プロローグ
「お~怖い」
二〇一八年。
アラバマ州キャロルトン町。深夜、そこに若者たちが集まっていた。
若者のひとり――ゲイルは怯えて身体を震わせていた。
「嘘つけ」
「にやけながら言ってんじゃねえよ。わざとらしい」
「おいおい俺は本気だぜ? なんせ今日はあの伝説の元へ向かおうとしてるんだから」
真ん中にいるゲイルの表情は、先程からずっと半笑いだった。
全員、煙草に火をつける。
「『窓ガラスに焼きつけられた顔』ねえ……」
「ここ。かつて滅びた町キャロルトンに残る伝承。この町の中心にあるピケンズ郡庁舎の屋根裏部屋の窓に辿り着くと、そこに人間の顔と酷似した染みがあって、深夜、それに白い傷をつけたものは願いを叶えられるとか」
「願いが叶うとか。お星さまかよ。馬鹿々々しい」
嘲りの声が上がる。
「学校で流行っている度胸試しだ」
「他のやつらはやった。俺らもやらなきゃ舐められてスクールカーストが転がり落ちる。ナードどもからお小遣いもらったり、〝正義〟の下でのニグロいじりも出来なくなっちゃうからな」
煙が、若者たちの白い肌をくすぐる。
「笑っちゃうよね。ニグロには何しても校内じゃ誰も咎めない。先生だって無視してる」
「この前の焼き印は傑作だった。体中、火傷まみれにしても黒いから分かりにくい……ふふ」
「あっははは」
最も大きな笑いになった。
煙草を地面に捨てて、ゲイルたちは町の門を潜る。
明かりがない道を、スマートフォンの光源を利用して進んでいく。
ガラスも扉もなく穴だらけの家。大きな炭。砕かれたコンクリート。かつては町だったものの残骸がそこらへんに散らばっている。
「この町はなんで滅びたんだっけ?」
「南北戦争後。黒人奴隷制度を廃止したにも関わらず、黒人を奴隷に使っていたことがばれて、北側の将軍の怒りを買った」
「馬鹿だな……表立ってやるからだよ」
度を越したいじりっていうのは、こうやるもんだ。
ゲイルは影が重なって濃い暗闇になっている足元の炭をグリグリと踏みつけた。
やがて若者たちは、ピケンズ郡庁舎に辿りついた。
二階建ての煉瓦造り。
正面扉に手をかける。
「開かない」
「押しても引いても駄目だな。こんな廃墟に誰も住んではいないだろうし壊れているのか」
「後ろに回れよ。壁が壊れてて内部に繋がっていた。あっちから入ろう」
若者たちは正面からは諦めて、裏へ行く。
まるで大砲でも当たったかのように、三人が横並びで通ってもまだ余裕のある大きな穴があった。
中に入り、廊下に立つ。左へ顔を向けると階段、右へ向けると曲がり角があった。
「左か」
「いや。ここで分かれて両方へ行こう。階段の先が屋根裏部屋へ繋がってない可能性もある」
スマホをかざして、ゲイルともうひとりは階段へ、余った若者は部屋へ向かった。
階段は段差を超えるたびにギイギイと鳴る。
力を入れ過ぎないように慎重に進み、ゲイルたちは二階へ来た。
廊下の横に部屋が並んでいる。奥を照らしても階段はどこにもなかったため、部屋を一つ一つ探ることにした。
最北端の部屋を開いた。
埃かぶった本しかなく、蜘蛛の巣がどこかしこにも張られている。蜘蛛はじっと光源を見つめる。
隅々まで調べたが、屋根裏部屋への階段らしきものはなかった。
他の部屋へも行く。扉を開けるたびに、ゲイルの背中を掴む仲間の手が汗ばんでいくのが分かった。
「おい。離れろ」
「お、お願いだからこのままいさせてくれ。おれ怖いのは駄目なんだよ。虫も駄目だし、暗いのも駄目」
「びびりが」
ゲイルは腕を掴んでいた若者を強引に引っぺがした。
「ひぃ!」
「うるせえよ。こんくらいで喚くんじゃねえ!」
「ち、違う! さっきそこに『黒い人』が」
「人?」
怯えた若者が指さす先へ目線を向けたが、そこには誰もいなかった。
溜息を吐くゲイル。
「あと二部屋だ。俺は最後の部屋を調べるから、おまえはここを調べろ」
「や、やめてくれよ! おれ怖いのは駄目だって言っただろ。もし伝承通り幽霊とかいたら」
「へえ。ここ幽霊なんていたんだ」
「そ、そうだよ。教えてやるよ。『窓ガラスに焼きつけられた顔』の持ち主である『黒い人』。願いを叶えるなんていうのはどこかでねじ曲がった噂で、本当の伝承ではそいつが幽霊となってピケンズ郡庁舎を徘徊していて、もし〝顔〟を傷つけると呪い殺されてしまうんだ」
本物と呼ばれる伝承を聞くと、ゲイルは若者から離れた。
「おい待ってくれ!」
「いいから行け弱虫野郎。俺のグループに根性なしはいらねえんだよ! 幽霊なんて信じやがって! もし俺が調べ終わるまでに階段を見つけてなかったら、明日からフォリナーどもと一緒の扱いだ! 人権なんて失われると思え!」
若者は顔色を真っ青にすると、『黒い人』がいた部屋に飛ぶように入った。
見届けると、ゲイルも最後の部屋に足を踏み入れる。
光をかざすと、階段はあった。
金属製のデスクがと飾りのないチェアーが一つずつ。家具というよりは、業務用の備品だ。階段はドアとちょうど反対側にある。
「手錠?」
デスクの上に、錆びた手錠が置かれていた。
もう使い物にならないぐらい錆びついていて、手錠と分かった自分を褒めたくなった。
ゲイルは階段を昇り、ついに屋根裏部屋に到着した。
窓はひとつだけだったので、そこに近づく。
「……顔なんてないぞ」
窓ガラスに染みは見当たらなかった。
しょせん都市伝説か。
「……いや。もしかして」
鼻で笑ったはずが、直後にある閃きがよぎったゲイルは行動する。
窓ガラスを上へ開いて、身を乗り出す。
上半身を建物側へよじった。
「これか……!」
〝顔〟を発見した。
それは染みというより、焦げた跡のようだった。
この〝顔〟は外側だけしか映らないのだ。
入口にいた時に気付かなかったのは、今が暗くて下からでは光が届かなかったからだ。
「傷がない。やったって言ったやつら全員、嘘ついてやがったな。写真は撮ったから、後で公開してやる」
自分のスクールカーストがさらに盤石になることを喜ぶゲイル。
シャッター音が鳴った。
〝顔〟は口髭が生え、頭は剃っている。表情は笑っていて、薄気味悪さを感じる。
今度は自分が傷をつけた一枚を取ろうとする。
ゲイルは、ナイフを持つ手を伸ばした。
ギュッ
「!」
ゲイルの手首を何者かが握った。
恐ろしいほどの力だった。
解こうと、空中でじたばたする。浮遊感に本能的な恐怖を感じる。
汗で、スマートフォンが滑り落ちた。
光が闇に溶ける。
それから液晶が砕け、部品が分解する音が下で聞こえた。
まずい。まずい。まずい。
ゲイルは必死な形相を相手に向けた。
その色は、黒い。光がないのに見えた。
「あ、あいつらの手じゃない!」
脳裏に浮かぶのは仲間が見たという『黒い人』。
も、もしやこの影がそうなのか。
自分の顔を傷つけられるのが許せなかった幽霊が俺を怨念で殺そうというのか。
全身を浮遊感に包まれるゲイルに、いくつもの思考が咄嗟によぎった。