目撃例が上がったからだ。
もちろん、存在自体が不確定で、ここはかなり辺境の国。
わざわざ足を運ぶのも一苦労な場所で、存在確率は決して高くない。もしかしたら、犯罪を犯した者を、風潮に乗っかってそう評したのかもしれない。
だが、それでも良い。今は、皆が躍起になって王子を探しているご時世。
そんな中、もし幻影が現れたなら、二つの間になんの関係性もないという方がおかしいだろう。
偶然手に入れた目撃情報によると、黒いローブ、中肉中背な体型、左利き。
背格好は沢山の人が該当しそうだが、それらは多めに見るとしよう。
すると、丁度今、左利きで料理を口元へ運んだ。
全ては、少しずつ確信へと動き出す。
緑の宝石を盗む現場も目撃したことから、盗みも日常と化していることが分かり、全ては順調。
後は、更なる核心情報を見つけ、強い冒険者にでも情報を売れば、大儲けだ。
よし、と拳を握りしめ、エバルはその人物の今後の動向を見守っている。
しかし、そんなエバルの様子に、誰もが思うことだろう。
変な様子であると。サングラスをつけ、新聞で顔を隠す様子。
それは、明らかに不審者だ。諜報活動には長けていても、もしもの時にと、身バレしない程度の変装を行ったのは仇となった。
「何してるの」
一瞬、背後からの声に肩が上がった。
聞き覚えのあるその声に、エバルは動揺を隠せない。
振り返ると、追跡しているものと同じく、しかし紫色のローブで姿を覆う存在が立っていた。
「ルナか、脅かすなよ。今は仕事中なんだ」
そう言うと、再び視線を戻す。
が、対象は席を立ったかと思うと、一瞬で姿を消した。
「あぁ………」
悲壮にくれるエバルは、あんぐりと口を開ける。
懐から取り出した紙には、『幻影』と言う文字の下に、金貨10枚とある。
情報は時に、高値で売れる。
大金を失ったと言う思いが、エバルの心にはあった。
「ごめん、誰かを追ってた?」
「はぁ……いや、いいんだ。今のはどうせ、気ずいてるやつのする事。遅かれ早かれまかれてたさ」
ルナに呼ばれた後も、気こそ散れど、注意はそれていなかった。
とすれば、逃した理由は、尾行の仕方が原因だろうと、そう結論付ける。
「そういや、ギルがルナと仲間になったなんて言ってたな。あいつの仲間のルナって、お前の事だろ?」
一様、間違いがないか確認する。
ルナは、頷いて肯定した。
「うん」
「おお!やっぱりか。これで、2人は仲間持ち。俺も嬉しいぜ!パーティ結成、おめでとう。ルナ!」
「ありがと」
すると、エバルは一気に皿の上の料理を胃袋の中へかき込んだ。
全ての料理を食べ終えると、エバルは両手を合わせて『ご馳走さまでした』と言い残し、席を立ち上がる。
「ギルフェルトに合わないの?」
「ああ、今日は既に何回か会ったからな。それに、今は集める情報が多いんだ」
そのまま、エバルは歩き始める。
その背に向けて、ルナが声をかける。
「だったら、一つ調べて欲しいことがある」
「ん?なんだ?聞きたいことなら、1日3個まで無料で……っと。もう、俺のお節介はいらねぇよな」
その言葉に一瞬、ルナは硬直した。
「俺は、ここらじゃ少し有名になってきたからな。思ったより高くつくぞ?」
そう言うと、右手でお金ジェスチャーをして、ニヤつく。
が、ルナはすかさず硬貨の入った袋を取り出して、頷く。
「お金なら、必要なだけ出す」
その光景に、少し寂しさを覚えた。
「そうか……で、何を俺に調べて欲しいんだ?」
「さっき、森で黒いゼリー状の、スライムに似た無機質な“なにか”に会った。そいつについて、情報が欲しい」
エバルは、考え込む。
「黒いスライムなんて、聞いたことねぇな。……分かった。いろいろ当たってみる。他に、何かあるか?」
「大丈夫」
「それじゃ、期限は無期限。何か分かり次第、ギルドの交流場の掲示板に載せるってことでいいか?」
「ありがと」
「なに、お安い御用さ」
そう言うと、ルナは袋に手を伸ばし、お金を取り出す準備をする。
「いくら?」
情報屋は、情報の調査と、質問に対して持ち得る情報を答えると言う2つの提供サービスを行う。
質問に対する答えの対価は、情報屋側が答えた場合にのみ発生し、後払い制。
対して、調査依頼は、依頼をされて初めて行動するので、先払いが常だ。
ルナがお金を渡そうとするのは必然。
しかし、エバルはさっき言った言葉を訂正する。
「あ、やっぱいいや。ルナは今日までタダ3回。期待して待っとけよー!」
そう言うと、サングラスをしたまま、スタスタと歩いて出口へ向かった。
****
ギルフェルトは席に運ばれる料理と同時に帰って来たルナを迎え入れた。
すると、ルナがエバルとの事を話し始めた。
「エバルとあったの?」
彼女は、頷いて答える。
「いたなら、声ぐらいかけれてくればいいのに……」
少し寂しそうにするギルフェルト。
その様子を見て、エバルの実態も語る。
「なんだか、忙しそうだった」
「そう、だよね。最近、仕事順調って言ってたし。それで、何か言ってた?」
「そういえば、『パーティ結成、おめでとう』って言ってくれた」
唯一贈った言葉が祝辞とは、なんと微笑ましいことだろうか。
彼がそう言う現場も、想像しやすい。
「エバルらしいや」
ルナは頷く。
「あと、調査をお願いした」
「調査?」
「黒い“なにか”について。情報は、何か分かったら交流場に貼るって」
「エバルなら、頼もしいね。そうだ、料金はどれくらいだった?心許ないけれど、少しなら分担するよ?」
言い出すと、己の寂しい革袋を魔法袋から取り出す。
しかし、その中身は、そもそも、この場での食事が足りるか怪しい。
「大丈夫。タダだったから」
その言葉を聞き、エバルのお人好しが四方八方に散りばめられていた事を知る。
今までギルフェルトが彼からしてもらっていたことは、他のものにも該当していたのだ。
それは、活動するエバルの金銭状況を心配すると言う配慮心の火種となるが、よく考えれば、それはエバルの決定を否定する気がして、今回はありがたく受け入れることにした。
「そうなんだ……」
「なんだ?誰の話だ?」
隣で、肉料理にありつくイナズマは、話の終着を見計らって声をかけた。
「僕たち2人を今まで支えてくれた情報屋についてだよ」
「おお!そりゃ、気になる話だな」
「はい!お二人が良ければ、その方について教えてください」
「そうだね。まず、その情報屋、エバルについてだけどーー」
その時、ふと見かけた厨房側。
そこは、全ての注文が集合する場であり、料理の皿が出現する場。
そこで、テキパキと働きまわる桃髪の少女を見つける。
「どうしたんだ?誰か、知り合いでもいたか?」
「はい。でも、大丈夫です」
それから、ギルフェルトはエバルについて、少し語った。
語った内容は、元冒険者として、かつてはギルフェルトとパーティを組んでいたと言う事を避けて、いまの、情報屋としての彼についてだ。
それは、過去を嫌がるものではなく、純粋に、情報屋としてエバルを見てもらいたかったからだ。
そして、その後、ルナがエバルとの思い出話を語った。
「エバル様は、良い人なんですね」
アンジェリーナがそう言った時、机の上の料理は全て食べ尽くされていた。そろそろ、去りどきだ。
最後に、ギルフェルトが語る。
「うん。冒険者にとって、エバルは最高のパートナーだよ!」