3
曇り空のキャロルトンに馬車が入る。
御者は生き残ったあの刺客にひとりだ。
荷台にはビルたち。
ロープで手首だけを捕縛されている。
「大丈夫か? もう着いた。だから寝てもいいんだ」
「ええ。でもまだ少しありますから」
小屋を出てから、一度も眠りについていないヘンリー。
彼は起きたまま刺客の男を四六時中見ていた。
男がいつ約束を反故するかを警戒していたのだ。
当然、男も平常心ではいられなく、恐る恐る様子を伺う場面が何度もあった。
今もそうしていたが、声をかけられたらしく、苦笑いになって横へ手を振る。
ビルたちには聞こえないが、ふたりを捕まえたことで英雄扱いされているのだろう。
男が空いている手を左右に振っている間も、馬は歩く。
馬車が止まった。
前方を覗くと、見覚えある建造物があった。
「ピケンズ郡庁舎だ」
二年前とまるっきり同じ煉瓦製の建物がそびえ立っていた。
外で待っていた保安官に身柄を渡されるビルとヘンリー。見物は拒まれたのか、他には誰もいなかった。
保安官は屋根裏部屋への階段までふたりを連れていく。
段差を登ると、上から声がした。
「おい黒人と同じ場所になんか入れるのはやめてくれ」
「触ったら病気になっちまう」
囚人たちがヘンリーとの同室を拒否していた。
ふざけるなよ。
怒りそうになったビルが、その前に保安官によって力づくで屋根裏部屋まで引っ張られた。
喚く囚人たち。
無視して、保安官は下へ帰っていく。
「やめてくれ!」
「こんなやつらと同じ空気なんて吸いたくもねえよ!」
「罪人なんぞに肌が黒いも白いもあるか。等しく罰を受けろ」
「うわぁ! 出してくれ!」
いっそう騒ぐ囚人たちを無視して、保安官は入口を檻で閉めた。
一連の流れを見ていたビル。
檻に近づく。
「あんた名前は?」
「……ダン・ターニップシードだ。趣味で郷土史の研究をしている」
「覚えておく」
ビルは、さらにダンへ声をかける。
「ぼくと一緒に来たこの男は、怪我を受けてから手当てもしないまま何日もいる。治療したいんだ。道具が欲しい」
「ヘンリー・ウェルズ。おまえはどうしたい?」
「わたしですか?」
「そうだ。今そこで死ぬか、未来で銃で蜂の巣にされるか。どっちがいい?」
「……治療をお願いします」
「分かった」
ダンは救急キットを屋根裏部屋に入れてくれた。
浅い傷から、治療が始まった。
消毒した後、ビルは包帯を巻いていく。
「ヘンリー。絶対に死なせはしないからな」
「いえ。ここで助かってもわたしは死ぬだけですよ」
「ダンもそう言っていたな……けどおまえは何もしていないんだ。ここに連れてきたのぼくだし、ここを燃やしたのもぼくだ。おまえには何の罪もない」
「生まれてきたことが罪なんです」
包帯を引っ張る力が緩んだ。
「おそらく、いえ確実に、今回の事件は全てわたしの罪になります。そして関係もない罪状をいくつも重ねられ、死刑ですよ」
「どういうことだよ!? なあいったいどういうことなんだ!?」
問い詰めるビル。だがいっこうに答えは返ってこなかった。
それでも治療を続けていると、出入り口に変化が起こった。
開く檻。
そこからふたりが屋根裏部屋に入ってきた。
片方は拳銃に手を添えているダン。もう片方は――アダムだった。
「父さん」
気付いたビルは、青ざめた表情を向ける。
アダムはまさに怒髪天を衝くという状態だった。
叱られる。
怒声から逃げようとして、ビルはうずくまった。
アダムは怒鳴った。
「ブラック! 貴様ついにしでかしたな!」
「はい」
ビルが覚悟していた言葉は、自分ではないものにかけられた。
「息子をたぶらかしおって! 貴様が全てやったのだろう!?」
「はい」
「やはりな! 愛する息子に猿なんて近づけたのが間違いだった! 下等な血が流れている貴様らには、私たちが憎いのだろ!」
「……お世話になったご主人様には、大変なご迷惑をおかけしました」
「黙れ! さっさと死んでしまえ! この獣以下のごみ屑が!」
アダムはヘンリーの頬に唾を吐きかけてから、顔を背けた。
その先には、ビルがいた。
手首を掴んで、立ち上がらせる。
「行くぞビル! こんな心身ともに醜い奴がいるところにこれ以上いられるか!」
出口へ連れていかれるビル。
彼の視線の先には、ヘンリーがいた。
離れていく。
どんどん小さくなっていく黒人の姿。
出口の手前で、ビルは前へ体を翻した。
腕に力を入れて、父親の手を振り解いた。
「何をやっているビル……?」
呆然とするアダム。
ビルは父に正面を向けて、言った。
「ここに残ります。あの男の手当てをします」
「何を言っている?」
アダムから遠ざかるビル。
父は息子を制止させようとする。
「何のつもりだ!?」
「ぼくの責任だ! ぼくが片をつけなきゃどうするんですか!?」
「おまえは何も悪くない。すべてあの黒人が悪いんだ」
「違う。ぼくが全部やった。ぼくがここを燃やした」
「なんでそんな嘘を……そうか。そいつに弱みを握られているのか! ブラック。貴様!」
殴りつけるため、ヘンリー駆け寄ろうとするアダム。
足を伸ばす前に、胸を突き飛ばされた。
バランスを崩して、仰向けになる。
上からビルが見下ろす形となった。
ビルは悲しげな表情のまま、首を左右へ振った。
「ブラックじゃない――ヘンリーだ。ちゃんと名前がある。彼はそんな卑怯なことはしない」
放心したような顔つきになるアダムだったが、すぐに心が怒りに満たされる。
ヘンリーへ向ける顔と、同じ顔をしていた。
「どうやらブラックに何かされたようだな。おまえは当分ここで頭を冷やしてろ!」
「そろそろお帰りですかい?」
「ああ。気分が悪くなったから、マシューの顔が早く見たい。あいつはそこの出来損ないと違って本当に頭が良くていい子だからな」
ダンを連れて、アダムは屋根裏部屋を出ていった。
ビルはヘンリーの看護に戻った。
「事件を自分のせいにされるっていうのは、最初から分かっていたのか?」
「ええ。坊ちゃんは、ここ一帯を仕切る御曹司の長男。かたやわたしはアフリカ系の元奴隷。わたしが罪を被るのは当たり前のことです」
説明するヘンリー。
ビルは矢継ぎ早に質問する。
「なのに、ぼくを助けたのか?」
「はい」
「だからあの時から、ぼくを遠ざけるためにそんな口調になっているのか?」
「はい」
「何で?」
「――貴方を死なせたくなかったからです」
ヘンリーは笑顔で答えた。
とても安らかな笑みだった。
「あのまま逃げても、また追っ手は来ます。人数を増やしてくるかもしれません、武器をより強力なものに替えてくるかもしれません。そうなりますと、わたしでは守りきれません」
「だからっておまえが死ぬ必要なんて」
「あの事件が起こった時点で、どちらも死ぬか、わたしだけが死ぬかの道しかありません」
ビルは床を見下ろした。
浮いている包帯に、涙が滲んだ。
ビルの目元から滝のように流れだしたものが、離れて落ちていく。
あの時、ここで滑らなければ。そもそもここに来なければ。いや、ぼくは何に滑ったんだ。ここに滑るようなものはなかった。むしろ障害物に躓いた感じだった。
戻れない過去を、振り返ることしか出来なかった。
ザーザー。
「雨……」
外の天気がいつのまにか変わっていた。
水が地面を叩く音が聞こえてくる。
音は徐々に大きくなっていく。
台風が迫っていることを知らせる黒い霧が空を覆い、激しい雨が断続的に落ちてきた。
光る稲妻。
窓ガラスに、白人の群衆が照らし出された。
「ウェルズを吊せ!」
「群庁舎を燃やした犯人は今すぐ殺せ!」
「薄汚い黒人を浄化しろ!」
群衆全員に、ビルは見覚えがあった。
二年経っても忘れてなんてない。
キャロルトンの住人たち全てが、ヘンリーを糾弾していた。
「父さんだけじゃなく……みんなまで……」
住人は、侮蔑の言葉が書かれた板や武器になりそうな道具を掲げて、黒人を処刑しろと叫んでいた。
大人数での罵声は重なることで増幅され、嵐のように轟いていた。
ビルは頭を抱える。
「何でだよ……確かにみんなも差別意識はあったけれど、こんなにも過激じゃなかったろ……」
「仕方がないことなんです」
この事態を見越していたかの如く、物知り顔でヘンリーは語る。
「遠い土地で生まれた自分がなぜ海を渡ってまで別の大陸まで来たのか……それはわたしが奴隷だからです。主に買われることでしか、わたしたちは生きていけない。買った主たちも奴隷の食い扶持を稼ぐために、わたしたちを上手く使わなければならない……そのために、彼らは厳しい鞭を打つ行為を〝正義〟としなければならなかった。情け容赦をしては、共倒れになってしまう……その教えは、ご主人様だけでなく、彼らにも染み付いてしまっているのです。奴隷制度が廃止されても、わずか数年では、到底ぬぐい切れないくらいに」
といっても自分で考えたわけでもなく、奴隷の先輩たちに教わったことですけどね。
最期にそう付け足して、ヘンリーの語りは終わった。
建物の外では、住民たちが暴動まで起こしていた。壁にクワやピッケルを叩きつけ、屋根裏部屋へ石を投げつける。不幸中の幸いなのか、雨や暗闇のおかげで窓ガラスには当たらなかった。
「なあヘンリー」
ヘンリーの顔を窓から振り向かせる。
じっと黙っていたビルが口を開いた。
「おまえは、それでいいのか?」
雷が鳴った。
雨がよりいっそう強くなった。
土が泥になって、人が通り過ぎるたびに踏まれた跡が残っていく。跡が重なって、グチャグチャになっていく。
ヘンリーは沈黙していた。
何かをこらえるように、唇を閉じていた。
「分かった」
ビルは窓ガラスを上へ押し開けた。
身を乗り出して、大声で話す。
「やめてくれ! こいつは何もやってない。ぼくが犯人だ!」
言葉が届いていないのか、それを聞いていも住民たちは止まらない。ひたすらヘンリーへの罵倒を口にして、暴力を叩きつけた。
それを分かっていたように、ビルは途切れることなく言葉を紡ぐ。
「黒いことが罪なのか。つくりの違う顔が醜いのか。産まれた土地が違えば別種族なのか――違うだろ! 同じ人間だろ!」
殴られたらヘンリーは痛がった。
置いていかれたら悲しそうだった。
嬉しいことがあったら、笑っていた。
ヘンリーとの思い出が、ビルの頭を巡る。
「差別が〝正義〟ならば、何で戦争が起こった。何で禁止にされた」
むしゃくしゃした時は、八つ当たりしていた。
ボクシングで勝ったのはヘンリーなのに、手柄を横取りした。
名前なんて呼ばなかった。言いたくなってもずっと呼べなかった。
「もしあんたたちのやってることが本当に〝正義〟なら、彼らも従っていたはずだ。友好的な関係を築けていた。だけど違った……ぼくたちは、やり過ぎたんだ。彼らが換金に持ってきた小切手に、充分な支払いが出来ていなかった。彼らの働きに対して。正当な対価を与えられていなかった。不渡り小切手をぼくたちは渡してしまっていたんだ」
自分がピンチだった時、ヘンリーは窮地を退けてくれた。
絶望していたぼくに、救いの手を差し伸べてくれた。
農園では、ふたりで助けあった。
ビルは胸が張り裂けそうな痛みを感じながら、言った。
「ヘンリー・ウェルズを、ぼくは見捨てない。どんなことがあっても彼を――友達を守る」
ヘンリーの無罪を主張した演説。
しかし、住民たちは構うことなく暴動を続ける。
ビルは彼らを制止させるため、演説を続けようとした。
突如、吹き荒れる暴風。
窓が勢いよく閉まる。
そして次に起こったのは、これまでにない耳を聾すほどの大音響。
雷がピケンズ郡庁舎のすぐそばに落ちた。
悲鳴をあげて、落ちた場所へ目を向ける。
そこは、建物からわずか数センチ先の場所だった。
雨の音以外鳴らない静かな世界になっていた。
「あ、あ、あ」
屋根裏部屋の窓から、か細い声が響いてきた。
意識が伴っていない声。
声を出している人間は、屋根裏部屋の中から窓を見ていた。
「ヘンリー……!」
頭部が炭になっているヘンリー・ウェルズがそこにいた。




