エピローグ
二〇一八年。
現在のピケンズ郡庁舎。
ゲイルは、絶叫しながら屋根裏部屋から走って去っていった。
屋根裏部屋には、『黒い人』がいた。
頭頂部を這うように手を動かすと、黒い布が落ちた。
老人となったビル・バークホルダーの顔。ぼさぼさの髭と髪が胸に垂れるほど伸びている。
ふらふらと不安定に進むと、壁に背をつけて床に座った。
「ふー」
深呼吸を繰り返す。
呼吸が安定してくると、窓をじっと眺める。
まるでガラスに語りかけるように、呟きはじめる。
「最近、人がよく来るねえ。せっかく全部ぶっ壊してやったのに。迷惑な奴らだよ」
キャロルトンが滅んだのは、ビルの手引きによるものだった。
町で行われた黒人への扱いを北側の軍に報告して、将軍に来訪させたのだ。
「抵抗なんてせず素直にみんな捕まればよかったのに。自分たちがやったことは〝正義〟だって言い張って、みんなで軍に挑もうとするんだもの」
あの暴動で、キャロルトンの住民の一体感は最高に高まっていた。
誰かが反抗しようと言うと、全員が文句なくそれに乗った。女子供関係なく抵抗勢力となり、北の軍もほとんどの相手を殺すしかなかった。
生き残ったのはふたり。
ビルと事前に町を脱出させておいたダン・ダーニップシード。
「責任を取らされたことで保安官を辞めたけど、郷土史研究家になって本を出してたねえ。最近、人が来るようになったのは、その本のせいかも」
ビルはそこで話題を変えた。
「そういえば今日もまた悪ガキが来たねえ。三人もいたせいで、ひとり脅かしている最中にもうひとりがここに来てしまった」
ビルはピケンズ郡庁舎に誰かが尋ねると、『黒い人』を演じて追い払っていた。
もう何もないこの場所を、なぜ守ろうとするのか?
次の言葉は、その答えにもなっていた。
「ヘンリー。もうおまえを傷つけさせてたまるものか」
現在も窓ガラスの外に映っている〝顔〟。それは郡庁舎が燃えたあの日にビルが傷つけたものとは表情が違っていた。
「これはヘンリーの〝顔〟だ。間近で見ていたぼくには分かる」
雷が落ちる直前、異変を察知したヘンリーはビルを窓から強引に離した。
瞬時に、位置が入れ替わる。
雷の奔流は窓を帯電さえ、触れていたヘンリーを容赦なく焼き尽くした。
ヘンリーの死体を引き剥がすと、ピケンズ郡庁舎が焼失してしまったことで消えていたあの〝顔〟が窓ガラスに残っていた。
「思えば、あの稲妻も呪いだったのかもねえ」
当時、ヘンリーが見かけた『黒い人』。
自分を転ばせた何らかの障害物。
もしかしたらそれらは〝顔〟を傷つけたことによる呪いだったのかもしれない。
確かめる術はない。ビルはそこで考えるのをやめた。
ビルはまた〝顔〟に話しかけようとした。
「ごほっ……ごほっ……」
咳が止まらない。
胸が苦しかった。
口を抑えようとすると、手が動かない。
「そろそろか……ごめん。頑張ったきたけどもう無理だよ」
わたしの分も生きてほしい。
死ぬ直前にヘンリーが言ったことを守るため、ここまで生き続けたビル。でも、もう限界を迎えようとしていた。
着々と死んでいく肉体。
固まってしまった舌をわずかに動かしながら、ビルは〝顔〟へ言う。
「そっちに行ったら……ボクシングを……教えてくれないか……」
それがビルの最期の言葉となった。
静寂になるピケンズ郡庁舎。
唯一の住人がいなくなって、今度こそ眠りにつくのかと思えた。
「ぎゃぁああああ!」
一階であがる絶叫。
似たような声がふたつ裏の壁からしたが、遠ざかっていった。
ビルの死体は先程から何ひとつ動いていない。
瞼を閉じたまま窓付近に倒れていた。
やがて、その脇に影が落ちた。
影の上に立つ人もまた影のようだった。人間というよりも、黒い靄が人型になったようだ。
人物は死体を見下ろした。
手だろうか?
靄から細く長いものが伸びていき、ビルに触れる。靄は根を張る植物のように体の上を広がっていく。
靄はどんどん消えていくと、肌に染みが出来て、最後にはそれも無くなる。
ビルの死体が息をし始めた。心臓が鼓動を再開する。
気付けば、隣の影はまるで元から存在しなかったように消えていた。
読んでくださり、ありがとうございました。
「離郷の二人」完結です。
楽しんでくれたなら幸いです。
よろしかったら感想をください。次回作の参考にしたいと思います。




