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陛下のキスで取り戻した記憶

 ここは死後の世界なのでしょうか。金色の光に包まれた世界。音のない世界。香りのない世界。まぶしすぎて目を開けていられません。静かすぎて不安になります。匂いがないなんてまったく落ちつきません。でもあたたかい。それだけは心地よい世界。






「リリー」


 懐かしい声。


「リリー」


 あたたかい声。


「リリー」


 愛おしい声。


「リリー」


 どうやら生きていたようです。前回のように陛下が治癒魔法をかけてくれたのでしょうか。あれほどの炎に焼かれたのに、どこにも痛みはありません。


「リリー」


 でも疲れているみたいなのです、陛下。もう少しだけ眠らせてください。猫は寝るのが仕事だと、前世で聞いたことがありますし。


「リリー」


 聞こえていますよ、陛下。ただ、目を開けるのが面倒なのです。体がだるくて、まぶたが重いのです。


「リリー、愛してる。お願いだから、目を開けて」


 私も愛しています、陛下。猫なのに愛してしまったのです、陛下のことを。


「リリー」


 甘い声はどこか遠い記憶に、何かを問いかけてきます。


「リリー、心から愛してる」


 私の口に陛下の唇が押し当てられます。


「!!!!!!!!!」


 私の体が爆発したような気がします。


「リリー!!!」


 陛下に抱きしめられます。あったかくて、いい匂いのする、大好きな陛下。やっぱり私は陛下がどうしようもなく大好きです。何があってもおそばを離れたくはありません。どうか陛下が結婚なさってもおそばにおいてください。お妃様に嫉妬で嫌がらせをしたり、意地悪したりしませんから。


「!!!!!!!!!」


 記憶の濁流に意識が吞みこまれていきます。


 記憶の混沌。


 その中で意識を保っていられそうにはありません。






 陛下の腕の中で眠っていたようです。思考が追いつきません。


 だって私はもう猫ではなく、人なのです。


 陛下がキスをしてくれた瞬間に、私は自分が弾けたように感じました。そして陛下に抱きしめられ、そのぬくもりに安堵していたときでした。記憶が脳内にあふれかえってしまったのです。



 私が猫になる前の記憶。


 私は魔界の宰相の娘としてこの世に生を受けました。自分で言うのも何ですが、シルバーブロンドにパープルの瞳、真っ白い肌の愛らしい容姿をした美少女に転生したのです。

 五歳になったばかりのときでした。陛下の百歳の誕生日を祝う夜会が王宮で盛大に開かれました。そこで私は同じくらいの年齢の少女たちと一緒に、祝いのダンスを披露しました。三か月以上も練習したのに、そのダンスの途中で私は思いきり転んでしまったのです。呆然とする私をおいてきぼりにして、ほかの少女たちは完璧に踊りきりました。後半を少しも踊ることなくダンスを終えた私は、泣きながら父様の元へ走りました。新調したドレスの裾は薄汚れ、膝からは血が流れていましたが、痛くて泣いていたというより、恥ずかしくてあふれる涙をとめられなかったのです。


「なんと愛らしい子供だろう。こちらへおいで。私が治してあげよう」


 父様の足にしがみついて泣いている私にそう声をかけてくださったのが陛下でした。


 陛下は私を横抱きにしました。陛下の赤い瞳が金色に変わり、私の膝があたたかい金色の光に包まれていきました。しばらくしてから、女官の持ってきてくれた濡れたタオルで膝の血を拭うと、もうそこに傷はありませんでした。


「ありがとうございます、陛下」


 父様が頭を下げたのを見て、私も倣いました。


「ありがとうございます、へいか」


 陛下は赤に戻った瞳で私をじっと見つめて言いました。


「これくらいいつでも治してやる。そのかわり、嫁に来い」


 このときの陛下がどれくらい本気だったのかはわかりません。ただそれから五年後、私と陛下は正式に婚約を結びました。そして十年後、私の十五歳の誕生日に結婚式を挙げることになったのです。


 しかし結婚式の前日、深夜のことでした。

 すでに王宮で生活していた私の元へある女性が訪ねてきたのです。


「結婚おめでとう、リリー」


 その女性は先王陛下お抱えの魔女様でした。魔女様は実力のほかに、その美貌でも有名で、その日は真っ赤なローブを素敵に着こなしておいででした。


「ありがとうございます、魔女様」


 眠れぬ夜をすごしていた私は魔女様の突然の深夜の訪問を警戒するどころか、歓迎すらしていました。


「結婚祝いを持ってきたんだよ」

「まあ、ありがとうございます」


 これから起こることを知らない私は素直に喜んでいました。


「リリー、お前は心から陛下を愛しているかい?」


 それはとても簡単な問いでした。だって私は五歳のあのときからずっと、陛下をお慕いしていたのですから。


「もちろんです」


 魔女様は私の答えを聞いて満足げに頷かれて、それからきれいな金のリボンがかけられた小瓶を私に差し出されました。


「受け取るがいい」

「これは何です?」

「真実の愛を見極める薬だよ」


 魔女様の薬には、よいものも悪いものもあると聞いていましたので、私は受け取るのに少し躊躇しました。


「何だい、リリーは陛下への愛に自信がないのかい?」


 魔女様の挑発を躱すすべなど、私は持っていませんでした。


「そんなことはありませんわ」

「じゃあ、なぜ受け取らない?」


 そう言われて私は魔女様の薬をつかみました。近くで見た小瓶の中では、水色の液体が怪しく揺れていました。


「なあに、簡単なことだ。この薬を飲むと、猫になる」

「猫?」

「ああ、猫だ。獣の猫だよ。だが真実の愛があればすぐに元の姿に戻れる」

「愛が、あれば?」

「そうだ。お前が陛下を心から愛し、陛下がお前を心から愛していれば、口づけひとつですぐに人の姿に戻れる」

「口づけ?」

「そうさ、口づけだよ。キッスだよ」

「キス……でも、猫の姿でどうやって陛下にキスしていただくのです?」

「手紙を書いておけばいいだろう。もしもお前がその薬を飲まなかったら、お前が本当は陛下を愛していないと、魔界中に広めてやろう」


 そう言って魔女様は窓から飛んでいってしまったのです。

 迷わなかったといえば嘘になります。陛下への愛には自信がありましたが、陛下が私を真実愛してくださっているかには自信がなかったのです。それでも薬を飲んだのは、陛下が愛してくださらないのであれば、私は一生猫の姿でかまわないと思ったからです。陛下に愛されない自分に、私は価値を見出せなかったのです。



『親愛なる陛下へ。真実の愛を確かめる薬を飲みました。それで今、猫の姿になっています。互いを心から愛し合っていればキスで人の姿に戻れるそうです。どうか猫になった私に、陛下の愛のキスをお授けください。リリーより』



 こうして愚かな私は魔女様の薬で猫の姿になったのです。翌日、私が眠っているはずのベッドで、私の代わりに猫が眠っているのを見つけた女官は驚いたことでしょう。そして枕元の手紙に気づき、陛下の元へ急いだはずです。手紙を読んだ陛下はきっと、半信半疑のままで、私と同じ色を持つ猫へ口づけをされたのでしょう。

 しかし私が元に戻ることはなかったのです。なぜなら私は猫の姿になるのと同時に、リリーとしての十五年分の記憶をなくしていたのですから。陛下を愛した記憶もすべて。


 魔女様はなぜあんなことをしたのでしょうか、どんな答えが返ってきても、私は納得などできないでしょうし、許すことはできないでしょうが。


 私が猫としてすごした一年以上の間に、陛下はどんなことをお考えだったのでしょう。

 何度口づけを交わしても元に戻らない猫に、陛下は何を思われましたか? 猫の正体が私ではないかもしれないと思われましたか? 私の陛下への愛を疑われましたか? それとも陛下自身の愛に疑念を抱かれましたか? 


 私をしっかりと腕の中に閉じこめて、眠っていらっしゃる陛下。陛下は私が元に戻ってうれしいですか? こうして人に戻れても、私はまだ怖いのです。陛下は私を本当に愛してくださっていますか? 


「愛してるよ、リリー」


 眠っていたはずの陛下が私の額にキスを落とします。

 陛下は私が猫になっている間に人の心が読めるようになったのでしょうか。私の憂いを拭うように、陛下は私のほしい言葉をくださいます。


「ずっと待っていたよ、リリー。愛してる、心から」


 私も陛下に思いを返したいのに、口から出たのは謝罪の言葉でした。


「お待たせしてすみません」


 一年も陛下のお気持ちを煩わせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだったのです。


「まだ二千年も生きるのだから、急がなくていいと言っただろう」


 陛下が目元を和らげて微笑まれます。ああ、そういうことだったのかと、猫時代によく聞いた言葉の意味を理解します。


「あと二千年はリリーをこうして愛しつづけるよ」


 歓喜に体が震えます。それを感じられたのか、陛下は抱きしめる腕の力を強めてくださいました。痛いくらいの拘束が私を安心させてくれます。


「私も陛下を愛しつづけますわ」


 やっと返せた愛の言葉は涙に半分かき消されてしまいました。陛下へのあふれる思いが涙を押し上げます。


「リリー」


 陛下の瞳に熱情が映り、私の潤んだ瞳にもその熱が移ってくるのを感じます。


「愛してる、リリー」


 陛下が私の唇をついばみます。何度も何度も私の存在を確かめるように、そしてだんだんと深まる口づけに私の疑念はとけていきました。この陛下からあふれるあたたかさを愛と呼ばないのなら、この世に愛は存在しないと思ったのです。


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