13ー本題からの提示
「これで、まずは一つ、話し終えたな」
グラハートはひと段落がついたことを告げる。
その言葉には、その場の皆、ほっとした。
「なんだ。俺らから冒険証を剥奪するわけじゃ無いんだな」
初め、騒動を起こした後だったイナズマは、ギルド長と呼ばれるグラハートの突然の出現に、さすがに焦っていた。
冒険証はそれだけ、生活を優位にさせる。困ることも多かった。
がしかし、現実は意外にも違った。
「何を言う。初めから私は、君達を咎めていないだろ?」
「言われてみればそうだけど......あの状況じゃ、な?」
イナズマが同意を求めて顔を合わせると、ギルフェルトらも同様に頷いた。
「ま、私自身が面倒事は嫌いだから、そう言う心配はしなくていい」
皆はほっと胸を撫で下ろした。
始まりかけた冒険が期せずして、突然の終わりを迎えてしまうのは、あまりに早すぎるからだ。
悪い事態に発展しなかったことに、心から喜ぶ。
そうして、話の終わりへと向かう雰囲気がある中、その時を見計らって、新たな話題を提示する。
「さて、では次に、“もう一つ”の話をしよう」
「もう、一つ?」
ルナは首を傾げた。
「ああ、そうさ。今までの話も真面目なものではあったが、本当に話したかったのは、すまないがこっちだ」
グラハートは、再度机へ体重を乗せる様に前のめりになると、書類が散らかった机の上にある一枚の紙を取り上げて、全員へ見せる様にした。
「君達は、これについてどれくらいの理解をしている?」
唐突な質問に、一同は咄嗟に頭を悩ませた。
しかし、偶然その紙を目撃していたギルフェルトは、口に出す。
「あ、それは、さっき町で見たーー」
「なんだ、ギルフェルトはもう知っていたのか」
「私も、ここへ来る時に見かけましたわ」
アンジェリーナも知っていると言えば、後にルナとイナズマのみが残った。
無知組の内、イナズマが質問する。
「それ、何が書かれてるんだ?」
「これは、この国の存亡に関わるかもしれない、重大事件を記したものだ。発布されたのはつい先程だが、その内容を簡潔に言うと……」
その先が続かない。
それ程に、容易く発言するには憚られる内容。
それを知り得ないイナズマは聞き返す。
「簡潔に言うと?」
「ーー第一王子、アイオニス様が、昨日の夜に失踪した」
「え……」
その情報を知っているグラハートでさえ、口に出すことを躊躇われる事実を前に、その場では沈黙しか生まれない。
グラハートは話を進める為、いつもより重たい口を開く。
「まぁ、最初はみんな、そんな反応だろうな。だが、その感情は一旦後回しだ。何故なら、君たちがさっき提出したこの金の指輪。これこそ、王家に伝わる大事なもの」
「え?」
突然の告白に、騒然とした。
まさか、自分たちがそれに関わる物を拾っていたなんて、思いもよらなかったからだ。
今一度、机に出された黄金の指輪を見つめる。
そこにあるのは、まさに、金色の輝きを生むリング。
王家に伝わっていると聞いても、違和感を強く抱くには至らなかった。
「これを持っているということは、王家の者である事を意味する。そのため、これは王子の生死に関わるかもしれない、大きな手がかりとなる」
貴重な情報だった。既に目撃が途絶えて半日。
出てくる情報には、金貨欲しさの個人の欲望と、周囲を混乱させることに喜びを元に提出される嘘が多く、なかなかに真実へと近づけなかった。
しかし、これでやっと、大きく前進した。出どころさえ分かれば、失踪現場へ限りなく近づける。
「これはどう言う経緯で”手に入れた“?」
「それは、森で”拾った“んだ。今は亡き、誰かの唯一の遺品としてな」
イナズマはその現場を思い返しながら言う。
「そうか。だが、少し言い方が妙だな。察するに、その遺体は既に魔物に喰われた後で、一部しか存在しなかったのか?」
「ああ。だが、その原因が、魔物かどうかは分からない」
「分からないとは、どんな風にだ?」
分からないと言われてもと、少し困惑する。
“あれ”は、そういう類の生き物ではなかったと思えた。
だが、伝えなければ、今後、他にも危険が及ぶだろう。
懸命に考えた結果、己の解釈で語る。
「……そうだな、こう、ドロッとした、ドス黒い塊みたいな、スライムに近いやつ?」
それには、グラハートも首を傾げざるを得ない。
スライムにも、様々いる。溶岩のような火の塊から、毒液成分を宿す危険なものまで。
その類に該当する形態であることは察するが、黒いスライムなど、存在しない。
その様子を察して、ルナが捕捉する。
「そいつは、黒いゼリー状の、まるで意思がある様な無機質な“なにか”」
「ほう、意思は魔物にも存在するが、それを連想させない無機物な”なにか“か。具体的には、どんな違和感がその”何か“にはあった?」
次に、ギルフェルトがポツリと語る。
「黒い“なにか“は、その指輪のついた手を、ジワジワと取り込む様に蠢きながら……」
ギルフェルトの表情が曇る。
思い出す光景は惨劇。無慈悲に人を溶かした“あれ”は、見ていても、思い出しても気分が良いものではなかった。
「ありがとう、十分だ」
辺りを見れば、アンジェリーナを除く3人が暗い面持ちだった。
グラハートは思ったより深刻な話を聞いて、反省する。
「すまなかったな、無理に話させて」
「いや、別にいい。持ち主の関係者に届けられれば、それこそ、拾った甲斐があるからな」
グラハートは状況の整理のため、一度天井を見上げた。
(謎の、黒い“なにか”の発見情報に加え、王子の死体らしき“手”の目撃例外か。さて、どうやってあの王に現状を伝えるかな……)
伝えると言うのは、いつも億劫だ。
まず、伝える相手が己より立場が上であればあるほど、足を運ぶ必要性が現れる。
そして、今回は訃報とも捉えられる情報だ。
まだそれは、確定したわけではないが、似合わぬ気遣いも国王の前では使う必要がある。
そこで、目の前にいる4人を視界に入れた時、グラハートはある案を思いついて、口角を上げてにやついた。
すると、そのまま身体を起こし、背筋を伸ばして対峙する。
「お前らに、いい提案がある。これから、王城へ行かないか?」
「はぁ?いきなりなんで?」
「そもそも、僕らみたいな一般人があそこに向かって良いんですか?」
「まぁ、普通はダメだろうが、今回はアンジェリーナがいる。君達がもし仮に、彼女と行動を共にするというのなら、王城には向かうだろうからな」
半分は、期待がこもっている。
未だ、アンジェリーナとギルフェルトらの関係を詳しく聞いていない為、共に動くか分からない。
が、ここに共にいるということは、そういうことだろうと踏んだ。
実際、それは当たっていた。
アンジェリーナの近くにいたギルフェルトは、首を横にして聞く。
「そうなんですか?」
「ええ、仲介者としての仕事は、元より王城内で行わなければなりません」
話にいい流れが出来そうな兆しが現れ、グラハートは内心歓喜する。そのまま、最後の後押しを行う。
「まぁ、今はこんな事態。城の入り口付近には、王子の一件で、ゾロゾロと野次馬どもがが大勢集まるだろう。だからせめて、こちらで馬車ぐらいは貸し出す。まぁ、私は同行しないから、君達に強制はできない。行く行かないは今ここで、好きに決めてくれ」
これは、大事な案件だ。
予定の活動に支障がきたすかもしれないという危惧を抱かなければならない。
が、イナズマは即答だ。
「俺達は、アンジェと共にいるとさっき決めたばかりなんだ。そんなの、聞くまでもないさ」
「では?」
「その提案、乗った」
その時、アンジェリーナを除く皆が頷き、肯定した。
「ありがとう。では、手を回しておくから、都合がついたら受付を介して馬車を借りてくれ。その時に、この指輪と私が書いた王宛の手紙を、同時に受け取るといい」
グラハートは金の指輪と、散らかった机の上から取り出した一枚の紙を机の上に組み合わせると、4人へ見せるようにして置いた。
「他に言うことと言えば、国王を特別、恐れる必要はない。この国の国王は、何故か大勢に恐れられるが、あれは顔だけで、中身は普通の、生真面目な人さ」
「そうなのか?俺はこの国が初めてで、詳しい事情は知らなくて……」
「そうか。ならば、王に気に入られるかもしれないな」
イナズマは首を傾げていた。
しかし、それは実際に会えばわかる事だ。
「では、並行して、探索隊をこれから森に向かわせる。ナグラムの森の地図を広げるから、指輪を拾った大体の位置を教えてくれ」
グラハートは一度、机の上にある書類全てを傍に寄せ、予め広げてあった広大な地図を露わにする。
言葉に応じたイナズマは、反対側から腕を伸ばし、地図を指差す。
「ここら辺だ」
その場所を見つめ、心で呟く。
(思ったより浅いな)
「……そうか、助かった」
呆気ない反応に、イナズマはキョトンとした。
「もういいのか?」
「ああ、あとは調査のプロたちに任せるから大丈夫だ」
イナズマはまた、後ろに戻る。そして、訪れた静寂。
この場では、今度こそと、全てを言い終えたと言う空気を醸し出し、一旦、この場は解散に思われた。
そのとき、グラハートは常に気になる物があった事を思い出す。
「後は、そうだな……」
そう言うと、ジッとアンジェリーナを、正しくは彼女が抱き抱える紙の袋を凝視する。
「その袋、さっきからずっと抱き抱えているが、もしかしてそれは、アグンのパン屋のか?」
「ええ、そうですけど?」
真実を知って、グラハートは顔を明るくした。
「おお!最近は忙しくて、昼食をとる時間が少ないどころか、アグンのパン屋まで行けない始末だったが、ここで出会えたか!」
「そうなのか。でも、そんなに忙しいなら、他の人に頼めば?」
イナズマはもっともな事を言った。
しかし、それは彼女に適応されない。
「あそこは、自分で並び、選ぶからいいんだ!まぁ、本音を言うと、職員も皆忙しく、頼むのもめんどくさくなってきたんだが……実物は今、目の前に!」
そう言うと、目を輝かせてアンジェリーナを見つめる。
「……あの、もし良ければ、いりまーー」
「いる!」
疲れたグラハートの心は一気に高揚し、まるで熱が灯ったランプの様に目を輝かせる。
そんな姿を見せられては、渡し渋ることも叶わない。
「……では、袋ごとどうぞ」
「おお!でも、いいのか?」
「ええ。渡すべき人は、既にいないので……」
「そうか。では、遠慮なく頂こう!」
アンジェリーナは前へ歩み寄ると、机の上から袋を渡す。
その際、渡された中身は未だ暖かく、それを受け取ったグラハートは、更なる笑顔を浮かべていた。
そして、彼女は受け取った中身を確認する。
その瞬間、今までは抑えようとしていたパンへの食欲は、視界に実物が現れる事で制御を失い、すると、その場で衝動的に一個目を手に取り、食べ始めた。
それをただ見つめていた一行に対し、グラハートはやっと気付く。
「なんだ、まだ居たのか。話はこれで以上!解散!」
そう言うと、グラハートは再び食事を開始した。
事の終わりの呆気なさには、皆が呆然としていた。
しかし、それ以上はグラハートが周囲の存在に気を留めることもなく、しばらくしてやっと、皆が退出へと動き出した。
出ていく順は、ルナ、イナズマ、アンジェリーナと続き、最後にギルフェルトが外へ足を伸ばした。
そして、開いた扉を閉じようと指をかけたとき、室内から声が飛ぶ。
「そうそう、お前には言い忘れていたことがまだあった」
「僕に、ですか?」
「そうだ」
すると、パンを丁度食べ終えたグラハートは少しの間を置き、つぶやく様に告げる。
「いい仲間と出会ったんだな。頑張って、やってけよ」
直後、ギルフェルトは何も言葉には出来ず、扉には指をかけたまま、直立する。
今までグラハートにしてもらった恩は計り知れない。
思い馳せる過去の記憶はいいものではないが、為にはなった。
だから――
「はい……本当に、今までありがとうございました!」
今まで、冒険者として最底辺の扱いを受けてきたギルフェルトに一度、この道を諦めさせ、ギルドの職員にならないか提案をしてくれたのは、彼女だ。
そんな慈悲を棒に振ってまで覚悟を決めたギルフェルト。
グラハートはその覚悟を見定め、元盗賊として、唯一教えることにできた”生き抜く術“を、ギルフェルトに与えた。
彼女は、風を得意に扱う術師で、ギルフェルトの風壁は、その受けおりとして習った、最初の護身術といってもいい。
これまで生きながらえたのは、彼女のおかげが大半。森では、多くのことが生きた。
教え方は、一度身体に痛みを教え、次に実践。後には、一度もお手本を見せないと言う対応は続いたが、それが今になってありがたさを感じる。
ギルフェルトにはそれだけ、グラハートには頭が上がらない恩義があった。
そんな、師匠とも取れる人からの声援。
実際に受けてみると、報われたと言う感情が溢れ出し、今にもこの気持ちを伝えたくなった。
が、実績はまだ少なすぎる。先を急ぐ必要はない。
これから、少しずつの積み重ねで、グラハートを喜ばせればいい。
そう思うと、去り際には多くを語らず、最後はただ笑顔で対峙し、扉を閉める。
ガタン!と言う扉の開閉音が、その部屋には響いた。
グラハートは1人、椅子にもたれかかると、人生初の教え子へ、溢れる思いを感じる。
「と言っても、鍛えてやった期間は半年ほどだがな。それに、初めは適当にあしらえばすぐ逃げるとも思って冷たく当たったが。それでも、あいつは魔法を習得した。それだけ、あいつには才能があったんだろうな……」
初めて魔法を習得するのに有する時間は最低1年。
優秀な術師でも、並ならぬ努力で半年行くか行かないか。
天性の感覚で魔法を扱うもの以外は、基本、その様な共通認識がある。
ギルフェルトは偶然、才能の開花で今に至る。
それが全て器用なとこばかりに手が届き、肝心な戦闘力に生かされていないと言う事実が気がかりだが、それもまた、成長への可能性に思えた。
「そう思えば、あいつのこれからが楽しみだな」
今までは、ギルフェルトのこれからを心配してきた。
初めはギルド長として、ただ存在が鬱陶しいだけの少年を、雑用としてスカウトに向かったのがきっかけ。
それが、今では、これからが楽しみになる程の未来を有しているとなって、初めて、『誰かの為になった』と思えた。
未だ中身のある紙袋の中を覗くと、そこには2、3個のパンがある。
その光景に、咄嗟に手が伸びるが、中身を取ろうとする手を一旦制止し、机の上に散らかる書類を見渡す。
「これは、少しお預けだな」
グラハートは片手に羽ペンを、そして、もう片方には書類を手に取ると、溜まった仕事に勤しむ。
まずは、ギルフェルト達に渡す資料作り。
1人残った室内には、紙に文字を書く音が響き渡る。